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新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の兼務)
副戸長
の兼務
副戸長
の未設置の村では、平岸・円山村のように設置を求める声が強かった。,市太郎は十二月に総代の任命を求めたが、おそらく人材が乏しかったのであろう、下手稲村
副戸長
管野格に発寒村事務取扱,発寒村の
副戸長
代行である。,管野格は九年二月に上手稲村の
副戸長
も兼務し(四月に辞任)、一時は三村の
副戸長
を兼ねた。,雁来村は市中の戸長が代行しており、諸村に
副戸長
の配置・兼務がみられるようになったが、豊平村は当初副総代 /
副戸長
の兼務
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
開拓使の末端機関として戸長、
副戸長
が四月に設置された。,諸村では以下の
副戸長
の任命がおこなわれた(市史 第七巻九二八頁)。 ,それでも
副戸長
の設置により、諸村の行政機構は一応整うことになる。,
副戸長
は当初数カ村を兼任していたが、間もなく各村にも配置されるようになる。,以上のように五年から六年にかけ、諸村では一様に一人の
副戸長
が配置されている。 /
副戸長
の設置
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵村の副戸長設置)
兵村の
副戸長
設置 琴似村と発寒村は八年、山鼻村は九年に屯田兵が入植すると、兵村の屯田兵のみを管掌する,
副戸長
、総代、副総代が新たに設置された。,琴似兵村には九年六月六日に高島量三が
副戸長
となり、七月二十日に小松勇が総代となった。,同時に発寒兵村には戸石定仁が任ぜられ、
副戸長
も高島量三が十年九月一日に兼務を命ぜられた。 ,山鼻村は九年五月十八日に大堀忠八が
副戸長
に任ぜられる。 / 兵村の
副戸長
設置
新札幌市史 第2巻 通史2
(円山村の副戸長選考)
円山村の
副戸長
選考 開拓使の
副戸長
人選にあたっての態度は、平岸村の例でよくわかったが、もう一例円山村,円山村の
副戸長
は当初阿部仁太郎であった。,それ故、〝戸籍吏〟としての
副戸長
には、識字が要件とされていた。,しかしその後
副戸長
への昇進がないために、九年九月十八日に円山村から五人組長八人、副総代二人より
副戸長
拝命,総代、副総代などにくらべ、
副戸長
は直接開拓使と交渉をもち得る村吏なので、村治上のために村民側にも
副戸長
設置 / 円山村の
副戸長
選考
新札幌市史 第2巻 通史2
(平岸村の副戸長問題)
平岸村の
副戸長
問題 平岸村は
副戸長
が設置されず、副総代が三人という変則な形態をとっていた。,なぜ平岸村には
副戸長
がおかれなかったのであろうか。 ,これには
副戸長
の人選が関係していたようである。,
副戸長
が欠員とされていた。,行方丹治の
副戸長
任命後、増員分の副総代が減員となり、翌八年一月十日に高橋源吾が辞職した。 / 平岸村の
副戸長
問題
新札幌市史 第2巻 通史2
(新副戸長と総代、副総代の設置)
それにかわり従来の
副戸長
が引き続きおかれ、さらに
副戸長
を補佐する公選の総代・副総代が新たに設置された。,
副戸長
は月給七円、総代は五円、副総代は三円が開拓使から給与された。,各村における
副戸長
以下の変遷は表6の通りである。,表-5
副戸長
以下の配置形態
副戸長
総代 副総代 村 名 1人 1人 2人 白石 1 2 円山,琴似,表-6
副戸長
・総代・副総代の変遷(明治7年9月~12年10月) / 新
副戸長
と総代、副総代の設置
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長制と札幌市中の事務)
次いで十一日名主が戸長となり、その余は
副戸長
になることが布達された。,六年一月二十四日市中の戸長副が任命されることになり、戸長に
副戸長
島倉仁之助、
副戸長
に町用掛山口重次郎が,ほかの
副戸長
については以前通りである(同前)。 ,それによると当時置かれていた役員は、市中戸長一人(月給一五円)、
副戸長
三人(同二〇円)、各村
副戸長
一四人,それを区長一人(同二〇円)、戸長一人(同一五円)、上等
副戸長
三人(同三七円五〇銭)、下等
副戸長
二人(同一五円
新札幌市史 第2巻 通史2
(取締の役割)
取締は貫属から開拓使あての諸願書には必ず押印しており、また
副戸長
がおかれてからは
副戸長
のあとに押印している,これは貫属の動向すべてを督察すると同時に、
副戸長
をも配下におく行政官の役割も担っていたことを示す。
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代、副総代の廃止)
それによると四、五、六の各小区に
副戸長
を各一員ずつ配置し、各村の総代、副総代は一員のみに限ろうとするものであった,しかし一時にそれを遂行すると、「因襲之人気何トナク穏カラザル義」につき、一村に
副戸長
一員、総代(副総代,この結果、琴似村に兵村と併立していた
副戸長
は一人とされた。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 区・戸長役場)
一 区・戸長役場 一 町代見習の任免(明治五年一月二五日) 二
副戸長
の任命(明治五年四月七日,町用掛の設置(明治五年一〇月二七日) 五 伍長の廃止(明治五年一〇月三〇日) 六 第一小区
副戸長
,の増員(明治五年一〇月) 七 白石村伍長、平岸村
副戸長
の任免(明治五年一一月一七日) 八 ,市中手代、
副戸長
の任免(明治五年一一月一八日) 九 手稲村伍長の任命(明治六年一月六日) 一,〇 手稲村
副戸長
の任免(明治六年一月一三日) 一一 白石手稲両村の取締を廃止(明治六年一月一四日)
新札幌市史 第2巻 通史2
(伍長制の改変と廃止)
それにかわり各村に二、三人ずつおく、
副戸長
の補助組織としての伍長制が施行された。,伍長は七年九月に廃止され、従来の
副戸長
制とともに廃止となった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(村三役の普及)
しかし、村三役は近世村の組織であり戸長、
副戸長
制の創出にともない廃止されることになった。,明治政府は五年四月九日に、荘屋・名主・年寄等を廃止し、かわって戸籍編成につき戸長・
副戸長
の設置を定めているので,、この太政官布告をうけて間もなくの頃であったが、戸長、
副戸長
の設置の時期とは少しずれがみられる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(取締を巡る紛糾)
同時に
副戸長
制の実施にともない彼を白石村
副戸長
の兼務とし、立場の強化につとめている。,
副戸長
は間もなく六月には、千葉元亨(庄平)、榊原次郎七(八月頃に管野嘉敏と交代)にかわるが、孝郷は取締,取締助は六月に白石村で、安斎篤敬(謹吾)を伍長に(白石手稲取扱書留 道文四五二)、榊原次郎七を
副戸長
に
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の設置)
このため、開拓使でも十二年十月十五日に従来の大小区制に付随する戸長、
副戸長
制が廃止となった。,戸長の顔ぶれをみると、いずれも元の戸長、
副戸長
の経験者が採用されたが、この度は片倉景範が准等外一等(月俸一,村用係は従来の
副戸長
、総代、副総代の経験者が多いが、これは民意の反映というより、実務や村事情に詳しいことにより
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌区役所の成立)
事務分掌 区長 井出正文 権区長 斎藤実昭 役員 戸長 島倉仁之助
副戸長
,役員 副区長 高木宗三郎(第1大区1・2・3小区副区長) 戸長 管野宜静
副戸長
,大区区務所役員 役員 副区長 高木宗三郎(第1大区副区長) 戸長 山口重次郎
副戸長
,年12月頃の第1大区区務所役員 役員 区長 重久安都男 副区長 高木宗三郎
副戸長
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場と戸長)
元右衛門は庚午一ノ村組頭以来、苗穂村の百姓代・伍長・
副戸長
など数々の公職に尽してきた。,次の小熊善右衛門も札幌村の組頭・名主・
副戸長
・村用係などをつとめてきて、両人はいわば〝たたきあげ〟の在地役人
新札幌市史 第2巻 通史2
(壬申戸籍の作成)
開拓使は府県と同一の日時に調査が実施できない旨申し出、まず五年二月市在役人を廃して戸長を置き、四月戸長
副戸長
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の任命)
戸長の任命 開拓使では小区毎に
副戸長
の配置をし村落の広域行政を意図していたが、やや変則的な方法とみられる
新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村の成立)
この時下手稲村の
副戸長
に管野格が任命されており(市史 第七巻九四四頁)、これ以前にすでに上手稲村には伊東信正,この
副戸長
設置をもって下手稲村成立の時期と考えられるのである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村の伍組と伍長)
これらは毎月末に戸長(白石村では
副戸長
)に提出し臨検を受けた。,ただ、勧農規則では伍長は戸長の指揮下におかれていたように、戸長・
副戸長
制にともなう村落行政の末端組織として
新札幌市史 第2巻 通史2
(村費)
この頃の村政事務は、各
副戸長
(ないし総代)の自宅にて行われており、炭・油・蠟燭代などについて〝公私混同,にしても、平均一カ月三円あたりが基準であったようだが、四円や二円というところもあり、給料の額の決定なども
副戸長
新札幌市史 第2巻 通史2
(組頭坂野元右衛門)
組頭坂野元右衛門 ここで組頭の一人に任ぜられたのは、後に苗穂村の
副戸長
などをつとめた坂野元右衛門である
新札幌市史 第2巻 通史2
(組頭から村三役へ)
表-2 村三役の変遷 写真-3 小熊善右衛門の履歴書(部分) 組頭・名主・
副戸長
の任免が記され
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村の成立)
於此戸長島倉仁之助、
副戸長
某等四、五名ト協議シテ河ノ両側若干歩ヲ私有セン事ヲ願フ。,六年五月に金沢県から権大属河崎曽平、金沢町戸長林顕三、
副戸長
宮崎豊次が来道した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(大小区制の導入)
五年四月太政官布告一一七号で、従来の町村役人を廃止し戸長・
副戸長
と改称することとして、従来の町村役人の
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
・手稲村と貫属取締 取締の役割 取締を巡る紛糾 第二節 村落の行政機構…295 一
副戸長
制,と伍長
副戸長
の設置 白石村の伍組と伍長 伍長制の改変と廃止 二 新
副戸長
と,総代、副総代 新
副戸長
と総代、副総代の設置 平岸村の
副戸長
問題 円山村の
副戸長
選考 兵村,の
副戸長
設置
副戸長
の兼務 村費 地価創定 総代、副総代の廃止 戸長の任命
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
札幌郡では市街および篠路・札幌・琴似・丘珠・白石・上下手稲・発寒・上白石・月寒・雁来・平岸村の各
副戸長
新札幌市史 第2巻 通史2
(建設ブームのかげり)
松本大判官は、この惨状を打開するべく同年七月十二日付で札幌市中正
副戸長
に宛て、「演舌書」を出し、「業間耕圃
新札幌市史 第2巻 通史2
(その他の村落)
2.白石の月給は
副戸長
としての額。 3.『開拓使公文録』(道文5816)より作成。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の到着)
この中に清次郎がみられるが、後に雁来村
副戸長
となる伊藤清次郎であろう。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
の増員(明治五年一〇月)…930 七 白石村伍長、平岸村
副戸長
の任免(明治五年一一月一七日),…930 八 市中手代、
副戸長
の任免(明治五年一一月一八日)…930 九 手稲村伍長,の任命(明治六年一月六日)…930 一〇 手稲村
副戸長
の任免(明治六年一月一三日)…931,で開墾局詰(明治六年二月)…933 一八 月寒村
副戸長
伍長の任免(明治六年三月一七日)…933, 一九 市中戸長の任免(明治七年一月四日)…933 二〇 札縨町、白石村
副戸長
の任免(
新札幌市史 第2巻 通史2
(養蚕・製麻の奨励)
次の市在正
副戸長
あての達も養蚕奨励の実状を伝えるものの一つである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕府の倒壊と大友亀太郎の去就)
その後は、若森県(現在の茨城県の一部)、島根県、山梨県の官吏を歴任し、明治七年(一八七四)帰郷して
副戸長
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
しかし開拓使は同四年九月戸籍調査期限を府県と同一に実施され難い旨を開申し、五年四月、戸長、
副戸長
を戸籍調査委員
新札幌市史 第2巻 通史2
(「解放令」の影響)
札幌では六年二月一日頃から人身売買厳禁の布告を管内に布達する準備がすすめられていたようで、戸長、
副戸長
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
市街並びに各村の成立時から明治十年現在に至る移住状況、地形地質、水陸の便不便、着産の目途などを踏まえた各
副戸長
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 社会・生活)
(明治六年六月二四日) 二二 本庁上棟式に付人民構内官舎等縦観を許す(明治六年七月二日) 二三
副戸長
入札
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌官園)
は御手作場、一号園、官園、育種場などいろいろあるが、官園については六年六月開拓使開墾局(ママ)から正
副戸長
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
請負師)、佐藤金治(開拓使の使部、のち荒物屋)、島義勇(開拓判官)、清水三次郎(龍助の従者、旅籠屋、
副戸長
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
その後若森県(現在の茨城県の一部)、島根県、山梨県の官吏を歴任し、明治七年(一八七四)帰郷して
副戸長
、
新札幌市史 第8巻1 統計編
(3札幌区の統計事情)
1872年(明5)の戸籍作成にともない,市在(札幌市中・村落)には開拓使の末端機関として戸長,
副戸長
が,同年10月には従来の大小区制に付随する戸長・
副戸長
が廃止され,1880年2月新たに札幌区に7人の戸長が
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
293頁) 表-4 伍長の変遷『新任戸長明細短冊』(道文3879)等より作成 (298頁) 表-5
副戸長
以下,の配置形態『新札幌市史』第7巻,940頁による (299頁) 表-6
副戸長
・総代・副総代の変遷『開拓使公文録
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
開申し,12月に各郡に戸籍調査委員を派遣,明けて72年4月各郡に同委員をおいて戸籍事務取扱とし,戸長
副戸長
,年1月25日「戸籍取調等ニ而特御用多之折柄」町代見習2名を任命し,同年5月市在役人を廃止しさらに戸長
副戸長
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