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新札幌市史 第1巻 通史1
(足軽)
安政五年の段階には、武川勇次郎、西村清八郎、信沢順之丞、
亀谷丑太郎
などがいた。 ,勇次郎は後述の
亀谷丑太郎
とならび長期にわたりイシカリ詰を勤め、慶応二年(一八六五)までは在任だったことが,
亀谷丑太郎
は、安政五年五月頃にイシカリ詰となる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム番所)
ハッサム番所 足軽の
亀谷丑太郎
は、四年間にわたりハッサム番所詰をつとめていたことが、先の『荒井金助事蹟材料,
亀谷丑太郎
在勤して此辺の地方を統治し、一切の事柄を石狩に通報せり。亀谷氏此処に在勤するは四年間なり。,ハッサム番所は、おそらく安政五年に設置されたのであるが、先の「書付」にはサッポロ番所の設置、及び
亀谷丑太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(同心・足軽)
足軽には、文久元年五月の段階で、武川勇次郎・
亀谷丑太郎
・西村清八郎・福士清五郎・加藤十助の五人が知られている,また、慶応二年四月の段階では、武川勇次郎・
亀谷丑太郎
・山本喜惣太・小泉束の四人が知られている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(直場所の経営費)
亀谷丑太郎
談(改革の年イシカリ役所詰となった足軽、ハッサム勤番所に在勤した。),石狩場所より金五千両を箱館に持参せしは
亀谷丑太郎
也。
新札幌市史 第1巻 通史1
(吉田茂八)
再び『荒井金助事蹟材料』の
亀谷丑太郎
の聞き取り調査によると、茂八は丑太郎がハッサム番所に勤番していた安政五年
新札幌市史 第1巻 通史1
(学問教授所)
亀谷丑太郎
の談(荒井金助事蹟材料)では、学問教授所は「教導館」と名付けられ、命名者は糟谷筑後守義明であったという,再び
亀谷丑太郎
の談によると、撃剣場があり指南は在住の水島玄造で、あわせて弓術も指南したという。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ入津の廻船)
石狩町資料) また、佐々木勝造は「石狩入津の船は、年々六十艘、多き年は九十艘に至る」と語ったが、
亀谷丑太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム川の利用)
ハッサム川の利用 この小休所の所には、ハッサム番屋もおかれており、足軽
亀谷丑太郎
が在勤することになる
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応元年の人別帳)
サッポロ番所の勤番人は足軽
亀谷丑太郎
となっているが、丑太郎は後にハッサム番所の担当となる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(志村鉄一の経歴)
『荒井金助事蹟材料』の中には、当時イシカリ役所の足軽であった
亀谷丑太郎
の聞き取り調査が収録されている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(運送と通信)
イシカリで本格的に馬が買い集められるのは、安政六、七年頃で、足軽
亀谷丑太郎
はオシャマンベ・ウス・ユウフツ・ニイカップ・サル
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎開墾地)
このほか、前節に記したように、足軽
亀谷丑太郎
も、ハッサム村(のちに手稲村となる地)に開墾地を持っていたといわれる
新札幌市史 第1巻 通史1
(中田儀右衛門・福玉仙吉ほか)
また『札幌郡調』には、イシカリ役所の足軽
亀谷丑太郎
が、ハッサム番所詰となり、「今ノ手稲村の橋上」に農地
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革まで)
足軽でハッサムに四年間在勤した
亀谷丑太郎
の回想によれば、六月二日阿部屋から場所を引き継ぎ、その布告をシャコタン
新札幌市史 第1巻 通史1
(後年の聞取り等によるもの)
そのうち関係分を拾うと、まずイシカリ詰の足軽であった
亀谷丑太郎
の分は「堀織部正ハ、対雁に城を築く見込なりし
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
上川チクヘツ(同心、中西清三)、中川トツク(勤番人)、ユウバリ(同心、広田八十五郎)、サッポロ(足軽、
亀谷丑太郎
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