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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (三ベッドの特性)

三ベッドの特性 八軒ベッドとは八軒観測所のボーリングで、基盤の下野幌層(第三章参照)と上位の山口ベッド,このように、八軒ベッドの堆積期は比較的温暖であり、貝化石の14C年代から三万四〇〇〇年前ころである。,八軒では、前記のように八軒ベッドの上位に連続的に累重している。
新札幌市史 第3巻 通史3 (分村問題)

二級町村制の施行の際に、役場位置については将来協議することとされ、四十五年四月にいたり、札幌支庁から八軒,タイ 大6・7・12)、大正八年頃の民力涵養運動などを通して村内の融和がはかられるようになり、九年に八軒,場所は現在の八軒一条西一丁目(現西区八軒会館所在地)である。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (地域婦人会開設の学童保育所)

翌三十四年に琴似中央小学校の校区である八軒中央婦人会がそれを引き継ぎ、会場を同婦人会所有の八軒福祉センター,に移設し、八軒子どもの家とした(道新 昭39・12・27)。,八軒子どもの家のように、補助金だけでは婦人会が雇用した保母の一年分の給料にもならず、おやつ代を集金し廃品回収,一年生から六年生を対象に、北光子供園、美香保子供園、上町会館、発寒福祉会館、やよい児童会館、南児童園、八軒子
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

この扇状地の末端部に近い八軒におけるボーリングの地質柱状図(図11)をみると、地表から深度一五メートル,図-11 八軒ボーリング柱状図  このように、発寒川扇状地の場合も、その基底は五三メートルと札幌扇状地
新札幌市史 第5巻 通史5下 (郵便局の増設)

札幌八軒五条(西区八軒5東4、平8札幌八軒東に改称)。平和(西区手稲平和、簡易)。,札幌八軒一条(西区八軒1西1)   6 札幌新川四条(北区新川4 -13)。,札幌山の手(西区山の手3-7へ移転、琴似山の手を改称)、札幌八軒(琴似八軒を改称)。,札幌八軒西(西区八軒6西7)  14 札幌新琴似一条(北区新琴似1-10内移転)  15 白石北郷(白石区北郷
新札幌市史 第1巻 通史1 (中期)

にともない、海水面も徐々に上昇し、三万四〇〇〇~三万五〇〇〇年前になると、札幌市の北西部、少なくとも八軒,その時期の堆積物が八軒ベッドである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (北大遺跡の調査)

このうち八軒が発掘されたが、そのうちの一個から若干の土器と石製品を得たのみで、他はまったくなかったという
新札幌市史 第1巻 通史1 (西部地域の泥炭地)

このうち、西区八軒三条東一丁目から北区新川二条六丁目を結ぶ幅〇・六キロメートルの範囲のものや北区新琴似一
新札幌市史 第2巻 通史2 (市街化する豊平村)

と略)の「豊平村の近況」(二十四年一月十八・十九日付)からうかがうと、豊平村には雑貨商四九戸、旅人宿八軒
新札幌市史 第2巻 通史2 (「公然売女」)

すでに実態としては、「遊女屋」を営むものが一八軒に達していたし、廓内取締として行司三人がいた(市中諸願綴込
新札幌市史 第5巻 通史5上 (土地区画整理事業の展開)

地区 実施年度 ヘクタール 千円 施行済み 北海道 東札幌 S19~38 305 62,956 西八軒,S31~37 12 4,760 東八軒 S32~37 17 8,800 中央通 S34~41 6 2,860
新札幌市史 第1巻 通史1 (埋没古三角州堆積物)

するのが困難であるが、何本かのボーリング・コアから得た試料の花粉化石、貝化石などの特徴によって、下位から八軒
新札幌市史 第4巻 通史4 (字名の設置)

琴似町では十八年五月一日に琴似村、発寒村、篠路村の三大字が廃止され、屯田、新琴似、新川、八軒、発寒、琴似,15② 琴似町字名対照表 改称字名 旧字名 屯田 兵村 新琴似 新琴似,琴似 新川 琴似川沿,新琴似 八軒
新札幌市史 第2巻 通史2 (辛未村の計画)

四四戸は三カ所に分かれて入植し、入植地はその戸数から八軒、十二軒、二十四軒と呼ばれた。,八軒、二十四軒は現在も西区の町名として伝えられているが、いまの中央区宮の森の位置にあたる十二軒は地名として
新札幌市史 第2巻 通史2 (市中の商い惣高調)

貸座敷二八軒、商高合計金二万三一七四円七四銭。,古物屋、濁酒屋、八百屋、菓子屋、味噌屋、乾物屋、煮売屋、餅屋、五十集、 附木屋、染物屋、鍋屋など六八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (露店問題と市の対応)

がなかったため、五月十五日には都市計画法、道路交通法、市街地建物法に基づく建物及び付属施設の撤去を命令し、五八軒,しかしその後も疎開跡地には屋台が出没し、退去した五八軒の露店商の正式な移転先の決定にも手間取り、臨時で
新札幌市史 第5巻 通史5上 (工場の新設、移転)

工場立地が多いのは琴似町発寒、琴似町八軒・二十四軒、丘珠町、白石町本通、白石町横町(現在の東札幌)、手稲町東,表-7 工場立地(昭和34年~38年) 住所 工場名 <札幌市>  琴似町八軒・   〃 二十四軒
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北区の誕生)

ただし、図にみるように新川地区の生徒は八軒中学校(西区)へ、太平地区の生徒は栄中学校(東区)へと他の区
新札幌市史 第4巻 通史4 (小売業の整理)

三月五日は「享楽停止の日」とされ、これを機に割烹料理店四八軒一〇〇人、料理屋三〇軒六五人、カフェ三八軒一四
新札幌市史 第5巻 通史5上 (小売市場の乱立)

しかしその後も小売市場は増えつづけ、三十四年には一一八軒に達した(道新 昭34・6・17)。
新札幌市史 第1巻 通史1 (産業・農民など)

また庄内藩士山田民弥の『恵曾谷日誌』には、明治三年二月十四日の項に「シノロ人家二十八軒」と記され、さらに
新札幌市史 第5巻 通史5上 (清涼飲料)

ジュースは一〇円以上の課税ジュースが二八軒、五三〇〇万円相当を生産している(道新 昭32・8・14)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (区から部へ)

〔大字琴似村〕盤ノ沢、小別沢、十二軒、山手、二十四軒東、二十四軒西、川添東、川添西、八軒東、八軒西、試験場
新札幌市史 第4巻 通史4 (琴似村)

商店と住宅で密集し始めた川添、八軒などの市街地は、昭和七年に二〇〇戸を初めて超えて戸数二二四戸、一二〇
新札幌市史 第3巻 通史3 (琴似村の概況)

〔大字琴似村〕川添、二十四軒、山手、十二軒、小別沢、盤ノ沢、中ノ沢、八軒、牧場、新琴似南一番通、同二番通
新札幌市史 第1巻 通史1 (石狩湾の海底泥炭)

この泥炭層の花粉化石組成は、あとで述べる古三角州堆積物の八軒ベッドより、下位の花粉組成と類似することから
新札幌市史 第2巻 通史2 (アイヌの聚落と戸口)

、「札縨上下 但石明より川筋登凡拾里程 土人小家凡拾八九軒」、「発寒 但同断凡九里程 土人小家凡拾七八軒,」、「シノロ 但同断凡九里程 土人小家凡弐三軒」、「ナイホヲ 但同断凡拾五里程 土人小家凡七八軒」(十文字龍助関係文書補遺
新札幌市史 第5巻 通史5下 (教会設立の動向)

教会を設立し、これが確立した後は日本人に委ねていく方針をとっており、七〇年代以降も札幌国際、平岡福音、八軒
新札幌市史 第5巻 通史5下 (三 新教団の進出)

せいめい)教札幌支部(南一四西一三、本部福岡市)は、新健康協会札幌支部として三十五年四月十五日に琴似町八軒東
新札幌市史 第5巻 通史5下 (商店街と小売市場)

平成八年十月の調査によると市内の小売市場は三八軒ほどであるが、市場特有の「対面販売」に活路を見いだそうとする
新札幌市史 第2巻 通史2 (公有地の処分)

でも新琴似と札幌市街を結ぶ西五丁目通の建設は懸案の大工事で、その用地の大半は公有地の提供によったし、八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (民間市場の郊外進出)

西創成地区二三七軒、鉄北地区二一五軒で、厚別、藻岩などはそれぞれ一九軒、三一軒と少なく、業種では菓子店が五三八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (郵便局の増設)

真駒内上町(真駒内上町3),札幌藻南(川沿町),発寒(簡易 手稲町字前田),札幌北四十条(北40東1),琴似八軒,(琴似町八軒),札幌北二十四条(北24東8) 昭39 厚別旭町(厚別町旭町),澄川(澄川),札幌円山(
新札幌市史 第3巻 通史3 (町村役場)

は大乗的立場から旧琴似兵村側と旧新琴似篠路兵村側の調停をはかり、大正九年ついに役場位置を大字琴似村字八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (小樽から札幌へ)

で最も多く、織物、衣服、身回り品の小売業五九二軒、家具、建具、什器の小売業三三六軒、車両小売業が一三八軒
新札幌市史 第5巻 通史5下 (寺院数の増加)

所在地 開設 備考 現来寺 大谷派 北区北28西15 昭47・ 2・24 札幌別院支院 芳円寺 同 西区八軒,昭58・10・21 昭妙寺 同 西区西野14-8 昭61・ 7・ 7 本隆寺 法華宗本門派 西区八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (市街地の拡大)

三割ふえる」(道新 昭28・5・15)、「周辺へひろがる住宅地帯 第二大学村も出現 目立つ琴似町新川、八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (河原居住者移転問題)

また低家賃住宅(現厚生住宅)建設も移転候補地住民との話し合いの結果了解され、琴似八軒と白石平和通りに各二
新札幌市史 第1巻 通史1 (農民の招募)

このほかハリウスでは、文久二年に「百姓家七八軒あり」(今井宣徳 蝦夷客中日記)と記されており、ハリウス
新札幌市史 第5巻 通史5下 (愛玩動物の多様化と永代供養)

白石区栄通9-1-16 ペット供養院札幌(本院) 厚別区もみじ台南2丁目 愛ペット動物霊園西営業所 西区八軒
新札幌市史 第2巻 通史2 (篠路村と早山清太郎)

シノロ村の戸数は、明治二年(一八六九)で人家二八軒(山田民弥 恵曽谷日誌)とされ、四年の人別帳(札幌郡篠路村人別調
新札幌市史 第5巻 通史5上 (食糧危機と供出制度)

供出シーズンが到来するとともに、「手稲村農産物供出状況」(10号、昭23・11・7)、「供出完遂 西八軒農事組合
新札幌市史 第5巻 通史5上 (農業団体)

. 4.22 342 琴似町八軒 新琴似農業協同組合  23. 5. 7
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政三年の調査)

この後ろに夷人小屋七、八軒、当時乙名ルヒヤンケ、小使イカレトメト(イカレキナ)が支配する。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (第二次ホテルラッシュ)

ローヤルホテル(平2、札幌ロイヤルホテルに改称)、札幌国際ホテル、札幌プリンスホテル、ニューミヤコシを加えて八軒
新札幌市史 第2巻 通史2 (「官設」東京楼)

当時の薄野「遊女屋」は一八軒もあったはずであるが、ここでさらに「西洋作之一大妓楼」を開拓使の予算のうち
新札幌市史 第5巻 通史5下 (中小規模企業)

コロナード平岸(四十八年)、札幌日産新札幌カーケアセンター(五十四年)、コロナード平岸Ⅱ、札幌トヨタ琴似八軒営業所,茨戸排水区下水道、厚別東通道路改良 79 太平洋建業 1,500 725,656 3,713 0.5 琴似八軒消防訓練塔
新札幌市史 第2巻 通史2 (娯楽・遊楽の街と旅客)

旅館業は増加し、三十二年には山形屋(北二西四)、旭館(北二西四)、丸ソ旅館(北一西三)の三館のほか四八軒
新札幌市史 第5巻 通史5上 (観光客の増加と宿泊施設の増設)

プリンスホテルが開業し、このほか一般ホテル・旅館を含めて四十五年に二二九軒だった宿泊施設は、四十七年には二八八軒
新札幌市史 第1巻 通史1 (依田次郎助)

四、物見台の記述につづけて「村も随分宜敷家立の家七八軒計も有之」と記す。  
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