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新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所)
区役所
札幌区には区長が、札幌郡には郡長が道庁から任命されるが、両者は兼任するのを常とし、行政機構としての,
区役所
と郡役所も一体で、その吏員も庁舎も異なることはなかった。,
区役所
庁舎は明治十三年開設の建物を引続き使用した。,新
区役所
は「木造二階建となし、白亜を塗り洋館に擬し、楼下を以て事務室に充て、楼上を分って二室となし、一,写真-2 札幌
区役所
と町会所(札幌繁栄図録) 写真-3 大通西3丁目に新築した
区役所
(北海道毎日新聞 /
区役所
新札幌市史 第2巻 通史2
(区役所の庁舎)
区役所
の庁舎 このころ庁舎は狭隘、老朽化したため、新たに十二年爾志通四六番地(現南二西五)に新築し(,十二月落成)、十三年三月一日札幌
区役所
として開庁された。,新庁舎は洋風二階屋であり、
区役所
の傍らには総代人の会議等集会に用いる町会所が置かれた。,新庁舎の土地は、当時三戸分(一戸は間口五間、奥行二七間)の地所を所有していた水原寅蔵の所有地と、元の
区役所
/
区役所
の庁舎
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌区役所の成立)
札幌
区役所
の成立 その後十一年の郡区町村編成法等の地方三新法の制定にともない、北海道でも郡
区役所
の編成,その時に札幌
区役所
が札幌市街と札幌郡一円を管轄することになった。,その結果十二年八月制度上札幌郡・
区役所
を設置し(事務は旧区務所が郡
区役所
開設まで取り扱う)、十月には従前,三月には札幌
区役所
内を庶務科・戸籍科・租税科・出納科の四科に分科し、各担当者を決定した。,この札幌
区役所
体制は、人口の増加にともなう事務の煩雑さに合わせるように、郡
区役所
の再編成・戸長役場の増設 / 札幌
区役所
の成立
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌郡区役所の改編)
札幌郡
区役所
の改編 十一年七月に公布された郡区町村編成法に基づいて、北海道でも開拓使は十二年七月従来,の大小区制を廃し、新たな地方行政機関として郡
区役所
を設置し、札幌本庁管下では十三年二月九日にそれらの開庁,本庁管下の石狩国の郡役所は、札幌に置かれた札幌
区役所
と石狩に置かれた石狩外七郡郡役所であった。,廃使置県に際し、これら郡区画・郡
区役所
配置は「可成更正ヲ要セサル見込」(公文録 内務省)をもって、開拓使,ここで札幌
区役所
は札幌市街と札幌郡一円を管し、石狩に設置の郡役所は石狩・厚田・浜益・樺戸・空知・夕張・ / 札幌郡
区役所
の改編
新札幌市史 第5巻 通史5下
(区制をめぐる議論)
とし、七区に分ける、②区の名称を中央区、幌北区、北栄区、白石区、豊平区、藻南区、琴似区とする、③豊平
区役所
,され、同委員会は、区の名称変更(幌北区を北区に、北栄区を東区に、藻南区を南区に、琴似区を西区に)、豊平
区役所
,四十五年十二月の「指定都市に関する調査特別委員会」への説明で、五区制案を七区制案に変更し、その中で豊平
区役所
,四十六年九月の前記条例案は豊平
区役所
の位置を平岸四七七番地の一としていた。,市は四十七年三月市議会第一回定例会に平岸での豊平
区役所
庁舎設計料を含む予算案を提出、十五日可決され、豊平
区役所
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 区・戸長役場)
市街戸長の人選(明治一三年二月二八日) 四二 各村戸長の任命(明治一三年二月二八日) 四三
区役所
,の分掌(明治一三年三月一日) 四四 戸長役場の位置(明治一三年五月一〇日) 四五
区役所
開庁の,の入札(明治二三年三月一二日) 七六
区役所
工事落札の報道記事(明治二三年三月二一日) 七七 ,の移転(明治二五年一一月一二日) 八五
区役所
焼失後の報道記事(明治二五年一一月二〇日) 八六,) 八八 郡
区役所
の報道記事 二(明治二六年一二月三日) 八九 元
区役所
跡地の報道記事(明治二六年一二月一
新札幌市史 第3巻 通史3
(庁舎と位置)
庁舎と位置 新発足した札幌区の要となる
区役所
庁舎は、財政的にも場所的にも区制施行と同時に独自の建物を,札幌支庁では三十二年十二月の御用納めに課の配置換えを行い、第二課の跡と会議室を
区役所
分に割り当てたが、,これを札幌
区役所
の開庁と呼んでいる。 ,条件)、残金二万五〇〇〇円は新
区役所
建築費に充てることにした。 ,写真-2 札幌
区役所
(明42.8完成,北1西2)
新札幌市史 第3巻 通史3
(職員と機構)
また札幌支庁の職員のうち、属、事業手から一七人が札幌
区役所
事務取扱を嘱託され、雇員の一七人は支庁を退職,して
区役所
雇員に採用されることになった。,を本格的に整備し「松田寿三郎以下九名を区書記に任用して、自治行政機関の組織を完了し、札幌支庁庁舎内に
区役所
,表-4
区役所
の職員数 職 合計 主事 技師 書記 技手 書記補(雇) 嘱託 傭員 技術員 臨時傭員,表-5
区役所
の機構
新札幌市史 第2巻 通史2
(地方行政機関の再編)
地方行政機関の再編 開拓使の地方行政上の出先機関として、明治十二年七月に郡
区役所
が全道に設けられ、札幌本庁管下,の札幌を含む石狩国には札幌
区役所
と石狩外七郡郡役所が置かれた。,この郡
区役所
制は、三県から道庁に移行しても、そのまま地方行政機関として継承されていた。,そして三十年十一月二日の道庁官制改正に基づき、全道の郡
区役所
は廃され、新たに支庁が置かれることになったのである
新札幌市史 第8巻1 統計編
(3札幌区の統計事情)
これを受けて1884年(明17)4月1日札幌
区役所
は市街である札幌区だけを管轄として独立し,札幌郡は札幌
区役所
,同年7月1日札幌
区役所
分課章程が改正(坤第78号)され,
区役所
には庶務課,戸籍課,勧業課,出納課,租税課,これにより,
区役所
の統計業務は第一課の職掌となった。,でも『明治廿一年札幌
区役所
統計概表』(1889年3月刊),『明治二十二年札幌
区役所
統計概表』(1890,そして郡
区役所
戸長役場を巡回した折に,北海道においてはその任務にあたっているのが郡
区役所
の郡区書記,雇
新札幌市史 第2巻 通史2
(除雪)
二十一年頃から
区役所
でも市街道路の雪掃除を区民に呼びかけている。,二十二年一月
区役所
は、大通の一定区画を雪捨場として公認した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(区制施行)
区制施行 北海道区制公布後、新札幌区の
区役所
と区会づくりが始まる。,内務省令によって北海道庁長官が任命した職員が、新組織発足まで予算収支、旅費、区費引継、
区役所
設置、公告式制定等,なかでも区の区域を決め、住民と公民を調査し、
区役所
庁舎と位置を定めることが急務で、特に区会議員選挙への,また札幌支庁の区費を新
区役所
に引き継ぐ際、区費滞納者をどう処置するかも問題で、支庁長に滞納者切り棄ての,写真-1 区長事務引継書類(明32) 実質的な
区役所
への引継は初区会後となる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人会)
、公借金、共有物取扱(区有財産)、土木起工等に関する議案を協議し評決はするが議決権はなく、評決結果を
区役所
,が総代人会の会長となり、議事の進行にあたるとともに評決結果の取扱い方を判断する責任者でもあり、会議は
区役所
,組長の人選は
区役所
でなされ、総代人は意見を述べることができるが、住民の推薦というよりは
区役所
からの指令,組長の役目は①公布書類を組内に順達し、回覧後は保存すること、②
区役所
からの口達を組内に告知すること、③,組内の公事につき意見を
区役所
に具陳することができるとされていた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌市街の区画改正)
十三年市街区画工事が開始されたため、道路予定線上に家屋を建てた地主から、工事差止めかまたは延期の願いが
区役所
,
区役所
は、租税課に対して「当市街檜山通より以南、室蘭通より以西、道路建築ニ付、人民私有地建家等路線ニ係,そこで地理課は十三年八月、札幌
区役所
に対して地主たちの意見を調べるように依頼した。,十四年六月になってもその回答が来なかったため、地理課は再度
区役所
へ問い合わせた。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(区制施行基本構想)
のほか、直接市民に密接な関係を持つ事務をできるだけ委譲する、④出張所は原則として廃止する、⑤福祉事務所を
区役所
,に併設し、保健所・清掃事務所・土木事業所・消防署を各区に一所(署)配置する、⑥
区役所
設置場所の提案、というものであった
新札幌市史 第8巻1 統計編
(2統計の作成過程)
そして郡
区役所
と町村との間に係る通信手続は郡
区役所
において適宜設ける(第五条)こととされた。,これを受けて,1885年4月6日県乙第49号「郡
区役所
町村農商務通信準則」が制定された。 ,ニ原キ部内各分区ノ報道期ヲ定ムヘシ 第五条 郡
区役所
ニ於テハ毎年一回戸長諮問会等ノ節通信事項ニ関,現在札幌市には,『統計報告 自大正六年至大正九年』(札幌
区役所
)と題した資料が残されている。,各報告は道庁あるいは札幌
区役所
の統計用紙にあらかじめ表題,調査項目,前年計等を印刷し,
区役所
が該当数字
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌市街大下水の開削)
十六年六月、札幌
区役所
は札幌県衛生課に対し、「当市街の下水を疎通するは、目下の急務と存候間、大下水並に,そのため札幌
区役所
は、九月八日「該工事至急着手方、其筋へ御協議相成候様致度」と要求している。,札幌
区役所
はそれ以前に札幌県から、この堤防工事が竣工し鴨々川への大水門が完成しなければ大下水工事には着工,そこで札幌
区役所
は、九月十六日「右堤防工事竣工式御執行の場合に立至り候に付ては、折角市民の企望したる大下水之義
新札幌市史 第2巻 通史2
(人身売買の実態)
札幌県統計概表 16 17 - 79 明治16年 札幌県統計概表 21 15 46人 123 明治21年 札幌
区役所
統計概表,22 16 - 136 明治22年 札幌
区役所
統計概表 24 16 22 137 札幌繁昌記 25
新札幌市史 第4巻 通史4
(道路改良政策)
地方費道は道庁と支庁・
区役所
を結ぶ路線を中心に、準地方費道は支庁所在地と隣接支庁・
区役所
・管内町村所在地
新札幌市史 第8巻1 統計編
(はじめに)
はじめに 現在残されている札幌市の最も古い統計表は,『明治廿一年札幌
区役所
統計概表』(1889年刊),であるが,
区役所
で統計書が継続して作られるようになるのは,1910年(明43)以降であるため,この間の,また,現在の札幌市は,市街と周辺町村が合併して成立しているが(図参照),
区役所
で作られた統計書には,周辺町村
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
(『新札幌市史』第六巻)、「大友亀太郎文書補遺」『札幌の歴史』第一三号、東区今昔『大友堀』(札幌市東
区役所
編
新札幌市史 第3巻 通史3
(小学校卒業後の進路)
「札幌区内尋常小学校児童卒業後調」(表5)は、札幌
区役所
が明治三十六年度から三十九年度までの創成、札幌女子,、豊水の各尋常小学校と北九条尋常高等小学校の尋常科の卒業生を対象に調査したものである(札幌
区役所
明治四十二年度予算資料,344 310 90.4% 300 87.2% 23 40 10 4 札幌
区役所
,各小学校学年末ニ於ケル半途退学調」によると、高等科一年では一一三人、高等科二年では一四七人を数えた(札幌
区役所
新札幌市史 第2巻 通史2
(清潔法の実施)
清潔法の実施 毎年のようにくりかえされる伝染病の流行にともない、二十四年六月札幌
区役所
では夏期衛生上清潔法,二十八年の場合、北垣長官の清潔法施行の訓示にもとづいて五月二十一日、林区長は区内のおもだった人びとを
区役所
新札幌市史 第2巻 通史2
(ごみの処分)
札幌
区役所
では、特に札幌の場合融雪とともに塵芥がいたるところ露出して不潔きわまりなかったので、二十一年区民,札幌
区役所
ではみるみる堆積する塵芥処理法として二十八年七月、六〇余円をかけて塵焼場を設け随時焼却することとした
新札幌市史 第5巻 通史5下
(月寒公民館)
その後豊平
区役所
の移転に伴い、五十年に現在地に移転して今日に至っている。,の場合、専門職員ではないが、兼任の月寒公民館長として担当行政職が配置されており、その管理運営には豊平
区役所
新札幌市史 第2巻 通史2
(衛生取締)
次いで十二年には便所と下水の改良について諭告を発し、清掃を
区役所
の重要な衛生事務の一つとした(開拓使事業報告,さらに下水の浚渫修理等は地主の責任とし、汚物の運搬処理については、居宅周囲の道路はよく掃除し、その塵芥は
区役所
指定
新札幌市史 第3巻 通史3
(第一回議員選挙)
第一回議員選挙は四十年二月十三日、札幌
区役所
において行われた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(軍事機関)
第七師団司令部跡を札幌
区役所
に転用したことは先にふれた(四六頁)。 ,これにともなう
区役所
業務は「時局ニ伴フ特別事務、即チ動員事務ヲ始メ召集費宿舎料ノ支払取扱ノ為メ、俄然事務,明治四十年、陸軍省から軍馬の飼料需給施設の計画が伝えられると、
区役所
はその設置に積極的に協力した。
新札幌市史 第4巻 通史4
(市制施行)
札幌
区役所
における市制準備は四月になるとすぐ開始し、臨時の二係を置き市制研究会を全庁的に組織して、近年市制,を施行した市役所へ前例照会を行い、札幌市と同時に施行予定の道内
区役所
とも機構、分掌事務、職員待遇等の連絡,八月一日、市制施行日にあたり、道庁告示第五九〇号、札幌市告示第一号で前田宇治郎を市長臨時代理者に、第二号で
区役所
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人会の設置と役割)
そこで札幌
区役所
では十三年新たに全町村総代人を改選し、その内の希望者から総代人たちの選挙で区総代人を選出,そのため札幌
区役所
管内の町村を一三の区域に連合させた(連合区域と選出された人員については市史 第七巻一
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌の問題点)
該制度及関係命令中改正ヲ加フルノ要アリト認メラルル事項有之候ハハ、理由ヲ附シ至急御内申相成度」との通知に関し、札幌
区役所
,記 一
区役所
位置変更及字名改称等ニ関スル規定ヲ設クルコト 一 公民ノ資格ヲ単ニ直接国税及地租ニ限定,ヲ廃スルコト 一 九十五条予備費認定ノ件ハ全廃スルコト(北海道制区町村制改正草案 道図) 札幌
区役所
,
区役所
の位置変更にしても市制第七条にあって区制にない条項で、公民資格も市制との同一化をねらっている。
新札幌市史 第3巻 通史3
(社会係)
社会係 大正十一年四月、札幌
区役所
庶務課内に設置された社会係は表7のような事業内容を持っていた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区匡済会)
札幌区匡済会 札幌
区役所
では札幌区の米価調節と廉価販売を目的に、八月二十二日札幌区匡済会を組織した(,匡済会は二十七日より業務を開始し、毎日午前八時より午後八時まで
区役所
内において米・麦の販売券を希望者に
新札幌市史 第3巻 通史3
(区域と住民)
札幌支庁は三十二年八月二十二日付で区域図(案)を道庁に提出し、道庁は翌年十月十五日付で確定図を札幌
区役所
,そこで区制施行時に近い
区役所
製作図(内務省への特別税禀請書に添付したもの。,東八丁目道路を直線に北上し、東区北一一条東七丁目東
区役所
敷地の北東角に至り(キ)、そこから西折して北一二条道路,
区役所
調査になるという北海道毎日新聞記事(明33・2・7)は区の広袤を東西三〇丁、南北一里二五丁と載せている,どの地点を測定しているか明らかでないが、いずれにしても前述の予定道路以北を、
区役所
では行政域とみなしていなかったのかも
新札幌市史 第5巻 通史5下
(厚別副都心の形成)
区役所
・保健所などの公共・公益施設の整備は厚別地区の人口が一〇万人を超えるであろうと予測される五十五~,青少年科学館の建設、地下鉄東西線延長部分の営業開始、六十一年には区民センター、図書館、平成元年(一九八九)には
区役所
新札幌市史 第3巻 通史3
(境界変更)
年境界変更図 『区会ニ関スル書類』(明43),『境界変更ニ関スル書類』(明43)より作成 (原図;札幌
区役所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(各種手帳・相談事業)
各種手帳・相談事業 福祉の中心的な実施機関として、平成九年(一九九七)各
区役所
に保健福祉部を設置して
新札幌市史 第3巻 通史3
(行政機関)
住民の日常生活に直接関係する
区役所
、町村役場、病院、学校、消防、警察、郵便局等については、各章節において,ある時は苦労して入手した
区役所
の敷地建物を鉄道管理局に提供し、司法地区形成にも長年の強い働きかけがあった,同 札幌分担区員駐在所 北1西1 札幌
区役所
,北海道農会,札幌商業会議所,北海道教育会附属図書館,東北帝国大学農科大学図書館
新札幌市史 第2巻 通史2
(伝染病対策)
づけたにもかかわらず接種を受けないものがあり、流行年には春・秋二期に限らず期間を延長したり、種痘施行場所(
区役所
,号にもとづいて、警察署・郡役所・戸長役場が防疫の徹底方にあたることになっていたので、検疫事務所を札幌
区役所
,するきざしが現われたので、この予防のため七月三十日道庁訓令第五七号を出し、コレラ予防のための衛生組合の編成を郡
区役所
戸長役場
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正四年大正大礼と国家神道)
大正大礼に際し、いかに札幌の区民が神道儀礼で奉祝するように徹底されたかは、札幌
区役所
より各戸に発せられた,各神社の大典奉祝はさまざまであり、藻岩の伏見稲荷神社では札幌
区役所
他一六カ町村役場員の植樹奉告祭が行われ
新札幌市史 第3巻 通史3
(口絵)
中段の左端に石造の北海道拓殖銀行、郵便局北隣に札幌
区役所
、その隣に中央創成尋常高等小学校、その右隣樹木中
新札幌市史 第4巻 通史4
(市域)
ここから旧大友堀跡にそって西進し、東区北一一条東七丁目までくると角に東
区役所
がある。,
区役所
北側にあたる北一二条と北一一条の境をなす道路を東へ向かい、創成川と合する地点がスで、区図のクと同一地点,ここは明治四十二年八月十日
区役所
位置としたところで(札幌区告示五六号 明42・8・10)、以後新庁舎移転,まで継承したから、
区役所
から通して二七年八カ月余ここに位置したことになる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(二十年代の札幌の発展とその後)
そしてその発展を支えたのは、明確な都市計画はないが、前述のような都市建設の方向性が北海道庁(札幌支庁)、札幌
区役所
新札幌市史 第3巻 通史3
(公設便所)
公設便所 公設便所は、三十二年区制施行段階で区内二九カ所に設置され、汲取掃除は衛生組合長の責任とし、札幌
区役所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(政令指定都市への移行)
区役所
で扱う事務は、従来出張所で行ってきたもの全部と、本庁舎や出先機関で行ってきたものの一部で市民の日常生活,に密接に関係のある事務が
区役所
に移された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(臨時経画調査委員の成果)
九月十七日、産業部会が
区役所
で開催された。,十月十六日には
区役所
で総会を開き、杉本助役が議長となって各部会に各種の事項を諮問し、各部会で問題の解決,大体の方針を協議し、区内道路を三等級に区分し、人道車道の区分けを
区役所
が原案を出して協議することにした
新札幌市史 第3巻 通史3
(同業者組合)
『札幌商業会議所報』一五号によると、大正八年十二月六日午前十一時より札幌
区役所
楼上において、札幌書籍商組合
新札幌市史 第5巻 通史5下
(事務機構改革)
まず、市行政の総合的な企画と都市計画、事業の調整、
区役所
の連絡調整などにあたる企画調整局を新設した。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(4統計学の普及)
こうして北海道庁第1回統計講習会は,統計の専門家を養成したばかりでなく,
区役所
,商業会議所の統計書の編纂活動,発起人は道庁の村林直治,札幌
区役所
の佐瀬徳五郎,札幌商業会議所の中山潤の三氏であり,設立発起人会は札幌商業会議所,ここでは設立発起人として道庁,
区役所
吏員のほかに,商業会議所,銀行,会社関係者が挙がっており,それまでの,統計講習会が,
区役所
または道庁が組織的に開いていたのとは異なり,統計実務担当者からの自発的な活動であった,講習生は道庁各支庁
区役所
町村吏員ならびに一般の有志者等129人と,第1回講習会に比べると二倍以上の参加者
新札幌市史 第2巻 通史2
(交通網の整備)
そのため二十年代初期の市街道路の改修で、砂利敷きを手始めとして、道庁、
区役所
も順次道路の整備を進めていった
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