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新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区の公園経営計画)
その理由は「都市ニ公園ヲ要スルハ論ヲ俟タズ」として、
中島遊園地
と円山公園の整備について「公園ノ如キ之レガ,その後四十年になって、東京市役所嘱託員長岡安平と助手田中真次郎に
中島遊園地
と円山公園の設計を依頼した(,計画実施とともに、
中島遊園地
は中島公園と改称された(札幌区事務報告 自明治四十二年十月至四十三年九月)
新札幌市史 第2巻 通史2
(四季と遊覧)
"> 表-6 札幌の行楽地"> 名所 位置 概 要
中島遊園地
札幌区,岡田花園
中島遊園地
内の 山鼻村に接する所 札幌区岡田佐助の所有にして、面積約三町歩余。,園内に育種場、博物場、競馬場、偕楽亭、清華亭等があったが、育種場は札幌農学校附属農園となり、競馬場は
中島遊園地
,二月の
中島遊園地
の氷遊び、すなわちスケートが流行したのもこの頃からである。,このほか一年を通じて花を観賞できる場所として、
中島遊園地
内の岡田花園と北八条東一丁目の東皐園(とうこうえん
新札幌市史 第2巻 通史2
(開化のシンボル)
それに比べ
中島遊園地
は、十七年中島付近の住民総代・有志の意見によって公園予定地としてまず認可され、翌年
中島遊園地
,一八万余坪の
中島遊園地
は、実際には岡田佐助の岡田花園など民間委託によって公園整備が進められていった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(公園の設備)
公園の設備 前述のとおり区制諸問題調査の中で、すでに円山と
中島遊園地
を公園候補地としていた。,また
中島遊園地
についても、区役所による整備の必要を求めた新聞記事が出た(北タイ 明36・7・21)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市のシンボル)
札幌区が公園整備を計画的に開始したのは四十年からで、
中島遊園地
と円山公園が四十一年に本格的公園に整備された,三十六年には黒田清隆の銅像が大通西八丁目に、四十年には第七師団師団長大迫尚敏の銅像が
中島遊園地
内に、また,このほかに、屯田兵招魂碑も三十六年、にわかに街の中心地への移転論が沸騰、四十年
中島遊園地
に移転した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(趣味・愉楽)
このうち競馬会は
中島遊園地
を会場とし、毎年六月十五、十六日、八月二、三日の二回定例として開催されていた
新札幌市史 第3巻 通史3
(遼陽戦勝祝賀会)
北海タイムス社前の大アーク灯が点火され、大通と
中島遊園地
で何発もの花火が打ち上げられ、各軒先には国旗、
新札幌市史 第3巻 通史3
(旅順海戦祝勝会)
当日の祝賀会は大通西四丁目にて午前九時に開始され、その後は
中島遊園地
との間を往復する仮装行列が行われた
新札幌市史 第3巻 通史3
(アイヌ小学校の修学旅行)
また、
中島遊園地
を「実際に観且つ鯉の踊る」(同前)姿に都市機能の充実を見た生徒もいた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(戦死者追吊会)
各宗仏教聯合会の戦死者追吊会はその後、大連占領後の六月五日に
中島遊園地
、遼陽占領後の十一月十、十一日に
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌育児園)
、慈善演芸会や篤志家の寄付金を募って運営にあたっていたが、三十九年八月の慈善会で得た寄付金をもとに、
中島遊園地
内
新札幌市史 第2巻 通史2
(まつりと遊興の世界)
成田山は二十一年五月、成田山の不動明王仮安置所が
中島遊園地
への往来の要路にあたり、人の往来も多いところから,狸小路の芝居小屋、寄席、それに
中島遊園地
で催される競馬会、物産共進会等、札幌は遊興の街としての魅力も合
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道電灯会社)
職工は一〇人、電力は火力発電、一〇〇馬力一個、三五馬力二個を備え、点灯の地点は札幌停車場より西三丁目通
中島遊園地
新札幌市史 第2巻 通史2
(招魂祭の区民主催)
八月二日挙行の本祭は一二〇〇円余の寄付を集め、日清戦争の戦死者等四三柱の霊を合祀し、
中島遊園地
で神式、
新札幌市史 第3巻 通史3
(軍隊と神道儀礼、藩祖祭)
たとえば四十一年五月二十四日には、
中島遊園地
料理店「西の宮」支店での、「同店扇の間に祭壇を設け貞山公の
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道製麻会社の増産と職工)
製麻会社では単独で三十八年一月四日に、北七条東一丁目と
中島遊園地
の間を往復して旅順陥落祝捷行列を挙行した
新札幌市史 第2巻 通史2
(学田)
篠路学校 50 琴似川沿 白石学校 50 下野幌野幌官林 月寒学校 40 下野幌野幌官林 1.明治17年
中島遊園地
指定前
新札幌市史 第3巻 通史3
(展覧会)
三十九年十一月三日~五日にかけて、
中島遊園地
〓公衆俱楽部において第一回絵葉書展覧会が開催された。
新札幌市史 第3巻 通史3
(三五四八生の図書館設立論)
殷富繁栄の都市」と位置づけたうえで、「文明的の機関は大概具備」しているが、区営の施設は小学校と病院を除くと
中島遊園地
以外
新札幌市史 第2巻 通史2
(年中行事)
・十九日(明治二十年) 2 旧正月 近郊農村休業、市中へ 節分 各寺院 立春初午 氷遊び
中島遊園地
,)、神楽(円山村札幌神社)、十五日道庁・諸官衙・学校等休業、汽車割引 札幌共同競馬会 十五・十六日
中島遊園地
,招魂祭例祭 二・三日 屯田兵参拝、神楽・踊・屋台・花火、勧工場・氷店繁盛 札幌共同競馬会 二・三日
中島遊園地
新札幌市史 第4巻 通史4
(教派神道の布教開始)
敬神教会北海分教会所(南5西4)は、二十五年六月に創設し遊廓内にあって琴刀比羅神を奉祀していた(明40・6・9
中島遊園地
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌電気軌道会社の事業)
その際の路線は、南一条線(西14~東2)、停公線(北4西4札幌駅~
中島遊園地
)、南四条線(南4西3~東
新札幌市史 第4巻 通史4
(電車路線とその延長)
4 苗穂町畑125 0. 61. 90 0. 48. 12 2. 21. 92 停公線 北4西 4
中島遊園地
新札幌市史 第3巻 通史3
(遊廓の移転)
移転候補地は
中島遊園地
鴨々水門付近に内定したが、その後も豊平や北五条西二〇丁目への誘致活動が行われた(
新札幌市史 第3巻 通史3
(遊廓の移転)
翌六年に入ると、候補地として白石と北九条の二カ所があがり(北タイ 大6・3・13)、博覧会会場となる
中島遊園地
新札幌市史 第3巻 通史3
(日本美術院北海道美術展覧会)
日本美術院北海道美術展覧会 明治三十四年十月十八日から十一月三日まで、
中島遊園地
物産陳列場で、日本美術院北海道美術展覧会
新札幌市史 第2巻 通史2
(博覧会・共進会の開催)
道庁設立後は二十年、二十五年に札幌区
中島遊園地
において行い、陳列場ほか多数の建物を設けているが、これらの
新札幌市史 第2巻 通史2
(娯楽・遊楽の街と旅客)
東寿し 南二条西二丁目 大中
中島遊園地
泉水の中風景絶佳。 松本 南六条西三丁目 成田山境内。,遊戯場は
中島遊園地
にもあった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌遊覧案内)
名所 ▲
中島遊園地
は市街の南端で這回共進会を開設した所である。,▲岡田花園
中島遊園地
に隣接した処で園内和漢洋の花卉物一として栽培せられざるなく珍花奇草四時咲き誇って
新札幌市史 第4巻 通史4
(火災予防組合)
、大正十二年五月には札幌警察署、札幌市聯合衛生組合と共催で火防衛生思想等のため宣伝にポスター展覧会を
中島遊園地
新札幌市史 第2巻 通史2
(薄野・密売淫問題)
そして、「侃々生」はそれらの営業地の候補地として
中島遊園地
近傍を掲げ、移転意見をはじめて表明した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(都市の醜景と遊廓の機能)
薄野遊廓が
中島遊園地
内に新築中の女子職業学校に近くなり、通学路上にあるという問題を指摘された(北タイ
新札幌市史 第2巻 通史2
(都市の風景)
札幌の街は、中央部には二階建てや西洋建ての商家が軒をつらね、南は大小二〇余の妓楼の立ち並ぶ薄野、そして
中島遊園地
新札幌市史 第3巻 通史3
(大挙伝道の展開)
(七月)二日(中略)六時半より
中嶋遊園地
より広告隊ハ出発して組合教会附近を広告す廻歩者四十一名(男二十一名女二十名
新札幌市史 第4巻 通史4
(大正期の教派神道)
明44. 4 50 196 神道神明教会 北15西4 大 1 . 9 360 390 神道大国教会
中島遊園地
新札幌市史 第2巻 通史2
(祝賀と歓迎)
6・13 臨時第七師団凱旋歓迎会を
中島遊園地
に開催。発起者菊亭修季以下七〇余人。
新札幌市史 第3巻 通史3
(招魂祭・忠魂祭)
そして大正十年十二月一日に、札幌における札幌招魂社が
中島遊園地
内に創建されることとなる(神社明細帳)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(バス事業の市営化)
路線は、第一号路線(山鼻西線、北4西4~西11経由~南21西13)、第二号路線(山鼻東線、北4西4~
中島遊園地
経由
新札幌市史 第2巻 通史2
(流通機構の整備)
この年八月
中島遊園地
で北海道物産共進会を催す計画があり、そのため区民は協賛会を設け、全国から貴顕豪商の
新札幌市史 第4巻 通史4
(市街地の拡大)
大正五年の新聞では、山鼻方面、
中島遊園地
方面、北二〇条方面への発展が著しいと、以下のように報じられている
新札幌市史 第2巻 通史2
(親睦・懇親)
仙台親睦会 12・ 毎年五月
中島遊園地
にて藩祖祭。
新札幌市史 第3巻 通史3
(区制諸問題調査建議)
同第四項については、目下の公園候補地として円山と
中島遊園地
を指摘している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(各種学校)
算・作・習・英外三 四年 北一西五ノ一 小野徳太郎 32 幌南学校 普通科 三年 41・8・31
中島遊園地
新札幌市史 第3巻 通史3
(生活のなかの儀式と遊興)
下旬には中島公園(四十一年より
中島遊園地
改め)も新緑に包まれ、一二〇〇燭のアーク灯で照らした公園内の池
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道庁設置後の商況)
遊廓の南は
中島遊園地
で、この年次に開発され、共進会、品評会の開かれる折使用する出品陳列場及び事務所、競馬場
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