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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ乙名へ農具の支給)

アイヌ乙名へ農具の支給 六月一日には、堀利熙からトクヒタほか一四場所のアイヌの乙名へ、鍬が一挺ずつ支給 / アイヌ乙名へ農具の支給
新札幌市史 第6巻 史料編1 (〔イシカリ場所人別帳(松浦武四郎)〕)

巳第三番 辰 シヤコタン ヒクニ フルヒラ 石カリ ヨイチ 人別  イシカリ之内   〔トクヒタ惣乙名,〕   〔ハツシヤフ乙名〕   〔下サツホロ乙名〕   〔上サツホロ乙名〕   〔上ツイシカリ,乙名〕   〔下ツイシカリ乙名〕   〔上カハタ乙名〕   〔下カハタ乙名〕   〔上ユウハリ,乙名〕   〔下ユウハリ乙名〕   〔シマヽツフ乙名〕   〔シノロ乙名〕   〔ナイホウ乙名
新札幌市史 第1巻 通史1 (ナイホとシノロ)

ナイホの乙名はニシトレン、小使はケセアマで、前者は上川チユクベツブト出身であった。,シノロの乙名インレシユは、安政四年春に死亡し、家はべツバラ(現妹背牛町)にあった。,表-6 イシカリ(場所)の乙名、小使表 場所名 役名 安政3年 慶応1年,トクヒタ 惣乙名 サヒテアエノ ― 小使 イカシトシ、ハセア ― 脇乙名,乙名 インレシユ イソラン 小使 イシヨラン イナヲカントリ ナイホウ 乙名
新札幌市史 第1巻 通史1 (堀利熙の申渡しと農業奨励)

堀利熙の廻浦の折にはこの政策にそい、トクヒタ惣乙名サヒテアエノ、ハッサム乙名コモンタなど十三場所の乙名,そして乙名たちがまず率先しておこない、漸次、一般へも普及をはかるとともに、農業指導も支配人たちへ期待されていた
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリアイヌの入会権)

上ツイシカリの惣乙名シレマウカ、下ツイシカリの乙名レタリカウク、上ユウバリのアンラマシテ、同カシュウシ,上ツイシカリの惣乙名シレマウカは、『由来記』によれば、元来は千歳アイヌ系であるという。,なぜ上ツイシカリの惣乙名になったかは不明である。,同じイシカリ場所のうち下ツイシカリの乙名レタリカウクの場合も、やはり父親の代からイザリの干鮭場への出漁権,この場合、ユウバリ川筋が一時鮭が不漁となり、家業が成り立たなくなったので、ムイザリ乙名のヌカンランケに
新札幌市史 第2巻 通史2 (「同化」政策)

明治四年辛未十月   開墾御役所(布令類聚)  この時札幌に呼び集められたアイヌは、発寒小使エワヲフテ、中川乙名,トシハアヒ、同セツカウシ、発寒乙名コモンタ、石狩乙名サフテアエヌ、琴似乙名マタエツ、札幌乙名エコレキナ
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の管轄・地域)

、旧場所がどのように四番所の管轄に変更になったかという点であるが、同一断簡中に以下のような、各場所の乙名,ナイホが(四)上川となっているのは、ここにみえるナイホ乙名イナヲサンは、居住地との関係で上川に記されたとみられる,イナヲサンは、安政三年人別帳にやはりナイホ乙名ニシトレンの子イナウエサンとみえる。,石狩川の河口に所在し、人別数の最も多かったトクビタ場所は、これにより有名無実となったせいか、場所乙名・
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政三年の調査)

この川筋に夷人小屋あり、乙名イソウクテ、小使コモンタが支配する。,この川筋も夷人小屋が多い由で、乙名モニヲマ、小使シリコフツネが支配する。,上サッポロはその運上金三六両永五〇文、乙名クウチンコロ、小使モリキツが支配する。,この後ろに夷人小屋七、八軒、当時乙名ルヒヤンケ、小使イカレトメト(イカレキナ)が支配する。,夷人小屋多くあり乙名イクシノカアイノ、小使イハンケが支配するという。
新札幌市史 第1巻 通史1 (第一回訴願)

第一回訴願 西蝦夷地が直轄地となった翌年の文化五年(一八〇八)、上ツイシカリ惣乙名シレマウカは、ウライ,その結果、ユウフツ場所の惣乙名オツカシレ、イザリ乙名ヌカンランケ、ムイザリ乙名コマワカほか乙名一同は、,一方、下ツイシカリのレタリカウクの訴願に対しても、ユウフツ場所惣乙名オツカシレはじめ「役土人」と支配人,下ツイシカリの乙名レタリカウク、親の代よりイザリの干鮭場へ出漁(親戚関係)。,8.22上ツイシカリ惣乙名以下・ユウフツ惣乙名オリコシマ、イシカリ詰合吉田右十郎立会のもと熟談のうえ、
新札幌市史 第1巻 通史1 (第三回訴願と収拾)

そこで、惣乙名シリコノエは、三度目の訴願を今度は松前藩の支配の下ですることとなった。  ,以上のような内容の、いわば「覚書」を上ツイシカリ惣乙名シリコノエ、小使サエラフニとそれにユウフツ惣乙名,オリコシマ、脇乙名マウケサン、惣小使クツケレノ、並小使トイカクシ、同シヤハシリの連名で、松前藩イシカリ,解決の糸口をみてみるならば、上ツイシカリの惣乙名シレマウカの妻が千歳出身であり、老女となって一人残されているものを
新札幌市史 第1巻 通史1 (コモンタ)

コモンタ コモンタは、ここの出身で小使・乙名を歴任したハッサムの名家であった。,安政元年(一八五四)に小使とみえるのが初見で(蝦夷誌)、四年に乙名となったらしい。  ,当時二人は家がなく、惣乙名サヒテアイノのもとに同居していた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハウカセの領域)

オタルナイをも持分にする「はつしやふ」の乙名「よろたいん」(ヨウタイン)を配下とし、「ふりう川」(雨竜川,「さっぽろ」のアイヌ乙名チクニシ(竺無、チクナシ)はオニビシ派で、シュムクル地域集団の一首長のピポクの
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫『入北記』(カラフトへ向かう))

イカシトシ  同上川    乙名 シレアヱノ         小使 クランケ  ハツシヤフ  乙名,  乙名 サンケハロ         小使 シイレンカ  下ユウハリ  乙名 ユワコラン         , 乙名 ルヒヤンケ         小使 イカシトノト  上カハタ   乙名 セツカウシ         ,トクヒタ   惣乙名 サヒテアヱノ 上川     乙名 シレアヱノ ハツシヤフ  乙名 コモンタ 上サツホロ,代イコリキナ 上カハタ   乙名 セツカウシ 代バレイシヤム シノロ    乙名 インレシユ
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ支配の構造)

表をみる限りでも、「役土人」には、乙名(大きなコタンの場合、惣乙名を置いている)、脇乙名、小使といった,小 サマサン 惣 シヤマウサン 脇 ソンハ 乙 タイリキ 小 ケセアマ(33歳) 1.惣は惣乙名,、脇は脇乙名、小は小使の略。 
新札幌市史 第1巻 通史1 (復領の申渡し)

一方、アイヌへは、文政五年五月松前奉行から松前藩への領地引継の際、松前奉行はアイヌの三役(乙名(おとな,)、脇乙名(わきおとな)、小使(こづかい)等)を通じて、アイヌ「撫育」や産物取捌の方法は、今後も万事直轄中
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫の建言)

そして、サッポロ小使のモニヲマ、上川惣乙名クウチンコレなどより種々話を聞き、あまりにもアイヌが支配人などの,この日は、まず農業奨励のために十三カ場所の乙名アイヌに鍬が供与されている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政六年の人別帳)

書式をみると、乙名・小使の上欄にユウバリ(上・下)、シノロなどの場所名の記載がなく、また場所ごとの集計
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎)

たまたま長崎の乙名津川文作より、蝦夷地が赤蝦夷(ロシア人)によって侵攻されるおそれあり、との風説を聞き
新札幌市史 第1巻 通史1 (上原熊次郎の斡旋)

同年、熊次郎らがシレマウカ方に立ち寄ったところ、シレマウカはすでに没して、その子シリコノエが惣乙名になっていた
新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロ大府への展望)

豊平川)三里を上り、札縨・樋平(トヒヒラ)の辺りぞ大府を置の地なるべし」と確信し、なおそれをツイシカリの乙名,ルピヤンケならびにサッポロの乙名モニヲマにも再三ただした上で、竹内、堀、村垣の三箱館奉行に対して、サッポロ
新札幌市史 第1巻 通史1 (蝦夷地見回りとイシカリ場所)

3.請は請負人、通は通詞、支は支配人、惣は惣乙名、脇は脇乙名、小は小使。乙は乙名の略。
新札幌市史 第1巻 通史1 (銭箱よりハッサムへ)

武四郎は、ここの乙名(おとな)コモンタの家で昼食をとる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム)

すなわち、(1)乙名コモンタ、(2)小使リカンクル、(3)土産取イワウクテ、(4)ハシユイカニの四軒であった
新札幌市史 第1巻 通史1 (紛争の経緯)

紛争の経緯 シベチャリ川下のシベチャリの首長(乙名(おとな))センタインが川上のハエの首長オニビシ派,その後センタインが死んだので、慶安元年(一六四八)、シベチャリの脇乙名シャクシャインと仲直りを以て、酒宴
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム巡検)

玉虫左太夫、島義勇は武四郎の案内で、アイヌの細工・雇小屋を見学し、またサッポロの小使モニヲマ、上川惣乙名
新札幌市史 第1巻 通史1 (下サッポロ)

下サッポロの乙名はクウチンコレであったが、上川メム(現旭川市)の出身で、安政三年にチュクベツに移ったという
新札幌市史 第1巻 通史1 (寛文期の史料から)

⑦「はつしやふ」は、イシカリ川河口から一里のぼったところに位置し、乙名(おとな)のヨロタインがいて、家,さらにその上流には、サッポロがあって、乙名のチクニシがおり、家も一四、五軒ほどある。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (上サッポロとモニヲマ)

乙名シリコツネは、十勝出身でチクベツに居住しているように、「十九軒は当所を見た事も無もの」ばかりであった
新札幌市史 第2巻 通史2 (アイヌの聚落と戸口)

場所は豊平川左岸、「トヨヒラ」通行家の対岸部)、「ハツサム」四軒(乙名コモンタ、小使リカンクル、土産取,これは、慶応元年(一八六五)の『石狩土人惣人別取調書上帳』(田中実氏蔵)の下ツイシカリ乙名イコレキナで
新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロ村の誕生)

むらかた)(地方(じかた))三役と総称され、その三役の筆頭で村の総轄責任者が名主(または庄屋あるいは乙名
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム村の農民)

発寒小紋太はもとハッサム乙名のコモンタであり、この六人の中には、開拓使設置以前からここに居住していたものも
新札幌市史 第1巻 通史1 (紛争後のイシカリの首長)

尤、すつゝ乙名きいく犬継目御礼申上候 また同月廿九日の条に 石狩しゆくばか犬 子(ママ)のはつしやふ
新札幌市史 第2巻 通史2 (篠路村と早山清太郎)

近世の村役人は村方(地方(ぢかた))三役と呼ばれ、村の総責任者となる名主(庄屋・乙名(おとな))、補佐役
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

その様式は、惣乙名など「役土人」から「平土人」へとおよび、家主を筆頭に、妻、悴、娘、悴の妻、女の子というふうな
新札幌市史 第1巻 通史1 (集約化されるアイヌ労働)

この上ツイシカリは、東蝦夷地が直轄になって以来、上ツイシカリの惣乙名(そうおとな)シレマウカが所有する
新札幌市史 第1巻 通史1 (田草川伝次郎)

十月十三日辛巳 [暁雪少降寒明より曇夕方薄晴風無之寒寛方] 一  五時前イチヤリブト出船ヲサツ蝦夷乙名家
新札幌市史 第1巻 通史1 (井上貫流一行)

ツイシカリの乙名の家では、米を焚いてアイヌにも分け与えたりして昼食をとり、逆にコクワの実をご馳走になったりしている
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

       『入北記』 ハッサム巡検 支配人、役人への申渡し イシカリは「不宜場所」        アイヌ乙名
新札幌市史 第1巻 通史1 (図版・写真・表組一覧)

アイヌ軒数・人口 『村垣淡路守範正公務日記』ほかより作成 (864頁) 表-6  イシカリ(場所)の乙名
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