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新札幌市史 第4巻 通史4
(北光幼稚園)
北光
幼稚園 大正期に入り、三年五月には柴田長尾が私立二葉幼稚園を北七条西六丁目に開園した(北タイ 大,続いて、九年四月には大通西一丁目にあった組合教会の附属幼稚園として
北光
幼稚園が開園した。,八年一月の組合教会の総会で決議され、同年六月に開設した教会学校(日曜学校)幼稚科がその母体となった(
北光
幼稚園 /
北光
幼稚園
新札幌市史 第5巻 通史5上
(『礫(つぶて)』と北光星)
『礫(つぶて)』と
北光
星 昭和三十一年一月、厳しい風土に根ざした開拓精神をもって生活を基盤とした抒情,を開花させることを目的に、
北光
星を中心に鈴木光彦、高橋庄次、中村還一、中村耕人、松平幸雄、南利一らによって,そのあと『扉』『道』と誌名を改めて
北光
星の意志が引き継がれた。 / 『礫(つぶて)』と
北光
星
新札幌市史 第5巻 通史5上
(上水道拡張の開始)
二十三年度には円山地区の南一~北二条間西二〇~二二丁目の区間に配水管増設、二十四年度には豊平、
北光
、苗穂三地区,表-9 第一次配水管拡張事業による事業区域(昭和25年以降) 年 事業区域 25 円山,幌西,鉄東,
北光
,,山鼻 26 東橋,
北光
,幌北,白石,苗穂,豊平 27 桑園,幌北 28 円山,幌西,幌北,
北光
,山鼻,,豊平 29 円山,豊平,山鼻,桑園,
北光
,中島,幌北 30 幌西,幌北,豊平,山鼻,藻岩下,桑園 31,,南円山,宮の森,菊水上町 32 山鼻,桑園,南山鼻,豊平,南円山,幌北 33 南円山,幌北,菊水,
北光
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時体制と幼稚園)
私立
北光
幼稚園では十八年三月に教会堂や牧師館とともに園舎も陸軍被服廠札幌出張所に接収された(創立60周年記念誌,日本メソジスト札幌教会はその経営母体である
北光
教会に対して、私立明星幼稚園の園舎を提供した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(敗戦直後札幌の諸教会)
ただ、札幌市内には陸海軍によって
北光
・大通・北八条・天主公教北一条の各教会が、会堂などを接収されていた,北1東1 日本基督教団/札幌教会 札幌北一条教会 北1西6 日本キリスト教会/札幌北一条教会 札幌
北光
教会,▼ 大通西1 日本基督教団/札幌
北光
教会 札幌北八条教会▼ 北8西6 日本聖公会/札幌キリスト教会 札幌山鼻教会,
北光
教会は、十二月に会堂が返還され、同月二十三日復帰感謝会と聖誕節(クリスマス)礼拝を行って復帰を祝った
新札幌市史 第5巻 通史5上
(し尿処理場と塵芥処理場)
北海道内初といわれる
北光
処理場の建設をはじめとして、札幌市のし尿処理場は、以下のように四十七年で六カ所,
北光
処理場(北28東1)は処理能力一日九〇キロリットルで、三十年九月竣工、処理方法は加温式消化処理。,写真-3 「完成した
北光
し尿処理場」(北28東1) ゴミ処理場は焼却処理をする施設と埋立処理をする
新札幌市史 第4巻 通史4
(教会の消長)
札幌日本基督教会(北一条教会)と札幌組合基督教会(
北光
教会)の朝礼拝出席者数の推移(図1)は、戦争の進行,一回平均) 大正11年度(1922)~昭和20年度(1945) 『札幌北一条教会創立六〇年史』,『
北光
教会七十年,の歩み』,
北光
教会統計などより作成。
新札幌市史 第4巻 通史4
(桑園幼稚園の一時閉園と再開)
この時期の園児数の減少は他園も同様であったが、若葉幼稚園では六三人、
北光
幼稚園では七一人、山鼻幼稚園では,卒園園児数 保姆数 男 女 計 男 女 計 若葉幼稚園 20人 10人 30人 12人 6人 18人 2人
北光
幼稚園
新札幌市史 第5巻 通史5上
(政府声明後の生産管理)
北光
精機や、戦中期に企業整備で設立された北海道自動車販売の争議は、政府声明を機に全国的に生産管理戦術が,
北光
精機争議は、道地労委の斡旋により組合側の全面勝利で終結するまでの間、資材の入手や製品処分、賃金支払
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各層への浸透)
北光
教会も二十三年頃、日本通運、円山病院、国鉄苗穂工機部、札幌第一高校(現札幌南高)、札幌電信局、札幌師範学校,また
北光
教会では、医療伝道と称して栗沢村志文、月寒、啓明院、丘珠の外地引揚者収容所に赴いた。,これは占領軍より薬品を受け、軍のチャプレン(従軍牧師)の夫人から車の提供を受けて行われたという(札幌
北光
教会七十年
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
日本基督教団札幌教会『川畔の尖塔─札幌教会七五年史─』、日本聖公会北海道教区『教区九十年史』、『札幌
北光
教会七十年,札幌独立教会日誌』『札幌独立基督教会日誌』(明治三十三年~四十一年)、『大挙伝道札幌五教会運動記録』(札幌
北光
教会蔵,青山学院資料センター蔵)、『日本メソヂスト東部年会記録』第1~16回(同上蔵)、『婦人新報』、『北海之光』(
北光
社,聖公会北海道教区事務所提供)、『北海教報』(札幌独立キリスト教会蔵)、『北海光』(札幌組合基督教会、札幌
北光
教会蔵,)、『
北光
』(同前)、『光明』(フランシスコ修道会)、『北海メソヂスト』(日本基督教団札幌教会蔵)、『
新札幌市史 第5巻 通史5上
(屎尿処理)
この処置は三十年の化学的浄化処理方式の
北光
処理場が完成するまで続行した。,二十八年に建設に着手した
北光
処理場(道内初)が三十年に完成、三十二年に屎尿の衛生処理が三九パーセントとなったのに
新札幌市史 第5巻 通史5上
(全国に羽ばたく合唱)
NHK学校音楽コンクール全国大会で四十一年に
北光
小(指揮牛島君宜)が第一位、四十六年と四十七年に創成小
新札幌市史 第4巻 通史4
(受難事件の発生)
札幌でも
北光
教会に属していた北大外国人教師ハロルド・レーン、ポーリン・レーン夫妻が、知人の北大学生宮沢弘幸,
北光
教会の牧師椿真六は、『日本精神と基督教』(昭9)を著すなど、かねてから天皇や神社への尊崇とキリスト,教信仰の一致を主張し、国策への順応を説いていたが、その椿牧師もまた同教会機関紙『
北光
』に掲載した記事「,このほか、市内のキリスト教教職者では、豊水教会の張田豊次郎、
北光
教会代務者木村清松が逮捕され、数日留置
新札幌市史 第4巻 通史4
(太平洋戦争の勃発と教会)
太平洋戦争の勃発と教会
北光
教会(この名称を正式に名乗ったのは昭和十七年一月)牧師椿真六は、対米英開戦,
北光
教会の年間標語も、前年の「良心聖化」から「必勝」となった。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郊外に生まれる繁華街)
31 昭33 昭35 昭39 昭41 昭43 昭45 北栄 … … … … 31 49 68 103
北光
,昭和35年の「
北光
*」は北栄と
北光
の合計。昭和35年の「幌北*」は北と幌北の合計。
新札幌市史 第4巻 通史4
(会堂の接収と終戦)
対象とされたのは
北光
教会の会堂と幼稚園で、同教会は北一条東六丁目の札幌教会明星幼稚園舎を借りて仮会堂とした,
北光
教会の『教職日誌』には、この日「陛下のラジオ放送拝聴(戦ひは終れり)」と短く書き込まれた。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(靖国問題をめぐって)
されている札幌キリスト教連合会信教の自由を守る委員会は法案阻止をめざして、五月十八日から大通公園に面した
北光
教会前,
北光
教会の外壁には、「宗教を戦争に利用する 靖国神社国営化反対」の垂幕が掲げられた。
新札幌市史 第4巻 通史4
(文化団体の叢生)
昭3)、全北海道樺太写真聯盟(昭3)、日本漫画家聯盟北海道支部(大15)、中島オーケストラ(昭3)、
北光
,大正十二年九月に結成された札幌音楽協会について、『北海道年鑑』(昭3)では、「
北光
トリオの田上(義也),「札幌の生んだアンサンブルの代表的室内三重奏団」と『北海道年鑑』(昭3)に紹介される
北光
トリオは、大正十二年,大正十三年二月九日に豊平館楼上のホールを満員の観衆でうめた札幌音楽協会主催の音楽会は、
北光
トリオのおひろめでもあった
新札幌市史 第3巻 通史3
(文芸同人誌刊行の盛行)
ついで三十九年早々に、前述のように山本露滴が『
北光
』を発刊したが、『北海タイムス』には「
北光
の発行」の,見出しで「山本露滴君の主裁せる
北光
第一号出づ、満紙色刷りの中々念の入りたるもの、未完の文章多きが此雑誌
新札幌市史 第5巻 通史5下
(埋蔵文化財調査と保存)
埋蔵文化財調査室は最初、時計台に入居していたが、五十一年に
北光
小学校の空き教室へ移転するなどしていたが
新札幌市史 第5巻 通史5上
(市内の物価)
では、住宅街の北円山地区では食肉類が一番安く、市の中心部や豊水地区は一般的に物価高、一方工業地帯である
北光
,表-18 札幌市内の小売価格(昭和25年) (単位:円) 品目
北光
東北 桑園 北円山 豊平
新札幌市史 第4巻 通史4
(児童美術展覧会)
小学校別に記すと、札幌山鼻校三三点、東橋校五点、北九条校六五点、東北校一六点、東校三二点、桑園校二三点、
北光
校五五点
新札幌市史 第3巻 通史3
(北星女学校・幼稚園・日曜学校)
同年六月、組合教会が教会学校(日曜学校)附属幼稚科の保育を開始し、翌九年四月附属幼稚園(のち
北光
幼稚園,札幌日曜学校部会統計表」では、六教会の在籍生徒数一一〇九人、毎週の出席者数平均七四三人となっている(
北光
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
『山鼻カトリック教会三十年のあゆみ』、日本基督教団札幌教会『川畔の尖塔-札幌教会七五年史-』、『札幌
北光
教会七十年,メソヂスト』(日本基督教団札幌教会蔵)、『札幌教壇』(同上)、『独立教報』(札幌独立キリスト教会蔵)、『
北光
,』(札幌
北光
教会蔵)、『救世軍[札幌]小隊歴史』(同小隊蔵)、北海道庁社寺兵事課『宗教団体法事務必携』
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉄北の住民組織)
以上の他にも、鉄北地区には町内会的なものを含めて四丁目会、
北光
和親会、北九条会、北十条会、北星協和会などが
新札幌市史 第3巻 通史3
(社会活動の諸相)
」との前提で、「公平なる(富の)分配をなすべき機会の均等」を求めて「其解決を進めなければならない」(
北光
,組合教会の『
北光
』紙上でも、たびたび社会問題としての労働問題を取り上げているが、例えば牧師の海老沢亮(
新札幌市史 第5巻 通史5上
(住宅団地の建設)
鉄東 16,263 16,659 20,549 23,003 22,911 22,198 鉄東区
北光
,7,685 11,443 21,250 27,484 32,223 31,268
北光
区 元町支所
新札幌市史 第5巻 通史5上
(軍政部の初期の学校視察)
しかし
北光
国民学校では、二十一年三月二十六日に視察を受けた学校より、「工作室ニ工作用グライダー模型ノ残片
新札幌市史 第3巻 通史3
(大通の景観)
北大通西一二丁目に石造二階建の札幌地方裁判所庁舎が落成、翌二年南大通西一丁目にレンガ造の日本基督教団札幌
北光
教会会堂
新札幌市史 第5巻 通史5下
(女性たちが担い手に)
中村久子は「昴の会(すばるのかい)」中心メンバーであり、その出発点は四十年、
北光
幼稚園の母親たちの読書会
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌音楽協会)
=ピアノ)によるバッハの「春のめざめ」、レーク夫人によるソプラノ独唱、シューベルト「魔王」、そのほか
北光
新札幌市史 第5巻 通史5下
(カルチャー教室の隆盛)
の講師は、短歌は山名康郎、内田弘、森輝子、菱川善夫、堀井美鶴、松川洋子、鎌田和子ら、俳句は木村敏男、
北光
星
新札幌市史 第5巻 通史5上
(広がりの中で)
四十三年には大通西一丁目の赤れんが造りの会堂を持つ
北光
教会が、敷地の西半分を売却し新会堂を建築した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(「札幌の教会、教会の札幌」)
の記述や伝統的教理をそのまま受け容れること(「字義的解釈」、既成の権威の絶対化)の克服が必要である(
北光
,南1条(大通) 西1丁目 大正2年 (1913) 昭和43年 (1968) 日本基督教団札幌
北光
教会
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌基督教会同盟の発足)
必要が生じたり、区内を七区に分けて行ってきた聯合組会の再開に「懐疑説も多く」なったことなどが報告され(
北光
新札幌市史 第4巻 通史4
(市民との接点)
社会生活合理化の為に己が芸能を捧げ、他の各部分と最善の協調をなして進むべきである」(椿真六 世界救済の大案
北光
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
本校沿革誌』第一、桑園幼稚園『60年のあゆみ』、「札幌教会百年の歩み」編集委員会編『札幌教会百年の歩み』、
北光
幼稚園
新札幌市史 第4巻 通史4
(関東大震災後の札幌の文化)
田上義也は昭和四年に回想している、 六年前の(
北光
)トリオ創設当時の本気さだ、震災に追はれたセロの飯田
新札幌市史 第5巻 通史5上
(下水道の修復から整備)
この計画で、「水浸し地区一掃」として粘土層や泥炭層のために水はけの悪い円山、幌北、
北光
地区を優先的に整備
新札幌市史 第5巻 通史5下
(宣教の共同)
平成九年五月には、前年第一回が
北光
教会で開催された「さっぽろ教会音楽祭」が、次にはカトリック北十一条教会
新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
年史略年表』(平7)、『日本キリスト教会札幌北一条教会一〇〇年史 一八九〇-一九九五』(平12)、『札幌
北光
教会七十年,の歩み』(昭41)、日本基督教団札幌
北光
教会『献堂式のしおり』(昭43)、同『教会と私』(平9)、日本福音
新札幌市史 第3巻 通史3
(ルーテル、セブンスデー、救世軍の進出)
の伝道対象であると表明したことにより、他教会からは警戒された(SDA札幌教会史「主をほめたたえよ」、
北光
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌興風会の結成)
この中で山本は三十九年二月頃に文芸誌『
北光
』を創刊したが、必ずしも短歌誌とは限定できないので、後述する
新札幌市史 第5巻 通史5上
(民間市場の郊外進出)
分布状況では、半数近くが大通、西創成、西、東、本府、中央など都心繁華街に集中していたが、円山、幌西、曙、
北光
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
1 1487
北光
5 1488
北光
6 1489
北光
11 1490
北光
16,1491
北光
31 1492
北光
33 1493
北光
40 1494
北光
53,〜54,59 1495
北光
62 1496
北光
72 1497
北光
84 1498,
北光
120 1499
北光
141〜142 1500
北光
206 1501 ,
北光
207 1502
北光
219 1503
北光
230 1504 札幌狸小路ビヤホール
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
札幌教会七五年史―』、『日本聖公会札幌キリスト教会沿革と略史』、『札幌組合基督教会略史―創立満十年紀念』、『札幌
北光
教会七十年
新札幌市史 第3巻 通史3
(雑誌か新聞か)
34. 6 北海薬報 45. 4 殖民公報 34. 9 景気世界 45. 4 北海医報 34.10
北光
新札幌市史 第5巻 通史5上
(土地区画整理事業の展開)
S47~48 2 18,000 小計 211 札幌市 伏見 S28~34 145 76,000
北光
新札幌市史 第3巻 通史3
(道内における札幌の教会の位置)
カトリックの『光明』、メソヂスト教会の『北海メソヂスト』、ハリストス正教会の『北海之正教』、組合教会の『
北光
/ 2ページ