• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 2323件
辞書ファセット
/ 47ページ
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道の札幌)

北海道の札幌 こうした状況下、札幌の人たちはいかに区制期を迎えたのであろう。,への移住という形をとり、北海道移住数の第一ピーク時を出現させた。,これを北海道十年計画と呼ぶが、紆余曲折を経て四十三年からは第一期拓殖計画として事業を拡充し、北海道は「,「札幌区の盛衰は即ち北海道に於ける全体の盛衰を意味するもの也。,札幌区の興廃は即ち北海道に於ける一般の興廃を支配するもの也。 / 北海道の札幌
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道庁の設置)

北海道庁の設置 三県や政府の内外において高まりつつあった三県一局制への批判や改組の声の中で、その行方,金子が北海道巡視から帰京したのは十八年十月二日であり、それから膨大精緻な復命書を編し、しかもその間政府部内,そのほぼ一カ月後に、いち早く北海道統治機構の変革としての北海道庁の設置をみる。,明治十九年(一八八六)一月二十六日の左の内閣布告によって、北海道庁の設置をみた。,ヲ廃シ、更ニ北海道庁ヲ置キ、全道ノ施政並集治監及屯田兵開墾授産ノ事務ヲ統理セシム    第二 北海道庁 / 北海道庁の設置
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北海道開拓記念館と北海道開拓の村)

北海道開拓記念館と北海道開拓の村 戦後、道立の博物館建設の動きは早くからみられていた。,北海道には北海道社会教育施設(博物館)設置審議会が昭和二十四年に発足し、このもとで円山に博物館建設の計画,それにともない道文化財保護協会と道博物館協会などが中心となり、三十八年七月十日に北海道博物館建設促進募金委員会,写真-6 北海道開拓記念館と記念塔  道開拓記念館は四十三年十一月三十日の起工式から建設に入り、,道開拓記念館と共に計画化された北海道開拓の村は、五四ヘクタールの広大な敷地に中に、明治・大正期の建造物 / 北海道開拓記念館と北海道開拓の村
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道師範学校)

北海道師範学校 北海道庁の設置にともない、明治十九年三月に札幌県師範学校は庁立札幌師範学校と改称したが,、同年九月に札幌・函館師範学校を廃止して、あらたに札幌に北海道師範学校を設置した。,ついで二十年四月一日に、十九年公布の師範学校令にもとづき、校名を北海道尋常師範学校と改めた。,さらに三十年公布の「師範学校令」により、北海道師範学校となった。 / 北海道師範学校
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道尚武会)

北海道尚武会 開戦とともに様々な戦争後援団体が活動を開始した。,北海道尚武会は日清戦争時の明治二十八年十一月に創設され、「北海道ニ本籍ヲ有シ陸海軍ノ兵役ニ服スルモノヲ,ヲ問ハス出役兵ノ家族ヲ保護スル等、総テ尚武ノ実ヲ挙クルヲ以テ目的トス」とされた全道的な組織であった(北海道尚武会設立趣意書並規約書 / 北海道尚武会
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道開進会社)

北海道開進会社 次に農民層の移住のあり方をみていくことにしたい。,まず会社、大農場からふれていくと、この時期に特記されることは岩橋徹輔の起こした北海道開進会社である。,第四十四国立銀行頭取の地位にあり、豊富な資金力と経済人脈を利用して資本金二〇〇万円の株式会社を創設し、北海道,十一月に徳島県から九戸三六人が移住し、この年に約六万坪の開墾をしたという(北海道事業報告 第二編)。,しかし北海道開進会社は株式の募集が集まらず資金難となり、さらに社長の岩橋徹輔の不慮の死にあい解散に追い / 北海道開進会社
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道出版文化祭)

高倉新一郎『北海道出版小史』と、日本出版協会北海道支部『北海道出版物綜合目録』は、この出版文化祭の記念出版物,『北海道出版小史』は、戦中期までに刊行された出版物の紹介をしつつ、北海道の出版の歴史を江戸時代の木版本,『北海道出版物綜合目録』は二十年七月から二十二年五月までに、日本出版協会北海道支部加盟の出版社・団体四,目的は「北海道に於ける出版活動の意義と実状を北海道民に理解せしめると共に更に全国に明示するの機会たらしめ,』『北海道出版小史』 『北海道出版小史』(昭22.5.25発行)『北海道新聞』(昭22.5.14)より / 北海道出版文化祭
新札幌市史 第1巻 通史1 (北海道式古墳)

北海道式古墳 昭和に入ると札幌およびその周辺でも発掘調査が多くなってくる。  ,、当時山鼻小学校の教員であった後藤寿一が、江別市江別兵村(当時)の旧豊平川の河岸段丘上で、いわゆる「北海道式古墳,これは、まさに、北海道考古学の新しい夜明けといってもよかった。 / 北海道式古墳
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道の文化振興)

北海道の文化振興 昭和三十七年七月十日の閣議で「第二期北海道開発八カ年計画」が決定し、その中で社会教育,具体的には(一)北海道第二世紀と精神文化の高度開発、(二)総合開発と芸術文化の振興、(三)道民の生活文化,四十四年度の事業計画を例に見てみると、北海道地方文化振興協議会、北海道文化講演会、北海道芸術文化振興会議,、日展、北斎展の開催、北海道芸術劇場(邦楽・邦舞公演)、北海道郷土芸術祭の開催、北海道合唱指導者講習会等,が予定されている(昭和四十四年度 北海道芸術文化振興会議・資料)。 / 北海道の文化振興
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道銀行の設立)

北海道銀行の設立 戦後の経済復興のための旺盛な資金需要に応えるには、戦前の一県一行主義は桎梏となったので,その後、北海道商工会議所会頭を中心に設立の準備が精力的に進められた。  ,北海道銀行創設の着想者は、東北銀行の創立に関わった当時の大蔵省の一銀行課長であった。,から譲渡されたものである(北海道拓殖銀行史)。,の地方銀行としての地歩をひとまず築いた」といえよう(北海道銀行三十年史)。 / 北海道銀行の設立
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道電力の誕生)

北海道電力の誕生 昭和二十六年五月一日、電気事業再編成によって北海道電力株式会社(北電)は誕生した。,北電の母体は、日本発送電北海道支店と北海道配電であり、資本金三億三〇〇〇万円のうち、日本発送電が一億五,また、本店分室として大通分室(元北海道配電本店、現在の本店所在地)、および桑園分室(現在の北海道計器工業,さらに、従業員は北海道配電と日本発送電北海道支店からそれぞれ継承し、計六二二九人体制でスタートした。,北海道電力が日本発送電と北海道配電両社から受け継いだ資産のうち、主要な設備は以下のとおりである。 / 北海道電力の誕生
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」)

北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」 「北海道アイヌ手工芸品展覧会」は北海道庁学務部社会課が、,写真-16 北海道アイヌ手工芸品展覧会開催状況(昭10)  この展覧会の発案者は当時の北海道庁長官,・佐上信一であった(北海道庁学務部 北海道アイヌ手工芸品展覧会開催状況)。,「北海道アイヌ手工芸品展覧会開催要項」によれば、この展覧会への出品資格は「北海道在住ノアイヌ人」に限定,「北海道アイヌ手工芸品展覧会」は昭和十一年八月と十二年五月にも開催されたが、主催者は北海道庁ではなく財団法人北海道社会事業協会 / 北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道開発株式会社)

北海道開発株式会社 なお、北海道開発ブームは、昭和十四年十二月北海道開発株式会社設立として具体化された,北海道開発は、「一、北海道ニ於ケル工業地帯ノ経営並ニ之ニ伴フ付帯事業、二、北海道水陸資源ノ開発事業、三,(東京)・北海道資源開発同志会(大阪)・北海道資源調査会(名古屋)・北部産業団体聯合会(札幌)等ノ諸団体,ノ熱烈ナル要望ト支援ノ下ニ」設立されたのであった(北海道開発株式会社 北海道開発株式会社要覧)。  ,それでは、北海道開発は、どのような事業を行ったのだろうか。 / 北海道開発株式会社
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道型の争議)

北海道型の争議 このように、地主と小作人のそれぞれの立場についての指摘を行った後に、田部検事は北海道,北海道に於ては、小作人は耕作地内に家屋を建て居住し居る関係上各府県に於て見る如く集団し部落生活を為さず,以上紹介したように、田部検事は北海道の農民運動について、農場の小作人が内地府県のさまざまな地域からの移住者,によって構成され、それ故、農場内の集落が流動的であり、かつ散村的形態をとっているという、いわば北海道の / 北海道型の争議
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道産業会館、北海道経済センターの建設)

北海道産業会館、北海道経済センターの建設 二十二年八月二十五日民間貿易が再開されたのにともない、札幌,と小樽で北海道貿易会館の誘致運動が繰り広げられた。,翌二十三年六月、同会館は小樽市に設置されることに決まったが、北海道貿易振興委員会からの勧告により、札幌市,では従来進めてきた貿易会館設立計画を、北海道産業会館設立計画に替えて推進することとなった。,そのため、札商の建物だけでなく、北海道の経済発展に寄与できる北海道経済センターを建設しようと、経済界全体 / 北海道産業会館、北海道経済センターの建設
新札幌市史 第4巻 通史4 (「北海道の冨貴堂」)

越崎宗一「終戦までの北海道内地方史誌」(北海道史研究 5所収)を見ると、大正から終戦時までに刊行された,こうした郷土史(誌)ブームの影響をうけてか、冨貴堂でも『北海道郷土史研究』(昭7)や『北海道の歴史』(, 高1,2年 大13 ポケット北海道分図 大13 北海道中学校入学試験問題集 大14 ピンポンの,市教育会編 北海道詳図 昭 4 中村信以著 新らしい札幌市の地図 昭 4 北海道樺太産哺乳動物 昭,5 川内国雄編著 北海道郷土史研究 昭 7 日本放送協会北海道支部札幌放送局 北海道の歴史 昭 8 高倉新一郎述 / 「北海道の冨貴堂」
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道電灯会社)

北海道電灯会社 二十二年八月、北海銀行の元頭取丹羽維孝らによって北海道電灯会社が計画され、創立事務所,ついで二十六年十二月、岡田昌作を社長に、対馬嘉三郎、金子元三郎を取締役に設立された北海道電灯舎に事業は,『北海道毎日新聞』ほかより作成。 / 北海道電灯会社
新札幌市史 第1巻 通史1 (モースと北海道)

モースと北海道 明治十年、日本考古学史上において最初の科学的発掘調査を東京都の大森貝塚で行ったエドワード・,S・モースは、明治十一年七月、貝類の研究と標本採集のため北海道へ来た。,この記述だけでは、遺構の種類等はよくわからないが、あるいは、後に北海道式古墳とよばれた本州の高塚古墳の / モースと北海道
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道新聞の創刊)

北海道新聞の創刊 昭和十六年十二月、新聞事業の統制、管理を目的とする「新聞事業令」が公布された。,このような状況下で十七年、北海道庁長官戸塚九一郎は阿部良夫(北海タイムス)、地崎宇三郎(小樽新聞)、原忠雄,鈴木要吉(室蘭日報)、遠藤清一(釧路新聞)、安藤武雄(根室新聞)の七人を集め、一紙合同を申し入れた(北海道新聞四十年史,同月十二日、北海道庁長官裁定の形式で最終決定を見、十月末日をもって北海タイムス、小樽新聞、新函館、旭川新聞,第一号が発刊されたのは昭和十七年十一月一日で、創刊当初の発行部数は四六万五〇〇〇部であった(新北海道史 / 北海道新聞の創刊
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道の官幣大社)

北海道の官幣大社 日露戦後の神社統合をみると、全国で神社総数が明治三十九年に一九万四三五社あったのが,北海道の官幣大社としての地位を確立するとともに、札幌神社神札の全道頒布の具体化が、三十三年十一月十日道庁告示第四五八号,さらに大正十二年内務省令六号で、地方長官が祭神等を変更する時は、内務大臣に禀請すべしとされたが、「但シ北海道,かくして「開拓ノ守護神」たる官幣大社札幌神社は、五八〇社(明39現在)もある北海道内の神社の頂点に立ち,、地域の神社の機能は、人々の祈願奉賽から「国家の宗祀」へと転換していったと考えられる(小笠原省三編 北海道拓殖 / 北海道の官幣大社
新札幌市史 第4巻 通史4 (総合誌『北海道』)

総合誌『北海道』 昭和七年十一月、大通西九丁目の北海道社から月刊『北海道』が創刊された。,「郷土文学について」、田上義也「ミスレーニアス・ど・あとりえ――音楽に関する断片(A)」、大澤重夫「北海道,『北海道』がいつまで刊行されたか不明であるが、短詩型文学を組みこんだ総合的な雑誌であり、早川三代治、田上義也 / 総合誌『北海道』
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道製綱争議)

北海道製綱争議 大正中期には物価騰貴により、馬車夫、職人による争議が続出したが、工場労働者は静かであった,戦後不況下の大正十五年九月十六日、札幌合同労働組合の指導を受け、北海道製綱の労働者二四〇人が争議態勢に,及申候也       大正十五年九月十七日 札幌合同労働組合                  北海道製綱会社従業員一同,(本道ニ於ケル左翼労働組合運動沿革史) 写真-11 北海道製綱会社争議(北タイ 大15.9.18,争議団は十月二日に札幌合同労働組合北海道製綱分会を組織した。 / 北海道製綱争議
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道会議員)

北海道会議員 市制施行当初の札幌市と石狩支庁(札幌支庁を改称)管轄町村選出になる北海道会議員は、大正九年選挙,表-10 札幌市,石狩支庁管轄町村選出北海道会議員 期 選挙年月日 札幌市 石狩支庁管轄町村 氏名 備考,『北海道議会史』『札幌の選挙』『札幌市事務報告』より作成。  ,をまきちらして買収、地盤切りくずし等が盛んに行なわれ、一票二円という相場が半ば公然と流布される始末」(北海道議会史 / 北海道会議員
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道製麻(株))

北海道製麻(株) 北海道が大麻の栽培に適しており、漁業が主な産業であったことから、開拓使は農民に大麻,このことから十九年十月、北海道庁理事官堀基は農商務省に吉田技師の派遣を求め、吉田の意見により海外に比較,して北海道が麻糸紡織の適地であることを確信し、岩村長官、堀理事ら吉田技師とはかり、東京、滋賀、京都等の,渋沢喜作、永山盛繁らを創立委員に、吉田健作を官命事業監督として、二十年五月資本金八〇万円、株主一九〇人の北海道製麻株式会社,二十八年現在の経営者は鮫島盛一で、工員は自宅で従事する者およそ三〇〇人とある(北海道庁勧業年報)。 / 北海道製麻(株)
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道石材の馬鉄)

北海道石材の馬鉄 明治三十九年七月、宮城昌章前豊平村長他数名が、札幌郡平岸村字石山から豊平村を経て札幌区北五条西四丁目,会社は三十九年十二月、北海道石材株式会社として発足した(第一九回北海道庁統計書)。  ,同会社は、大正元年分を掲載している北海道庁統計書(第二四回)までは、その会社の一覧表に記載されている(,第二四~二五回北海道庁統計書)。 / 北海道石材の馬鉄
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道文化団体協議会)

北海道文化団体協議会 三十年代になると、年々増加する文化団体の横の連絡を図ろうとする動きが見られるようになる,「北海道における各文化団体相互の連絡協調を計り、北海道文化の発展を期する」ことを目的に、三十三年六月二十八日,、北海道文化団体協議会(道文団協)が結成された。,事業内容は、次のとおりである(北海道文化団体名簿)。,』を発行するための足掛かりとして『北海道文化団体名簿』を発行した。 / 北海道文化団体協議会
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道支部の役員構成)

で「北海道旧土人救育会北海道支部」を正式に発足させた。,支部長以下の役員構成は次のとおりである(北海道教育雑誌 第九四号)。,幹事の対馬は札幌区長、大窪は北海道庁視学官、大島は北海道炭礦鉄道会社取締役、藤井と中西は弁護士、谷は北海道商業銀行取締役頭取,評議員の佐藤は札幌農学校校長、関場は北辰病院院長、陶は北海道警部長、高岡は北海道内務部地方課長事務取扱,ちなみに支部事務所は北海道教育会内に設置された。 / 北海道支部の役員構成
新札幌市史 第1巻 通史1 (北海道式古墳)

北海道式古墳 「北海道式古墳」については、東北北部の末期古墳に類似しているところから、昭和初期に盛んに,北海道式古墳の出土遺物から推定される築造年代については、伊藤玄三は被葬者との関連で、東北地方の末期古墳 / 北海道式古墳
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道毎日新聞の創刊)

北海道毎日新聞の創刊 北海新聞社の事実上の経営者である山田は、小樽の事業が繁忙だったことなどから、支配人渡辺兵四郎,の推挙により、すでに大阪で新聞記者の経験をもつ北海道庁属の阿部宇之八に経営を託することとし、同年八月中旬,同月中に新聞の改題および日刊化が出願され、九月二十日にはこれまでの編輯人の新鞆は辞職して北海道庁属に任,そして十月一日に日刊で四葉八頁、定価一銭五厘の公式掲載新聞『北海道毎日新聞』(道毎日)が創刊された。,写真-12 『北海道毎日新聞』(明治20年10月2日付) / 北海道毎日新聞の創刊
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新北海道美術協会)

新北海道美術協会 昭和三十年は、道展三〇周年、全道展一〇周年という節目の年であった。,その翌年の七月十六日、北海道で三つ目の公募展となる新北海道美術協会(新道展)の発会式が行われた。,同会は「北海道在住の美術家及び美術同好者の緊密な連携のもとに、純正にして最も進歩的な美術の興隆を図ること,搬入点数は五八七点、入選九九点で、新北海道美術協会賞に佐藤吉五郎、知事賞に園田郁夫、市長賞に小川全が選出 / 新北海道美術協会
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道の小作争議)

北海道の小作争議 北海道で最初の小作争議は、明治二十八年(一八九五)秋に鷹栖村愛別原野の金富農場で発生,争議といわれ、その一一年後の三十九年、同じ上川の比布村、比布殖産合名会社農場でも争議が発生したという(北海道農民組合運動五十年史,第一次世界大戦の終了による戦後不況が顕在化し始め、ロシア革命などを経た大正中期以降のことであり、事実北海道,の農民運動が、小作争議という形で北海道庁などの公式統計に出現するのは大正九年以降のことであった。,『北海道農地改革史』(上巻)は、この問題について『新撰北海道史』第四巻に依拠しつつ次のように述べている / 北海道の小作争議
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道の銀行体系構想)

北海道の銀行体系構想 一般に、昭和二年の金融恐慌から中小銀行の破綻、経営難が続出し、三年一月の銀行法施行,北海道では、「北海道の金融界は、金融恐慌の影響を受けることも比較的に少なく、概して平穏であった」(北海道拓殖銀行史,これは大蔵省および日本銀行の斡旋であったようだ(北海道拓殖銀行史)。,松本頭取は、昭和九年八月に『北海道地元銀行体系改革ニ関スル私案』(拓銀蔵)を書いている。,北海道の普通銀行の実態からも混合銀行の必要が説かれた。 / 北海道の銀行体系構想
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道婦人大会・札幌)

北海道婦人大会・札幌 昭和二十五年(一九五〇)七月二十八・二十九日、旭川市で北海道東北七県婦人大会が,主催は北海道教育委員会・北海道・旭川市、後援の中心は北海道民事部である。,目的にし、道教委の関係する北海道婦人大会の第一回目となった。, 北海道立教育研究所蔵)。  , 北海道立教育研究所蔵)。 / 北海道婦人大会・札幌
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道教育会札幌支会)

北海道教育会札幌支会 前編に記したように、十五年に設立された札幌教育会は、道庁設置後まもなく二十年七月,この教育会構成員を母体に師範学校、道庁関係者の働きかけにより、「教育上全道同志者ノ一致セル集会」(北海道教育雑誌, 九)をめざし、二十四年三月に北海道教育会が結成され、機関誌『北海道教育会雑誌』(のち北海道教育雑誌),一、通俗教育談話会幻灯会を開くこと」(北海道教育雑誌 五七)と定めた。 / 北海道教育会札幌支会
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道翼賛芸術聯盟の結成)

北海道翼賛芸術聯盟の結成 昭和十七年十二月十三日、北海道翼賛芸術聯盟が結成され、札幌市公会堂で結成式,からなり、機構の中に北海道文学報国会(会長山下秀之助)、北海道美術協会、北海道音楽報国会、北海道演劇舞踊報国会,が設けられ、北海道文学報国会の中に、北海道評論家協会、北海道創作家協会、北海道詩人協会、北海道歌人協会,、北海道俳句協会などが包含された。,『北方文芸』も十八年十月に北海道文学報国会の傘下に入ることを余儀なくされた。 / 北海道翼賛芸術聯盟の結成
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道博覧会と仏教界)

北海道博覧会と仏教界 大正七年(一九一八)、開拓使の設置以来五〇年となったので、北海道庁が中心となって,これに合わせて各寺院や教団・宗派、あるいは仏教団体でも数々の記念法要や行事が執行され、この五〇年間が北海道開教,法主、管長などの要人を迎えて記念法要、記念伝道などが大がかりに催されていたが、まず本願寺街道の開削など北海道,日蓮宗では経王寺にて村雲日栄尼を迎えて、八月二十七日に村雲婦人会北海道支部記念総会、二十八日に追悼大法要,を行うとともに、北海道開拓五〇年記念日蓮宗伝道会を設け、大日蓮主義の宣布の絶好の機会として講演会、路上伝道 / 北海道博覧会と仏教界
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道庁赤レンガ庁舎)

北海道庁赤レンガ庁舎 札幌の明治建築の代表作品であり、わが国の明治前期洋風建築の主要作品でもある北海道庁本庁舎,設計・施工(直営)担当の北海道庁土木課(後に第三部土木課)の技術官は、旧開拓使の営繕技術系の旧農商務省北海道事業管理局,北海道庁本庁舎工事の前期の主任官は、前出の平井晴三郎である。,道庁赤レンガ庁舎に続いて、北海道製麻会社工場が二十三年六月に完工する。,なお北海道製麻会社工場の建築設計は、工部大学校造家学科辰野金吾の査閲を受けたと記録されている。   / 北海道庁赤レンガ庁舎
新札幌市史 第5巻 通史5上 (『北海道文学』と『位置』)

『北海道文学』と『位置』 昭和三十七年に研究と評論を中心とする雑誌が相次いで刊行された。,十月創刊の『北海道文学』は木原直彦が編集発行人となり、隔月刊で四十四年十月まで二八冊を出している。,北海道文学に関する評論、研究、随筆を主とした雑誌で「自作・自著を語る」には長見義三、寒川光太郎、中沢茂,木原直彦「北海道文学ノオト」、安東璋二「北海道文学とは何か」、武井静夫「地方文学史は可能か」、林義実「,『雪をんな』の周辺」などは北海道文学を研究するための基礎的文献である。 / 『北海道文学』と『位置』
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道東北開発公庫の設立)

北海道東北開発公庫の設立 この間の北海道経済と金融に重要な意味を持つものとして、政府系金融機関である,北海道開発公庫の設立がある。,北海道開発公庫は昭和三十一年五月の北海道開発公庫法により、六月、本店を札幌において設立され、七月に業務,三十二年四月、北海道開発公庫法の一部を改正する法律により北海道東北開発公庫と改称し、本店は東京に移転し,三十一年八月の北海道曹達株式会社に対する貸付が融資第一号となり、同年九月の北海道ピー・エス・コンクリート / 北海道東北開発公庫の設立
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌神社から北海道神宮へ)

札幌神社から北海道神宮へ 戦後一〇年を経て、社頭の賑わいは復活しつつあったが、神社神道としての教化活動,神社本庁は、昭和三十一年に「敬神生活の綱領」を発表して教化活動の推進を促したが、北海道神社庁では道内各支部,三十三年には、札幌市を会場として第九回東北・北海道神社庁関係者連合大会が開催されたが、当初は出席申し込,この年、国土緑化大会に出席する昭和天皇の北海道行幸があり、札幌神社への参拝も行われた。,写真-3 北海道神宮となった頃の社殿(昭39) / 札幌神社から北海道神宮へ
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道商工会議所と北海道商工会議所連合会との合流)

北海道商工会議所と北海道商工会議所連合会との合流 戦後、商工会議所は全国各地に続々と誕生し、二十四年度末,二十六年十月、道商は社団法人北海道商工会議所連合会に改組し、事務局は札商内に置き、道商連会頭は札商会頭 / 北海道商工会議所と北海道商工会議所連合会との合流
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道への集団帰農政策)

北海道への集団帰農政策 第二次世界大戦末期の昭和二十年に入ると、アメリカ軍の日本に対する攻勢はますます,この政策の一環として、同五月の次官会議で「北海道疎開者戦力化実施要綱」が決定された。,この要綱によれば、都市等の戦災者・疎開者・離島引揚者の中で「北海道ノ拓殖農業ニ積極的ニ挺身シ、戦力増強,ニ貢献セントスル真摯ナル熱意ヲ有スル者」五万戸・二〇万人を選び、集団的に北海道に送り出そうというものだった,具体的には、疎開者に取りあえず主要食糧の配給と一戸当たり一町歩の開墾地を貸与し、北海道農業に習熟した段階 / 北海道への集団帰農政策
新札幌市史 第4巻 通史4 (第一回北海道芸術祭)

第一回北海道芸術祭 劇団「第一歩」の最初の活動が、昭和九年九月十七日、第一〇回道展を記念する第一回北海道芸術祭,史料として、九年第一回北海道芸術祭当日のプログラムをかかげておいたが、ここに新中間層に担われる文化から,オール・トーキー、ゲーリー・クーパー、フェイ・レイ主演    「或る日曜日の午後」……全八巻(第一回北海道芸術祭,プログラム 北海道立近代美術館蔵)  芸術祭は札幌市公会堂で、十七日の午後六時からおこなわれたが、金券二,「第十回道展日誌」(北海道立近代美術館所蔵)には、十七日の北海道芸術祭の当日、「ぞろ/\と面白い位の入場者 / 第一回北海道芸術祭
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵部省北海道支配の廃止)

兵部省北海道支配の廃止 島の松浦を通じての掛合が功を奏し、十一月に入り早速兵部権少丞北海道開拓掛の大橋慎,「是迄兵部管轄相成居候石狩郡を始め総テ九郡共開拓使へ御合一相成候ハヽ、尤宜シカル可ク候」と、兵部省の北海道,それは 一  北海道ノ内九郡兵部省支配被仰付置候得共、諸事手々ニ相成候テハ双方共開拓ノ手紛ト可相成,内三郡別紙ノ通松平慶三郎へ管轄被仰付度事   附降伏人共慶三郎へ御引渡被仰付度候事 一  兵部省ヨリ北海道出張,他方兵部省の大橋は三年正月五日「慎回顧愚慮仕候処、北海道ニて島判官、函港ニて長官公判官へ大論ヲ述置候義 / 兵部省北海道支配の廃止
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道事業管理局の設置)

北海道事業管理局の設置 上述のように、旧開拓使の諸事業は関連する諸省・府県に分轄せしめられたのであるが,、しかし管轄が分散したことによって、特に北海道内の諸事業においてはかえって事務・事業の管理ならびに運営,加えて北海道開発に不可欠な道路・航路・電信・物産販売などの統一的事業計画にも障害を招いた。,の儀に付上陳」、十六年一月西郷・山田・佐々木「北海道諸事業維持方法建議」、十六年六月山田「北海道及陸羽諸県巡視復命書,そして二月十二日に農商務省は、農商務省各局処務規程中に第一九条として北海道事業管理局処務規程を追録した / 北海道事業管理局の設置
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北海道札幌聾学校の教育)

北海道札幌聾学校の教育 札幌聾話学校や聾啞私塾などが廃校となったあと、市内には聾学校が一校もないという,翌年四月には北海道札幌聾学校と改称した。,高等部はのちの四十五年度に移管され、同年四月開校の北海道高等聾学校となった。,札幌聾学校は、その後も北海道の聾教育の中心を担いつつ教育活動を行ってきた。,二十五年四月にはさらに北海道札幌盲学校となり、山元町に寄宿舎を新築し移転した。 / 北海道札幌聾学校の教育
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道農業研究会事件)

北海道農業研究会事件 開戦直後の「非常措置」の発動は、主に思想犯前歴者に向けられ、治安維持法違反の容疑,その典型的事例が、北海道農業研究会事件である。,これは思想犯前歴者の中川一男・村上由(ゆかり)の検挙を軸に、北海道文芸協会事件、資本論研究会事件、帯広文化 / 北海道農業研究会事件
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道神道教派聯合会)

北海道神道教派聯合会 十五年十月に道内の神道一二派(天理・金光・黒住・大成教、神社本局、修成派、御嶽,社会風教の善導に任じ道内教派和親協力、以て臣道を全うする」こととされ(北タイ 昭15・11・21)、やがて北海道神道教派聯合会,この北海道神道教派聯合会も、十九年十二月に戦時宗教報国会北海道支部に統合となった。 / 北海道神道教派聯合会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道美術館建設期成会)

北海道美術館建設期成会 本章第六節で後述するように、昭和三十三年、全道の各文化団体相互の連絡協調を図,ることを目的に、北海道文化団体協議会が設立された。,この協議会の活動の中には、北海道文化集会、講演会、研究会等の開催があった。,とくに、北海道文化集会(以下文化集会と略す)は、三十四年十二月五日に第一回目を開催してからはほぼ毎年開催,そして、九月九日に設立総会が開かれ、会長には北海道大学学長であった杉野目晴貞が選出された。 / 北海道美術館建設期成会
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道無尽の設立と相銀転換)

北海道無尽の設立と相銀転換 北海道無尽設立の趣旨について「株式募集目論見書」は、 本道では戦前には,(北海道相互銀行三十年史) と述べ、戦後の資金需要に追いつかない事情を強調している。  ,株式募集は北海道銀行設立運動に追いかけられる形となったため困難を極めたが、二十五年十一月には払込を完了,、北海道相互銀行三十年史)。,これらは見込みを大幅に上回る「驚異的な実績」(北海道相互銀行三十年史)であった。 / 北海道無尽の設立と相銀転換
/ 47ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました