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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5下 (都心部デパートの盛衰)

特に増床に関しては、五十九年に五番舘と東急が相次いで新館建設、増床計画を発表し、その後二年かけて商店街,のほうが優勢とみられてきたが、平成元年七月十四日「パセオ」がオープンし、翌二年にはより西武色を強めた五番舘,が、全面改装と新館建設完成と同時に「五番舘西武」と改称し六月十三日開業すると、平日交通量もやや上向き、,また五番舘西武は平成九年八月二十六日総合百貨店からファッションと雑貨の大型複合専門店へ業態転換し、名称
新札幌市史 第5巻 通史5上 (デパートへの対抗)

デパートへの対抗 丸井今井、三越、五番舘の三つのデパートは、昭和三十一年十二月の全道のデパートの総売上,三十三年十一月八日には五番舘デパートが地上六階(一部九階)・地下三階の新しい本館を開店させている。
新札幌市史 第3巻 通史3 (西四丁目通(停車場通)の景観)

駅前通の建築に戻って、二十六年に北四条西三丁目の南西角に駅前通最初のレンガ造二階建ての興農園五番舘が建築,写真-7 大正中頃の停車場通 左奥は停車場,中央は興農園五番舘(札幌神社写真帖)
新札幌市史 第5巻 通史5下 (都心部における攻防)

」の核テナントとして、「札幌そごう」とエスタ名店街が開業し、駅前地区への集客力が増すとともに、東急、五番舘,駅前では五十四年四月そごうの開店に最も影響を受けた五番舘が高島屋と人材提携する一方、翌年七月には月賦専門店緑屋,また五番舘の経営悪化はすすみ、五十六年五月にはダイエーとの業務提携が基本合意に達したが「スーパー」との
新札幌市史 第5巻 通史5上 (デパートの拡充)

におけるデパート経営は、人口三〇万につき一軒の割合が望ましいといわれていたが、札幌には丸井今井、三越、五番舘,五番舘は三十一年十二月一日北四条西三丁目に総工費三億五千万円で地上六階・地下一階の新館を完成した(道新
新札幌市史 第3巻 通史3 (女店員)

札幌興農園は翌四十年二月、電話が五番であることから「五番舘」を通称名に用いることを宣言(北タイ 明40,写真-14 札幌興農園婦人販売係募集広告(北タイ 明39.8.19) 写真-15 五番舘のエプロン
新札幌市史 第3巻 通史3 (雑誌か新聞か)

たとえば『五番舘タイムス』は形式は新聞だが、内容は「商品」の紹介であり、「時事問題」は取り扱っていない,愛之光 41.11 札幌区教育会報 - 興業界 42. 4 歩み - 五番舘タイムス 42. 5 遠友夜学校月報
新札幌市史 第4巻 通史4 (全協の若者たち)

この組織は、郵便局、道庁、五番舘、池内、岩橋印刷、青バスなどに分会を作り、同志の結束を強めるため平和の
新札幌市史 第5巻 通史5下 (民間カルチャーセンター・大学公開講座の開設状況)

サンテ文化教室 62 30 札幌サンプラザ文化教室 62 24 プラニスカルチャー教室 平 2 28 五番舘西武
新札幌市史 第5巻 通史5下 (続く開発)

札幌駅南口周辺には五番舘の新館(昭47・10・1)、住友生命ビル(昭48・5・2)、さっぽろ東急百貨店
新札幌市史 第3巻 通史3 (呉服店から百貨店へ)

となった今井呉服店(大5,南1西2)  札幌のデパート、すなわち百貨店は、明治四十三年に札幌駅前の五番舘
新札幌市史 第5巻 通史5上 (料飲店の営業停止)

苗穂駅前)、第一(南4西4)、第二(南3西5)、奴すし(北7西1)、三越(南1西3)、丸井(南1西2)、五番舘
新札幌市史 第4巻 通史4 (町村部の商業)

大正期には、「札幌商人の近郊への売り込みは更にはげしく、大正八年には五番舘ではフォードの配達自動車二台
新札幌市史 第3巻 通史3 (和装から洋装へ)

んになったこともあり、社会の需要と相まって女性の職場進出が明治末期から次第に高まり、札幌で最初に百貨店となった五番舘
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新北海道美術協会)

第一回展は産業会館、二回展は五番舘六階、三回展からは市民会館が会場となったが、市民会館は「展覧会のギャラリー
新札幌市史 第4巻 通史4 (民営バスの買収)

札幌村役場経由~北三東一五省線雁来踏切、北三東一三苗穂駅前~省線雁来踏切経由~札幌刑務所前、北四西四―五番舘前
新札幌市史 第3巻 通史3 (飛行機の登場)

会場は北一〇条東一丁目札幌五番舘興農園耕地内、九月七~九日に行われることに変更された。
新札幌市史 第4巻 通史4 (貯蓄奨励策)

実施後一カ月の公債売上は、北海道全体で五〇七七円にものぼり、このうち札幌市の三百貨店(今井、五番舘、三越
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌の主要レンガ造建築)

翌二十六年札幌駅前にレンガ造二階建の興農園店舗が建ち、後に北側に増築して五番舘百貨店となる。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (若年労働者の札幌集中)

また、同年の丸井・三越・五番舘・池内・そうごの五店だけでも市外出身者四〇〇〇人が働いていた(道新 昭47
新札幌市史 第4巻 通史4 (主要な大規模工場)

写真-5 「五番舘裏時代」(大5~昭6)の藤屋鉄工所  伊藤組では、明治四十二年に苗穂に設置した
新札幌市史 第3巻 通史3 (成金の輩出)

うち一般の部では利得金額が一万円を超えたものが五人もおり、一番は小田良治(五番舘経営者)、次いで五十嵐三郎
新札幌市史 第3巻 通史3 (日常生活の変貌)

三十九年、札幌駅前にレンガ造りの店舗を新築した五番舘(四十年従来の興農園から通称名を採用)は、四十三年
新札幌市史 第5巻 通史5上 (ビル・ラッシュ)

北からみていくと、6の五番舘は、レンガ造りの建物が老朽化したので、建て替えを決定、三十一年に地上六階建
新札幌市史 第5巻 通史5上 (本州建設会社の進出)

大和銀行札幌支店,雄別興産大通ビル  33 北海道自治会館 藻岩観光道路,札幌ゴルフクラブハウス  34 五番舘
新札幌市史 第5巻 通史5下 (市内中学卒年少者の労働環境)

市内の大口事業場は、帝国製麻工場、札幌市交通局、国鉄苗穂工場、五番舘デパートなどであった。
新札幌市史 第4巻 通史4 (余暇・娯楽)

狸小路のような「平面の百貨店」に対し、札幌停車場通に面した赤レンガの建物の五番舘(北四西三、電話五番),五番舘は停車場通という地の利をいかして客層を集め、大正末にはアイスクリームの販売・配達からセメントの類
新札幌市史 第4巻 通史4 (「夜間中等学校」の開設)

同校には当時、五番舘などの店員、小学校の給仕、第一銀行の電話交換手らが通学していた(同前)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (衣・食の洋風化)

自助農場で、バターとアイスクリームが製造され、〓今井呉服店(百貨店)や洋食店で販売されるようになり(五番舘
新札幌市史 第3巻 通史3 (商業者の分布)

化粧品兼呉服太物商 南1西2 今井合名会社洋物部 533.41 洋物小間物雑貨商 デパートメント 北4西3 五番舘
新札幌市史 第3巻 通史3 (図版・写真・表組一覧)

) 写真-14 札幌興農園婦人販売係募集広告(北タイ 明39.8.19) (616頁) 写真-15 五番舘,のエプロン姿の女店員(大正期 五番舘西武蔵) (617頁) 写真-16 北門新報社婦人記者見習募集広告
新札幌市史 第5巻 通史5下 (消費者運動の変遷)

研究内容もより具体的で、実際に北国仕様の子供防寒着や寒靴を五十六年十一月に五番舘が製品化し、「ノースティック
新札幌市史 第4巻 通史4 (図版・写真・表組一覧)

北海道農業写真帖) (536頁) 写真-4 豊平町の燕麦刈取風景(昭和11年頃 同上) (541頁) 写真-5 「五番舘裏時代
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