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新札幌市史 第2巻 通史2
(学田)
また
円山
学校は上手稲村西野に払下げをうけ、小作人を入れて開墾させたが、小作料収入が教育施設の充実、村民,の負担軽減に大きく寄与したのは三十年頃からといわれる(
円山
百年史)。,琴似学校 50 上手稲村西野 山鼻学校 65 砥石山官林 上手稲学校 20 上手稲村西野
円山
学校,月寒
学田
はのちに厚別に設置された。豊平
学田
は明治23年5月許可。,
円山
学校は山口村にも
学田
にする計画があった(「札幌県学務課視察報告書」による)。 /
学田
新札幌市史 第4巻 通史4
(学田地の売却)
学田
地の売却
円山
町は昭和十五年七月二十七日、新たに「自作農創設維持奨励規程」全一七条を制定したが、,その三日後の七月三十日、
学田
地の小作人への売買予約契約が締結され、十六年一月二十六日、本契約が締結された,売買代金は水田を例にとると、
円山
町の提示価格が反当り一五三円一銭に対し、仲介役の手稲村長は一一八円八二銭,の結果、一三五円九〇銭となり、同じく畑は四一円八六銭、山林原野は六円五〇銭の線でほぼ固まり、最終的に
学田
地,そして、この
学田
地の解放問題が落着した直後の十六年四月一日、
円山
町は札幌市に編入された。 /
学田
地の売却
新札幌市史 第4巻 通史4
(学田地の解放問題)
学田
地の解放問題 そしてこの前後から、
学田
地の小作人への解放と自作農創設の動きが出はじめてくるのである,シテ嘆願ニ及候也」との「藻岩村
学田
地特売嘆願書」を佐藤村長に提出した。,この嘆願書はしばらく無視されたため、
円山
町となった昭和十四年四月二十七日、小作側は再び飯田誠一町長に請願,請願書 我等
円山
町
学田
地小作人ハ昭和十一年十二月、
学田
地ヲ自作農創設維持法ニヨリテ特売、自作農トナシ, 斎藤銀蔵
円山
町長 /
学田
地の解放問題
新札幌市史 第4巻 通史4
(学田地の経営)
学田
地の経営 ところで、この西野
学田
地の小作経営はどのようにしてなされていたのであろうか。,土地条件などから、明治期から昭和十六年の
学田
地解放にいたる間永住した小作人は少なく、大正末期には一戸分,
学田
地の小作人は、ほぼ三〇人前後で推移し、三~四人の代表者が選ばれて、役場との小作料の交渉などにあたる,慣行が次第に成立していった(
円山
学田
地小史)。 ,三六 、西野
学田
小作料調定(ママ)ニ関スル件 西野
学田
小作料ハ最初米納ノ契約ナリシガ、小作人側ノ願 /
学田
地の経営
新札幌市史 第4巻 通史4
(争議の経過)
)の
円山
小学校が同郡手稲村大字上手稲村字西野(現・西区西野)に所有する
学田
地において、昭和初期に起きた,そして、小作側は
学田
地の解放を求めた結果、
円山
町が札幌市に編入される直前の十六年一月、自作農創設維持法,この争議に関しては、旧小作人の立場からまとめられた、西野用水共有地組合編『
円山
学田
地小史』がある。,なお、この
学田
地は通称「
円山
学田
地」と称されているが、後掲史料では「西野
学田
地」または「手稲村
学田
地」,この際、教育費特別会計制度ができ、大字
円山
村では、
学田
地小作料の中から一定金額を教育費に繰入れ、住民の
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和五年の争議)
『
円山
学田
地小史』には、ある小作人代表の日記の一部が紹介されている。,〔昭和五年〕 十月七日 始めて総会を開き、
円山
学田
地水田小作年貢は一反歩十円の契約なるも、米価暴落と,十月九日 斎藤銀蔵
円山
役場へ行き、詳細説明して嘆願書を提出。,同盟書 我等
円山
学田
小作人一同ハ、藻岩村当局ニ対シ、米納復活ヲ嘆願セシモ拒絶セラレ、更ニ時価換算金納,加須屋権次郎 山田三次郎 鈴木重正 鈴木寅之助 加須屋与三吉 黒田勉 赤坂権左エ門 金田仁右エ門(
円山
学田
地小史
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和十~十一年の争議)
その経過は前述『
円山
学田
地小史』が詳細に触れているが、小作人側の最大の要求は十月二十八日付の嘆願書で述,すなわちそれは「水田年貢ハ隣境地琴似
学田
地ハ畦畔ヲ控除シテ参斗五升、手稲
学田
地ハ参斗六升ナレバ、当藻岩村
学田
地,こうした状況下に開かれた三月三十日の第二回村会では、この
学田
地の小作料問題が「最も重要性を有するもの」,その際、
学田
地の所在する手稲村長が調停役として加わり、村側と小作側とで交渉の結果、次のような内容で合意
新札幌市史 第2巻 通史2
(上手稲村と西野の開拓)
二十一年十月に右股にいたる道路が福玉仙吉によりつくられ、二十六年頃から
円山
小学校の
学田
の開墾も進む。,写真-2 昭和3年の西野
学田
地の水田風景(『上田善七翁記』より) 西野は三十二年に戸数は四〇戸
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
この中で在地の人物は土田金次郎(No.3)があるが、これは
円山
村の共有地として払下をうけたものである。,同 上 99,178 29,718 元老院議官 3 土田金次郎 同 上 92,597 4,300
円山
村総代人,また上手稲村の西野に所在した
円山
村の
学田
は大正末期で約七〇町、小作は約三〇戸といわれ(西野用水地組合 ,
円山
学田
地小史)、篠路村の
学田
は昭和初期で一四一町、三一戸とされている(北海タイムス 昭和四年十月十九日付,このような公的な農場や
学田
、小規模な農場や小作地が多数あり、二十年代以降の移住は農場などの小作移住が中心
新札幌市史 第3巻 通史3
(上手稲と分村運動)
三十一年に広島用水路が開削された後、左又の琴似
学田
、西野の
円山
学田
でも用水路がつくられ、米どころとなっていった,西野には琴似村の
学田
もあり、この年(四十三年)の三月には、琴似手稲果樹組合も創設されており、上手稲と琴似村
新札幌市史 第4巻 通史4
(自作農創設事業)
以下の引用は、昭和十五年七月に
円山
町会で可決された「
円山
町自作農創設維持奨励規程」である。 ,藻岩村においては、昭和十六年一月藻岩(
円山
)
学田
地で農地の解放が実現した。,『
円山
学田
地小史』(昭51)によれば、昭和八年頃からはじまった小作料減額運動の中で、道庁の小作官から自作農創設補助規則,によって、長期低利の資金を借り入れる方法があることを教えられたのをきっかけに、「藻岩村
学田
地特売嘆願書,が小作農民に売り渡されることになり、償還組合(
円山
学田
地自作農創設維持資金償還組合)が組織されるとともに
新札幌市史 第2巻 通史2
(その他の村落)
札幌村 (朱書)「苗穂丘珠を兼 岡田 潤桂 白石村 月寒を兼 杉山 順 手稲村
円山
琴似発寒,中には
円山
村のように、明治七年から村で筆算教師荻野景範をおいて教育を始めたが、八年に開拓使から手稲教育所,に通学を命ぜられ、このため特に冬期間の通学難渋等を理由に、荻野に
円山
村筆算教師の発令方を村総代から願い,しかし後述するように、学校の維持も官の補助金に止まらず、村の協議費、
学田
の設置などによりその経済的基盤
新札幌市史 第4巻 通史4
(区から部へ)
昭和二年二月二十八日に「篠路村区設置規程」がつくられて部から区へと改正となり、本村、五ノ戸、十軒、烈々布、
学田
,小別沢、十二軒、山手、二十四軒東、二十四軒西、川添東、川添西、八軒東、八軒西、試験場、牧場(まきば)、
学田
,藻岩村は大字
円山
村に五条通、一条通、神社通、滝ノ沢、界川、伏見の六部、大字山鼻村に上山鼻、四号沢、五号沢,、八号沢、石山通、白川の六部とされていたが、大正十四年に
円山
村の部を人口増加により第一部から第八部までと,昭和三年に部から区へ改正され、人口増加の著しい
円山
村は七年に一一区、十三年四月には一四区とされた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(代表的な総代人たち)
写真-6 永田長蔵
円山
村の上田万平は天保十二年(一八四一)にいまの岩手県盛岡市に生まれ、明治四年,、三〇歳の時に
円山
村に弟の善七と共に移住した。,に総代人になって以来、途中わずかの中断はあるものの、総代人制最後の三十九年まで重任しつとめあげた(『
円山
百年史,在任期間中、
円山
小学校の維持と西野に所在した
学田
の造成、備荒蓄積の推進、公有地の造成、村落自治の確立などに,万平は大正六年六月七日に七七歳で卒去したが、昭和三年に遺徳をしのび胸像も製作された(
円山
百年史)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
今日の中央区中島公園一帯は山鼻村の
学田
地であったが、ここに遊園地を設置すべく札幌区総代人会の計画を道庁,その後、豊平、苗穂、
円山
等の一部を札幌区に編入しようとする運動もあったが実現しなかった。,564 41 (小計) (3885) (6772) 山鼻村 1634 2329 695
円山
村
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
』(昭18)、『さっぽろ藻岩郷土史 八垂別』(昭57)、『白石発展百年史』(昭45)、『昭和十五年度
円山
町会議決書,』、『
円山
学田
地小史』(昭51)、『前田自作農創設五十周年記念誌』(昭60)、『手稲開基一一〇年史 手稲,鈴木太代治『最新狐飼育』(昭6 北大図)、手稲町軽川小学校『郷土調査資料』(昭7 道図)、『札幌郊外・
円山
町
新札幌市史 第4巻 通史4
(産業組合)
販 篠路村字
学田
19 大 4. 5.17 決議 昭 9. 3.16 (有)篠路農場 購販 篠路村(,札幌村大字札幌村 71 昭 7. 7.19 新組合設立 昭10.12.23 (有)円 山 信購 藻岩村大字
円山
,3 - - (保)白 石 信購販利 白石村大字白石村 〔957〕 昭13. 2. 7 - - (有)
円山
蔬菜,組合名は,(有)
円山
信用購買組合は,のち(保)札幌農業信用購買販売組合に変わった。 2.,(
学田
)、(有)篠路農場購販組合(横新道、興産社、大野地、釜谷臼、すなわち拓北農場一円)の三組合を合併
新札幌市史 第4巻 通史4
(新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)
札幌市への編入運動 札幌都市計画区域 札幌村域の札幌市編入 札幌市の町村合併計画
円山
町, 一 諸町村の行政 一級町村制の施行 一級町村制と村長選挙 混乱の藻岩村政
円山
町,の誕生
円山
町の札幌市への合併 琴似村と町制の施行 二 行政状況と財政, 札幌村 篠路村 琴似村・琴似町 手稲村 藻岩村・
円山
町 豊平町と白石村 ,昭和十~十一年の争議
学田
地の解放問題
学田
地の売却 豊平町・吉田農場の争議
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正四年全道青年会連合大会)
烈々布青年会 篠路村中野青年会 篠路村字十軒青年会 篠路農村青年会 篠路村山口青年会 篠路村
学田
青年会,琴似村 琴似村青年会 琴似第三帝国同志会 新琴似青年会 琴似村新川青年会 藻岩村
円山
青年会
新札幌市史 第2巻 通史2
(丘珠村と白石村の「自治」)
集会の議題は主に道路修繕、学校関係(
学田
、学校世話人、敷地、修繕費など)、神社、協議費等級、公有財産のことなどである,
円山
村でも年時は不明だが、「毎年一月村民総寄合を催ふし年中行事の方針、其実行事項等を議するの要ありとし
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
移住民情況調査報告 五六 移民履歴調(明治一〇年調)…241 札幌市街 山鼻村
円山
村,移住民情況調(明治一七年調)…267 札幌区 札幌雁来苗穂丘珠 四ケ村 篠路村 山鼻村
円山
村,雁来村 苗穂村 丘珠村 篠路村 豊平村 上白石村 白石村 月寒村 平岸村 琴似村 山鼻村
円山
村, 雨龍通 札幌通 雁来村 下手稲村 白石村 上白石村 豊平村 苗穂村
円山
村,耕地の部 (雁来村 下手稲村 白石村 上白石村 豊平村 苗穂村 雁来新道
円山
村
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
一四輯(昭6)、桑原真人「昭和三年篠路村の小作争議について」『札幌の歴史』6号、西野用水共有地組合編『
円山
学田
地小史
新札幌市史 第8巻1 統計編
(3札幌区の統計事情)
札幌の周辺村は①山鼻・
円山
②琴似・発寒・上手稲・下手稲③豊平・上白石・白石・平岸・月寒④札幌・雁来・苗穂,区長の浅羽靖は,区有財産の乏しきを憂い,区内および琴似の
学田
地,豊平の墓地等を払い下げ,区有財産に編入,表4 町村勢要覧の残存状況 注1 1908年4月豊平村は豊平町に,1938年5月藻岩村は
円山
町に
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
二 新副戸長と総代、副総代 新副戸長と総代、副総代の設置 平岸村の副戸長問題
円山
村,学務委員と学区 就学の問題 二 学校経営の諸問題 補助金 協議費 授業料
学田
, 各種試験場等の変遷 二 農業生産の状況 米麦生産の状況 作物の特産化
円山
村
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
(杉浦家蔵) 621 石川家文書(北大蔵) 622 筆算所一件(道図蔵) 623
円山
百年史,(
円山
百年史編纂委員会) 624 北海道歌壇史(北海道歌人会) 625 北海道医学教育史攷, 寺院教導書類(道文2478) 663 寺院教導書類(道文3125) 664 校籍簿(
円山
小学校, 蝦夷の光 第2号 1837 本道ニ於ケル最近ノ極左運動概況 昭和11・12年 1838
円山
学田
地小史,川島専三編) 1966 松本春子展 北に咲いたかなの花 1967 五十年のあゆみ(カトリック
円山
教会
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