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新札幌市史 第5巻 通史5上
(創成川畔露店問題)
創成川
畔露店問題 新しい札幌駅とステーションデパートの開業に象徴されるように、札幌の商業は昭和二十六,同年六月十八日には市と市警が
創成川
畔の露店即時撤去方針を露店業者に通告した(道新 昭27・6・19)が,を露店指定地にすることを支持するものもおり、七月三日に設置された露店対策特別委員会でも、
創成川
畔を指定地,の三分の一にも満たなかったため(道新 昭28・7・19)、結局はもとの
創成川
畔に舞い戻る露店商が多く、,しかし市側はあくまで
創成川
畔を露店指定地とする案に反対し、結局九月十二日市露店整理対策委員会で
創成川
畔 /
創成川
畔露店問題
新札幌市史 第2巻 通史2
(祭典区の設置)
表-1 札幌神社区祭祭典区割 区 地 域 第1区
創成川
西 大通南側より南三条北側まで
創成川
以西一円,第2区
創成川
西南三条南側より西南一円 第3区
創成川
東大通南側より東南一円 第4区
創成川
東西大通以北一円,区とも異なっていて明らかにし得ないが、祭を担う商人層の集中している大通南側を若干細分し、その層の薄い
創成川
東側
新札幌市史 第4巻 通史4
(橋梁の整備)
9 架換 南2条橋,桑園橋,古川橋 10 架換 新川橋,北古川橋,植物園前橋2ヵ所 11 新設
創成川
北,条橋 13 架換 山鼻橋 昭元 架換 北4条橋,北5条橋 2 架換 北2条橋,北5条橋 新設
創成川
筋北,,南9条橋 4 架換 北10条橋,豊平5条橋(4号用水),新川橋(農事試験場前) 5 架換
創成川
豊水橋,,藻岩村界橋 6 架換
創成川
南大通橋,鴨々川白鶴橋,北14条橋 7 架換
創成川
南2条橋,
創成川
鴨居橋
新札幌市史 第2巻 通史2
(物流の拠点)
御用船弘明丸、豊平丸に積み換えて石狩へ、さらに石狩川を遡って篠路へ、そこから曳き船で伏古川、大友堀、琴似川、
創成川
,したがって三年五月開拓使用達となった木村万平も、回漕店を
創成川
を挟んで本陣の東側に開いている。,また二、三年頃に建設した開拓使の官宅官邸、後の官営の倉庫工場群も
創成川
に沿って設営された。,商業移住の店々も、大通の南側の民地にあって、
創成川
沿岸を中心に展開していく。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の水運)
なお佐々木の建言で開削された新川は、七年に豊平川からの取水口に水閘を付設した際に
創成川
と命名された(開拓使事業報告,この
創成川
は、大友堀の農業用水路の役割、佐々木以降の輸送路と湿地排水路の役割、そして工業局設置後は工業用水,のように十九年原野排水運河設備として、琴似川から茨戸へ直線的に水路(琴似新川と呼ばれた)が開削され、現
創成川
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市への編入運動)
札幌村と札幌区は、北一二条以北を
創成川
をもって境界(札幌村は
創成川
以東、札幌区は以西)としていたが、
創成川
,発展上札幌村を区編するに関し本会は極力之れに後援する事」を決議しており(北タイ 大10・3・12)、
創成川
両岸,続いて十一年一月二十九日の区会でも、 同シ鉄北ニ於テモ西部〔
創成川
以西〕ハ已ニ北二十四条迄アルニ、東部,第一二区の後背地である
創成川
流域の新川添が、札幌村から札幌市へ編入されることによって第一二区の発展も見込
新札幌市史 第4巻 通史4
(第一期下水道及び側溝敷設工事計画)
第一区は
創成川
流域で、西五丁目線以東東二丁目以西を
創成川
流域とし、市の中央部を抱擁して南北に縦貫し、ここに,表-19 下水道路線一覧と施工年(第1期) 第1区
創成川
流域 路線名 施工 区間 西2丁目線 昭2,同線1号 4 北6~16間 北16西5~
創成川
間 同線2号 4 北16~20間 北20西,5~
創成川
間 北5条線 2 西4~1間 東2丁目線 3 南5~北8間 東2丁目北線 2 北8~12,間 東4丁目北線 4 北8~12間 北12東4~
創成川
間 第2区 琴似川流域 西6丁目線 3
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌祭と見世物)
札幌神社といっても、子供の頃は、遠い円山の宮の森の神社にお詣りにいった記憶はなく、すぐ町中を流れる
創成川
,(郡司正勝
創成川
上の見世物の思い出) 大正二年生まれの演劇研究者、郡司正勝は大正期の札幌祭の雰囲気,
創成川
は、「全国的に有数な、見世物が集まる場所」であったのだ(郡司正勝 人形と人形芸)。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(グラビア)
の都心部(昭和32年10月1日) 6 望楼から西(大通)を望む(昭和26年) 7 望楼から北(
創成川
通,)を望む(昭和26年) 8 望楼から南(
創成川
通)を望む(昭和33年6月) 変わる市民生活 9 ,昭和22年7月17日の「食糧よこせデモ」 主食欠配60余日におよび市民約4000人が参加 10
創成川
沿
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌神社祭典)
天鎦目之命 6区 南3新川以西南4全部及び山鼻町第2第3両区の続き場所を除き全部 7・0 楠正成 7区
創成川
以東大通以南豊平川西全部,11・1 源義経 8区 豊平町上白石町全部 4・0 底抜け屋台 9区 大通以北鉄道線路まで,
創成川
以東苗穂町全部,10・5 素盞之尊 10区 大通北側鉄道線路境まで,
創成川
以西全部 14・0 村上義光 11区 鉄道線路
創成川
以西全部,4・5 (未定) 12区 鉄道線路以東4丁目まで,及び元村町
創成川
以東 4・5 (未定) 『北タイ』,また
創成川
沿いに所狭しと軒を並べた見世物小屋のうち、申告された興行揚高(三日間の総計)の多いところをあげると
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街大下水の整備)
二十年の札幌区内道路開削及び大下水開設の事業により、胆振川から西三丁目通を南北に大通まで、そこから東へ
創成川
,二十二年から二十三年にかけては、
創成川
以東の道路横切りの下水工事を行い、さらに二十三年には南六条西五丁目
新札幌市史 第4巻 通史4
(中正会と東方和合会)
中正会は第十祭典区(大通以北鉄道以南、
創成川
以西)を地区とし会の目的は、 会員相互の交誼を厚ふし、札幌区,同会は
創成川
以東の祭典第七区を地区とし、初見は明治四十五年であるが、「古くより……一勢力を形造り区政其他,日露戦争が開戦となった明治三十八年二月に
創成川
以東各町の婦人たちにより、出征軍人遺家族救護の目的で東方婦人講
新札幌市史 第3巻 通史3
(区域と住民)
北端は
創成川
と琴似川の合流点で、今日の
創成川
下水処理場の北側にあたる(図2―ア)。,
創成川
の北一二条橋からは河道にそって北上し、起点(ア)につながるまでを境界とし、境界に囲まれた土地を区,その一つは
創成川
と琴似川にはさまれた北区北二六、七条以北の帰属問題である。,明治二十年、道庁で札幌区と琴似村の境界測量を実施し、
創成川
第二水門西方坂清松居宅の南端を基点とし標木を,ところが三十二年区制施行時に道庁では区の境界を
創成川
と琴似川の合流点に求め、この土地を区に含めたようで
新札幌市史 第3巻 通史3
(下水の整備)
明治三十三年二月、大通以北西四丁目筋北五条通
創成川
までの石造大下水開削の工事入札が行われた(道毎日 明,おそらくこのような経過を踏まえてであろう、翌三十四年九月、北四条西四丁目から北進し、北八条で東進して
創成川
,南七条以北西一五丁目以東札幌村界までの区域を一四の区域に分割し、各区域内の汚水や雨水を下水管に集め、豊平川・
創成川
新札幌市史 第5巻 通史5上
(都市計画街路の整備)
創成川
畔緑化(24)、豊平三丁目通街路拡張(24)、東十二丁目通街路拡築(24)、東七丁目街路拡築(24,豊平三条線一二、一三丁目)(30~31)、月寒街道街路改良(南四条線西四~西八間)(28~30)、その他
創成川
緑地帯造成
新札幌市史 第2巻 通史2
(清潔法の実施)
四ブロックとは、大通以南
創成川
以東、大通以南
創成川
より西新川まで、大通以南新川より以西、大通以北全市街
新札幌市史 第2巻 通史2
(水車器械所)
深さ七尺余、幅九尺、横一丈八尺に掘り下げ、水積一九四四立方尺の水槽を設け径四八インチの元車を装置し、
創成川
,十一年十二月、
創成川
の水が凍って水車運転も不能となった。このようなことは毎年約三カ月間繰り返された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(住民と公民)
井然トシテ宛モ碁局ノ如ク、中央ニ於テ東西ニ貫キタル一帯ノ広衢ハ火防及逍遥ノ地ニシテ、之ヲ大通ト称シ、
創成川
其南北,大通ヨリ南北ニ数ヘテ南一条、北一条ト称シ、
創成川
ヨリ東西ニ数ヘテ東一丁目、西一丁目ト云フ。,区画は井然として碁局の如く、中央に於て東西に貫きたる一帯の広衢は火防及び逍遥地にして、之を大通と称し、
創成川
其,大通より南北に数へて南一条、北一条と称し、
創成川
より東西に数へて東一丁目、西一丁目と云ふ。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(下水道網の整備と終末処理場の建設)
このアメリカ軍の垂れ流しにかぎらず、工場排水や札幌市民の生活排水をほとんど
創成川
、伏籠川、豊平川、琴似川,それと共に三十八年の
創成川
終末処理場建設開始を皮切りに表11にあるように昭和四十八年中までに七カ所に処理場,下水道終末処理場 処理場名 処理能力 m3/日 運転開始 年月 野津幌川 3,000 昭41.9
創成川
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌・茨戸間、花畔・銭函間運河開削)
十九年に
創成川
はさらに琴似川から茨戸まで開削されて茨戸まで通じた。,これで現在の
創成川
は原形が完成した。,この運河のうち
創成川
にあたる部分は途中に水閘門の設置などを行って、その後昭和期まで利用された。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(建設事業と住民との軋轢)
例えば
創成川
幹線道路建設に際し、石狩街道(国道二三〇号線)との間にはさまれ孤立する北八条から十三条の商店街,石狩街道
創成川
沿線開発期成会が四十四年一月二十日に結成され、移転補償問題をめぐって市と協議が続けられ、
新札幌市史 第4巻 通史4
(都市計画風致地区)
都市計画風致地区 決定された風致地区は、1大通、2清華亭、3
創成川
通、4大学雁来通、5伏籠西公園通、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(広がりの中で)
大通公園・北一条通と
創成川
が交差する市の中心部には、明治三十年代後半から昭和初期(一九〇〇年代後半~一九三,いずれも大通・
創成川
に面し独特の画題となっていた光景であったが、姿を消した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(運河跡の破壊)
運河跡の破壊 この運河の跡は、札幌・茨戸間は
創成川
として改修されて残り、花畔・銭函間の部分もほとんどが
新札幌市史 第2巻 通史2
(口絵)
しかし札幌の町屋が
創成川
から渡島通(南1条通)を中心に発達した様がよくわかるなど、全体としては当時を知
新札幌市史 第3巻 通史3
(中正会)
しては出来得る限りの至情を表する」(北タイ 明39・1・28)ことを目的に、祭典区第十区(大通以北線路内
創成川
以西各町
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌の橋)
その後豊平川、胆振川、
創成川
の整備にあわせて各通に橋がかけられていった。 ,十七年、胆振川、
創成川
など市街を流れている河川にかかっている橋にそれぞれ名前が付された。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(下水道の拡充)
茨戸処理場の雨水滞水地(平3運転開始)、北二六条から
創成川
処理場までの地下に内径五メートルの大下水管を,埋設して雨天時や融雪時の貯留管とする
創成川
雨水貯留管(平9運転開始)の整備が行われた(札幌市下水道局 ,53・6)、拓北処理場(昭59・9)、その他に一七カ所のポンプ場、汚泥処理施設四カ所、下水道科学館(
創成川
処理場敷地内
新札幌市史 第5巻 通史5上
(道路・橋梁の整備)
表-4 架換橋梁名(昭和20~30年) 年 橋梁工事 20 南9条橋,新川橋,
創成川
北4条橋,
創成川
北
新札幌市史 第1巻 通史1
(御手作場)
また、その際掘削された堀(大友堀―
創成川
の原型)は、従来一般にいわれているような給水用としてではなく、
新札幌市史 第1巻 通史1
(吉田茂八)
明治四年(一八七一)に開削された、南六条より南三条までの堀割(現
創成川
)は、吉田堀と称され特に名高い。
新札幌市史 第2巻 通史2
(回漕店を開く)
また
創成川
沿い(南一東一)に運漕店を設け、伏木友七、大谷長七を派遣して輸送物資の荷役を取扱わせた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(闇市対策)
一方市や警察は、随時狸小路や薄野、
創成川
畔の闇市の取り締まりを行ったが、闇市の露店商のなかには、復員者,八月こそ市当局が取り締まりを強化をしたため、なりを潜めていた闇商人たちも、翌九月になると再び狸小路、
創成川
畔,昭和二十三年三月三十一日を期限として狸小路市設露店市場を閉鎖することとし、その跡地には小公園を設け、これを含む
創成川
両岸
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『札幌市建設五年計画』の策定)
東橋~雁木,一部路線変更・拡幅・舗装・立体交差 北回り高速道路 新国道整備 札幌新道 宮の沢~
創成川
,,改良・舗装 札幌小樽道路 宮の沢~小樽,改良・舗装
創成川
高速道路 新国道整備
創成川
幹線
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉄北の住民組織)
創成川
以東の第十二区では、昭和二年五月二十八日に同地区の「施設に関し適切なる調査と研究を遂げ、対策を講
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市民自治のための市政改革)
十一月十四・十五日には札幌駅前通地下歩行空間と
創成川
通再整備を検討する「市民一〇〇〇人ワークショップ」
新札幌市史 第2巻 通史2
(御用火事と町区画の変更)
これらから市中を流れる胆振川や後の
創成川
にあたる川近辺の地所について、なんらかの変更がなされていることが
新札幌市史 第4巻 通史4
(大下水と小下水)
この区間の施工状況を詳しく見ると、「
創成川
取水口大水門下流約二十間の地点から鉄筋コンクリート管を敷設し,10 東2北5間,北8東2~4間,東4北8~11間,東4
創成川
間延長785間。
新札幌市史 第4巻 通史4
(市域の拡大と新町名付与)
また十七年には
創成川
と街区画のずれにより西一丁目と西二丁目が
創成川
により分断される地帯の字名変更がなされた,表-7-⑤ 札幌市字名変更一覧 新字名 旧字名 北12東1 北12西1の一部(
創成川
以東) 北13東1
新札幌市史 第4巻 通史4
(市域)
図1のアの地点は
創成川
と北区北二七条の交点で、イとともに市域の北端である。,区役所北側にあたる北一二条と北一一条の境をなす道路を東へ向かい、
創成川
と合する地点がスで、区図のクと同一地点,ここから
創成川
にそって北進し、出発点のアに至る。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌まつり)
人気を集めたのは、華やかな神輿渡御(みこしとぎょ)と山車(だし)行列、
創成川
沿いの見せ物小屋や露店、デパート・
新札幌市史 第2巻 通史2
(下水の整備)
二十一年中の開削予定路は、一つは西三丁目より大通を折れ
創成川
に通ずる七五二間、一つは西二丁目に通ずる五六四間
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺の原野排水)
表-6 原野排水治水表 19年度 札幌原野排水(
創成川
の一部となる琴似新川とそれに付属する二筋の疎水渠
新札幌市史 第2巻 通史2
(町区画を示す図)
また地形については、第一に胆振川が後の北二条まで北流し、そこから東流していること、第二に現在の
創成川
も
新札幌市史 第5巻 通史5下
(都市再開発方針の策定)
都心中心、琴似中心、苗穂中央、中央東、中央東
創成川
右岸沿、国鉄桑園駅周辺、鉄東地暖プラント周辺、菊水一
新札幌市史 第5巻 通史5下
(都心まちづくり計画)
のための六つの方針を示し、まちづくりのために、にぎわいの軸(駅前通)、はぐくみの軸(大通)、やすらぎの軸(
創成川
通
新札幌市史 第5巻 通史5上
(屎尿処理)
同年四月に初の大規模「
創成川
下水処理場」が完成したことから、六月に屎尿のポンプ圧送方法の下水道投入が実施
新札幌市史 第4巻 通史4
(火防体制)
札幌市では、昭和二年
創成川
畔豊平館前に消防本部と「百三十余尺」(約三九メートル)の大望楼を建設して火防体制
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市民による街づくり会議)
他に、大通および
創成川
地区の街づくりに関わって「都心のまちづくりを考える市民フォーラム」が二回開催され
新札幌市史 第2巻 通史2
(道路・排水溝・風防林)
それまで
創成川
は北区中島橋の地点で琴似川と合わさり東流し伏古川に落ちていたが、これを中島橋から北方に新流路,一つは今日消滅したが新琴似兵村風防林東端から
創成川
沿いに幅二八間、延長三三三間のものがあり、二つ目は安春川
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