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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (北星女学校)

北星女学校 十三年に米国長老教会婦人伝道局から派遣されたサラ・クララ・スミスは、十六年に東京で得た病,二十四年に校則を変更して高等普通科をおき、二十七年には旧北海英語学校の校舎と敷地を買収、移転し、校名を北星女学校 / 北星女学校
新札幌市史 第3巻 通史3 (私立北星女学校と私立北海高等女学校)

私立北星女学校と私立北海高等女学校 明治二十年設立のスミス女学校から出発した私立北星女学校は、開校当初,キリスト教系の北星女学校の場合も、二十八年から初等部が設置され、尋常、高等の各小学校の課程が含まれていたため,、その廃止を余儀なくされた(北星学園百年史 通史篇)。,写真-16 北星女学校生徒募集広告(北海教報 第39号)  同校では三十六年に学則を改定し、修業年限,この学則は大正八年に「文部大臣指定北星女学校」となるまで、ほぼ同内容で続いた(同前)。   / 私立北星女学校と私立北海高等女学校
新札幌市史 第3巻 通史3 (北星女学校・幼稚園・日曜学校)

北星女学校・幼稚園・日曜学校 全国的にも女子教育・幼児教育及び教会内の日曜学校教育は、市民への影響を,この時期の札幌のキリスト教主義学校は、ミッションスクールといわれた北星女学校のみであった。,北星女学校の場合、同校の大正十年の卒業生は二一人で、大正十五年の卒業生中、クリスチャンの割合は四八パーセント,この間、大正四年にS・C・スミスの後継者アリス・M・モンクが校長となり、「継承・発展の時代」(北星学園百年史 / 北星女学校・幼稚園・日曜学校
新札幌市史 第5巻 通史5上 (私立学校の動向)

中学校では北海、高等女学校では藤・北星・北海(現大谷)・札幌静修(昭21・3に高等女学校へ)・札幌女子高等技芸学校,札幌商業・豊陵工業(高校のみ、昭27閉校)・札幌経済(高校のみ)・光星であり、女子の中・高校が、藤・北星
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇S二六七・二六八遺跡(白石区大谷地九五六番地他))

白石区大谷地九五六番地他) 北海道縦貫自動車道の建設に伴い昭和五十、五十一年に発掘調査された遺跡で、大谷地神社、北星学園大学
新札幌市史 第3巻 通史3 (労働者懇親会と北海道労働組合)

翌三十六年五月三日にも労働者懇親会が開かれているが、こちらは北星新報社の主催となっており、この間に北政日報,は休刊となり、北星新報に改題したようである。
新札幌市史 第3巻 通史3 (慈善等の音楽会)

せられぬ」「英語唱歌は日英米人十三人の斉唱にして」「米国々歌は日米英三国の男女に依て合唱せられぬ」「北星女学校生徒四名,そしてこのうち北星女学校の斉唱については「複音とやら云へる微妙の曲譜」と記されているから、これは合唱であろう,ここでも声楽については「外国婦人五名、北星女学生四名、外国男子四名、合せて十三名の英語唱歌の合奏」(5,札幌教会員等の発起、於二十五聯隊内)、海軍音楽会(同年同月、札幌区キリスト教徒の発起、於創成尋常小学校)、北星女学校出征軍人慰問音楽会
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争後の諸相)

では、外国ミッション(伝道団体)との友好関係を断つことになったが、それを北海道中会議長小野村林蔵が、北星女学校,この時期、札幌では北星女学校・藤高等女学校のほか、新たに開校した光星商業学校があるが、いずれも文教当局,北星女学校は、ミッションからの経済的な自立と経営基盤の強化を課題として、財団法人化と日本人校長の就任を,法人化についても、十六年に財団法人北星女学校の設立を果たした。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (民間カルチャーセンター・大学公開講座の開設状況)

大学公開講座開設状況(昭和50年~平成3年) 学校名 開設年度 講座数 累計受講者数 (大学) 北星学園大学,短期大学) 静修短期大学 昭55 20 1,739 北海道栄養短期大学 56 9 9,744 北星学園女子短期大学
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

開校百周年記念誌』、北海道教育大学教育学部附属小学校『百年史』、『山鼻小学校沿革史』、『北海百年史』、『北星学園百年史
新札幌市史 第1巻 通史1 (厚別台地)

標高一〇〇メートル、傾斜三~四度)・真栄高台(同九〇~八〇メートル、同三度以下)・平岡―北野四~五丁目―北星学園大学
新札幌市史 第4巻 通史4 (太平洋戦争の勃発と教会)

北一条教会牧師小野村林蔵は、開戦の朝、理事をしていた北星女学校の生徒たちに戦意を鼓舞する檄を飛ばしていたという,(北星学園百年史 通史篇)。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (広がりの中で)

戦前は、北星・藤・光星の三校であったキリスト教主義学校は、戦後の新しい教育制度の下で拡大した。,昭和四十五年までの間、プロテスタント系では北星学園が二十六年に女子短期大学、三十七年には大学を開学して
新札幌市史 第3巻 通史3 (基督教婦人矯風会)

同会は、北星女学校の教師ドーテやのちに旭川・北見で廃娼運動を展開するピアソン夫人などが中心となり、飲酒,新入会者の約半数は北星女学校生徒であった。,札幌婦人矯風会でもそのうち五〇〇個を調製することとし、北星女学校のスミス校長が会員に調製を呼びかけた。
新札幌市史 第4巻 通史4 (スミス女学校附属幼稚園)

を果たしたサラ・クララ・スミスが、私立スミス女学校の開校と同時に設立した同校附属幼稚園が最初である(北星学園百年史,そして、翌二十七年には園児の募集を停止した(北星学園百年史 通史篇)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (俳句結社の増加と運動の本格化)

三十六年に至り、この「アカシヤ会」「無逸会」の同人に牛島らが加わり、「北星吟壇」が結成されたが、三十七年,同結社は三十九年に「北星吟社」と改めた。  ,まず俳誌としては三十九年のおそらく一月頃に、北星吟社によって『北星』が発刊された。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (本州大手企業のビル建築)

興亜火災札幌ビル、札幌市第4清掃工場 札幌中央郵便局、興亜火災札幌ビル  61 55山京ビル、林病院、北星学園大学会館,ビル、大東京火災札幌ビル、札幌サンプラザ、森林公園パークハウス  62 宮の森ロジュマン、松前ビル、北星学園大学
新札幌市史 第3巻 通史3 (雑誌か新聞か)

. 9 景気世界 45. 4 北海医報 34.10 北光 大 3. 4 北海道鉱業新報 35. 1 北星,3. 6 新社会 35. 4 大正農報 3.12 北海道教育雑誌 35. 9 札幌農園報 4. 2 北星斯新
新札幌市史 第4巻 通史4 (天理教)

中和大教会の北星宣教所を開く中辻与作は、三十五年四月に来札して布教を始め、「癩病患者のおたすけに専念された,人」であったというが、翌三十六年四月に札幌村に集談所を設け、四十三年二月二日に北星宣教所を設置するようになる
新札幌市史 第5巻 通史5下 (私立大学・短期大学の拡大)

そして北海学園大学であり、短期大学は、藤女子・天使厚生(昭29年に天使女子へ名称変更)・北海・札幌・北星学園女子,まず大学でみるならば、三十六年三月の藤女子をはじめ、北星学園(昭37年1月)・東海大札幌校舎(昭42年
新札幌市史 第2巻 通史2 (明治二十年代の女子教育)

写真-9 S・C・スミス(北星学園蔵)  やがて、二十七年道庁から無償貸与されていた校舎等の期限,が切れたのを契機に、同年十月旧北海英語学校の校地・校舎(北四条西一丁目)を買収・移転し、校名も北星女学校,私立学校令公布による私学に対する監督強化、同時発令の文部省訓令による宗教教育の規制も加えられていった(北星学園百年史
新札幌市史 第4巻 通史4 (桑園幼稚園の一時閉園と再開)

り(北タイ 昭10.3.6夕)  同幼稚園の園長・新島善直は九年に北海道帝国大学を定年退官し、北星女学校校長
新札幌市史 第4巻 通史4 (鉄北の住民組織)

以上の他にも、鉄北地区には町内会的なものを含めて四丁目会、北光和親会、北九条会、北十条会、北星協和会などが
新札幌市史 第5巻 通史5上 (女子医専から札幌医科大学へ)

校舎は北星高等女学校(南5西17)を強制借り上げし、北海道社会事業協会附属札幌病院を同校附属病院とし、
新札幌市史 第5巻 通史5上 (漸減計画と高校の多様化)

私立の北星学園女子高等学校でも英語科が特設された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌への進出)

日本基督一致教会の小川義綏、D・タムソン、療養で来礼したS・C・スミス(アメリカ長老教会伝道協会派遣婦人宣教師、北星女学校
新札幌市史 第5巻 通史5上 (高等教育機関の再編と新制大学の設立)

二十六年度には北星学園女子短期大学、二十八年度には北海道自動車短期大学が設置された。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (学都・札幌の人材を活かして)

「同人雑誌運動」『'89―北の文学』所収)とも書かれたように、北海道大学や藤女子、北海学園、北星学園
新札幌市史 第2巻 通史2 (超教派の社会活動)

この年はまた、スミス女学校が道庁から貸与された北一条西六丁目の校舎から北四条西一丁目に移転、北星女学校,北星女学校も傷痍軍人慰問の音楽会など、戦争遂行には側面から支援・協力した。
新札幌市史 第3巻 通史3 (教勢の推移と「クリスチャン」層)

するなかにあっても、各教会それぞれの特色は存在し、独立教会(のちには北辰教会も)は農科大学関係者が多く、北辰教会は北星女学校,プロテスタントでは明治四十一年頃、北星女学校のサラ・C・スミスが、豊平の北辰教会員南里猪三郎宅で日曜学校
新札幌市史 第5巻 通史5下 (創作劇づくり、活発に)

』(昭46)、詩劇研究会・原子修作『アイオン』(昭50)、ノルテ・長野京子作『啄木…雪あかり慕情』、北星女子高
新札幌市史 第5巻 通史5上 (進駐軍病院と札幌の歯科医師たち)

また、進駐軍衛戍病院を設置するため二十年十月二十五日には庁立女子医専に校舎を貸与していた北星高等女学校
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌市民の宗教的関心)

またスミス女学校(北星女学校)の設立にみるように、北海道庁や市内の有力者の支持を受けていたこともキリスト
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

北海道議会史』第一巻、高等女学校研究会編『高等女学校の研究』、札幌市立高等女学校編『回顧三十年』、『北星学園百年史
新札幌市史 第5巻 通史5下 (七〇年紛争とキリスト教)

大学紛争は、札幌市内のキリスト教主義学校のうち北星学園大学にも波及し、同年に入学式の中止、翌四十六年の
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦争と協同伝道)

十月にはさらに教会の合同主催で後備大隊犒軍音楽会(こうぐんおんがくかい)が、また十二月には北星女学校が,、前後二五回の集会を精力的に開催し、聴衆の延べ人数は八七五〇人、自発的な求道申込者は一七七人(ほかに北星女学校生徒
新札幌市史 第4巻 通史4 (会堂の接収と終戦)

軍の徴用ではないが、北星女学校は新設の庁立女子医学専門学校に校舎を貸与するように求められた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (GHQの四大指令)

北星学園のように、木材を売り払ったりした学校もあったし、一方で軍政部との交渉で撤去せずに、物置として利用
新札幌市史 第5巻 通史5上 (四十年代の劇団)

在札の劇作家田中和夫(札幌文学同人)の戯曲上演を目的に、北星男子、女子高校演劇部OBで結成された。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (教会と社会)

札幌では八月に札幌キリスト教連合会の主催で記念音楽礼拝が、北星学園を会場に開催された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

『開拓使布令録』、『布令類聚』上・下、『札幌県布令全書』、『北海道蝗害報告書』、『上川見聞奇談』、『北星学園百年史
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌オペラ研究会の輝き)

したことのある小林幹夫作曲の「ゼフィロス」で、合唱団には前年の「第九」出演者たちと山本が指導に行っていた北星女子短大
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

札幌北光教会七十年の歩み』、『札幌正教会百年史』、カトリック北一条教会『神の愛、われらに満ちて』、『北星学園百年史
新札幌市史 第3巻 通史3 (新聞)

. 2.11 創刊 坂本直寛,岡村三治 村田正一良 北星新報  35.12.21 発行
新札幌市史 第5巻 通史5上 (更生市場と巡回露店市)

道新 昭28・6・9)、市の融資の妥当性が問われ、また二十九年二月に開業した花園市場も出店者は三人、北星市場
新札幌市史 第5巻 通史5上 (大学演劇)

北星女子、天使女子短期大学演劇部は、本山節彌、飯塚光友、森一生等を指導者に迎え学風を反映した個性ある活動
新札幌市史 第5巻 通史5上 (荒谷正雄と札幌音楽院)

札幌フィルや札幌放送管弦楽団のメンバーとで結成した弦楽四重奏団などにより、北星学園の講堂を会場に、二十二年四月
新札幌市史 第2巻 通史2 (音楽)

なお、当時の音楽会は和洋両楽によるものが多く、またスミス女学校(のちの北星女学校)の生徒の出演も多かった
新札幌市史 第4巻 通史4 (神社参拝問題の発生)

これは事実ではなかったようだが、このときの北海道会における質疑では関連することとして、キリスト教主義の北星
新札幌市史 第5巻 通史5上 (本州建設会社の進出)

千代田生命札幌支社  36 日の出ビル 第百生命札幌支社,興和ビル北海道拓殖銀行本店 有楽ビル,東洋木材手稲工場,北星学園中高部
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