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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (「不人別帳」)

「不人別帳」 それはどういうことかというと、たとえば上サッポロ・下サッポロの場合、人別帳には上サッポロ,これは人別帳が、作為的にしかも虚偽に作成されたことをあらわしている。,下サッポロも、人別帳には五軒二六人を記載するがまったく居住していない。,武四郎はこのような人別帳を「不人別帳」といったのであり、さらに武四郎は以下のように続けている。,安政三年の人別帳は、以上のように実態とはかけ離れた、虚偽の内容だったのである。 / 「不人別帳」
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応三年の人別帳)

慶応三年の人別帳 慶応三年の人別帳もやはり田中家資料で、わずか一紙、二軒八人分のみしか残っていない。,モノクテは安政三年に上カバトに二二歳、慶応元年に三一歳と人別帳から確認できる。,以上の点から、わずか一紙ながらも慶応三年の人別帳が存在したことがわかる。  ,以上、安政三・六年、慶応元・三年の四種の人別帳の存在が確認できた。,安政五年はイシカリ改革の年で、それ以前は阿部屋により人別帳が作成され、人別数も信頼のおけない面が多いが / 慶応三年の人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政三年の人別帳)

安政三年の人別帳 近世の幕藩体制の民衆支配は、人別帳をもとにおこなわれてきた。,蝦夷地のアイヌにも、やがて文化年間(一八〇四―一七)ころから、人別帳が作成され始めてくる。  ,イシカリ場所において、人別帳が残っているのは安政三年(一八五六)以降である。,人別帳の作成目的は、人口調査、労働の雇用、撫育料の算定などにあったとみられ、第二次直轄以降はオタルナイ,しかし、人別帳はその実態と非常に乖離(かいり)したものであり、武四郎に「不人別帳」であるとはげしく糾弾 / 安政三年の人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政六年の人別帳)

安政六年の人別帳 安政六年(一八五九)の人別帳は、田中家資料にあり、全部で一〇紙、二七軒九七人分しか,年次の判定は、記載された人別の年齢が、いずれも安政三年の人別帳より三歳多いことにより、安政六年と特定できる,中川は次の慶応元年の人別帳にもみられるように、イシカリ場所の場所名ではなく、イシカリ役所及び改会所の出張所,このことは、安政五年のイシカリ改革により場所が廃止となるにともない、人別帳の作成様式はこれまでの場所ごとではなく / 安政六年の人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (慶応元年の人別帳)

慶応元年の人別帳 慶応元年(一八六五)の人別帳は、同じく田中家資料にあり、これは多くの部分が残存している,写真-3 「石狩土人惣人別取調書上帳」の表紙(石狩町 田中実氏蔵)  この人別帳の最末尾とみられる断簡,これは慶応元年の人別帳は、先の四カ地域ごとに集計されていたことを示し、安政六年の場合と形式的に同一の可能性,表-2 慶応元年 イシカリアイヌ人別帳 場所 軒数 男 女 男女計 ハツサム 28軒 49人 49人,105 209 ユウバリ 14 29 20 49 総計 115 227 212 439  慶応元年の人別帳 / 慶応元年の人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (人別帳にみる人口構成)

人別帳にみる人口構成 安政三年及び慶応元年の人別帳をもとに、アイヌの人口構成をまとめると表3・表4のようになる,両人別帳は九年をへだてており、しかもその間にイシカリ改革を経ており、社会構成の上でどのような変化が生じたのかをみる,これを人別帳に即して分析すると、たとえば人別帳には二〇代の青年男性は六五人いる。 / 人別帳にみる人口構成
新札幌市史 第6巻 史料編1 (〔イシカリ場所人別帳(松浦武四郎)〕)

〔イシカリ場所人別帳(松浦武四郎)〕 巳第三番 辰 シヤコタン ヒクニ フルヒラ 石カリ ヨイチ 人別 / 〔イシカリ場所人別帳(松浦武四郎)〕
新札幌市史 第1巻 通史1 (作成原理の変更)

にあらわれている番所ごとへの変化は、番所がアイヌの「撫育」を職掌としているためでもあるが、もうひとつ重要な人別帳,ノンクは安政三年の人別帳に、トクヒタ場所に記載されている。,また、写真4の右側部分は、母アチヤサヲツ(七五歳)は、安政三年人別帳のトクヒタ場所に、イナヲアニの母アチヤシヤチマチ,このようにみると、慶応元年の人別帳は、各人別を居住地ないし出身地にもとづき、それらの地域を管轄する番所,これにより人別帳としてより実態に近づけ、武四郎にするどく批判された「不人別帳」からの改正をはかったものといえる
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

解題 「イシカリ場所人別帳」は、蝦夷地随一の鮭の生産高をあげてきた、いわゆるイシカリ十三場所内で直接生産,ここに収録した人別帳は、幕末の蝦夷地探検家松浦武四郎文書の中の「野帳」三十八冊中の「巳第三番」(国立史料館蔵,ところで蝦夷地の人別帳は、蝦夷地の最初の幕領以後和人のそれに準ずる形で次第に作成され、それも毎年ではなく,イシカリ場所の人別帳の内容は、イシカリからはじまって、ハツシヤフ、下サツホロ、上サツホロ、上ツイシカリ,それにしても、この人別帳を見た限りでも帳面上と実情とが大きく齟齬している点は驚かざるを得ない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム)

ハッサム ハッサムは安政三年人別帳には、五軒二一人とあるが、実際には四軒であった。,安政三年の人別帳では、シノロに編入されている。,イワウクテは周囲の人々の世話をうけ、その後無事に成長をとげ、慶応元年人別帳には小使となっている。,イワウクテの家族の人別帳をみると、次のとおりである(①安政三年、②慶応元年)。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (下サッポロ)

安政三年の人別帳には、先の五カ所にいずれも人別の記載がみられる。,下サッポロは、人別帳に五軒二六人の記載があるも、当時は一軒もなかった。,人別帳に記載のあるうち、四軒までが上川メムの出身ないし居住者で、いずれもイシカリ場所の支配人などにより
新札幌市史 第6巻 史料編1 (口絵)

頁参照 石狩御用留一 109頁参照                    イシカリ場所人別帳,イシカリ場所人別帳が収められている松浦武四郎の野帳 301頁参照(1) この図版・写真等は、著作権,イシカリ場所人別帳が収められている松浦武四郎の野帳 301頁参照(2)                      
新札幌市史 第1巻 通史1 (ナイホとシノロ)

ナイホとシノロ ナイホは安政三年人別帳に、三軒一三人の記載がある。,シノロも人別帳には、九軒三八人の記載がある。『丁巳日誌』にはシノロの人別に関し特にふれられていない。,ニシトレン イナヲサン 小使 ケセアマ ケセアマ (安政3年―イシカリ場所人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (衰退の要因)

コタンの衰退には、強制移住があったことを先に指摘したが、安政三年の人別帳には、他場所に編入された次の札幌市域,また人別帳には、同じく他場所に編入されてはいるが、家の所在地につきサッポロとするのは、サンキツ(トクヒラ,このような移動・移住がみられるのは、人別帳の恣意的な編成、使役にともなう強制移住が主要な原因であった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (モニヲマの家族)

モニヲマの家族 モニヲマの家族は人別帳では、次のようになっている。,娘クシリモンは、人別帳に武四郎の注記があるように実はモニヲマの妻であった。,人別帳にある当歳の娘は、番人との間の子供であった。,ここにみえる祖母とは、人別帳の母イメクシユラのことで、モニヲマは祖母へ「機嫌相伺」に行きたいけれど支配人
新札幌市史 第1巻 通史1 (動員されるアイヌ)

そこで運上屋ではその対策として、イシカリ場所の人別帳に入っていない上流域のアイヌを使役の対象にするため,、イシカリ十三場所の人別帳に入れたと伝えている。  ,ここで注目されることは、いわゆるイシカリ十三場所外の人びとをも労働力として動員するために、人別帳に入れたといった,このような事実を裏付けるかのように、松浦武四郎が『野帳』に書き写した安政三年(一八五六)のイシカリ場所の人別帳,まず第一に、人別帳に記載されている一六六軒の事例のうち七四軒がイシカリ川上流・中流域出身のものであることである
新札幌市史 第1巻 通史1 (人口の減少)

人口の減少 慶応元年の人別帳による当時のアイヌの軒数は一一五軒、人口は四三九人であった。,325 345 670 廻浦日記(松浦武四郎)    3 166 320 335 655 イシカリ場所人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の管轄・地域)

イナヲサンは、安政三年人別帳にやはりナイホ乙名ニシトレンの子イナウエサンとみえる。,トクビタ場所は、安政三年の人別帳に二一七人の記載があるが、実際には二三~二四人の居住にしかすぎなかった
新札幌市史 第1巻 通史1 (扶助米の支給状況)

まず第一に基本的な扶助米については、人別帳に基づく家族構成数ならびに入植者年月日に対応して、当初の大友,ただ家族数といっても、人別帳に記載されていながら未着の者や、当年出生児は支給されていない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

、菊地勇夫「場所請負制下の和人とアイヌ」『宮城歴史科学研究』第二七号、『村山家資料』、『イシカリ場所人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門)

彼の本籍ともいうべき宗門人別帳の所在は今のところ不明だが、出稼人別帳が二つ知られる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政四年の調査)

この調査では、特にアイヌ人別帳と現実の戸口とを照合し、厳密に人別帳の齟齬を検証していることに注目されるが
新札幌市史 第1巻 通史1 (鍬取り上げ事件)

ちなみに、人別帳で和人風の名前をもつ者は、安政三年では一三人ほどいる。,一方、イシカリ役所となっても同様であったことが、慶応元年の人別帳によくあらわれている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (住人の組織化)

永住人、出稼人ともに出稼人別帳に繰り入れられるが、宗門を書く者は少なく、家内名(家族のほか雇人厄介人など,)を連記しただけのごく簡単なもので、出身地の元人別帳から抜く手続きは不要だった。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (武四郎とイシカリ改革)

武四郎とイシカリ改革 武四郎は「石狩場所人別帳に添て上る書」(燼心餘赤)にて、イシカリ場所は運上金年一
新札幌市史 第2巻 通史2 (アイヌの聚落と戸口)

、イシカリ十三場所のうち人家があったところとしては、「上サツポロ」一軒(モニヲマの家、但し慶応元年の人別帳,この聚落こそ、琴似又一(松浦武四郎の「イシカリ場所人別帳」の、下カハトの「マタエチ 十六歳」と同一人物,クソマウシ、コモンタ、イワヲクテ、ハンロクテ、タケアニ、イサンケアレであったと思われる(イシカリ場所人別帳
新札幌市史 第6巻 史料編1 (編集にあたって)

から石狩の鮭漁場の出稼人となり浜名主を勤めた五十嵐勝右衛門の文書、松浦武四郎が安政期石狩場所のアイヌの人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎の批判)

その中でもとりわけ、これまで主に紹介してきた『丁巳日誌』は、人別帳の虚偽の問題、不当な強制労働、支配人
新札幌市史 第1巻 通史1 (トシキランの死)

モニヲマはこのような不幸が重なり、耐えきれずよそへ出奔したのか、慶応元年の人別帳に名前がみえない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (コモンタ)

コモンタの家族は、安政三年(①)、慶応元年(②)の人別帳でみると、以下のとおりである。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

対捍     三 イシカリ改革とアイヌ問題        改革の要因 改役所の設置   第二節 人別帳,にみるアイヌ問題…855     一 人別帳の作成        安政三年の人別帳 「不人別帳」 ,安政六年の人別帳 慶応元年の人別帳        作成原理の変更 番所の管轄・地域 慶応三年の人別帳,    二 アイヌ社会の人口構成        人別帳にみる人口構成 人口の減少 松浦武四郎の総括
新札幌市史 第1巻 通史1 (人口の減少)

えられなかったので、アイヌの人口が減少、このため十三場所以外のイシカリ川上流・中流域のアイヌをイシカリの人別帳,この際、人別帳に入れられ、雇にとられるのを拒否して、トカチ方面へ逃れた例も紹介されているところをみると
新札幌市史 第1巻 通史1 (温泉の利用と新道)

行候様成しまゝ、此和人等連行呉と云故、其案内致し行たりと申しぬ……  ハレテレキはハッサムのアイヌで(人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (共同体意識の成長)

このように人別帳ができ、まがりなりにも年貢を納め夫役を負担した永住出稼人を、百姓と呼ぶにはいたらなかったらしい
新札幌市史 第1巻 通史1 (上サッポロとモニヲマ)

上サッポロとモニヲマ 上サッポロは、人別帳に二〇軒、七九人の記載があるも、当時は一軒しかなかった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌・発寒・琴似村)

しかし四年の人別帳(石狩国札幌郡琴似村人別調 道文三一五)には、「在来」が四戸(奥書の集計では六戸)とされ
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム番所)

さらに第五には、アイヌの「撫育」もあり、ハッサム・サッポロ・ツイシカリのアイヌが管轄範囲で、人別帳もここを
新札幌市史 第1巻 通史1 (改革まで)

の玉虫左太夫は「蝦夷(アイヌ)より承りたる事ありて、其段大略綴り」(入北記)、松浦武四郎は「石狩場所人別帳
新札幌市史 第2巻 通史2 (篠路村と早山清太郎)

シノロ村の戸数は、明治二年(一八六九)で人家二八軒(山田民弥 恵曽谷日誌)とされ、四年の人別帳(札幌郡篠路村人別調
新札幌市史 第6巻 史料編1 (目次)

九…259     石狩御用留 十…274     諸 用 留…291   三 イシカリ場所人別帳
新札幌市史 第1巻 通史1 (番所の設置)

アイヌの人別帳は、以上の四番所ごとに編制されるようになった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (移民調査と〝定着〟)

いま定着度をはかるために、四年に作成された篠路、丘珠、琴似、平岸、月寒の各村の人別帳(道文三一三~三一八
新札幌市史 第1巻 通史1 (集約化されるアイヌ労働)

川口付近のアイヌ人口の急増は、イシカリ川の上流・中流域に住む人別帳に入っていない人びとや他場所からの流入人口
新札幌市史 第1巻 通史1 (図版・写真・表組一覧)

869頁) 写真-6 松浦武四郎 三重県松浦清蔵 (878頁)   表-1 安政3年イシカリ場所アイヌ人別帳, 松浦武四郎「野帳」巳第三番より作成 (856頁) 表-2  慶応元年イシカリアイヌ人別帳 「石狩土人惣人別取調書上帳,村垣淡路守範正公務日記』ほかより作成 (864頁) 表-6  イシカリ(場所)の乙名、小使表 安政3年『イシカリ場所人別帳
新札幌市史 第6巻 史料編1 (解題)

七 救助人別帳  「村方救助金取調帳」(明治二年三月)(30)の一帳で、御手作場農夫に貸与した救助金
新札幌市史 第6巻 史料編1 (〔大友亀太郎文書〕)

右当正月十八日箱館奉行被仰付候此段相達申候以上〕   〔近々其御持場御手作尓組頭衆御見廻有之候間田畑何町幷人別帳御取調
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

イ)人別調  1870年(明3)5月,民部省は府県諸藩に宛て「在来ノ人別帳ヲ以戸数人員其外総計不洩様取調,暫定的役割であったため,1871年(明4)10月3日,大蔵省令第70号の「先般戸籍法改正ニ付従前ノ宗門人別帳被廃候条自今不及差出事
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