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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼人の交代)

出稼人の交代 イシカリ改革にともなう漁場改会所と網持出稼人を主軸とした漁業展開は、五年にして曲り角にさしかかった,大半の出稼人の経営は不安定で出入りがはげしく、先の見通しが立たない。,イシカリ役所は困窮した出稼人へ、応急の米塩を貸し付けたが、その返済が滞る一方で、ついに文久元年(一八六一,この際、次のように出稼人に申し渡した。,ここで注意しなければならないのは、出稼人と金主(仕込みや融資をする人)と改会所の関係である。 / 出稼人の交代
新札幌市史 第1巻 通史1 (新漁場の割渡し)

既得権の中に新出稼人が割り込むにはねばり強い交渉が必要だった。,これらの人を一般の出稼永住者とわけて、網持出稼人と呼ぶことにする。,翌六年の状況をみると、吉五郎と弥右衛門が早くも網持出稼人から名を消す。,安政5年の鮭引場、網持出稼人、改役所勤番人等の配置が示されている。,③が一六人と圧倒的に多いが、網持出稼人の漁獲高に占める割合は二二パーセントにすぎない。
新札幌市史 第1巻 通史1 (カラフトへの足場)

イシカリ役所は前述(第一章)のように、改革の年いち早くクシュンナイ経営の準備にあたり、翌安政六年から出稼人,そこへの出稼人の多くはイシカリ永住か出稼で、しかもクシュンナイ出稼人という名目になる。,イシカリ直捌との違いは、出稼人への仕込みまで箱館奉行所の名で行ったこと。
新札幌市史 第1巻 通史1 (役鮭)

役鮭 イシカリ役所が網持出稼人に課した現物納の営業税を役鮭と呼ぶ。,役鮭八カ条(市史一二五頁)は、並の大きさの鮭を塩引きにして納めるよう定めたが、出稼人の負担が大きすぎるとし,安政六年を例にすると、表7のように網持出稼人分五八一一束、御手料場分(アイヌ漁)三三二四束、計九一三五束余,8,865石) 100  9,135 (3,045石) 100  出稼人荷物高
新札幌市史 第1巻 通史1 (人足役)

箱館奉行村垣範正が廻浦の途次、アツタよりイシカリ入りした折、イシカリよりオタルナイ川迄の道普請と共に、主に出稼人,このように出稼人・永住人が人足を出すということは、当時各藩でなされていた助郷(すけごう)などの人足役が
新札幌市史 第1巻 通史1 (住人の組織化)

イシカリ役所は来住の願い出をもとに、永住人と出稼人に区分して許可を与え、前者に家別銭である四半敷役(しはんじきやく,永住人、出稼人ともに出稼人別帳に繰り入れられるが、宗門を書く者は少なく、家内名(家族のほか雇人厄介人など,其旨相心得、御持役人様より御立合の上御改請、当方え相納可被致もの也」(市史一三八頁)とあるので、漁業者(網持出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (共同体意識の成長)

改革初年は網持出稼人だけの集会だったが、のちに広く永住人出稼人の参加が認められた。,このように人別帳ができ、まがりなりにも年貢を納め夫役を負担した永住出稼人を、百姓と呼ぶにはいたらなかったらしい
新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋の漁業経営)

阿部屋の漁業経営 次にイシカリ改革後の漁業経営の実態を網持出稼人の三例からうかがうことにする。,まず場所請負人を罷免され一出稼人となった阿部屋の場合を見よう。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (移住の自由)

安政五年四月十三日、阿部屋伝治郎にイシカリ場所請負の差免を令し出稼人となることを命じ、この日から一漁場経営者,にたずさわってきた引網は原則としてすべて継承できたから、好条件の鮭網場をひきつづき経営するイシカリ最大規模の網持出稼人,をしなくてすむが、これまでのようにアイヌを勝手に労役に使えなくなり(本陣で毎月交代の八人のみ許可)、出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ御用達と問屋の出店)

イシカリ御用達と問屋の出店 イシカリ改革により出稼人の急増をみるが、その多くは資力に乏しく、有力商人,彼らはイシカリ役所の仕事のみにとどまらず、一般出稼人との関係を持たざるをえなかっただろう。
新札幌市史 第2巻 通史2 (市中不況への対策)

そのため不況の実態をさぐるため、松本は六月十三日に開墾掛前田権大主典に「市中脱走等至急に取調」を指令して、出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門の漁業)

勝右衛門の漁業 最後に新規出稼人浜名主勝右衛門の漁業をみることにする。,グループは、イシカリにおける漁業の権利をすべて(三浦)源治らにゆだね、実質的な経営から手を引き、網持出稼人
新札幌市史 第2巻 通史2 (種川の設定と鮭・鱒の保護)

明治に入っても、三年の網持出稼人は上サツホロの三太郎、サツホロ奥の八右衛門のほか、石狩役所直営のハラトウライ
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁法の工夫)

和人の鮭漁法は大半が網によったが、支流では零細出稼人の擉(やす)による鍵引漁も認められた。,網と舟は新規出稼人にとって緊急に用意しなければならない必須の漁具である。
新札幌市史 第6巻 史料編1 (編集にあたって)

安政五年まで石狩場所の請負人であった村山家の史料のうち札幌に関連の深いもの、安政五年から石狩の鮭漁場の出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門のその後)

これが初代浜名主と同一人だとすれば、網持出稼人から名を消したあと、山田文右衛門の雇人として働くことになったのだろう
新札幌市史 第1巻 通史1 (通行屋の整備)

これらの多くは、ユウフツとイシカリ・オタルナイを往復する、漁場の出稼人たちであったろう。
新札幌市史 第1巻 通史1 (阿部屋のその後)

②の処置として再分割されたイシカリの引場は表9の通りで、表6と対比すると、安政改革直後に登場した網持出稼人,表-9 明治3年 網持出稼人 網主 イシカリにおける出稼引場 統数 備考 山田家 浜中(東)、ホリカモイ
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリの繁栄)

イシカリの繁栄 イシカリ改革以降、出稼人が大幅に増加し、越年もするようになった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (産業)

石狩場所改革方取計之儀申上候書附」のうちに、 一  在住召遣農夫為助成鍵取漁差免候ニ付、サツホロ川エ番所壱ケ所足軽附限、其余出稼人漁場
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁獲高)

イシカリ改革後、網持出稼人らは毎年のように不漁を訴えるが、表7のように安政六年は標準高を上回り、各年平均
新札幌市史 第1巻 通史1 (漁間農業の育成)

網持出稼人は使用人の食糧を補うため畑作の必要にせまられ、浜名主勝右衛門は農民を雇ってポンライネに畑を開
新札幌市史 第1巻 通史1 (善光寺)

善光寺 蝦夷地への出稼人、永住人の増加につれ、これまで蝦夷地では三官寺(善光寺・等樹院・国泰寺)に限定
新札幌市史 第1巻 通史1 (本陣)

これは旅行者、出稼人等が増加してきたためであり、また「女召抱」も認められている(五十嵐勝右衛門文書)。
新札幌市史 第6巻 史料編1 (〔村山家資料〕)

 文化十一戌年 文政元寅年 御用通諸品直段定帳   場処境小名里数 秋味鮭漁業高見込ヶ所 鯡場出稼人数
新札幌市史 第1巻 通史1 (その用務)

詳しくは第三節に述べるが、網持出稼人となり、この利益を①②に振り向けるよう見込まれ、⑤の役手当を含めた
新札幌市史 第1巻 通史1 (詰合役人の役割)

漁獲の見込高八〇〇〇石余、運上金は一〇〇〇両の大場所で、漁期には出稼人も増加し、大船も多数繰り込んでいた
新札幌市史 第2巻 通史2 (本府の建設の開始)

また三年一月になると場所請負人の廃止や鮭漁の終了と共に、厚田浜益など諸郡から人足として場所の出稼人が雇
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ役所の創設)

まず最初に着手されたのは、旧請負人である村山家をはじめとし、新たに加わった出稼人への漁場の割渡しである
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼所の設置)

北蝦夷地西海岸通漁業新規切開相成候」(余市町史 第一巻)と、イシカリ役所の触書がだされ、カラフトへの出稼人
新札幌市史 第1巻 通史1 (出稼の諸相)

その出稼人はイシカリ改革直前、イシカリの両隣場所にひしめいていた。,婦女通過禁制を否定し、箱館及び近村から蝦夷地へ出向く者の沖の口改めを不要とし、入役銭を免除、開拓に従事する出稼人
新札幌市史 第2巻 通史2 (島判官の専断)

実際この西地において島は、物資の調達や人足・移民の徴募、永住人や出稼人の保護、新川切開、銭箱新道や黒松内山道
新札幌市史 第1巻 通史1 (勝右衛門)

彼の本籍ともいうべき宗門人別帳の所在は今のところ不明だが、出稼人別帳が二つ知られる。
新札幌市史 第2巻 通史2 (アイヌの「解放」と救恤)

テ本府ノ下知ヲ受ケ、漁業モ同様御引上ゲ御直支配」(開拓使布令録)にし、場所請負人の権限を縮少して他の出稼人
新札幌市史 第2巻 通史2 (衣類の供給)

おおよそこの五段階に分かれていたようだが、これ以外に無尻に髪を藁で束ねた出稼婦女、薩摩袖の垢染みた出稼人夫一隊
新札幌市史 第1巻 通史1 (直場所の経営費)

しかも、その大半は損分として処理され、出稼人への仕込金の回収、直捌にともなう益金など、ほとんど見込めず
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政五年)

漁場取締改等の儀は、其筋事馴候ものの内、人物相撰、雇足軽申渡、万端取扱方為致候処、追々出稼人相増、都合弐拾人余
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム番所)

当時、イシカリでは出稼人・職人・商人も増え、家作がさかんとなっており、建築材にあてられたと思われる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (改革まで)

シャコタンからマシケまで一一カ所に触れ出したのは七月だというが、新方針を明示した石狩漁場条目が永住人出稼人
新札幌市史 第2巻 通史2 (自治のない区)

わると極く淋しくなってしまうようなところもあり、一つの制度が長期にわたって適用できるか疑わしいこと、出稼人寄留人
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロと水戸藩)

その代表格を勤めた勝右衛門は、イシカリ漁業に参入して特権的出稼人の地位を得、さらに蝦夷地内国化に向けての
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫『入北記』(カラフトへ向かう))

]川上ユウフツ境迄ノ里数 十四里半弐丁 元小家ヨリ大川通リチユクヘツフト迄ノ里数 船路十四日程 出稼人数,此場所ハ、秋味ノミ故、秋ニナラサレハ出稼人来ラサルナリ。,当所近来漁業盛ノ由ニテ、土地大ニ賑ヘ、尤出稼人数モ他場所ヨリ多カルベシ。,喜蔵 同所イシカリ境ヨリハマヽシケ境迄ノ里数 海岸道法 六里十八丁 山道道法 七里二丁余 巳年同所出稼人数,此コキヒルハ戸数纔二三、皆出稼人ノ居所ナリ。寂寥ヲ極ム。
新札幌市史 第7巻 史料編2 (解題)

それは移住とおよそ縁の遠い、むしろ出稼人であった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (請負体質の弛緩)

幕府の第二次直轄以来、西蝦夷地海岸への出稼人は急増し、箱館奉行所の積極的な出稼奨励策は、円吉一派の独立志向
新札幌市史 第2巻 通史2 (人口増加と物価高)

これは、明治初年の移民や出稼人の送り出し先とほぼ一致するとみてよいだろう。
新札幌市史 第1巻 通史1 (図版・写真・表組一覧)

漁業経営(収支額と割合) 村山家資料『石狩御場所勘定帳』より (780頁) 表-6  イシカリ改革後の網持出稼人,ユウフツ場所からの出稼(文久2年)『勇武津御場所諸願諸届書留』より (793頁) 表-9 明治3年 網持出稼人
新札幌市史 第6巻 史料編1 (件名目次)

(同年五月)   二〇 傷害事件示談一札(同年五月二八日)   二一 錯  簡   二二 永住出稼人願出浜名主経由
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

阿部屋の漁業経営 山田家の出稼形態 勝右衛門の漁業     三 混迷のイシカリ漁業        出稼人
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