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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌神社から北海道神宮へ)

札幌神社から北海道神宮へ 戦後一〇年を経て、社頭の賑わいは復活しつつあったが、神社神道としての教化活動,三十年の新聞は、「誕生近い『北海道神宮』」の意図を、 道民全部を氏子とする新しい体制をつくらねばならない,本殿の改築は三十七年に始まり、あわせて神社本庁へ「札幌神社に明治天皇をご増祀し北海道神宮とご改称方申請,三十九年十月五日、新社殿において明治天皇御鎮座祭が行われ、ここに北海道神宮としての新たな歩みがはじまった,写真-3 北海道神宮となった頃の社殿(昭39) / 札幌神社から北海道神宮へ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (七〇万人が訪れる北海道神宮の初詣)

七〇万人が訪れる北海道神宮の初詣 五十年代前半、北海道神宮の初詣参拝者は、元日と二日合わせて四〇万人,ちなみに、札幌市の人口は一五〇万人を超えており、三が日の合計七〇万人は、市民の二人に一人が北海道神宮に,記念事業として『北海道神宮史』の編纂に着手するとともに、手狭になった社務所を新築して四年十一月に竣工した,写真-1 北海道神宮の初詣(平13.1.1) / 七〇万人が訪れる北海道神宮の初詣
新札幌市史 第2巻 通史2 (市中移転問題と遙拝所の建立)

と同文書中に「社地ハ其儘ニ据置、更ニ遙拝殿ヲ札幌市中ニ建設セラルヽ哉の趣相聞候ニ付」(願伺届留第一号北海道神宮,なお、永続方法は毎年一〇〇円を「人民信仰ノ徒」より差し出すとしている(屯宮要書類綴 北海道神宮)。,儀ニ付伺」が出され、「境内へ氏子信徒ノ者ニ於テ末社等建設ノ砌ハ、御庁へ御届ニ止リ」云々(願伺届留三 北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5下 (本殿放火と復興の歩み)

本殿放火と復興の歩み 四十九年十一月十日の夜、放火によって北海道神宮の本殿と祝詞殿(のりとでん)が焼失,第一次石油危機を発端とする景気の低迷期にあり、「ナベ底不況のまっただ中で明けた」年だったが(同前)、六月六日には北海道神宮復興奉賛会,所期の目的を果たした復興奉賛会は、翌五十四年七月二十六日に北海道神宮奉賛会として改組された。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (官幣中社への昇格)

がおかれて以来再び昇格運動がおこったが、本格化したのは明治二十五年二月頃であったと思われる(願伺届留三 北海道神宮,われているのに、本社は「二十余年未タ社格一階ノ報答ヲ得ズ(中略)神勲ニ報答シ、社格昇進ヲ奉願セスンハアラス」(北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5下 (鎮座一〇〇年を迎えた社頭)

鎮座一〇〇年を迎えた社頭 昭和四十年(一九六五)、北海道神宮は、前年に明治天皇を増祀して初めての正月,これを契機に、四十年代の北海道神宮は敬神婦人会の結成、敬神講社規約改正など氏子組織を整備して、教化活動
新札幌市史 第5巻 通史5下 (神輿渡御)

神輿渡御 神輿渡御の行列編成は、表2のようになっていた(北海道神宮例祭 札幌まつり)。,救護車 3 71 輸送車 4 72 清掃車 3 73 工匠鑑 1 小計 67 総計 746 『北海道神宮例祭札幌,まつり』(北海道神宮、平4)。  ,敬神講社は北海道神宮への奉賛組織であるが、市域を分割した祭典区があり(現在三一祭典区)、毎年、当番にあたる
新札幌市史 第2巻 通史2 (社号変更建言)

写真-1 札幌神社社号改替ノ建言 (願伺届留 三 北海道神宮)  これによれば、札幌神社の全道一一州総鎮守,北海道総鎮守として知られていないことを嘆じ、その周知が講社結成への大きな要因となっている(崇敬講往復綴 北海道神宮
新札幌市史 第2巻 通史2 (霊代の札幌奉遷)

ついで同年十二月三日、島は霊代を奉じて現在の中央区北二条西一丁目の官宅(集議所)に移った(北海道神宮史,北六条東一丁目ではなく、伊東正三『札幌区史史料』(宗教)にあるように、鉄道線路の南側、北五条東一丁目である(北海道神宮史
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌まつり)

札幌まつり 北海道神宮の六月十五日、十六日の例祭は「札幌まつり」と呼ばれ、市内のみならず周辺地域からも,することに改められ、騎馬の供奉(ぐぶ)員はオープンカーか徒歩で供奉すること」という方式になっていた(北海道神宮史下巻
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌敬神講社の設立)

また、「講社ヲ代表シ、講務ヲ統轄スル」総長には札幌市長が推薦・就任するものとされていた(北海道神宮史 ,「規約」は京都の平安神宮の奉賛組織である平安講社の規約を参考に作られていた(北海道神宮維新勤王隊七十年誌
新札幌市史 第4巻 通史4 (明治天皇の合祀と神宮昇格)

(北海道神宮史 上巻) と、北海道への影響が大きいことをあげていた。,されていたが、内務省には「内地において明治神宮以外に明治天皇を奉祀することを許さざる」との内規があり(北海道神宮史
新札幌市史 第1巻 通史1 (菊池重賢)

菊池重賢 (札幌神社九十年誌より)  菊池大蔵は後に重賢と名をかえ、明治三年十二月に札幌神社(現北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5下 (【主要参考文献・史料】)

【主要参考文献・史料】 『北海道神宮史』下巻(平7)、『北海道神社庁誌』(平11)、『北海道宗教法人名簿,札幌護国神社創祀百拾年史』(平1)、『西野神社の百年』(昭60)、『手稲神社史』(平12)、『信濃神社百年』(平12)、『北海道神宮史,』上巻(平3)・下巻(平7)、『北海道神宮例祭 札幌まつり』(平4)、『札幌まつりの今昔』(昭47)、,年番第三山鼻祭典区『平成九年度北海道神宮例祭 札幌まつり』(平9)、『日蓮宗北海道大鑑』(昭62)、『
新札幌市史 第5巻 通史5下 (山車行列と露店)

現在運行されている山車は、表3のとおりである(平成九年度北海道神宮例祭 札幌まつり 年番第三山鼻祭典区,加藤清正 7 第9東北 明治43年改修銘 猿田彦命 8 第16桑園 昭和4年 桃太郎 『平成九年度北海道神宮例祭札幌
新札幌市史 第2巻 通史2 (社殿等の建築と官幣小社への昇格)

神饌殿、直会所兼溜所、漱水所、さらに番人小屋等が設けられ、境内地は三万六五〇〇坪となっている(諸記録 北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5下 (その他のイベント)

①は六月の北海道神宮の例祭を中心とした祭りであり、都心部の神輿(みこし)・山車(だし)の巡行、中島公園
新札幌市史 第3巻 通史3 (新社殿の造営)

ならびに会則の制定により、造営計画は開始するが、日露戦争により一時中断、事業は明治四十一年以降本格化する(北海道神宮史,札幌神社がますます神威を宣揚する」ためとの阿久津真澄宮司の議論が興味深い(横森久美 台湾における神社、北海道神宮史
新札幌市史 第5巻 通史5下 (地域に根づく鎮守社の初詣)

一八〇万都市札幌に位置する北海道神宮の一位(七二万五〇〇〇人)は別格として、二位には、函館、旭川、釧路
新札幌市史 第5巻 通史5上 (地元建設会社と主な工事)

11完成)、狸小路アーケード(昭33・12落成)、石狩陸橋(北五条跨線橋、昭31・12~36・9)、北海道神宮増改築,(昭39・9完成)、北海道神宮大鳥居(昭43)などがある(岩田建設60年小史)。
新札幌市史 第3巻 通史3 (日露戦後の札幌神社)

遙拝所は、四十三年十一月三日天長節を期し頓宮と改称し、札幌神社旧拝殿の古材の払い下げをうけて落成した(北海道神宮史
新札幌市史 第7巻 史料編2 (編集にあたって)

市立函館図書館    鶴岡市郷土資料館    北海学園大学付属図書館    北海道開拓記念館    北海道神宮
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社の活動)

神武天皇遙拝所設立願を提出したのに対し、開拓使はそれを許さず、札幌神社遙拝所建設を指令した(諸記録 北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5上 (市労連「お祭り争議」)

北海道神宮例祭の十五日午前六時交渉が決裂し、電車・バス乗務拒否指令により出庫を阻止するため市労連傘下組合員
新札幌市史 第4巻 通史4 (開拓神社の創立)

札幌神社境内ニ創立シ、之ヲ末社ニ指定方内務大臣ニ稟申」し、同月二十八日に許可となった(開拓神社明細帳 北海道神宮史
新札幌市史 第2巻 通史2 (昇格願の提出)

であるため人員も少なく、布教等諸活動にも支障を来たすとして、官幣中社昇格の取計を願った(願伺届留第一号 北海道神宮
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

、『府県史料』(国公文)、菊池重賢『袖中記』(北大図)、『諸記録』『願伺届留』『屯宮要書類綴』(以上北海道神宮,』(道文二四八二)、石川正蔵『公私諸向日誌簿』(北大図)、『寺院説教場関係』(東本願寺札幌別院)、『北海道神宮史
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌神社崇敬講の結成)

(札幌神社崇敬講組合名簿 北海道神宮)  頭取として上田万平、副頭取藤森銀蔵(共に円山村)、さらに崇敬講世話方
新札幌市史 第5巻 通史5上 (境内地の確保)

札幌神社崇敬講社の精力的な募金活動が支えていたが、飛地境内地五〇〇町歩余の払い下げは第二次処分として残された(北海道神宮所蔵資料
新札幌市史 第2巻 通史2 (本府計画)

南西には後の北海道神宮にあたるお宮や琴似村・発寒村が配置され、南東には豊平川東側に豊平村を配置している
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道の官幣大社)

となり、特に十勝・上川地方で活発で、明治三十八年から大正九年までの札幌神社の分霊社数は二六社にのぼった(北海道神宮史
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (例言)

,つきさっぷ郷土資料館,手稲記念館,屯田郷土記念館,平岸郷土資料館,烈々布郷土資料室,北海道新聞社,北海道神宮
新札幌市史 第2巻 通史2 (祭典区の性格)

諸般ノ設備其他之レニ関連スル総テノ要務ヲ執行スルヲ以テ目的トス」(大正五年以降例祭並ニ神輿渡御書綴 北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5下 (神社の記念事業)

新琴似神社では四十年に八〇周年事業として社殿の造営、社務所が新築され(社殿は北海道神宮の仮御殿を移設)
新札幌市史 第5巻 通史5下 (多様化する絵馬)

神社は十二日まで設置され、絵馬は北海道神宮に、さい銭はチームに渡される。
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌祭の景況)

まで京都へ視察におもむき、その折に平安神宮の時代祭にて維新勤王隊を実見し、導入の契機になったという(北海道神宮維新勤王隊七十年誌
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地)

具体的にいうと、西は北海道神宮付近、中央部は北海道大学の南端付近、東は白石小学校付近を通る線上である。
新札幌市史 第3巻 通史3 (【主要参考文献・史料】)

竹ヶ原幸朗「北と南を結ぶ尋常小学読本」『札幌の歴史』第二二・二四号、『神社明細帳』(国立史料館)、『北海道神宮史,』上巻、小笠原省三編『北海道拓殖と神社』、台湾総督府『台湾ニ於ケル神社』、白野夏雲「昇格願」(北海道神宮
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

第一六号(大13)、『札幌郡白石村是』、中央創成国民学校『学校日誌』(創成小学校蔵)、「開拓神社明細帳」『北海道神宮史,』、『豊平神社七十年誌』、『丘珠神社昇格請願ニ関スル趣意書』(丘珠村史料 文資)、『札幌祖霊社』、『北海道神宮維新勤王隊七十年誌
新札幌市史 第3巻 通史3 (開拓使時代の景観)

そのうちの数枚は、現南一条東三丁目の北海道神宮屯宮から北・西・南をパノラマ的に展望したものである(市史
新札幌市史 第3巻 通史3 (官幣大社札幌神社)

明治三十二年九月一日、官幣中社札幌神社(現北海道神宮)は官幣大社へと昇格する。
新札幌市史 第1巻 通史1 (編集にあたって)

滋賀大学経済学部史料館、市立函館図書館、市立弘前図書館、東京大学史料編纂所、那珂湊市史編纂室、北海道開拓記念館、北海道神宮
新札幌市史 第5巻 通史5上 (神道指令)

により朝来参拝者相当にあり、深更に及ぶも止まず」と記し、翌十七日も参拝する市民の姿が多く見られたという(北海道神宮史
新札幌市史 第3巻 通史3 (初詣・神前結婚式の創出)

同様に、札幌神社における神前結婚式の嚆矢は、明治四十二年六月二十八日であった(北海道神宮史 上巻)。
新札幌市史 第4巻 通史4 (祭典区の増加と聯合公区への移行)

から三人ずつとなっており、聯合公区長と副聯合公区長、教化部長ないし社会部長が就任することになっていた(北海道神宮史
新札幌市史 第5巻 通史5下 (商店街と小売市場)

ファッションビルの出店でにぎわい「札幌の原宿」といわれた裏参道も九〇年代のバブル崩壊以降衰退したが、地元商店街が北海道神宮
新札幌市史 第2巻 通史2 (例言)

伊達市、東京都公文書館、富岡市(群馬県)、東本願寺北海道別院、北海学園大学付属図書館、北海道開拓記念館、北海道神宮
新札幌市史 第2巻 通史2 (「札幌開府に付当使一般会計の目途」の札幌経営案)

札幌神社は現在の北海道神宮で、その神体は島判官が東京から運んできたものである。
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

【主要参考文献・史料】 『神社明細帳』(国立史料館)、『北海道毎日新聞』、『願伺届留 三』(北海道神宮
新札幌市史 第3巻 通史3 (札幌神社祭典)

苗穂、元村、山鼻、豊平といった周辺地域が札幌区に編入され、区内は合併区ではない一二祭典区に再編された(北海道神宮史
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