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新札幌市史 第2巻 通史2
(工事請負人と諸職人の募集)
工事請負人と諸職人の募集 諸建築物の工事請負人で、この時期に登場するのは
中川
源左衛門である。,この
中川
組は函館での開拓使の諸工事にもかかわっている。,しかし
中川
組が四年中から札幌の建設に関係していたことは、
中川
源左衛門が東京で大工職人等を募集している書類,工事の仕方は開拓使の書類から推測すると、
中川
が諸工事を請け負い、その見積などは
中川
で行い、その工事を諸職人,
中川
が募集した職人人夫たちが続々と札幌に到着する春から札幌の街造りも開始される。
新札幌市史 第1巻 通史1
(土地・農民管理)
まずホシオキに入地した
中川
金之助、中嶋彦左衛門についてであるが、『公務日記』安政五年四月二十九日の項に,、発作部出立、二十町ヨ、 発作部道休所 小休一リ 小鳥川 同 一リ 小鳥川ニ
中川
,仕かけ、苗代有生立よし、両人とも出居、一見致ス、此辺地味よし、 この年の八月に、村垣はホシオキで
中川
,もう一つの事例は、やはり
中川
金之助に関するものである。,
中川
はのち箱館に去るが(文久二年と伝えられる)、大友亀太郎文書中の『御用控 慶応三年』の中で「書面
中川
金之助取開候石狩持場内字
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政六年の人別帳)
さらに、接合関係の不明な断簡に、ハッサムと
中川
の表記がみられる。,
中川
は次の慶応元年の人別帳にもみられるように、イシカリ場所の場所名ではなく、イシカリ役所及び改会所の出張所
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応元年の人別帳)
また、ハッサム・
中川
・上川・ユウバリの四地域の総計もみられる(表2)。,慶応元年 イシカリアイヌ人別帳 場所 軒数 男 女 男女計 ハツサム 28軒 49人 49人 98人
中川
,この時、上川チクツヘツ(現秩父別町付近)、
中川
トツク(現新十津川町付近)、ユウバリ、サッポロの四番所がおかれた
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道農業研究会事件)
これは思想犯前歴者の
中川
一男・村上由(ゆかり)の検挙を軸に、北海道文芸協会事件、資本論研究会事件、帯広文化,の放言、「農業の共同化は、天皇制否定につながる」というこじつけにこの事件の本質が露呈している(前者は
中川
新札幌市史 第2巻 通史2
(麦酒醸造所)
八年にドイツで麦酒醸造の技術を修めて帰った
中川
清兵衛を雇い、九年九月麦酒醸造所を札幌雁来通(北二東四),オコルセットは、品質は良好であるが、色合にまだ充分でない所があるとして、その改良法を
中川
氏に伝えた。,代価 拾銭 一、壱ダース 代価 壱円 一、拾ダース 代価 九円五十銭 但上野公園内
中川
嘉兵衛売店
新札幌市史 第4巻 通史4
(思想犯在監者)
そして、二十年七月一日時点で治安維持法の受刑者は三四人で、このなかには北海道農業研究会事件の
中川
一男・
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の管轄・地域)
①(
中川
)上カバタ、下カバタ ②シノロ、下カバタ ③ナイホ、上川 ④(ユウバリ)上ユウバリ,ユウバリ ⑤上ツイシカリ、サッポロ、下ツイシカリ これらから判断すると四つの番所のうち、(一)
中川
新札幌市史 第4巻 通史4
(町村議員)
12人 12人 18人 高木健治 法邑久平 深田久蔵 高岡伊作 佐藤吉蔵 佐藤秋太郎
中川
繁次郎,許士善太郎 法邑久平 佐藤秋太郎 高木健治 深田久蔵 高岡伊作 佐藤吉蔵 柏野忠八
中川
繁次郎,板摺和助 栗虫市次郎 先本与四松 林清太郎 重延卯平 荒川要助 平山匡二郎 見上権太郎
中川
由吉,
中川
由吉 岩本吉次郎 荒井季吉 田中清一郎 小村長平 平山匡二郎 西二三,駒崎喜久男 上田長松 本間与三郎 藤原安 西村稔夫 小須田治朗 砂金耕平 五十嵐民治
中川
由吉
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 明治四年)
南部秋田辺より買上農家運賃の件(二月四日) 七五 南部より杣木挽雇入に付吉見清彦書面(二月七日) 七六
中川
源左衛門
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応二・三年の開墾田畑)
これに同年
中川
金之助よりの上地(あげち)分の畑九反六畝歩と田二反四畝歩、それに慶応二年分の一町二畝歩を,なお
中川
金之助上地分を含め荷三郎耕作分は一町二反九畝一九歩となっている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌区役所の成立)
副区長 高木宗三郎(第1大区副区長) 戸長 山口重次郎 副戸長 森本清七,
中川
和吉,大区区務所役員 役員 区長 重久安都男 副区長 高木宗三郎 副戸長 森本清七,
中川
和吉,戸長 札幌区市街東創成町以東各町戸長 綱島右源太 札幌区市街西創成町以西各町戸長
中川
和吉
新札幌市史 第5巻 通史5上
(清酒の減退)
写真-1 日本清酒 札幌の
中川
酒造、大同酒造などの清酒メーカーは、四十三年にビールの「純生」に,しかし、こうした努力も功を奏さず、
中川
酒造は四十二年、四十三年と欠損を出し、廃業を決めている(道新 昭
新札幌市史 第1巻 通史1
(コトニ開発場)
、現琴似川)の川岸に入居していた早山清太郎とその開拓地は、おそらく安政五年にイシカリ在住(ホシオキ)
中川
金之助
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応三年の移住)
またこの年の六月に、
中川
金之助の農夫としてすでに近くのコトニに入植していた荷三郎(家族三人)が、イシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(早山の移転と御手作場への繰り入れ)
同開発場は箱館に移った
中川
金之助(文久二年移転と伝えられる)がそのまま管理していたが、慶応三年に、前年大友亀太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(開墾手当の支給)
田二反歩・畑二〇町三反四畝五歩に対し、反当たり一七貫文割りをもって、計銭三四九二貫〇八三文、それにこの年
中川
金之助
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中の商い惣高調)
貸座敷業では、連之助が一二八八円三〇銭、
中川
良助が四二三二円五七銭、田中重兵衛が七五四円五五銭を売上げている,建築請負人では、
中川
源左衛門は四二七一円一九銭、福原亀吉は一二三〇円、大岡助右衛門は五〇〇〇円、土木請負
新札幌市史 第2巻 通史2
(市況不振)
外ニ
中川
源左衛門職工土方繰入長屋二八戸ノ内明屋一五戸アリ」(河野常吉 札幌史料 道図)とある。
新札幌市史 第1巻 通史1
(開墾地への播種)
したがって水田はさきにふれたように開発田四反四畝歩にとどまり、しかもそのうちの二反四畝歩は
中川
金之助の
新札幌市史 第2巻 通史2
(酒類醸造場)
狭められるなど、二十年の不況下で販売も思うようにいかないとして、柴田、笠原、本郷、山本、三浦、山崎、
中川
新札幌市史 第2巻 通史2
(活版印刷所)
創業 経営者 活版 札幌活版印刷所 大通西3 明治19年 阿部宇之八 北門活版所 大通西4 24
中川
寅次郎
新札幌市史 第3巻 通史3
(地方逓信官署官制の改正)
管轄地域は、函館は渡島国、小樽は後志国、胆振国の内山越郡、旭川は石狩国の内上川郡、天塩国の内上川
中川
両郡
新札幌市史 第1巻 通史1
(銭箱よりハッサムへ)
当時、ここには永島玄造・中島彦左衛門・
中川
金之助・葛山幸三郎が入植していたが、湿地も多く地積が狭隘なため
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中移転問題と遙拝所の建立)
同遙拝所は十一年六月、神道事務分局と兼ねる形で建設許可をうけ、市中氏子の寄付および土地については請負業の
中川
源左衛門
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
いまのところ、マクンヘツ・トクヒタ・ホリカモイ・ワッカオイ・ヒトエ・ツイシカリ・上トウヤウシ・上川チクヘツ・
中川
,また、アイヌの「撫育」のために、特に上川チクヘツ(同心、中西清三)、
中川
トツク(勤番人)、ユウバリ(同心
新札幌市史 第2巻 通史2
(火災)
この時、大工頭
中川
源左衛門等にも消防方を命じ、万一の時に備えさせたという(札幌昔日譚)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(五稜郭の移築計画)
引き受けたのは
中川
組の金子三九郎である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の任命)
また翌安政四年三月から五月にかけては山岡精次郎、
中川
金之助、中嶋彦左衛門、秋山繁太郎、同鉄三郎、葛山幸三郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(農業・開拓)
コトニの水田は安政六年には一反七畝、万延元年に二反四畝と増加していくが、慶応二年コトニの
中川
金之助の田畑,ただ大友亀太郎文書のうち『御用控 慶応四年』の中で、大友の引き受けた
中川
金之助開墾地、および山岡精次郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(官舎と洋式建築の導入)
また開拓使仮本庁舎も四年四月、請負師
中川
源左衛門によって完成した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(「同化」政策)
明治四年辛未十月 開墾御役所(布令類聚) この時札幌に呼び集められたアイヌは、発寒小使エワヲフテ、
中川
乙名
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌・発寒・琴似村)
中川
金之助、中嶋彦左衛門らの在住のコトニ開墾場は、慶応三年にイシカリ御手作場にくり入れとなったが、その
新札幌市史 第1巻 通史1
(その他の産物)
伐出場所は、サッポロ山、ハッシャフ山、ヌフル山、シュップ山のほかイシカリ川上流の上川・
中川
の山からも伐
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
号、札幌女性史研究会編『北の女性史』、石井研堂『増補改訂明治事物起原』、池田敬正『日本社会福祉史』、
中川
清
新札幌市史 第2巻 通史2
((1)札幌麦酒醸造場)
麦酒の醸造は旧開拓使時代において
中川
清兵衛が当たっていたが、二十年九月にはドイツ人醸造師マックス・ポールマン
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌記者俱楽部)
岡田天洞、金子郡平、戸石正憲、岡田春夫、相神豊吉、石川道三郎、奥村茂俊 札幌毎日新聞社 星野良平、
中川
寅三
新札幌市史 第4巻 通史4
(「バチェラー学園」の財団法人化)
一方、札幌では
中川
健三、沢田牛磨、高岡直吉らが基金募集の呼びかけを行うとともに、昭和二年九月には苗穂町
新札幌市史 第3巻 通史3
(主義者を見る眼)
十一月に開催された北大高商連合弁論会では、沢村克人が従来の忠君愛国の浅薄であることを批判し、高商の
中川
久平
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の移動)
5.4.25 ホシオキ 万延1.10現 イシカリ在住 慶応2.7 江戸で死去 高橋三平次男
中川
金之助,これ以外の移動については、あまりまとまったケースはないが、ホシオキに入った
中川
金之助と中嶋彦左衛門は、,慶応三年現在では、
中川
は箱館在住(明治元年四月に在住頭取)となっており、中嶋と同居している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(西蝦夷地見回りへ)
当時、秋味漁の最盛期で、川
中川
口とも網数統を立て、アイヌがおよそ一〇〇〇人も集まって、川中へは廻船が一四
新札幌市史 第1巻 通史1
(諸施設)
中川
筋のアイヌが中心。 以上が、弘化三年に松浦武四郎が見たイシカリ運上屋付近の諸施設である。
新札幌市史 第1巻 通史1
(十三場所の変遷と請負人)
、松浦武四郎の『丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』では、ウリウ(雨竜)川を遡ったウリウとイチャンの間を「
中川
,下流域とも関係が深く、それでサッポロ川流域の地名とならんで「チイカルシ」、「ツフカルイシ」(アイヌ語で
中川
新札幌市史 第5巻 通史5下
(主任制闘争)
翌年七月二十日に道教委は北教組と事態打開の交渉をする確認を行ったが、九月には気境教育長が辞任し、十一月十四日から
中川
年若新教育長
新札幌市史 第1巻 通史1
(開墾取扱所ほか建造物)
慶応二年の『石狩御手作場開墾御入用請払仕訳書上帳』(大友文書)によると、「在住
中川
秋山明宅二軒願受代」
新札幌市史 第4巻 通史4
(石狩工業港構想)
全国産業団体聯合会(以下全産聯と略)が中心となり、会長藤原銀次郎をはじめ、関東から古川電気社長
中川
末吉
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政五年の調査)
ホシオキには中島辰三郎、中島彦左衛門、
中川
金之助、葛山幸三郎の在住四軒あり、大根・蕎麦・隠元・ささげ等
新札幌市史 第4巻 通史4
(市民の時代)
時の札幌控訴院検事長
中川
一介は、この努力をみて「札幌の地は商業に偏せず工業に偏せず、自ら全道の指導者たるべき
新札幌市史 第1巻 通史1
(入植の農民)
(二四歳)、二男馬吉(二二歳、慶応四年七月別家)、三女いそ(一二歳) 〈慶応三年六月組入〉 荷三郎(
中川
金之助上農夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(網漁法の導入と塩引鮭)
『蝦夷地御用留』には、「此節秋味漁事最中ニて、川
中川
口とも数ケ所、網数所々ニ相立、夷人千余人も相集り、
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