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新札幌市史 第2巻 通史2
(戊辰戦争と仙台藩)
戊辰戦争と
仙台藩
戊辰戦争に際し
仙台藩
は、会津・鶴岡(庄内)・盛岡(南部)の諸藩と共に奥羽列藩同盟を,先述の伊達邦寧の家臣団による平岸移住もそのひとつであったが、ここで改めて旧
仙台藩
の館主と家臣団による移住問題,
仙台藩
が二八万石に減封され、のちに北海道へ移住する館主の中で、①二万三八五三石をもつ伊達氏(亘理郡小堤,そこで
仙台藩
では、無禄となった家臣(藩主からみれば間接的な家臣──陪臣(ばいしん)となる)を帰農させる / 戊辰戦争と
仙台藩
新札幌市史 第1巻 通史1
(仙台藩と十文字龍助)
仙台藩
と十文字龍助 十文字龍助は
仙台藩
の支藩涌谷領(わくやりょう)の藩士の三男に生まれ、幕府の学問所,幕末には江戸で松浦武四郎や佐賀藩の島義勇、
仙台藩
の玉虫左太夫らと蝦夷地に関する情報の交換なども行った。,一方、
仙台藩
は安政二年幕府の蝦夷地上知にともない、蝦夷地のうち、シラオイからシレトコおよびクナシリ、エトロフ,このように十文字の蝦夷地開拓意見は、堀の要請もあったが、同時に
仙台藩
の強い関心に基づくものでもあったといえよう /
仙台藩
と十文字龍助
新札幌市史 第2巻 通史2
(元仙台藩士片倉家従者の場合)
元
仙台藩
士片倉家従者の場合 平岸村の金山セイと同時期に、同じ札幌郡に入植した一団がいた。,白石村(のち白石村と上白石村に分かれる)と上手稲村に入植した宮城県白石の元
仙台藩
士片倉家従者の一行である,表-10 元
仙台藩
士片倉家従者出身 開拓使仮学校女学校生・製糸伝習工女一覧 氏 名 村 名 戸主名 続,元
仙台藩
士片倉家従者の場合、開墾とは異なるがもう一つの開拓であったといえよう。 / 元
仙台藩
士片倉家従者の場合
新札幌市史 第1巻 通史1
(戸石永之丞の調査)
戸石永之丞の調査 幕府から安政二年三月蝦夷地警衛を命じられた
仙台藩
は、三好武三郎を中心に東蝦夷地の大,がかりな調査を行い、警衛持場を
仙台藩
の預地とするよう幕府に願い出た。,藩政改革気運のみなぎる安政三、四年は、
仙台藩
の蝦夷地に対する関心が前向きに転じ、新規に始動する時期である,当時
仙台藩
の動きに深く注目していた佐賀藩の報告では、戸石のほか塚本幾之進の名があり、松坂がみえない。,そのあとエトロフ島までの
仙台藩
陣屋を視察し、警衛の現況と問題点を調べ、また道中他藩の陣屋所在地を回り、
新札幌市史 第2巻 通史2
(水沢伊達家の家臣団)
水沢伊達家の家臣団 戊辰戦争で窮乏した
仙台藩
の諸士族や家臣団が、競って蝦夷地・北海道へ移住するようになることは,彼らは
仙台藩
水沢領主の伊達邦寧(くにやす)の家臣であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(東北からの目)
仙台藩
から上田長吉、長沼庄七、相馬連外四人、弘前藩から加藤准平、上山兵助、久保田藩(秋田)から上田吉三郎,各藩によって思惑は異なったであろうが、その中から
仙台藩
を例として、イシカリ・サッポロの存在が知られていく,なお、西蝦夷地への渡航基地として重要な役割をはたした弘前藩と
仙台藩
では事情が大きく異なるので、本項のうしろに
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫)
武士をまきこんだ幕府の農業試行は、
仙台藩
にとって他人事でなかっただろう。,安政期、
仙台藩
がすすめた蝦夷地調査には対外関係の急迫という前提条件があったが、一方、藩内の財政問題とのからみを,
仙台藩
の蝦夷地調査はあくまでも幕政を維持しおしすすめようとする一環でこそあれ、体制をつき崩す意図を持つものではなかったのである,進められた第二次直轄政策上に位置づくが、その政策のより望ましい方向を探り、効率的な推進を願い、そして
仙台藩
,玉虫はその後再びサッポロを見る機会を得なかったが、明治になって多くの
仙台藩
関係者が札幌とその周辺の建設
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 明治四年)
家作百四拾棟買受の件(四月一四日) 八〇 札幌建府入用金三万両東京詰より送致の件(五月四日) 八一
仙台藩
新札幌市史 第2巻 通史2
(北地跋渉)
北地跋渉 北海道への移住は、当時
仙台藩
内部では「北地跋渉」と呼ばれていた。,政府では
仙台藩
に対して八月二十三日に、「北海道開拓之儀ハ方今之急務、追々御処置モ有之候処、於其藩ハ彼地之風土熟知之者
新札幌市史 第1巻 通史1
(十二場所論)
仙台藩
の調査活動はこうした事態に直ちに対応し役立つ資料を提供できる体制にあったわけで、ここでも小野寺は,嘉永六年から、蝦夷地警衛の準備にとりかかる安政二年前半にいたる
仙台藩
蝦夷地調査をみると、実査地域は箱館松前江差付近
新札幌市史 第1巻 通史1
(堀と村垣の廻浦史料)
堀と村垣の廻浦史料 ただ、安政四年の堀利熙の廻浦の場合、同行した
仙台藩
士玉虫左太夫の日記『入北記』が
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落の形成と移民)
以上は農民層の移住によるものであるが、この年は旧
仙台藩
白石領の片倉家臣団が開拓使貫属となり白石・手稲村
新札幌市史 第2巻 通史2
(私立水沼製糸所製糸女生徒)
表でわかるとおり、元
仙台藩
士伊達邦成・同伊達邦直・同片倉小十郎の従者の家族、それに元会津藩士の家族、元徳島藩士従者,父兄名 続柄 備 考 1 田村緑 18歳5月 胆振国有珠郡紋鼈村 農 田村顯允 二女 元
仙台藩
士, 農 伊藤小三郎 女 13 武田津や 16歳11月 石狩国札幌郡白石村 農 武田義勝 長女 元
仙台藩
士,同 上手稲村 農 佐藤伊格 長女 16 小野由宇 15歳 石狩郡当別村 農 小野実順 二女 元
仙台藩
士
新札幌市史 第1巻 通史1
(小野寺篤謙の遊歴)
小野寺篤謙の遊歴 嘉永六年(一八五三)
仙台藩
黌養賢堂の指南役で、地理方書記役を兼ねていた小野寺篤謙が,
仙台藩
庫や養賢堂には早くから多くの蝦夷地情報が蓄積されていただろう。
新札幌市史 第2巻 通史2
(日本宣教の気運)
ニコライは、函館を基点として旧
仙台藩
領など東北地方に教線を伸ばした。
新札幌市史 第1巻 通史1
(『入北記』)
左太夫は
仙台藩
士で、この廻浦の模様や各場所の状況を詳細に記録した『入北記』をあらわしている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(副業)
四年の元
仙台藩
士片倉家従者たちの移住によって開村した白石村の場合、二十年の『函館新聞』によると、「人心協和風俗質朴
新札幌市史 第2巻 通史2
(昇平丸の役割)
その後咸臨丸は、四年十月
仙台藩
の陪臣たちの移住の航海の最中に沈没した(開拓使公文録 道文五四八八)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(軍隊と神道儀礼、藩祖祭)
毎年定期的に行われたのが
仙台藩
祖公祭典である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(募兵)
旧稲田家家臣を除けば、各地でかなりの募集を待つ人がいたことも事実で、札幌では上手稲や白石に入植していた旧
仙台藩
片倉家中,三月三日士族に限らず平民をも屯田兵員に編入する決定をして、三県へ再募を依頼、さらに伊達市に入植していた旧
仙台藩
亘理家中,こうした事態を予測した開拓使は伊達市に移住していた旧
仙台藩
亘理家中の内、自費移住で分家可能な家族の山鼻再移住
新札幌市史 第1巻 通史1
(入北記)
ただ同行の
仙台藩
士玉虫左太夫が著した同名の『入北記』が残っており、そのだいたいは推測できる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(調査の影響)
たとえば、
仙台藩
は老中家臣の調査結果をいち早く受けとめようとしたし(伊達家文書一七一〇)、佐倉藩佐波銀次郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(富岡へ行った少女たち)
年 齢 出身地 父兄名 続柄 備 考 大河内なか 12歳 石狩国札幌郡上白石村農 大河内頼綱 妹 元
仙台藩
士,ところで、少女たちの住む上白石村は、四年に宮城県白石から移住してきた元
仙台藩
士片倉家従者によって建設された
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌製糸場の開業と工女呼戻し)
このうち五組は前述したように上手稲・上白石村の元
仙台藩
士片倉家従者のものたちであった。 ,31 11 諸井えい 〃 〃 31 8年札幌製糸場在場 12 高橋りつ 2等蚕業雇 〃 31 元
仙台藩
士福井蓮娘,10等蚕業婦 15 元会津藩士赤塚志賀吉娘 9年1月札幌製糸場在場 39 遠藤まつえ 〃 〃 15 元
仙台藩
士山鼻屯田兵遠藤徳之丞娘,43 半沢まさ 〃 〃 10 上手稲村元士族半沢喜仙娘 8年機織修業 44 守谷かつ 〃 〃 10 元
仙台藩
士山鼻屯田兵守谷民治娘
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の動向)
は明治五年十一月に民籍に編入され〝士族〟を失ったが、その後士族への復籍運動が当別・有珠・幌別などの旧
仙台藩
関係
新札幌市史 第2巻 通史2
(米麦生産の状況)
この中には旧
仙台藩
の元陪臣たちや信州開墾の人たちの名前が見える。
新札幌市史 第1巻 通史1
(老中尋書)
らかではないが、古くは天保十四年に水戸藩がイシカリほか二カ所の場所の借用を願い出ており、安政二年七月には
仙台藩
新札幌市史 第1巻 通史1
(ロシアの南下)
天明三年(一七八三)、
仙台藩
医の工藤平助は、元松前藩勘定奉行の湊源左衛門等から、ロシア人南下の情報を得
新札幌市史 第2巻 通史2
(上白石村の成立)
上白石村の成立 四年十二月に白石村に入植した元
仙台藩
片倉邦憲(小十郎)の家臣で、開拓使貫属となった一
新札幌市史 第2巻 通史2
(教導職の設置)
この間、札幌では四年十一月に旧片倉家(元
仙台藩
内)家中の佐藤廓爾(孝郷)の開拓使あて建言中「宣教官ヲ被設
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使女学校から札幌女学校へ)
このうち、札幌市中・村出身者は開拓使官吏の娘小林かな、国吉もとの二人のほかに白石村元
仙台藩
士片倉家従者菅野宜民娘
新札幌市史 第3巻 通史3
(上手稲と分村運動)
上手稲と分村運動 大字上手稲村はもと
仙台藩
の片倉家臣団により開かれたが、明治二十年以降は西野地区を中心
新札幌市史 第1巻 通史1
(玉虫左太夫の建言)
利熙の一行の動向は、随行した
仙台藩
士玉虫左太夫(諠茂)の日記『入北記』につぶさに記してある。
新札幌市史 第2巻 通史2
(住宅資金と住宅事情)
四年冬白石村と上手稲村に移住した元
仙台藩
士片倉家従者の場合、特に白石村では雪中に茅葺小屋を建てて入居している
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府建設とアイヌ労働)
沙流郡のアイヌ一一人は、三年一月より「札幌御造営人夫」として札幌で雇われていたが、同年三月、沙流郡が
仙台藩
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員と家族)
9 1.9 北海道 17 0 17 3.5 計 240 240 480 100 これによると旧
仙台藩
出身者,開拓使時代の札幌の屯田兵は半数が
仙台藩
と関わりをもっていたわけで、その中でも現伊達市からの再移住者三十数名
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
内訳は新潟県二四戸一〇四人、大泉藩一戸六人、米沢藩一三人、
仙台藩
(松島・高城)九九人となっていた(同前
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使貫属への編入)
これをうけ三月十七日に開拓使から、「
仙台藩
士族片倉小十郎元家来角田県在留ノ者六百人、当使貫属ニ仰付ラル
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌建築開始)
またこの計画は、四年三月に
仙台藩
の陪臣らを開拓使貫属とした影響で東京府貫属を開拓使貫属とできなくなったため
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街と村の景観)
下手稲村と異なるのは、元
仙台藩
士片倉小十郎従者団結移住したために土着の精神が強いという。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石村の場合)
このような点は、白石村が旧
仙台藩
士族によって開拓されたという歴史に何等かの関連があるのかもしれない。
新札幌市史 第2巻 通史2
(米の確保)
これに該当した移民に四年白石村、上手稲村に入植した旧
仙台藩
士片倉家従者ら百数十戸、それに同年平岸村に入植
新札幌市史 第2巻 通史2
(昇平丸の運航)
乗船者は
仙台藩
石川源太家来佐藤小作郎・町田十郎・井上三郎、東本願寺家来松井逝水・源光寺・長巌寺・山岡新助等
新札幌市史 第1巻 通史1
(弘前藩の関心)
弘前藩の関心 幕府が異国船渡来につき広く意見を求めると、
仙台藩
ではいち早く藩主をはじめ大槻磐渓らが建言書
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
当たる)に入地した移民については「一札幌本府の建設」で取り扱われているので、ここでは少し趣を異にする
仙台藩
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地見回りとイシカリ場所)
翌五年、これら幕吏のほか、蝦夷地警備として、
仙台藩
兵二〇〇〇人、会津藩兵一五〇〇人、弘前藩兵二五〇人、
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
龍助は、文化九年(一八一二)
仙台藩
の支藩涌谷領の藩士の三男に生まれ、江戸の昌平黌に学び、多くの儒者たちとも
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
開拓使支配 入地先の決定と準備 札幌への到着 四 片倉家臣団の移住 戊辰戦争と
仙台藩
,第三節 開拓のなかの女性…549 一 移住から開墾へ 平岸村金山セイの場合 元
仙台藩
士片倉家従者
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
分領地の選定 箱館の蔵屋敷 与七郎の帰国 郡目付の到来 佐賀藩と開拓使 三
仙台藩
,御手作場 第二節 藩士・幕吏等の意見…1012 一 十文字龍助の意見
仙台藩
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
年開拓使仮学校生および農業現術生『開拓使公文録』(道文5733)等より作成 (544頁) 表-10 元
仙台藩
士片倉家従者出身
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