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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道庁の設置)

北海道庁の設置 三県や政府の内外において高まりつつあった三県一局制への批判や改組の声の中で、その行方,そのほぼ一カ月後に、いち早く北海道統治機構の変革としての北海道庁の設置をみる。,明治十九年(一八八六)一月二十六日の左の内閣布告によって、北海道庁の設置をみた。,ヲ置キ、全道ノ施政並集治監及屯田兵開墾授産ノ事務ヲ統理セシム    第二 北海道庁ヲ札幌ニ、支庁ヲ,この機構こそ金子の想定するものであったが、ただ彼が称していた「殖民局」は、井上毅の意見によって「北海道庁 / 北海道庁の設置
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道庁赤レンガ庁舎)

北海道庁赤レンガ庁舎 札幌の明治建築の代表作品であり、わが国の明治前期洋風建築の主要作品でもある北海道庁本庁舎,設計・施工(直営)担当の北海道庁土木課(後に第三部土木課)の技術官は、旧開拓使の営繕技術系の旧農商務省北海道事業管理局,北海道庁本庁舎工事の前期の主任官は、前出の平井晴三郎である。 / 北海道庁赤レンガ庁舎
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」)

北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」 「北海道アイヌ手工芸品展覧会」は北海道庁学務部社会課が、,写真-16 北海道アイヌ手工芸品展覧会開催状況(昭10)  この展覧会の発案者は当時の北海道庁長官,・佐上信一であった(北海道庁学務部 北海道アイヌ手工芸品展覧会開催状況)。,佐上は内務省地方局長、京都府知事などを歴任した内務官僚で、昭和六年に北海道庁長官に就任した。,この時期の『旧土人ニ関スル調査』『北海道庁統計書』『札幌市統計一班』などの公的な統計類では、札幌市内の / 北海道庁主催「北海道アイヌ手工芸品展覧会」
新札幌市史 第4巻 通史4 (最初の公立盲学校としての北海道庁立盲学校)

最初の公立盲学校としての北海道庁立盲学校 昭和十八年七月、北海道庁立盲学校が南一四条西八丁目に、以前,設置は「盲学校及聾啞学校令」第二条の規定(北海道及府県ニ於テハ盲学校及聾啞学校ヲ設置スヘシ)により、北海道庁,写真-18 宮崎安  「北海道庁立盲学校学則」によれば、同校の目的は「皇道ノ道ニ則リテ盲人ニ普通教育,同校は将来的には視覚障害者の教育はもとより、北海道庁長官・坂千秋が開校前年の十七年の通常道会で答弁したように / 最初の公立盲学校としての北海道庁立盲学校
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道庁設置後の商況)

北海道庁設置後の商況 [注: 文中の屋号は、〓で表示されています。,も一段落して全国的に好況へ向かった十九年、札幌、函館、根室の三県並びに北海道事業管理局が廃止されて、北海道庁,ただ『繁栄図録』刊行時には、北海道庁の仮庁舎はまだ南一条西三丁目(現三越)にあり、北三条西五丁目の現在地 / 北海道庁設置後の商況
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道庁「少年職業紹介要領」の制定)

北海道庁「少年職業紹介要領」の制定 大正十四(一九二五)年七月、内務省社会局第二部長と文部省普通学務局長,北海道庁はこの通牒を受けて、十五年一月に「少年職業紹介要領」を制定し、「求人口の開拓並紹介」を担当する / 北海道庁「少年職業紹介要領」の制定
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道庁立第二札幌中学校の設立と「中等学校設立期成会」の活動)

北海道庁立第二札幌中学校の設立と「中等学校設立期成会」の活動 明治三十二年二月、「中学校令」中改正(,同会は札幌区教育会内に事務所を置き(同前)、四十四年五月には「札幌中学校分校設立の義に付請願」を北海道庁長官,北海道庁立第二札幌中学校は大正二年四月に開校した(四年北海道庁立札幌第二中学校と改称)。,ちなみに、開校時の第二札幌中学校の授業料は、一人一カ月に付き二円五〇銭で(北海道庁告示第二号 大1・1,その理由は、函館区には北海道庁立函館商業学校、同函館商船学校、小樽区にも北海道庁立小樽水産学校など実業学校 / 北海道庁立第二札幌中学校の設立と「中等学校設立期成会」の活動
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育)

北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育 北海道の教育界で、札幌区に高等女学校の設立の必要性,その後、二十八年になって北海道庁は「札幌の如き現に北海道の首府たる地に在りて一の高等なる女学校ありて多,札幌区に札幌簡易医学校とともに札幌高等女学校の来年度設立が報じられたが(小樽新聞 明30・7・15)、北海道庁,北海道庁立高等女学校はこうした文部省の指示に基づいて、明治三十五年四月に設置された。,四十一年に第二代校長として北海道庁内務部教育課首席から着任した工藤金彦は、「飽く迄も良妻を造り賢母を拵 / 北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育
新札幌市史 第5巻 通史5下 (青年・学生運動の混迷と北海道庁爆破事件)

青年・学生運動の混迷と北海道庁爆破事件 昭和四十九年(一九七四)一月、東京でベ平連が解散し、四十一年 / 青年・学生運動の混迷と北海道庁爆破事件
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

明治初年北海紀聞』、河野常吉『北海道史料』三県一局時代―甲(道図)、『明治天皇紀』、『公文類聚』、『法令全書』、『北海道庁布令全書,北海学友会)、『札幌県治類典』(道文八七七四)、『豊平川堤防書類』(道文七九二七)、『北海道毎日新聞』、『北海道庁統計綜覧,』、『北海道戸口表』、『北海道庁事業功程報告』、『北海道庁勧業年報』、『北海道庁拓殖年報』、『北海道殖民状況報文,』、『北海道の電信電話史』、青山英幸・今野隆夫「明治中期北海道庁文書の保存と編さん規則について」『北海道立文書館研究紀要
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

第二号、『白石歴史ものがたり』、『札幌案内』、『札幌繁栄図録』、『札幌繁昌記』、『札幌県勧業課年報』、『北海道庁統計書,』、『北海道庁勧業年報』、『北海道庁拓殖年報』、『北海道庁統計綜覧』、『札幌の工場』、村尾元長『北海道事情一班
新札幌市史 第3巻 通史3 (鉄道管理体制の整備)

の整備 明治二十九年(一八九六)五月八日勅令第一八六号により、臨時北海道鉄道施設部官制が公布され、北海道庁内,一方北海道庁は拓殖務省設置(明29)とともに同省所管となっていたが、三十年九月二日同省廃止とともに内務省所管,それにともない、十一月一日勅令第三九二号で北海道庁官制が改正され、臨時北海道鉄道施設部は北海道庁鉄道部,同日北海道庁官制改正にともない北海道鉄道部官制の公布もされ(勅令第三〇六号)、北海道鉄道部となった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)

札幌石材馬車鉄道合資会社は、はじめ三十四年二月に大通西四丁目に資本金四万円で設立された(第一六回北海道庁勧業年報,しかし、この設立年月は後に三十五年十二月と変更された(第一七回北海道庁勧業年報)。,さらに四十年七月株式会社に改められ、資本金三〇万円に増資した(第二〇回北海道庁統計書)。,平岸村字穴の沢を起点とし、南一条西九丁目に至り、札幌病院前を通って新川端(現在の西五丁目通)に至り、左折して北海道庁東門前
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画琴似土地区画整理)

そして上記の地方委員会の後、三月八日内務省告示第一〇九号で札幌都市計画琴似土地区画整理の決定と、北海道庁,また三月二十四日、この札幌都市計画琴似土地区画整理事業の図面を、北海道庁振興部道路課と琴似町役場で縦覧,することを告示した(道庁告示第三二八号 北海道庁公報第三三四八号 昭19・3・24)。,そして北海道庁は、琴似町に設計書を提出させ、四月七日札幌都市計画琴似土地区画整理施行規程と設計書を三月三十日,に認可したことを告示した(道庁告示第四〇三号 北海道庁公報第三三五九号 昭19・4・7)。  
新札幌市史 第3巻 通史3 (行政機関)

12 札幌区の主要官公署(大正7年) 機関名 住所 機関名 住所 ◇道庁 ◇軍事機関  北海道庁, 同 通信区 北5西3  度量衡検定所 北海道庁構内  同 札幌駅 北6西3  札幌一等測候所 北8,西9  同 苗穂駅 苗穂町  土木派出所 北海道庁構内  同 札幌機関庫 北6西3  農事試験場 北20,表中の行政機関で札幌に最も大きな影響力を及ぼしたのは、内務省の地方出先機関である北海道庁で、その立地論争,明治三十年北海道庁官制改正により、道庁の出先機関として札幌区、札幌、石狩、厚田、浜益、千歳の五郡町村を
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

全道警察署外事警察事務担任者一覧表』、内務大臣宛報告『総選挙ニ於ケル無産政党ノ状況ニ関スル件』、『内務大臣宛北海道庁長官各報告,』、北海道庁『内訓一号』、北海道庁特高課『北海道ニ於ケル日本共産党事件顛末』、同『執務資料』、同『思想要注意人調,「本道ニ於ケル最近ノ極左運動概況」『橋本東三簿書』(道図)、同『昭和十一年 陸軍特別大演習并地方行幸北海道庁記録,』、同『参事官会議書類』(道文)、北海道庁警察部『警衛勤務ニ就テ』(道図)、「北海道庁警察報」『学生思想事件一覧,』、『思想犯罪輯覧』、『北海道無産政党一覧表』、『北海道労働組合一覧表』、『特別要視察人略式名簿』、北海道庁
新札幌市史 第2巻 通史2 (道庁機構の特性)

道庁機構の特性 道庁設置と同日の十九年一月二十六日に内閣達をもって北海道庁官制が制定された。,翌二十七日には内閣の中に北海道庁事務取調所を設置しているが(同年七月十二日閉鎖)、二月二十二日に北海道庁事務分課,以上の組織をもって、十九年三月一日に北海道庁は開庁したのである。  ,さらに十九年七月の『官員録』を見ると、北海道庁の理事官として、時任為基・湯地定基・鈴木大亮・堀基・橋口文蔵,ところで、この官制に見られる北海道庁は、地方官官制に規定されている一般府県と異なった特徴を有していた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海道毎日新聞の創刊)

、小樽の事業が繁忙だったことなどから、支配人渡辺兵四郎の推挙により、すでに大阪で新聞記者の経験をもつ北海道庁属,同月中に新聞の改題および日刊化が出願され、九月二十日にはこれまでの編輯人の新鞆は辞職して北海道庁属に任
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

6 経済 会社・工場・商業者に関する統計の成り立ち  まず会社統計は,1886年(明19)には『北海道庁統計書,『北海道庁統計書』が個別の会社,工場を書き上げたのも個票があったからこそ継続したのであろう。  ,したがって『北海道庁統計書』の本支店別(地域別)データはきわめて貴重である。  ,21号「農商務通信規則」『北海道庁現行布令便覧』1895)。,36号「農商務通信規則」『北海道庁現行布令便覧』1896)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (諸官公署)

昭和十二年版『札幌市統計一班』(昭14・3・20発行)には、札幌市を紹介して「本道十一州の首都として、北海道庁及,表-5 札幌市の主要官公署(昭12) 機関名 住所 ◇北海道庁関係  北海道庁 北2,3条西5,6丁目, 北海道会議事堂 北海道庁構内 ◇北海道庁出先機関  石狩支庁 北1条西5丁目  札幌警察署 北1,丁目  札幌土木事務所 北2条西19丁目  札幌治水事務所 南16条大水門前  北海道度量衡器検定所 北海道庁構内,北海道庁構内  北海道農産物検査所 北3条西7丁目 ◇司法刑務機関  札幌控訴院 大通西13丁目  
新札幌市史 第2巻 通史2 (各種学校)

監獄実務 六〇日(前期) 九〇日(後期) 苗穂監獄署内 北海道庁監獄署 22 札幌養蚕伝習所 養蚕,六カ月 北一西一九 北海道庁殖民課 22・6・1 札幌薬学校 化・物・調剤・製薬 二年 24・5,整式・警察法・刑法及刑事訴訟法要領・捕縄法・撃剣柔術及喞筒使用法 北一東一 北海道庁警察部所管,また官庁がその必要上設置したものとしては北海道電気通信技術伝習生養成所(札幌電信局内)、北海道庁監獄署内看守教習所,、札幌養蚕伝習所、北海道庁巡査教習所等があり、それぞれの官庁業務遂行上必要な人材養成を行った。
新札幌市史 第2巻 通史2 (馬匹飼養)

してみると、総馬数七万一二二八頭に対して農耕馬数は一万七一五四頭であり、この割合は二四パーセントに相当する(北海道庁統計書,2395 63 31 3126 1968 63 32 3159 *896 明治29,30年については『北海道庁統計書,』,31,32年は『北海道庁拓殖年報』より作成。
新札幌市史 第2巻 通史2 ((5)札幌紡織場(機織部))

一応事業継続の目処がついたので、二十一年十一月安田は願書を出し、二四一円八九銭六厘で払下げを受けている(北海道庁第一,びとの嗜好に合わないようなので、今後は単に白斜子(シャツ)、鼻拭地(ハンカチ)の生産に変えたらしい(北海道庁第五回勧業年報,厘 3430円29銭4厘 鼻拭地 1850枚 男女帯地 58筋 差引利益 4円21銭8厘 『北海道庁第二回勧業年報
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

の歴代戸長について」『札幌の歴史』第一六号、『北大百年史』通説、同部局史、同札幌農学校史料(二)、『北海道庁勧業年報,』、『北海道庁統計書』、『北海道庁拓殖年報』、『北海之殖産』二〇・二五・三四・三七・四五・八六・九九・
新札幌市史 第8巻1 統計編 (1『道庁統計書』の成り立ち)

23日「北海道庁統計様式」(訓令第3号)と改定された。,北海道庁統計規程  1892年(明25)11月21日北海道庁統計規程が制定された(訓令第265号)。,表1 北海道庁統計関係書の残存状況 [表1 北海道庁統計関係書の残存状況] 注1 発行年月,6 勧業年報第11~14回は『北海道庁拓殖年報』。  ,『北海道庁統計綜覧』の刊行  1896年(明29)11月『北海道庁統計綜覧』が刊行された。
新札幌市史 第2巻 通史2 (図版・写真・表組一覧)

』,『北海道庁勧業年報』,『北海道庁拓殖年報』より作成 (654頁)       第2章     写真,』,『北海道庁勧業年報』,『北海道庁拓殖年報』より作成 (693頁) 表-19 煉瓦工場生産物販売高『,』,『北海道庁統計書』,『北海道庁拓殖年報』より作成 (753頁) 表-18 札幌区・札幌郡民有牛・馬,・豚数『北海道庁統計綜覧』,『北海道庁統計書』,『北海道庁拓殖年報』より作成 (760頁) 表-19,』,『北海道庁拓殖年報』より作成 (763頁) 表-22 札幌立木・枯木払下状況『北海道庁統計書』,『
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道石材の馬鉄)

会社は三十九年十二月、北海道石材株式会社として発足した(第一九回北海道庁統計書)。  ,同会社は、大正元年分を掲載している北海道庁統計書(第二四回)までは、その会社の一覧表に記載されている(,第二四~二五回北海道庁統計書)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

国産振興博覧会北海道歴史館陳列品解説』、札幌商工会議所編『札幌商工会議所八〇年史』、内務省編『全国処女会婦人会概況』、北海道庁編,札幌市養老院編『札幌養老院要覧』、田中聡『衛生展覧会の欲望』、火防衛生社編『火防衛生』72・137号、北海道庁編,『札幌郡白石村ニ於ケル保健衛生調査』、北海道社会事業協会編『北海道社会事業』38・60号、北海道庁編『,支那事変銃後後援誌』、愛国婦人会総本部編『愛国婦人会四〇周年写真帖』、北海道庁編『銃後の護り』28・65
新札幌市史 第3巻 通史3 (皇太子行啓と社会主義者)

北海道庁警察部は春から警戒にあたり、注意人物の言動を調査していた。,行啓警戒のため、北海道庁警察部は注意人物取締規程を作成した。   ,氏名ハ七月一日ヨリ符号ヲ用ヒ尾行巡査ニハ其ノ尾行スル特別要視察人ノ符号ヲ記臆セシムヘシ (以下略)(北海道庁警察部,北海道庁警察部がもっとも警戒したのは、アメリカ時代に、日本人無政府主義者の組織である社会革命党に参加していたと
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海新聞の創刊)

同年六月からは北海道庁公布式新聞に指定されて助成を得、経営もより安定した。,記事の内容は、官報、北海道庁録事、北海新聞(社説)、雑記、寄書、小樽・札幌の諸物価、それに広告欄などから
新札幌市史 第2巻 通史2 (作物の特産化)

道庁時代の農産物の統計を取扱っている『北海道庁統計書』『北海道庁勧業年報』『北海道庁拓殖年報』などには
新札幌市史 第4巻 通史4 (道庁都市計画課の設置)

『北海道庁職員録』(大13・1)では、内務部都市計画課に地方課長・統計課長との兼任課長の岡本保三、属に,都市計画課の所属は、設置当初は内務部であるが(北海道庁職員録 大13・1、北海道庁処務細則 大13・12,七四号)、大正十五年六月十四日の官制改正に合わせて分掌も改正されたようで、土木部都市計画課となった(北海道庁,昭18・11・4)、土木部道路課(昭19・7・8)と官制改正などに合わせて変遷していく(以上各年度の北海道庁職員録,、北海道庁処務細則、昭和七~十九年の改正分を含めた北海道庁処務規程による。
新札幌市史 第4巻 通史4 (鉱山街の形成)

手稲鉱山には、北海道庁警察部が調査した二〇〇戸以上連担(軒や庇を連ねている)戸口表では、昭和十五年末に,一三二三世帯、六九三二人が住んでいた(北海道庁統計書)。
新札幌市史 第2巻 通史2 (小学校規則及小学簡易科教則の制定)

小学校規則及小学簡易科教則の制定 明治十九年(一八八六)に北海道庁が設置され拓殖方針等も大きく変更されたが,すでに北海道庁の設置される以前から、北海道の初等教育についていたずらに高尚の学に流れ、実利の学にうといことなどが
新札幌市史 第2巻 通史2 (開化のシンボル)

開化のシンボル 二十一年十一月、赤い煉瓦造りの北海道庁が落成し、一般に縦覧された。,に次いで開化のシンボルというべき電話は、鉄道電話や監獄電話がまずとりつけられたが、次第に札幌区役所・北海道庁間,、札幌停車場・北海道庁間といった官庁電話が設けられていった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (国有林木等処分)

実際に札幌郡の場合、立木・枯木の払下状況を『北海道庁統計書』でみると十九年より二十八年では表22のごとくであった,709 15. 716   28 立枯 3003 147 589. 394 52. 265 『北海道庁統計書,』『北海道庁勧業年報』より作成。  ,二十年の場合、地竹六七〇束六円七〇銭、柴八〇束一円六〇銭、硬石屑三〇〇坪三二銭四厘が払下げられている(北海道庁統計書,#160;  878 1568.  825  189.  967 『北海道庁統計書
新札幌市史 第4巻 通史4 (土功組合と用水組合)

3.81 658.5 - 新川排水 篠路村 昭12.11.17 排水 - - - 2,206.8 - 北海道庁土木部土地改良課,北海道土功組合状況』(大15),同『北海道土功組合一覧表』(昭4),同『北海道土功組合一覧表』(昭9),北海道庁管内土功組合連合会,『北海道土功組合史』(昭13),北海道庁振興部土地改良課『北海道土功組合要覧』(昭18)より作成。,977 30 新川排水 209.9 - 1,433.2 173 58 263 - - 1,393 北海道庁振興部土地改良課
新札幌市史 第4巻 通史4 (外国人模範農家の招聘)

すなわち、畜牛研究会の献策を容れて、北海道庁は集約的農業が最も発達した西欧の農業経営法を摂取すべく、北海道地方費,「直接内地の農民を指導するといふのでなく、自然に習ひ覚えしめる風にしたい」(宮尾舜治北海道庁長官)というのが,主畜農業   混同農業   甜菜耕作 混同農業 混同農業   契約期間 5年 5年 5年 5年 北海道庁内務部
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌都市計画公園の決定)

同日内閣認可をうけ、五月十四日内務省から北海道庁と札幌市役所での図面の縦覧が告示された(内務省告示第三三五号,慰楽、休養ノ為ノ公園施設ハ益々緊要ト為レルヲ以テ」白石公園を都市計画事業として決定し、財政の状況ゆえに北海道庁長官,これは三月三十一日に認可され、北海道庁と札幌市役所での図面の縦覧が内務省から告示された(内務省告示第二七一号
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌製糖(株))

ドイツからは優良種子を購入し、北海道庁雇技師ジーメルを聘し、機械も三五〇馬力一昼夜菜根五万三二四八貫を,に当面、堀宗一は社長を辞し技師長となり伊東祐之が社長となったが、伊東は株券偽造事件を起こし、二十四年北海道庁理事官浅羽靖
新札幌市史 第2巻 通史2 (郡区と町村)

郡区と町村 札幌県の廃止にともなう北海道庁治の開始にあたり、行政区画はまずそのまま引継がれた。,一八八六)十二月十五日付道庁告示をもって一六万四〇六八坪(約五四・一四ヘクタール)が区に編入された(北海道庁布令全書,北三条西五丁目・西七~八丁目、北四条西五~八丁目、北五条西五~八丁目ができ、道庁敷地周辺が整備された(北海道庁布令全書,の落合よりノツポロ川の支流に沿って字熊の沢に至る線を境界とし、現広島町大曲以南が月寒村から分離した(北海道庁布令全書
新札幌市史 第2巻 通史2 (民有家畜数の変化)

2828 142 666 32 333 264 350 2809 178 583 明治19~28年は『北海道庁統計綜覧,』,29~30年は『北海道庁統計書』,31~32年は『北海道庁拓殖年報』より作成。  ,パーセント、洋種五七パーセントであり、馬も和種九一パーセント、雑種六パーセント、洋種二パーセントであった(北海道庁統計書
新札幌市史 第2巻 通史2 (煉瓦工場の生成)

大久保煉化場の開業年月については、十五年九月(北海道庁第一四回拓殖年報 明治三十二年)、二十八年五月(,滝田煉化場 明治20年8月 20 27 明治20~23年の『北海道庁統計書,』『北海道庁勧業年報』『北海道庁拓殖年報』より作成。
新札幌市史 第3巻 通史3 (創立の契機としての「近文アイヌ給与地問題」)

から、近文アイヌを移住させる意見が持ち上がったり、大倉喜八郎らが近文アイヌへの給与予定地に目を付け、北海道庁,実際に北海道庁は三十三年二月、大倉に給与予定地の払い下げを許可し、一定の条件で近文アイヌ全員を天塩川上流,天川恵三郎らは、前年施行された「北海道旧土人保護法」の趣旨にも反するので、内務大臣等への陳情を行い、北海道庁,当時の『小樽新聞』『北海道毎日新聞』などの道内紙はもとより、『時事新報』『東京朝日新聞』などの道外紙も北海道庁
新札幌市史 第3巻 通史3 (内職の奨励)

内職の奨励 いわゆる「内職」の奨励が公けになされたのは、明治三十七年十二月の当時の北海道庁長官園田安賢
新札幌市史 第2巻 通史2 (乳牛の増加と搾乳業)

250 49 31 592 198 33 32 597 146 24 明治29,30年については『北海道庁統計書,』,31,32年は『北海道庁拓殖年報』より作成。  
新札幌市史 第8巻1 統計編 (おわりに)

6 戦前期北海道関係統計資料目録] [表6 戦前期北海道関係統計資料目録] 注1)『北海道庁統計書,』及びこれにつながる開拓使,札幌県,北海道庁各統計書と札幌区(市)統計書,石狩支庁・各町村勢要覧,札幌商業
新札幌市史 第3巻 通史3 (石材産出と石造建築)

石材産出と石造建築 北海道庁発足とともに硬石、軟石の掘採は民営に移行し、『北海道庁統計書』(以下統計書
新札幌市史 第4巻 通史4 (「アイヌ学院」の設立と「旧土人奨学資金給与規程」の制定)

北海道庁は昭和六年六月、アイヌ民族の中等学校以上への進学も念頭に置いた「旧土人奨学資金給与規程」を制定,このなかには札幌商業学校に進学した、平取村の二人のアイヌ民族の少年も含まれていた(北海道庁 北海道旧土人保護沿革史
新札幌市史 第2巻 通史2 (北海銀行)

銀行設立には当時の永山武四郎北海道庁長官の勧奨に基づくとともに、当時札幌で業務の一部として金融業を営んでいた,『北海道庁第十三回拓殖年報』などより作成。
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