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新札幌市史 第1巻 通史1
(兵部省の支配)
兵部省
の支配 開拓使が設置されるも、全道一円の開拓と支配は困難な点が多いので、北海道は諸藩、寺院、
兵部省
,石狩郡は小樽・高島郡とともに、明治二年(一八六九)八月二十日より翌三年一月八日まで、
兵部省
の管轄となった,札幌郡は除外されたのではあるが、御手作場のおかれた篠路などは、
兵部省
のもとにおかれた。 ,先の井上弥吉は、
兵部省
の軍務官として再び石狩へ赴任した。,さらに、明治三年四月に作成された『
兵部省
分引継書類』には、来住野五郎次・金沢幸太郎・田中鋭次郎もいたことがわかる /
兵部省
の支配
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省支配の変転)
兵部省
支配の変転 ところが、その後間もない七月二十四日に、
兵部省
は逆に多城国の開拓使への移管を自ら申,つに今般開拓使が設置された以上、蝦夷地の「一円開拓使ノ管轄ニ不相成候テハ御不躰裁」であること、二つに
兵部省
,は「何分事実多端ニ相成、諸役所へ渉リ候テハ万事行届兼」るということであった(公文録
兵部省
伺)。,よって自分の本旨(
兵部省
管轄)を三条・岩倉両卿に申し入れた、ということである。 ,再転して政府は、石狩支配の開拓使移管を取消して、本来の
兵部省
支配にもどしたのである。 /
兵部省
支配の変転
新札幌市史 第1巻 通史1
(兵部省の石狩支配)
兵部省
の石狩支配 奥羽における戦乱の終結後、約一万七〇〇〇入におよぶ会津降伏人の処置に軍務官は苦慮していた,時あたかも中央政府の官制大改革が明治二年七月八日に施行され、軍務官も箱館府も廃されてそれぞれ
兵部省
、開拓使,この間軍務官・
兵部省
は準備を進め、石狩詰参事席井上弥吉を兵部大録に任じ(開拓使出仕も兼務)、石狩役所を,さらに二年六月に、出張中の箱館において、大友亀太郎も堀真五郎より諮問を受け、翌七月五日に軍務官(
兵部省
,ところで、以上のような
兵部省
管轄のもとに会津降伏人処置の事業が着手して進展し始めた矢先に、開拓使は札幌 /
兵部省
の石狩支配
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省の田城国支配)
兵部省
の田城国支配 二年七月八日の官制改革で、軍務官は
兵部省
と改称されまた開拓使が設置された。,その直後に
兵部省
は改めて「会津降伏人始末荒目途」を作成している。,右一円御委任被成下度候事(開拓使公文録原本 道文五七〇二) これは要するに、大規模な移住開拓を進める
兵部省
,「田城」「多城」とも表記されているが、その地名はこの時期の
兵部省
にしか使用されていないようである。,
兵部省
が開拓を目指していたので田地の意の「田代」、また開拓と共に降伏人による蝦夷地警備をも意図していたので /
兵部省
の田城国支配
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省北海道支配の廃止)
兵部省
北海道支配の廃止 島の松浦を通じての掛合が功を奏し、十一月に入り早速兵部権少丞北海道開拓掛の大橋慎,島の松浦宛書簡によると、その結果「開拓使
兵部省
共少モ隔意無之、開拓ノ御趣意同心協力可致ノ巨眼ニ付、至極同意,それは、開拓使としては「降伏人引受候義ハ不相好候得共」、「後来両官(
兵部省
と開拓使)ノ矛盾ヲ不生為メニ,」やむを得ず、従来
兵部省
が降伏人処置のため請負った費用を開拓使が肩替わりし、さらに大橋を開拓権判官、井上,さらに同年正月八日残る
兵部省
管轄の石狩・高島・小樽・白糠・足寄・阿寒の六郡も開拓使に移管され、ここに
兵部省
/
兵部省
北海道支配の廃止
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府経営と兵部省支配)
札幌本府経営と
兵部省
支配 二年十月十二日銭函に入った島判官らは、早速当役々上下七、八〇人ほどをもって,その事業着手に当たり、札幌と接する石狩・小樽両郡を支配する
兵部省
との協議が当然必要であった。,当時の
兵部省
石狩詰の上位官員は、兵部大録の井上俊二郎、同桜井文二郎であった。,しかし協議の最初から島をはじめ開拓使官員は、
兵部省
に対し大きな憤懣をいだき、両者の間に確執が生じた。,例えば島たちが乗り込んでくるや、
兵部省
小樽役所は厚泊から銭函までの宿駅に対し、次のような布達を出していた / 札幌本府経営と
兵部省
支配
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕府の倒壊と大友亀太郎の去就)
そして帰着後の八月にナエボの開墾に着手し、また十月四日には
兵部省
の命により石狩国トウベツ山の開墾場予定地,その後大友は直ちにトウベツにおける
兵部省
石狩国開墾場の造成に、金一万七〇〇〇両余の資金をもって従事するが,に奔走していた開拓判官島義勇に大友は招かれ、開拓事業推進のため開拓使への就任を懇請されたが、今その職
兵部省
,そして
兵部省
から離れた翌日の四月二十三日、一旦開拓使掌に任命されたが即日辞して就任せず、以後六月に至る,間
兵部省
事業の残務整理のため外務省出張所当分手伝を勤めて、六月十六日石狩を離れた。
新札幌市史 第1巻 通史1
(シノロ村の成立)
すなわち、明治三年四月の『
兵部省
分引継書類』中、「シノロ村名主 畑六」が五六両余の、「シノロ村名主 兼松,」が二九両余の、扶助米に関する貸渡金返済の猶予をそれぞれ
兵部省
に願い出ており、これによれば、荒井・中嶋村
新札幌市史 第2巻 通史2
(篠路村と早山清太郎)
シノロ村は二年八月二十日に、サッポロ村と共に
兵部省
の管轄下に入る。,しかし開拓使との軋轢も多く、
兵部省
の支配は翌三年一月八日で終わるが、四月に作成された『
兵部省
引継書類』,の代金五六両余を六月まで、同じく名主(森山)兼松が五俵分の二九両を十月まで延納を請願しているように、
兵部省
新札幌市史 第2巻 通史2
(西地諸郡からの物資調達)
また十一月中下旬の
兵部省
からの買入分二〇〇俵の記載、十二月十六日に小樽での一三二俵、八俵、六俵、六俵という,
兵部省
より200俵のうち、石狩来 11.21 津軽玄米 28 9. ,; 5. 7. 6
兵部省
より200俵のうち、石狩来 11.25 越後玄米 &,津軽玄米 28 9. 5. 7. 6
兵部省
,
兵部省
より200俵のうち、石狩来 11.27 白米 6 2.
新札幌市史 第2巻 通史2
(本府建設とアイヌ労働)
しかも二年冬段階には、石狩郡を管轄していた
兵部省
が、石狩川下流域へ出漁していた札幌郡をはじめ上川・空知郡方面,のアイヌを
兵部省
管轄下に置こうと、一方的に石狩郡内への移転命令を出したことから混乱が生じている。,それは
兵部省
が従来通りの産物(熊膽、熊皮、狐皮、獺皮等軽物)確保を狙ったために起きたもので、同年十二月
新札幌市史 第2巻 通史2
(石狩本府論)
函泊事件以後の八月十一日外務省の北地出張案では、長官等の石狩出張は棚上げされて石狩は
兵部省
支配とされ、,で、予期せぬ函泊事件が起こり、その当面の対応のため、すでに会津降伏人始末のため石狩開拓を計画していた
兵部省
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 明治四年)
注文家材札幌へ運送の件(三月一二日) 七八 札幌開府に付会計目途の件(三月一五日) 七九 能代に於て
兵部省
伐組
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 明治二年)
五 役邸等の部屋数及び広さ(八月頃) 六 島判官石狩へ罷越本府建設に付伺(九月) 七
兵部省
管割地割替
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官の本府建設伺)
島の変更は八月十一日外務省の蝦夷地出役案で、石狩は
兵部省
支配と内定したことに基づくものであろう。,事業を進めるに際し、大事項は長官に通達し小事項は自分の決定で推進するという手順や、また近辺に入植する
兵部省
管轄
新札幌市史 第1巻 通史1
(シノロ番所)
明治三年(一八七〇)四月に作成された『
兵部省
分引継書類』には、シノロ・ハッサム番所各一棟が記載されており
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府建設の中止方針)
第三に、
兵部省
との引継について。第四に、樺太売却を丸山大丞へ話すことに懸念を持っていること。,右職人共は是迄営繕懸りの方始末為相付新ニ手を下し候分ハ先つ見合中ニ御座候 金穀の目的相立候はゞ、
兵部省
新札幌市史 第2巻 通史2
(物資の輸送と輸送方法の整備)
輸送に関しては島判官の時代は
兵部省
が石狩・小樽を支配していた関係で、厚田浜益や余市忍路から人夫に背負わせて,島判官は石狩を
兵部省
に渡すことは了承していた(副島種臣関係文書 国図)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(軍務官の会津降伏人始末)
会津降伏人始末 島判官が札幌で本府建設を開始した当初、一つの難題として、会津降伏人の移住を図っている
兵部省
新札幌市史 第1巻 通史1
(開拓使の設置と在住制の終末)
ほかに大友亀太郎がこの月
兵部省
(軍務官か)出張所石狩国開墾掛に任命されており、箱館府のイシカリ在住六人
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
紋別御用留」、「北蝦夷地仕出之部御用留」、「トンナイ御用所諸伺済」、「御直場引渡一件」、「御収納廉分書」、「
兵部省
分引継書類
新札幌市史 第2巻 通史2
(物流の拠点)
その後石狩が
兵部省
から開拓使の管轄下に入ったことから、佐々木貫三の新川開削などの整備により、石狩から水運
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
石狩場所請負人村山家記録」、「蝦夷地御用留」(以上道図)、「安政七年モンベツ御用所 御用留」「荒井金助事蹟材料」、「
兵部省
分引継書類
新札幌市史 第2巻 通史2
(東久世と島)
たとえば北海道赴任直前における自己の石狩出張要請とか、
兵部省
支配地の移管要請など、開拓にかかわる重大問題
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
鋳物師』、『上羽太邑万御用留帳』、村山家資料『北地内状留』(北大図)、『箱館裁判所評決留』(東大史)、『
兵部省
分引継書類
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
めて箱館裁判所(箱館府)附属となって引き続き御手作場の経営に従事、翌明治二年(一八六九)七月五日新たに
兵部省
出張所石狩国開墾掛,移民二十七戸、開田畑四十七町歩余の札幌村、ならびに同年より開墾に着手した苗穂村を開拓使に引き渡し、自らは
兵部省
,収録した『大友亀太郎文書』は、大友亀太郎が前記慶応二年二月蝦夷地開墾掛に任ぜられてより、明治三年四月
兵部省
出張所石狩国開墾掛,33)を除き、大半は大友亀太郎自身が起草し、同時に箱館奉行所(石狩出張所)、箱館府・開拓使(出張所)、
兵部省
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の人員削減)
あわてた開拓使は、会津降伏人の移住のために石狩で
兵部省
に雇われていた木挽を調達することにした。
新札幌市史 第2巻 通史2
(東久世長官の任命)
他方、岩倉は同日黒田と会い、何分
兵部省
や西郷招請の重要な件があり、また吉井の内談もあったので、「断然北地
新札幌市史 第1巻 通史1
(農地開発の成果)
なお大友は明治二年七月に
兵部省
に転じ、十月にイシカリ御手作場を開拓使に引き渡すにいたっているのであるが
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官の札幌本府建設着手)
存候(市史 第七巻) かくして冬季に突入して厳寒の中、極度の米穀・物資・人夫や財政等の不足と、また
兵部省
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の管轄地域)
より四年八月までの分領支配体制の時期に、管轄期間の長短、管轄地域の広狭はあるが、開拓使を除き、一省(
兵部省
新札幌市史 第1巻 通史1
(運送と通信)
明治三年『
兵部省
分引継書類』には、イシカリには四八頭の馬が記載されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
札幌郡調』(北大図)、『明治六年市在布達』(北大図)、『荒井金助事蹟材料』(道文 旧記一四三七)、『
兵部省
引継書類
新札幌市史 第2巻 通史2
(外務省の北地出役案)
石狩支配は開拓使の所轄からはずされ、後述するところであるが、すでに会津降伏人始末として計画を進めつつあった
兵部省
新札幌市史 第2巻 通史2
(水原県からの定額米)
開拓使定額米の未着に加え、戊辰戦争後の北海道への回米不足などによる北海道での全般的な物資不足の状態、さらに
兵部省
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 明治三年)
二 明治三年 一二
兵部省
支配地管轄替の件(一月) 一三 石狩国札幌へ本庁創立等の件(一月) 一四
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
小樽往復』『部類抄録』(以上道図)、『鈴木忠美日記』(北海道史編纂史料)『六百人員北海道移住諸記録』『
兵部省
開拓使取極書
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
東久世長官らの赴任 石狩本府論 島判官の本府建設伺 島判官の札幌本府建設着手 四 開拓使と
兵部省
, 軍務官の会津降伏人始末
兵部省
の田城国支配
兵部省
支配の変転 札幌本府経営,と
兵部省
支配
兵部省
北海道支配の廃止 第二節 島判官の札幌本府建設…30 一 島判官の
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
同心・足軽 二 幕末のイシカリ支配 幕末の変転 箱館府の成立 小樽内騒動
兵部省
,オタルナイ騒動 騒動とシノロ村浪人の参加 シノロ村との関係 三 箱館戦争の余波と
兵部省
支配, 旧幕軍の蝦夷島占拠 石狩の状況
兵部省
の石狩支配 第十章 建府論の展開…1008
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員と家族)
えられた旧南部領の北部三万石をもって新たに斗南藩(となみはん)をたてたが、旧臣を扶養するにはほど遠く、
兵部省
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
部屋数及び広さ(八月頃)……5 六 島判官石狩へ罷越本府建設に付伺(九月)…6 七
兵部省
管割地割替,…9 一一 酒田県向け移民募集依頼の件(一二月)…9 二 明治三年 一二
兵部省
支配地管轄替,三月一二日)…97 七八 札幌開府に付会計目途の件(三月一五日)…98 七九 能代に於て
兵部省
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