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新札幌市史 第2巻 通史2
(貸付会所)
貸付
会所
開拓使は五年一月、北海道移輸出入物資の金融を主とする資金の貸付
会所
を東京・大阪・函館に設けた,(島田組)、小野善介(小野組)、榎本六兵衛、林富右衛門、田中次郎左衛門など六人及び函館の富商三人に同
会所
用達,五年一月から六月までに、東京貸付
会所
用達には七八万円、大阪の
会所
の用達には二三万円、函館
会所
の用達には / 貸付
会所
新札幌市史 第2巻 通史2
(貸付会所の閉鎖)
貸付
会所
の閉鎖 この貸付
会所
から資金を提供されて設立運営している付属の商社に、北海道産物商会、運漕社,これら商社は幕末以来の産物
会所
の業務を受け継いだものである。,だがその経営は順調ではなく、特にこの貸付
会所
の用達として運営の主体となっていた小野・島田両組が七年末破産,そのため貸付残余金の徴収は貸付
会所
用達の負担となり、十二年一月ついに三貸付
会所
は閉鎖されるに至った。,
会所
の未徴収金は実に一二六万七九六〇円八三銭五厘であった。 / 貸付
会所
の閉鎖
新札幌市史 第2巻 通史2
(函館産物会所の移管)
函館産物
会所
の移管 開拓使の経費は定額の米・金を基本とし、それに管轄地内より徴収する各種租税や各種益金,そのために蝦夷地商品の流通機構として箱館奉行が設置して以来なお存していた函館産物
会所
を必要としたのである,二月十一日付の岩村宛書簡では「
会所
如元開拓使へ引受候儀は江藤(新平)中弁同意にて大に尽力御座候間、是非々々
会所
当使引受,別途一〇〇万両の支給と函館
会所
の移管とを天秤にかけて、移管を要請しているのである。 ,なお同
会所
は同年五月その名称を北海道産物
会所
と改めると共に、
会所
規則を制定し、また
会所
を東京・大阪・兵庫 / 函館産物
会所
の移管
新札幌市史 第1巻 通史1
(産物会所とのつながり)
産物
会所
とのつながり 改革で直捌制が導入されたことと、箱館産物
会所
の開設はけっして無縁でない。,まず江戸に
会所
をつくり、江戸に入る蝦夷地産物はすべてここで特定の商人により独占的に売買させ、上納金を幕府財源,その後、大坂、兵庫、堺、敦賀、京都に
会所
、出張
会所
、売捌所等が置かれ、蝦夷地産物の幕府による統制流通は,に付、同所え相迴候品は
会所
宛にて可積送」(水戸大高氏記録 二六)である。,すなわち、イシカリ改革にともなう直捌と産物
会所
を結びつけ、有効に機能させる仕事を担ったわけである。 / 産物
会所
とのつながり
新札幌市史 第5巻 通史5上
(公民館と地区集会所)
公民館と地区集
会所
明治末期から戦前にいたる社会教育は、実業補習学校や青年訓練所など学校教育を補足する,二十年代後半期以降、既設の出張所に加えて併設された地区集
会所
については、その建設にあたって地区住民の醵金,と同時に、この地区集
会所
が地域によっては地区公民館と遜色のない活動を行って来たことも確かである。 / 公民館と地区集
会所
新札幌市史 第2巻 通史2
(市(町)会所・区務所の位置と名称)
市(町)
会所
・区務所の位置と名称 その後町
会所
は現在の南二条西二丁目にあった町長屋の一棟に移されるが,、『札幌区史』によると移庁は五年十一月であり、同年十二月三日に改暦となった六年一月一日をもって札幌市
会所
,一方、『札幌滞在事務取扱備忘誌』には六年一月四日の項に、「是迄ノ町
会所
大破ニ相及候間町長屋一番ノ一番ニ,六年十二月市
会所
は後志通一〇番地(現大通西三)の商館官舎に移り、八年春その東隣(後志通九番地)の平屋官舎,七年二月大小区制がしかれた後も市
会所
と呼ばれた名称は、その後第一大区区務所と呼ばれるようになった。 / 市(町)
会所
・区務所の位置と名称
新札幌市史 第4巻 通史4
(大正期の教派神道)
に帰任したことが契機となって教
会所
を失い、一時退転に向かうが、五年八月に就任した後藤大吉の尽力により、,南二条東四丁目に教
会所
を再建することになる。,そして十年八月に教
会所
の増築を図るようになる。,その折の「趣意書」には以下のように述べられている(黒住教札幌教
会所
七拾年史)。 ,然ルニ我本道十一州ノ首都タル札幌区ニ於テスラ教
会所
トシテ見ルニ足ルベキモノ無キハ誠ニ遺憾至極ナリ。
新札幌市史 第2巻 通史2
(町役人時代の執務場所)
そして後述の旧本陣への町
会所
開設の時期と合わせ考えると、執務場所は南一条東一丁目とするのが妥当のようである,現南二東一)に本陣が建設されたことにより、執務の場所は現在の南一条西一丁目の旧本陣跡に移され、ここを町
会所
,町
会所
の名称は四年十一月十日、町代及び町代見習から開墾掛へ出された深道繁次郎の採用に関する書付の中に見,(市中諸願綴込 北大図) 七月中に市中小走として許可されていた者を改めて町
会所
小走に「被仰付被下置度,小走を町
会所
の管掌下に置くことと、高橋宅から移転して公的施設を設定したことを合わせ考えると、ここに町
会所
新札幌市史 第4巻 通史4
(明治三十年代の状況)
神道修成派教務支局(南6東2)、⑥神道天理北分教会豊岡支教会札幌出張所(南5東3)、⑦神道大社教大霊教
会所
,(南3東3)、⑧神道出雲教会札幌分教
会所
(北8西1)、⑨扶桑教分教会(南5西1)、⑩神道三山教仮本部(,西4、南2西7の二カ所)、大成教参宮教会北海道分院(南3西1)、扶桑教分教会(南5西1)、黒住教小教
会所
,に道庁による取消処分を受けて、信徒は北海小教
会所
に引き継がれる。,北海小教
会所
は御船八百重が三十五年八月十五日南一条西五丁目に南一条小教
会所
の設置認可を受けたものであり
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長制と札幌市中の事務)
その後十月十七日町
会所
の事務量が増加して来たためだろうか町用掛が設置され、常陸重次郎、浜中伴蔵、藤井喜三郎,事務の煩雑化にともない六年二月札幌市
会所
も事務分掌がはじめて規定される。,
会所
内を検査方・出納方・受付方に分課し、検査方は市中一般の事務、出納方は貸与受納及び市
会所
経費、受付方,この区長たちと市
会所
との関係は、区長たちが市
会所
の上位にいて、市在の事務を細大となく合評し、区長は一・,六の日、権区長は隔日に市
会所
へ出頭して市
会所
の事務を監督するものである。
新札幌市史 第4巻 通史4
(寺院・説教所の増加)
次に表4は昭和十四年二月に札幌市が調査した仏道説教所・教
会所
の一覧である。, 同 豊平説教所 豊平1-4 大10. 4 .21 大10. 1 .31 海野覚照 三門徒派教
会所
,南2西9 大 4 . 1 . 8 大 8 .12. 4 八力真海 80人 日蓮宗経王寺所属妙法喜徳教
会所
,南1西8 大 6 . 9 .10 大 8 .11.28 沼上光学 日蓮宗経王寺所属本門喜徳教
会所
,曹洞宗説教所 南11西13 大14. 8 .20 佐藤宥道 1,000人 新義真言宗智山派湯殿山教
会所
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和前期の教派神道)
7① 神道説教所一覧-諸派- (昭14) 教会名 所在地 教師名 信徒数 創設 金光教札幌教
会所
,南8西3 西村 茂 837戸 明35. 9 .15 同 西札幌小教
会所
大通西15 田作與三治郎,137人 昭 9 . 4 .12 同 北札幌小教
会所
北10東8 竹中光一 202戸 昭 7 .10,. 7 同 東札幌教
会所
豊平2-5 清水末吉 150戸 大12.10.13 同 山鼻小教
会所
南,明44. 6 神理教札幌教会 南2西10 永野賀津彦 177戸 昭 2 . 3 . 2 黒住教札幌教
会所
新札幌市史 第1巻 通史1
(遠山・村垣一行)
千とせ川の
会所
に宿る。[東方は
会所
といふ。,則西地の運上屋船なりしかども、東方には
会所
といふもの二軒を置て、一所にては夷人の品を買上て、其あたひを,となった東蝦夷地イザリでは、「両岸の篝火千点」が焚かれ、まるで昼間のような応待ぶりであったし、千歳では
会所
,また、この通行で大いに異なったのは、東蝦夷地の直轄によって千歳
会所
のところで触れているように、アイヌから
新札幌市史 第1巻 通史1
(田草川伝次郎)
シコツ[千年川とも云]
会所
より番人来。取扱平生は明家のよし。,泊
会所
。 一 今日は水増有之ヲサツ迄図合相越。水少き時はヲサツ沼口より小舟のよし。,今 □(本ノママ) 川名
会所
地名とも千年川。 一 イベツの上シコツ沼なり。,夫より千年
会所
手前折々一、二軒づつ蝦夷家あり。皆鮭漁せる様子にて鮭多く竿に掛て置。,但諸場所入 □(本ノママ) 住居
会所
あり。川上重にあり。
新札幌市史 第1巻 通史1
(磯谷則吉)
ロウサンと云所の
会所
に至。某公より道をはやめよと書残し給へれはいそき支度して申刻過ウツロ舟に乗。,表-1 享和元年ユウフツよりイシカリまでシコツ越え道沿道状況 地名 アイヌ戸数
会所
・番屋・支配人等,交通・地理的状況 勇武津 7~8戸
会所
詰合河西祐助以下3人、支配人 シラオイより9里 ビヾ 番屋,ユウブツより川舟5里、この間周囲およそ3里余のキムントウあり ロウサン 7~8
会所
、支配人 ユウブツ,よりおよそ7里、山道甘棠多し シコツ 12~13
会所
、支配人 ロウサンに隣3~4丁、ここよりイシカリ
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌区役所の成立)
なお市
会所
・区務所・区役所の役員・吏員等の名前と分掌について、諸史料を検討してほぼ判明した分は、制度の,表-5 市
会所
・区務所・郡区役所の役員及び分掌一覧 ●明治6年2月の市
会所
役員及び事務分掌,浜中庄兵衛 事務分掌 検査方 市中一般事務 島倉仁之助 出納方 貸与受納と市
会所
経費,願伺届布告 山口吉太郎, 山口重次郎, 野島広吉, 小野新太郎, 前田市太郎 ●明治7年9月頃の市
会所
役員
新札幌市史 第1巻 通史1
(慶応元年の人別帳)
表紙に「慶応元年石狩土人惣人別取調書上帳 改
会所
帳場」(写真3)とあり、当時のイシカリ役所管轄内のアイヌ,の全総数を記したもので、しかも改
会所
で作成されたものであった。,改
会所
がアイヌ漁場の収納、軽物交易などを含めてアイヌ関係の全般を担当していたことがわかる。
新札幌市史 第4巻 通史4
(神道系宗教結社)
清久豊見 11人 官幣大社宗教結社惟神会札幌支部 北8西15 成田藤太郎 40人 石鎚神社崇敬組合集
会所
,南1西14 木野キヨ 11戸 同 同 伊藤集
会所
南5西11 伊藤勝太郎 30人 神習教敬神講社,円山南5西3 佐々木アキ 30人 御嶽教所属八二稲荷結社 豊平3-2 高田長太郎 50人 神道三山敬愛教
会所
属三山崇敬札幌講社,南1東7 岩国ハツ 50人 同 八穂講社結収所 南4西8 山形ハル 50人 石鎚教会崇敬組合石田集
会所
,北10西1 島田安次郎 15人 同 藻岩敬神教
会所
信徒結集所 円山南1-3 阿部ステ 35人 同
新札幌市史 第1巻 通史1
(本陣経営の転変)
阿部屋伝次郎願之通本陣御免申渡候間、以来御用状幷先触等ハ石狩町
会所
ヘ差出候様、其場所支配人ヘ其旨御達置可有之候,このため、イシカリ市中の住民組織である町
会所
が、「御通行取扱も市中一同にて相勤可申」(函館日記留)と、,町
会所
が代行した。,先に例証した荒井金助の鈴木歳郎への書簡が、町
会所
に連絡先を指定したのはこのことによる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の市在金融)
伝六は一カ月一分二厘五毛の金利を添えて、十二月二十五日に市
会所
に納める。,ついで同
会所
はそれを即日開墾局に納める。
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼人の交代)
出稼人の交代 イシカリ改革にともなう漁場改
会所
と網持出稼人を主軸とした漁業展開は、五年にして曲り角にさしかかった,ここで注意しなければならないのは、出稼人と金主(仕込みや融資をする人)と改
会所
の関係である。,貸借の不均衡は出稼人の自主的漁業経営を不可能にし、両者の間に立つ改
会所
を含めて金主への従属化をまねく。
新札幌市史 第1巻 通史1
(開発方御用取扱)
この開発方とは漁場新開や農地開墾だけでなく、出産物を江戸に開設したばかりの産物
会所
に運送することを第一,喜三郎が江戸の産物
会所
に運送する荷物も、ここで川船に積み換えて送る方が安全有利だったのである。,藩の勘定所が仲介して町年寄や豪商にあわせ、那珂湊の穀
会所
関係者を呼び出したのも、この件でなかったか(穀御
会所
御用留
新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所の庁舎)
新庁舎は洋風二階屋であり、区役所の傍らには総代人の会議等集会に用いる町
会所
が置かれた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(教派神道の布教開始)
出雲教札幌分教
会所
として公認を得るのは三十七年十二月であった。,敬神教会北海分教
会所
(南5西4)は、二十五年六月に創設し遊廓内にあって琴刀比羅神を奉祀していた(明40
新札幌市史 第1巻 通史1
(トシキランの死)
一度故郷え見舞に遣し呉と頻に願ひしが、
会所
は中々免(ゆ)るさゞりしによって、兄アイクシテを余(武四郎),モニヲマは
会所
(運上屋)の許可が得られず、見舞いにも行けなかったのであった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(菊池重賢)
しかし、二十五年(一八九二)に金刀比羅宮敬神教北海道分教
会所
設立のために再び来札し、三十五年に死亡するまで
新札幌市史 第1巻 通史1
(『土人由来記』)
この事件の顚末については、当時ユウフツ
会所
(東蝦夷地の仮直轄を機に運上屋を
会所
と改めた)の請負人を務めていた,し、復活したのが文化十年であるので、その後のことを指すか)が、事件の顚末を後世に伝えるため、ユウフツ
会所
新札幌市史 第2巻 通史2
(開墾掛と町役人)
四年十月町代見習に大友甚作、十一月市中小走(町
会所
小走)に深道繁次郎、十一月高橋免職、大友に町代任命、,この当時町役人たちが執務を行うところを町
会所
とよんだ。
新札幌市史 第2巻 通史2
(フォーリー神父の巡回)
翌年集
会所
を南四条東一丁目の借家に移し仮会堂とした。,まだ司祭の定住していない集
会所
信徒の中心に大国夫妻がなっていたからである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(カラフト・千島襲撃事件)
また、シャナでは、
会所
、盛岡藩・弘前藩陣屋を焼き、略奪をほしいままにし、負傷していた盛岡藩の火薬師大村治五平,シャナ
会所
詰めの幕吏戸田又太夫ら、それに弘前・盛岡の藩兵らは、フヴォストフの襲撃と同時に引き払っていた
新札幌市史 第2巻 通史2
(日本基督教会の教会建設)
三浦林三郎らによって篠路兵村伝道のため集
会所
も開かれた。,二十七年、大通西三丁目に敷地を得て新会堂を建築し、翌二十八年十月二十三日、宮城中
会所
属の自給独立の教会
新札幌市史 第4巻 通史4
(無尽会社の合同)
掛金を払込ませ、一口ごとに抽選入札等の方法により金銭・有価証券を給付するものである(社団法人全国無尽集
会所
,356 406 564 432 426 当期利益金 7 11 8 10 4 4 社団法人全国無尽集
会所
新札幌市史 第2巻 通史2
(メソヂストと聖公会)
聖公会の集
会所
は前年二十四年、北四条東一丁目吉田藤八方に置かれていたが、バチェラー転居のこの年、集
会所
新札幌市史 第1巻 通史1
(『野作東部日誌』)
運上家幷勤番所有[東部ハ
会所
ト唱、西部ハ運上家ト云。,東地文化度御領ノ時改メ
会所
ト唱ラレシヨリ今ニ然リ。
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政六年の人別帳)
中川は次の慶応元年の人別帳にもみられるように、イシカリ場所の場所名ではなく、イシカリ役所及び改
会所
の出張所
新札幌市史 第2巻 通史2
(口絵)
また民地の中の市
会所
、仮官邸、女学校など官設の建物についても明確に描かれている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(社殿等の建築と官幣小社への昇格)
ただし若干の整備はされ、六年八月現在では仮宮のほか幣殿、拝殿、鳥居、神饌殿、直
会所
兼溜所、漱水所、さらに
新札幌市史 第2巻 通史2
(社会改良・慈善・衛生)
二十年六月札幌医学講談会の第一回を町
会所
に開催。講義、演説。機関誌として二十二年月報発兌。,町
会所
にてコレラ予防法が一般衛生上必要なことを講話。幻灯会。無料。 札幌医会 南三西二。,二十二年八月に町
会所
で開催された親睦会には三五〇余人が立錐の余地なく集まり、風琴合奏、日本語唱歌、英詩和訳
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
北海道庁,札幌区(市)が神社,寺院,神道教
会所
,仏道説教所,キリスト教会のそれぞれの信徒数を把握することとなった,神道教
会所
,仏道説教所については,1919年(大8)6月4日の北海道庁令第85号「神仏道ノ教
会所
竝ニ宣教,神道教
会所
の場合,「信徒数届」には教師数が記載されているものもあるが,別に「宣布者届」も出されており,
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 区・戸長役場)
の任命(明治六年二月一二日) 一五 区長権区長についての心得(明治六年二月二一日) 一六 市
会所
,の事務分掌(明治六年二月) 一七 市
会所
副戸長交番で開墾局詰(明治六年二月) 一八 月寒村副戸長伍長,(明治一八年五月一四日) 五九 琴似外一か村戸長役場の移転(明治一八年五月一五日) 六〇 町
会所
,明治二〇年四月一日) 六六 豊平外四か村戸長他の任命(明治二〇年四月一八日) 六七 区役所と町
会所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(パチンコホールの大規模化)
「その他の遊戯場」とはビリヤード場、碁
会所
、将棋集
会所
、ゲームセンター等。
新札幌市史 第4巻 通史4
(金光教)
金光教札幌教
会所
では、教会長が西村道雄(大15・7・18)、西村茂(昭13・7)と交代しているが、昭和七年五月十四日
新札幌市史 第2巻 通史2
(新聞縦覧所の設置)
僻遠ノ地内地日進ノ景況ヲ知ルモ自ラ遅滞セバ大ニ政事ノ利害ニモ関係候儀ニ付、当掛官員自費ヲ以」縦覧所を町
会所
中
新札幌市史 第5巻 通史5上
(地神信仰)
げ、当番の人は煮しめなどを持ち寄って親睦を深めるとともに(北区エピソード史)、地神碑が神社の境内や集
会所
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ建府との関係)
イシカリには、慶応二年(一八六七)二月に、改
会所
の通詞役であった玉川啓吉宅に、箱館御坊付イシカリ道場が
新札幌市史 第1巻 通史1
(小樽内騒動)
ばかりで、身の危険を感じ、これより前の十一月六日に朝里の山中に隠れるが、弥吉の世話をしたのはイシカリ改
会所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(諸教団の教会)
黒住教(岡山市)の札幌教
会所
(南二東四、昭28・4・1)は四十九年十一月に新築し、五十五年に開教七〇年,を記念して『黒住教札幌教
会所
七拾年史』を発行している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(直轄と経営方針)
これにともなって、東蝦夷地内の各場所を
会所
とあらため、幕府が直接経営にあたることをアイヌに伝えるとともに,また、あらたな流通部門として江戸にも
会所
を設けて、幕府が経営にあたり、蝦夷地の産物の売払から蝦夷地の仕入物
新札幌市史 第2巻 通史2
(公認神社創出の方針)
ついで十月二十五日付では「札幌外四郡内の無願社寺」の見出しで、各郡村落については、無願無資格の社寺教
会所
新札幌市史 第2巻 通史2
(教派神道の進出)
が設置され、二十九年十月には出雲教会札幌分教会が設置を許可され、三十二年には神道金光教、同御嶽教分教
会所
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