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新札幌市史 第2巻 通史2
(軍務官の会津降伏人始末)
軍務官の
会津降伏人
始末 島判官が札幌で本府建設を開始した当初、一つの難題として、
会津降伏人
の移住を図,ここに政府は二月二十日「今度
会津降伏人
蝦夷地ノ内発作部石狩小垂内三ケ所為開拓被移、右取扱方ノ儀ハ軍務官 / 軍務官の
会津降伏人
始末
新札幌市史 第1巻 通史1
(兵部省の石狩支配)
兵部省の石狩支配 奥羽における戦乱の終結後、約一万七〇〇〇入におよぶ
会津降伏人
の処置に軍務官は苦慮していた,今度
会津降伏人
、蝦夷ノ内発作部、石狩、小垂内三ケ所為開拓被移、右取扱方ノ儀ハ軍務官へ被仰付候条、彼ノ三,箱館において、大友亀太郎も堀真五郎より諮問を受け、翌七月五日に軍務官(兵部省)の石狩国開墾係に転じて
会津降伏人
開墾場,他方、
会津降伏人
の第一団男女三三八人が九月十三日に小樽に着し、さらに十八日には一〇六人も到着した。,ところで、以上のような兵部省管轄のもとに
会津降伏人
処置の事業が着手して進展し始めた矢先に、開拓使は札幌
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省の田城国支配)
その直後に兵部省は改めて「
会津降伏人
始末荒目途」を作成している。,これによると、
会津降伏人
総数一万七〇〇〇人のうち、二年に四〇〇〇人、三年に八〇〇〇人、計一万二〇〇〇人
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官の本府建設伺)
石狩え罷越、最前御治定之通北海道之本府相建候基本之取計可仕、大事件ハ長官え可相達小事件ハ則取計可申、
会津降伏人
之中,めるに際し、大事項は長官に通達し小事項は自分の決定で推進するという手順や、また近辺に入植する兵部省管轄の
会津降伏人
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省北海道支配の廃止)
松平慶三郎は旧会津藩の旧主家で、これに
会津降伏人
を引渡してその処置を委ねようとしたのである。 ,かくして政府は三年一月、旧幕吏と旧幕府軍に加担した全ての旧藩士の罪をゆるしたことに伴い、
会津降伏人
も慶三郎
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の人員削減)
あわてた開拓使は、
会津降伏人
の移住のために石狩で兵部省に雇われていた木挽を調達することにした。
新札幌市史 第2巻 通史2
(石狩本府論)
ただ開拓の体制がいまだ整わない段階で、予期せぬ函泊事件が起こり、その当面の対応のため、すでに
会津降伏人
始末
新札幌市史 第2巻 通史2
(外務省の北地出役案)
さらに開拓使発足時に決定していた石狩支配は開拓使の所轄からはずされ、後述するところであるが、すでに
会津降伏人
始末
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府建設の中止方針)
第六に、島判官が採用した元請負人の免職と
会津降伏人
の登用のこと。
新札幌市史 第2巻 通史2
(水原県からの定額米)
未着に加え、戊辰戦争後の北海道への回米不足などによる北海道での全般的な物資不足の状態、さらに兵部省の
会津降伏人
移住
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府経営と兵部省支配)
またすでに太政官により容認されていた
会津降伏人
の人選に関しても、「偏論を発シ人撰不致ニ付誠ニ当惑之次第
新札幌市史 第2巻 通史2
(西村権監事七カ条伺の札幌本府)
農家、商家等の用材については手配しているが、ほかに長官公邸、東京府貫属分一二〇戸、
会津降伏人
おおよそ一二
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕府の倒壊と大友亀太郎の去就)
大友亀太郎文書補遺)によると、この六月二十九日に御用召しがあって箱館に出張、七月四日箱館府において、
会津降伏人
二万人
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省支配の変転)
何歟愚論を出し、御省之手は御はなしに相成候歟之由、無余儀御行かゝり歟は存不申候得共」と書き出し、次いで
会津降伏人
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
開田畑四十七町歩余の札幌村、ならびに同年より開墾に着手した苗穂村を開拓使に引き渡し、自らは兵部省が計画していた
会津降伏人
一万人余
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
島判官の本府建設伺 島判官の札幌本府建設着手 四 開拓使と兵部省 軍務官の
会津降伏人
始末
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