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新札幌市史 第1巻 通史1
(朝里岳と余市岳)
朝里岳と
余市
岳 朝里岳は札幌市、小樽市、赤井川村との境界にあり、なだらかな山頂平坦面を形成している。,
余市
岳も朝里岳と同質の岩石で構成されている。 / 朝里岳と
余市
岳
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
吉田武三編『松浦武四郎』)、同『丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌』、『札幌沿革史』、『新札幌市史』第六巻、『
余市
町史,』第一巻、玉虫左太夫『入北記』、『ヨイチ御場所見廻り日記』(
余市
町史資料叢書第一~三及び
余市
町蔵)、窪田子蔵
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇M六七遺跡(南区石山五六一番地他))
時期は、第五号の床面から円形刺突文のない
余市
式土器の半完形品が検出され、当該期の所産と考えられるが、他,は覆土中から
余市
式をはじめとして中期後半から後期初頭の土器片が出土したのみである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(西地諸郡からの物資調達)
余市
の林家では、二年十月二十三日銭函で「米穀諸品御差支に付当
余市
泊番備米外品々とも一時融通可致旨島判官殿,より御達」の見返りとして、一〇〇〇両貸下げられたことを申し出ている(
余市
郡諸調 道文一八八)。,『御金遣払帖』には、
余市
については「巳十一月より午正月迄、御廻米船賃并人足代、与市本陣支配人代第吉エ渡,やはり
余市
の五六石余、忍路の四二石余が目立つ。,これによると、厚田・忍路・
余市
・古平・美国・積丹の諸郡から調達していることがわかる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(市内の土器)
また、
余市
式土器群も数多く検出されている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(中期の土器)
道央部の石狩低地帯を中心としては、円筒上層式土器に後続する
余市
式土器が分布する。,写真-7
余市
式土器 (札幌市小野幌遺跡) 次は入江Ⅲ類、静狩上層式などのグループで、幅のせまい,なお、近年、
余市
式土器は、縄文時代後期に属し、最初、道南部で刺突文のない仲間が生まれ、のちに道部に分布
新札幌市史 第1巻 通史1
(その他の遺構)
特異な例として
余市
町フゴッペ洞窟のような、祭祀関係の遺跡の存在も知られている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(遠景の山々)
小樽市との境界となる奥手稲山(九四九メートル)や春香山(九〇七メートル)、朝里岳(一二八一メートル)、
余市
岳,これらの山々は、尖った山頂部をもたず、たとえば、朝里岳から
余市
岳をつなぐ稜線のように、山頂部はなだらかな
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇擦文早期(図5-2))
余市
町天内山、共和村発足、白老町アヨロ(アヨロA)出土例と札幌市内ではN一六二遺跡第三、四類土器の一部
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府の建設の開始)
そのほか
余市
からは十一月はじめに開拓使普請手伝いとして、十人余が送り込まれている(明治二己巳歳日記
余市
町林家文書
新札幌市史 第1巻 通史1
(編集にあたって)
北海道開拓記念館、北海道神宮、北海道大学附属図書館、北海道立図書館、北海道立文書館、松前町史編集室、
余市
町,、
余市
町教育委員会、龍谷大学真宗史料研究所〔五十音順、敬称略〕
新札幌市史 第4巻 通史4
(アイヌ民族とバチェラー)
その第一の事例が、昭和二年に
余市
アイヌの違星北斗が詠んだ「五十年/伝道されし/此のコタン/見るべきものの,
余市
アイヌの違星北斗が「『強いもの!』
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府建設とアイヌ労働)
この場合、忍路、
余市
、勇払、美国、沙流、釧路といった遠方のアイヌまでが「札幌御造営人夫」として、営繕あるいは,たとえば三年十月、
余市
のアイヌでイヘニ(あるいはエペ)は、約束が違うことを理由に逃亡している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(製網所)
十二年七月から十三年六月の一年間に製網教授人の派遣を求める村は、琴似、山鼻、当別、室蘭、
余市
の五村、資本貸付,を請うのは紋鼈、室蘭、
余市
、当別、対雁の五村であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(市川十郎の『蝦夷実地検考録』)
里数・出産物取高・アイヌ人別・出稼家数、あるいは漁業旬季書上や寒暖風土の事を、書上げて提出されている(
余市
町史
新札幌市史 第1巻 通史1
(その他の土器群)
同種の土器は、近隣では江別市坊主山遺跡、
余市
町フゴッペ洞窟においても検出されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
東本願寺北海道開教史)、『公務摘要日誌』(東京都岩村家)、『大村耕太郎資料』(札幌市文化課)、『明治二己巳歳日記』(
余市
町林家文書,諸官省司往復留』(道文一八一)、『歌棄郡引渡書類』(道文一八二)、『浜益厚田往復留』(道文一七九)、『
余市
郡諸調
新札幌市史 第2巻 通史2
(興産社(製藍業))
原料は大部分篠路、丘珠、苗穂、札幌、豊平、白石、月寒、山鼻、琴似の九カ村に求め、ほかに石狩郡高岡、
余市
郡仁木二
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌自動車合資会社)
八月株主として中田鶴吉が入社し、この頃から札幌以外の
余市
~古平間をはじめ全道に事業路線を展開していった
新札幌市史 第1巻 通史1
(四遺跡の調査)
出土した土器は、縄文時代中期の北筒式土器(第Ⅰ群)、
余市
式土器(第Ⅱ群)、それに装飾的な形態や文様を特徴
新札幌市史 第1巻 通史1
(渡党)
原漢文)とあり、その住む範囲は北海道の東海岸では陬川(ムカワ)(鵡川町)、西海岸は與依地(ヨイチ)(
余市
町
新札幌市史 第1巻 通史1
(市内の住居跡)
北筒式土器の中のトコロ第六類期のものが一〇例で最も多く、それに円筒上層式のサイベ沢V、Ⅵ式期のもの一例、
余市
式土器期,
余市
式期の確実な例は、T四六四遺跡第一号竪穴住居跡、M六七遺跡第五号竪穴住居跡で、前者は不整五角形を呈
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌製糸場の開業と工女呼戻し)
等蚕事取扱 19 上手稲村農 33 遠藤堅守 〃 〃 19 34 赤塚志賀吉 〃 〃 19 元会津藩士
余市
郡農,35 安斉宝吉 3等蚕業雇 9等蚕事取扱 16 36 渡辺忠吉 〃 〃 16 元会津藩士
余市
郡農,47 柴田とも 6等雇 〃 10 48 石川勝佐 3等蚕業雇 10等蚕事取扱 15 元会津藩士
余市
郡農,開拓使官吏三吉笑吾妹 9年1月札幌製糸場在場 54 石川つね 3等蚕業雇 〃 8 元会津藩士石川勝佐妻
余市
郡農,等蚕業雇 〃 8 元徳島藩士竹内坂平娘静内郡農 9年1月札幌製糸場在場 56 木村とよ 〃 〃 8
余市
郡
新札幌市史 第2巻 通史2
(正教会の伝教)
十九年には
余市
在住のイオアン石川吉太郎が札幌における正教会最初の受洗者となった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌への道路の開削)
明治二年(一八六九)十月島判官は陸路銭函に到着したが、その途中黒松内越山道・
余市
越山道・雷電道路等の函館
新札幌市史 第1巻 通史1
(コシャマインの蜂起)
く蜂起して、康正二年夏より大永五年(一五二五)春に迪(いた)るまで、東西数十日程(東は鵡川町から西は
余市
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の設置と移住政策)
行われたことにより、開拓使が直轄する地域は道南は函館を中心とした上磯・亀田・茅部の三郡、道央は札幌・
余市
新札幌市史 第1巻 通史1
(『琴似町史』の遺跡調査)
⑥西発寒四六の
余市
式土器の包含層。⑦西発寒六四三の厚手土器の包含層。⑧西発寒の厚手土器(三地点)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(箱館奉行の廻浦)
人別・備米・備金を書き上げ、オムシャのためにアイヌ三役の名前、老人の名前などの書上も提出されている(
余市
町史
新札幌市史 第2巻 通史2
(工事請負人と諸職人の募集)
この他、札幌建築のための諸職人の募集は、
余市
・古平・岩内や仙台・南部など、北海道の内外で行っている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(土器群の分類)
なお、道央部から道南部に分布する口縁部から胴部にかけて「たが」状に太い貼付文が巡る
余市
式土器(図11-
新札幌市史 第5巻 通史5下
(果樹栽培の動向)
われることはまれであった、このような中で、五十七、八年頃に果樹の消費拡大を図るべく消費動向調査が実施され、同時に、
余市
新札幌市史 第5巻 通史5上
(園芸農業の振興)
果樹園芸については、「本市内およびその周辺の果樹地帯は、
余市
りんごと共に北海道のりんごの双壁をなす札幌
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の管轄地域)
分領支配期間を通じて終始開拓使の管轄とされていた地域は、石狩国の札幌・厚田・上川の三郡、後志国の忍路・
余市
新札幌市史 第1巻 通史1
(札幌扇状地の特性)
札幌扇状地の特性 札幌の母なる川、豊平川は、
余市
岳・朝里岳・喜茂別岳・空沼岳・漁岳・札幌岳などから水
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(例言)
(財)日本キリスト教婦人矯風会,市川房枝記念会図書室,佐倉厚生園,市立弘前図書館,函館市中央図書館,
余市
町教育委員会
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼所の設置)
安政六年一月に、「今般御用所にて、北蝦夷地西海岸通漁業新規切開相成候」(
余市
町史 第一巻)と、イシカリ
新札幌市史 第1巻 通史1
(発寒神社遺跡の発掘)
その上で、狩太、積丹半島、
余市
、蘭島方面のそれと石狩川沿岸音江のストーンサークルとを連結する重要な遺跡
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新産業都市の指定と札幌市建設六年計画)
三十九年四月四日、札幌市の他、小樽・室蘭・苫小牧・千歳・江別の五市、手稲・石狩・恵庭・
余市
・追分・早来
新札幌市史 第2巻 通史2
(三県分置の布告)
石狩国札幌郡札幌 管轄 石狩国 日高国 十勝国 天塩国 一円 後志国ノ内九郡 小樽郡 高島郡
余市
郡
新札幌市史 第2巻 通史2
(物資の輸送と輸送方法の整備)
輸送に関しては島判官の時代は兵部省が石狩・小樽を支配していた関係で、厚田浜益や
余市
忍路から人夫に背負わせて
新札幌市史 第2巻 通史2
(移住の新展開)
士族移住のうち(1)旧藩主の事業は、旧名古屋藩主による山越郡八雲村の徳川家開墾地、旧山口藩主毛利元徳の
余市
郡大江村
新札幌市史 第1巻 通史1
(共同墓地の造営)
北海道には忍路の環状列石をはじめ、深川市音江環状列石(写真11)、旭川市神居古潭環状列石、
余市
町西崎山環状列石群
新札幌市史 第3巻 通史3
(魚市場)
魚はまず小樽、
余市
、岩内、高島、祝津、白老、苫小牧、室蘭そして遠方では釧路、東京から入荷している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(私立水沼製糸所製糸女生徒)
その条件とは、「屯田兵家属ノ内ヨリ工女徴募致度候得共間ニ合兼候ハヽ其地近傍有珠
余市
移住民ノ内ヨリ伊達片倉元家来,18 伊藤利 15歳11月 同 農 伊藤金作 二女 19 吉村い津 18歳8月 後志国
余市
郡黒川村
新札幌市史 第1巻 通史1
(渡島蝦狄の来貢と貢物)
などでの往来が顕著であったことは、江別市兵村、江別市町村農場、恵庭市柏木東、恵庭市柏木川、千歳市烏柵舞、
余市
町天内山等
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員と家族)
をたてたが、旧臣を扶養するにはほど遠く、兵部省の管轄による一万二〇〇〇人の北海道移住計画がたてられ、小樽、
余市
方面,表5の数字は
余市
や分領支配地の瀬棚方面に移住していた人で、殖民兵型屯田兵として応募し採用された分を含んでいる
新札幌市史 第2巻 通史2
(例言)
北海道開拓記念館、北海道神宮、北海道大学附属図書館、同博物館、北海道立図書館、北海道立文書館、山口県立文書館、
余市
町教育委員会
新札幌市史 第2巻 通史2
(仮学校とアイヌ教育)
によってアイヌ一〇〇人余を上京させて教育することとなり、まず三五人を札幌をはじめ、小樽・高島・石狩・
余市
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿倍臣の北征)
川筋にあると説明し、シリベシはシリパ(海中に突出した山の岬)と同義で、渡島半島の西海岸に六カ所あり、
余市
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