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新札幌市史 第2巻 通史2
(北地跋渉)
北地跋渉
北海道への移住は、当時仙台藩内部では「
北地跋渉
」と呼ばれていた。,
北地跋渉
は亘理の伊達氏のもとで最初に計画され、白石の片倉氏、角田の石川氏などもこれに同調するようになる,その後七月八日に開拓使の設置、七月二十二日に諸藩・士族などの志願者への地所割渡しの布告が出され、
北地跋渉
,その結果、
北地跋渉
論が帰農論を制し、八月(二十日か)に按察使府(二年八月から九月まで白石に設置された政府機関,この沙汰書のためだけではないが、他の窮迫した館主たちも続々と
北地跋渉
を出願している。 /
北地跋渉
新札幌市史 第2巻 通史2
(領主の拒絶と開拓使支配)
開拓使支配 移住許可の指令を得た坂本平九郎らは、白石の片倉、亘理・岩出山の両伊達の領主と家臣が主従ともに「
北地跋渉
,ところが邦寧の拒絶にあい、彼らの「
北地跋渉
」は第一歩で大きくつまづき挫折した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民調査と〝定着〟)
かつて「
北地跋渉
」を志し、かたい紐帯で結ばれていたはずの士族たちに、なぜ離村者が多かったのであろうか。,彼らは戊辰戦争の敗北により止むなく帰農、
北地跋渉
というコースを歩まざるを得なかったが、真から志しての〝,百姓〟でもなく、
北地跋渉
ともいえなかった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石・手稲村と貫属取締)
白石・手稲村と貫属取締
北地跋渉
組の中で白石に残留していた片倉家臣は、四年三月十七日に開拓使貫属に編入
新札幌市史 第2巻 通史2
(幌別への移住)
北地跋渉
はすべて自費による移住と開拓であり、厖大な経費を必要としていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵員と家族)
当初この計画に賛同し参集した人たちを
北地跋渉
派と呼ぶ。
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
入地先の決定と準備 札幌への到着 四 片倉家臣団の移住 戊辰戦争と仙台藩
北地跋渉
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