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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (新道切開之儀申上)

新道切開之儀申上 これをうけて六月二十二日に、堀・村垣より「西地ヲタルナイ領セニハコより東地千歳川迄新道切開之儀, 力石勝之助 同 奥村季五郎 同 井上 茂輔   向山栄五郎 西地ヲタルナヰ領セニハコより東地千歳川迄新道切開之儀申上候書付,平原沢野打続水草之弁利宜、在住之向も追々移住致候儀ニテ、実ニ蝦夷地之咽喉とも可申土地柄ニ御座候、然ル処西地より之通路是迄千歳川,入費も不少、殊更木立無之雪中往来差支、夏分ハ出水も有之候間、セニハコ漁場よりサツホロハツサフ山麓ニ添ひ千歳川,在住之者共え同処ニテ夫々屋敷地割渡開発等も取掛候儀ニ有之、ヲタルナヰ領セニハコより発作部山麓通り東地千歳川迄
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリアイヌの入会権)

イシカリアイヌの入会権 かたや千歳アイヌのイシカリ川筋での漁、かたやイシカリ川筋のアイヌの千歳川筋での,それでは具体的に、イシカリ川筋のアイヌが千歳川筋に有したそれは、どのような経緯で成立したのだろうか。,以上が、イシカリ川筋のアイヌが千歳川上流、すなわちイザリ川あるいはムイザリ川での漁業権を持つにいたった,これらは、すべて千歳川筋アイヌとの入会漁業であった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (東蝦夷地の仮直轄)

ところが、前述したような東蝦夷地の仮直轄となり、シママップ川から千歳川をもって幕府領の境界としたので、
新札幌市史 第1巻 通史1 (産物の流通)

そして、人と物の往来・流通の関係からか、千歳川筋の産物が、船便のあまりよくない太平洋側のユウフツに出されず,とユウフツ場所の、人と物の往来・流通関係の上に、東蝦夷地の幕府直轄が強行され、イシカリ川筋のアイヌの千歳川筋
新札幌市史 第1巻 通史1 (雇の実態と代償)

この場合の賃金は距離によって異なり、運上屋を基点に、アツタ賃米五合、オタルナイ同七合五勺、千歳川(川上,また冬期の千歳川の場合、賃米六升と鯡・干鮭の類と出入時に定式濁酒と決まっていた。,さらに細かくは、用状持出発時に飯一杯、帰着時に飯一杯、濁酒二杯ずつが、またオタルナイ、アツタ、千歳川よりの,ただし、千歳川への通行送りの場合のみは、実際に清酒、濁酒を支給した。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (元禄御国絵図)

をしよろこつ」、「ついしかり」、「かばた」、「めいぶつ」、「夕別」の地名が並び、「ついしかり」付近には、現在の千歳川,千歳川を遡ると、「しままつぷ」、「いへらまこ(いへちまた)」、「つうめん」、そして「このぬま四里四方程
新札幌市史 第4巻 通史4 (陸軍特別大演習)

対敵行動開始後  作戦十月三日 一 、師団主力ハ午前十時頃ヨリ逐次北広島附近ニ到着シ当面ノ敵ヲ撃破シテ夕刻頃千歳川,受ケ午後三時頃夕張川右岸地区ニ後退シテ敵ヲ拒止ス      作戦十月四日 一 、師団主力ハ午前四時頃千歳川右岸地区,ニ於テ敵ト遭遇ス 次テ師団長ハ島松陸軍演習場附近ニ陣地ヲ占領シ機ヲ見テ攻勢ニ転スルニ決シ一部ヲシテ千歳川,主力ヲ以テ北海道鉄道方面ニ兵力ヲ転用スルニ決シ由仁支隊ヲシテ当面ノ敵ニ対セシメ主力ハ鉄道及行軍ヲ併用シ千歳川
新札幌市史 第1巻 通史1 (上ツイシカリアイヌの離散)

家数三十七軒   上ツイシカリ場所   人数百四十八人    此住居旧来唱来 一  家数七軒     千歳川之内,移転先の内訳は、千歳川のイザリブトへ七戸、二六人、ハッサム場所へ三戸、九人、トウベツブトへ二戸、八人という
新札幌市史 第1巻 通史1 (山崎半蔵)

翌六月一日は、千歳川を下り、イザリブトを通ってイシカリ川へ出、その日のうちにイシカリに到着したが、途中
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサムよりシユママツフへ)

ここまでトイヒラより五里で、この後、千歳川の番所に至っている。
新札幌市史 第1巻 通史1 (『土人由来記』)

史料に、「右網ハ元来ユウフツより相初り候事故、イシカリ土人共方にて聊故障無之、勿論イヘツフトより川上之千歳川筋之儀,この千歳川流域は、イシカリ川の支流でありながら、シコツ十六場所(ロウサン、下ママツ、上ムカワ、下ムカワ
新札幌市史 第1巻 通史1 (新道の再整備)

に、箱館奉行竹内保徳の廻浦によるイシカリ入りに備えて、「近日之内ニ御奉行様御通行御出被遊ニ相成、仍テ千歳川
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム道)

公務日記』によると、六月一日付で堀から箱館の村垣範正への御用状には、①発寒部(ハッサム)在住地所割渡し、②千歳川新道取極
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ乙名へ農具の支給)

第二にハッサム在住地の割渡し、第三に千歳川通(サッポロ越)新道の取りきめ、第四にユウフツのイシカリ出稼漁場
新札幌市史 第1巻 通史1 (村垣範正の廻浦)

村垣範正はこの後、二十七日に千歳川を下り、その夜はツイシカリの通行屋に宿泊し、翌二十八日にイシカリ・ハッサム
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫『入北記』(カラフトからの帰り))

此川ハ千歳川ヘ落ル由ナリ。  茲ヲ去ルコト一里余、手前ニ川アリ、イサリ川ト云フ。急流巾七八間ナリ。,右何レモ千歳川ニ落ツルト云フ。鮭鱒ノ類登リ来ルト云フ。,千歳川発シテヨリ草木大抵落葉セシカ、唯此地計リハ蕎葉未タ青々トシテ見ヘタリ。,サテ千歳川ハ文化年中ヨリ名付シコトト見ヘ、其由来ヲ糺シニ、此川ハ鶴多キユヘ川ヲ千歳ト名付ツケタル由ナリ
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の出稼)

山田の鮭場増設はさらにつづき、安政四年(一八五七)に浜中の川口西方、エベツブト近くのホリカモイ、千歳川筋
新札幌市史 第1巻 通史1 (ウライの没収と出漁禁止)

没収に際し、ユウフツ詰高橋、河西の両人は、千歳川支配人重次郎を通して、「尤以後東西一統御用地ニも被仰出候
新札幌市史 第1巻 通史1 (堀利熙の再訪)

利熙は六月二日にイシカリを出立した後、ソウヤ・シャリ・ネムロ・トカチ・ユウフツを廻り、この日は千歳川を
新札幌市史 第1巻 通史1 (埋められた大地)

さらに、低地帯南部における軽石流の下底の等高線が示す古地形から、この時期には、千歳川や漁川(いざりかわ
新札幌市史 第1巻 通史1 (平山謙二郎と一瀬紀一郎)

ここで本隊とおちあうが、千歳川を下る道すがら平山の詠んだ詩が『省斎遺稾』にみられる。,岸頭梨花一簇似雲、極目無人煙 梨花五月満溪明 異境風光慣不驚 暮雲千里人煙絶 日落荒山飢鳥声   千歳川舟中
新札幌市史 第1巻 通史1 (集落)

これらの大集落は、小集落が近接した地域に集まった形態で、同様な例は同じ道央部の千歳川流域でも認められる
新札幌市史 第1巻 通史1 (夷境の一都会)

北海道大学附属図書館蔵  これらの史料によると、一行がイシカリに向け千歳の宿を出立するのは七月六日、丸木舟で千歳川
新札幌市史 第1巻 通史1 (新道の必要性)

新道の必要性 イシカリ・ユウフツ間の往来は、従来、イシカリ・千歳の間は石狩川及び千歳川の舟運が利用され
新札幌市史 第1巻 通史1 (サッポロ調査)

西蝦夷地の沿岸を船で北上して北蝦夷地に入り、帰途八月にイシカリに立寄ってからさらに石狩川をさかのぼり、千歳川
新札幌市史 第1巻 通史1 (小野寺篤謙の遊歴)

さらに、江差では岡羊(半か)右衛門からイシカリ川の話を聞き、藩医西川杏平からイシカリ川と千歳川が松前宗谷
新札幌市史 第1巻 通史1 (第二回訴願)

、上ツイシカリの知行主は松前貢、請負人近江屋三郎次、運上金は二〇両であった)の主要産物である干鮭は、千歳川領
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎のイシカリ川筋探検)

八月十九日、イシカリ川を遡って千歳川へ出るため河口を舟で出発した。,ツイシカリより先は、エベツブト(イベツブト)でイシカリ川本流と分かれ、支流の千歳川に入った。
新札幌市史 第1巻 通史1 (弘化三年の調査)

そして翌二十日ツイシカリを立って、シノツ、エベツプトを経て、江別川(千歳川)に入り、シママップ、チトセ
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ・サッポロの検分)

その際、イシカリ川を遡る鮭魚がここから支流の千歳川に入る分は七割、本流をすすむのは三割だという聞取りはおもしろい
新札幌市史 第1巻 通史1 (第三回訴願と収拾)

のように決めたのは、シリコノエらが漁に行っていたために、ウライを拵える時節になっても無人であった折、千歳川
新札幌市史 第2巻 通史2 (郡区と町村)

すなわちシユプンベツ川と千歳川の落合よりノツポロ川の支流に沿って字熊の沢に至る線を境界とし、現広島町大曲以南
新札幌市史 第1巻 通史1 (北方未来考)

斉昭がここを拠点に選んだのは、イシカリ川の輸送が利用でき、かつユウフツへは千歳川を遡れば通行可能な便利
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫)

ツイシカリ─エベツ方面の洪水防止と湿地改良のため千歳川へ排水路を掘り、イシカリ川の分水路を開削し築堤を
新札幌市史 第1巻 通史1 (動員されるアイヌ)

ユウフツアイヌのイシカリへの出稼は、イシカリアイヌのユウフツ領千歳川への出稼と同様、第六章で触れたように
新札幌市史 第7巻 史料編2 (解題)

しかし後間もなく千歳川において大規模に行われることになり、この試験は北海道孚化事業の端緒を開いたものとなった
新札幌市史 第1巻 通史1 (井上貫流一行)

さらに、エベツブトより先は、千歳川を遡って、「リフンヘツ」で一泊しようとするが、日没のため小屋さえ見つからず
新札幌市史 第1巻 通史1 (玉虫左太夫『入北記』(カラフトへ向かう))

是ヲ過キ一里余行キテ、イビツブトト云フ千歳川筋出口アリ。幅半丁余ニシテ是又宜シキ川ナリ。,夫ヨリ、イサリブト、千歳川、ユウブツトツヽクト見ヘシカ、夫レ迄ハ探索セスシテ戻リケルコソ残念ナリ。,ク土塁ヲ築キ氾濫ノ水ヲ防キ、且ツ(容易ノ事ニアラネトモ)石狩川ノ水勢ヲ分チナハ善地トモナルベシ(第一千歳川
新札幌市史 第1巻 通史1 (第一回訴願)

かではあるが、知行主である今井新右衛門に内緒にして貸したので、請負人より叱責されたこと、②近年ユウフツ、千歳川
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