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新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌官園)
道文七一八二)では、札幌官園を穀菜、果樹、林木など「樹芸」にかかわる試験施設の総称としているが、通常は
偕楽園
, 第二官園
偕楽園
御手作畑」と記されている。,上記第一官園の
偕楽園
の脇に「空地」と記され、これは空知通と思われる(市在諸達留)。,ただ最初の琴似開墾地は面積が三六〇〇坪であり、
偕楽園
の北方が琴似村に接していることなどからすれば、札幌官園,六年五月測定の「北海道札幌之図」には、
偕楽園
の東北方向へかなりの地積が菜園と記されて描かれている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(四季と遊覧)
偕楽園
北七西七 四年岩村判官の設計、薄井監事
偕楽園
と名づく。,三十年
偕楽園
を対馬嘉三郎に払い下げる。三十一年斎藤いく、
偕楽園
内に旗亭偕楽亭を開く。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(市文化財と清華亭)
清華亭の周辺は幽邃(ゆうすい)で閑寂な地であったので、開拓使では一帯を公園とし
偕楽園
と名付けており、清華亭,は明治十四年に明治天皇が札幌を巡幸した際に、休憩所としてこの
偕楽園
の中に建設されたものであった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(火災)
五年三月二十七日の十文字龍助の日記にも、「未下刻報道す野焼
偕楽園
ニ迫ると(中略)火道を見るに渓の西え向,て燃去る
偕楽園
先ハ憂ひなし追て消防の官員等来る(中略)野焼土人又一か小屋ニ迫る権之允ニ命し人足を引て之
新札幌市史 第2巻 通史2
(祭と娯楽)
なお、十年の西南戦役の戦死者を弔うため、十二年
偕楽園
内に「屯田兵招魂之碑」が建設され、同年十月二十七日大祭,十九年九月
偕楽園
内に建てられたのがそれである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(人工孵化場の設置)
写真-4 開拓使により作られた人工孵化場(
偕楽園
内 北大図)
新札幌市史 第4巻 通史4
(公区制への移行)
それでも全面的な公区への移行には一部では問題もあったらしく、
偕楽園
町内会では一度解散したにもかかわらず
新札幌市史 第2巻 通史2
(葡萄園(ぶどうえん))
これに対し十年一万四一九〇坪の第一号園がやはり
偕楽園
に接する位置へ設けられた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(アイヌの聚落と戸口)
また『札幌昔日譚』によれば明治初年のアイヌの聚落は、
偕楽園
(現在清華亭のある付近から琴似村境まで存在した,〈琴似村〉ここはサクシュコトニ川流域に沿った開拓使の試験場
偕楽園
内に位置していた。,堀が
偕楽園
の官邸を過ぎ数百歩行くとアイヌの家二、三軒がある聚落に出た。
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落との連絡路)
開拓使時代道路開削 4年 創成通円山間(南1条通),豊平川平岸村間(平岸街道),札幌元村篠路村間,
偕楽園
琴似村間
新札幌市史 第2巻 通史2
(開化のシンボル)
の公園は、六年の公園設置に関する太政官布告に先立つこと二年、四年に岩村通俊主唱の市民遊覧の場としての
偕楽園
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
三 水産業(
偕楽園
における人工孚化試験) 今日、養殖漁業として重視されている孚化養殖事業は、早くも,米国技師の手により試験的に札幌
偕楽園
で明治十年に行われようとしたが、石狩から運搬したサケ卵を凍らせて失敗
新札幌市史 第2巻 通史2
(御用火事の実態)
この日付は、日記の二十六日の項に何の記載もないことやその夜に十文字が宿所にしていた
偕楽園
辺まで延焼してきて
新札幌市史 第2巻 通史2
(メソヂストと聖公会)
美以教会の信徒は二十三年頃から相互に連絡をとりあい、同年五月には
偕楽園
で親睦会を開催し一一人が参加した
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道同志俱楽部)
三十一年八月十日
偕楽園
で発起会を開き、十一月四日設立大会を料亭松月で催した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌幼稚園から若葉幼稚園へ)
続いて、四十一年六月には村木啓作が区民の財政的支援を得て、北七条西七丁目(
偕楽園
跡)に私立札幌幼稚園を
新札幌市史 第3巻 通史3
(招魂祭・忠魂祭)
また招魂祭に関わって、
偕楽園
(北六西八)にあった屯田兵招魂碑を移転する方針は、三十六年に屯田兵招魂碑保存会
新札幌市史 第2巻 通史2
(祝賀と歓迎)
5・22 札幌警察署、出札中の各分署長及署員を
偕楽園
に集め、日清講和奉祝会を開催。
新札幌市史 第2巻 通史2
(超教派の社会活動)
また、札幌基督教徒婦人会が、二十一年八月十一日に
偕楽園
内の清華亭で開催された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(道展の成立)
三岸の友人の渋谷政雄は、小学校時代に
偕楽園
、りんご園、ポプラ並木と共に遊び回った思い出を語り、「三岸の
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
また私事では、清水三次郎より鹿肉を、早山清太郎より沢庵漬や鮭が贈られたり、御雇外国人の到着、
偕楽園
内官舎
新札幌市史 第2巻 通史2
(学習・自己啓発)
二十一年八月、
偕楽園
清華亭にて親睦会開催。スミス教師等六〇余人。大島千代子司会。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(新琴似屯田兵中隊本部・旧黒岩家住宅)
市指定 有形文化財 清華亭 北区北7条西7丁目 札幌市 昭36. 6. 7 札幌最初の公園「
偕楽園
」に
新札幌市史 第3巻 通史3
(区長)
区会議員を辞任し、十九日区長事務取扱者から引継を受けて執務することになったが、その就任披露宴は三月十一日
偕楽園
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
げ等に関する件 一〇五 林木払下・炭焼営業等願書(明治一三年)…661 三 水産業(
偕楽園
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