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新札幌市史 第1巻 通史1
(厚別台地)
厚別
台地
厚別
川の東側、野幌丘陵まで広がる台地である。,この台地も支笏軽石流の形成したものであり、ほぼ南北方向に流れる三里川、野津幌川により大きく三ブロックに
区
分,それらは、
厚別
川寄りから、里塚霊園(標高一〇〇メートル、傾斜三~四度)・真栄高台(同九〇~八〇メートル,上野幌―青葉町―ひばりが丘、
厚別
中央などが位置する台地、そして、東端はもみじ台団地―小野幌団地などの台地,これらの
厚別
台地は緩やかな起伏に富んだ地形を呈していたが、大規模な宅地造成にともない原地形はほとんどその /
厚別
台地
新札幌市史 第5巻 通史5下
(厚別副都心の形成)
厚別
副都心の形成 札幌市では、昭和四十六年(一九七一)策定の札幌市長期総合計画のなかで、多核心的な都市形態,を積極的に推進するために、
厚別
地
区
と石狩湾新港後背地に副都心的商業業務地
区
を配置する方針を立てた(長総,
厚別
地
区
は三十四年以来、ひばりが丘団地、青葉町団地、
厚別
町副都心団地、もみじ台団地が造成、分譲されていた,発表され、この地域に副都心的商業業務地
区
として
厚別
副都心計画が進められることになった(十三期小史)。,
区
役所・保健所などの公共・公益施設の整備は
厚別
地
区
の人口が一〇万人を超えるであろうと予測される五十五~ /
厚別
副都心の形成
新札幌市史 第2巻 通史2
(開成社と厚別の信濃開墾)
開成社と
厚別
の信濃開墾 開成社は十五年に長野県東筑摩郡二子村(現松本市)の牛山民吉、札幌の実業家石川正蔵,河西由蔵も同じく上諏訪村出身で、十五年三月に白石村の
厚別
に入植する。,河西を追って
厚別
に移住してくる長野県出身者が多く、ここが信濃(信州)開墾と称されるようになった(同前 ,信濃開墾について十六年十一月の札幌
区
各村移民景況取調の「復命書」(市史 第七巻)は、八戸二九人が「十五年四月私費,さらに水田開発の試みも成功し、
厚別
川流域には広大な水田が開けていった。 / 開成社と
厚別
の信濃開墾
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二三七遺跡(白石区厚別東二条一丁目))
◇S二三七遺跡(白石
区
厚別
東二条一丁目) 昭和四十九年に市道新設工事に伴い発掘調査された。 / ◇S二三七遺跡(白石
区
厚別
東二条一丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二四二遺跡(白石区厚別東四条四丁目))
◇S二四二遺跡(白石
区
厚別
東四条四丁目) 小野津幌川右岸段丘上に立地、標高二〇~二六メートル、昭和四十九年 / ◇S二四二遺跡(白石
区
厚別
東四条四丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))
◇S一五三遺跡(白石
区
厚別
東三条二丁目) 野津幌川右岸段丘上に立地、標高二七メートル前後、軽工業団地造成 / ◇S一五三遺跡(白石
区
厚別
東三条二丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))
◇S一五三遺跡(白石
区
厚別
東三条二丁目) 八〇〇個におよぶ土壙墓が検出されており、八割は続縄文時代に / ◇S一五三遺跡(白石
区
厚別
東三条二丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S一五三遺跡(白石区厚別東三条二丁目))
◇S一五三遺跡(白石
区
厚別
東三条二丁目) 野津幌川右岸の標高二七メートル前後の段丘上に位置する。 / ◇S一五三遺跡(白石
区
厚別
東三条二丁目)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二五五遺跡(白石区厚別町上野幌八七六番地他))
◇S二五五遺跡(白石
区
厚別
町上野幌八七六番地他) 野津幌川とその支流によって解析された台地上に立地し,遺構および発掘
区
からはトコロ第六類土器とそれにともなう石器しかみつかっておらず、本遺跡はトコロ第六類期 / ◇S二五五遺跡(白石
区
厚別
町上野幌八七六番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(台地の区分)
台地の
区
分 豊平川の東側は、西部山地とはまったく対照的に、平坦な台地や丘陵地が広がっている。,これらの台地や丘陵地は、豊平川右岸の平岸の台地(平岸面=次節参照)を除き、地形や地質の特性から次のように
区
分,すなわち、西から東へ、西岡台地、月寒台地、清田台地およびそれらの南部に続く滝野丘陵、そして
厚別
川の東側,に広がる
厚別
台地とそれに続く野幌丘陵である。,図-3 東部台地・丘陵地の地形
区
分 / 台地の
区
分
新札幌市史 第5巻 通史5下
(分区の実施)
特に白石
区
と西
区
は人口増加が著しく(表11)、昭和五十四年頃から
区
長懇談会で分
区
の声が相次いだ。,表-11 白石
区
、西
区
、豊平
区
の人口の推移 昭45 50 55 60 平2 7 12 白石
区
157,482,195,644 228,061 263,938 188,043 192,102 197,223
厚別
区
,平成元年十一月六日、新しく
厚別
区
と手稲
区
が誕生した。,誕生時の人口は、白石
区
一八万四八八〇人、
厚別
区
一〇万九八八八人、西
区
一九万一二九四人、手稲
区
一〇万五二九二人 / 分
区
の実施
新札幌市史 第4巻 通史4
(区から部へ)
への事務分掌、
区
長・
区
長代理による町村長の事務補助の規程により、行政
区
の設置と
区
長・
区
長代理の任命が行,豊平、月寒本通、東北通、西北通、上西山、下西山、西通、二里塚、
厚別
北通、
厚別
、
厚別
南通、三里塚、公有地,、五年四月に滝ノ沢・白井川
区
を定山渓市街
区
に編入、七年六月に上西山・下西山
区
を西山
区
に統合するなどの改正,上白石第一~四、米里、横町、中央、本通、南郷、北郷、大谷地、野津幌、下野津幌、旭町、
厚別
東、
厚別
西、本田,(九年四月に山本と改称)、
厚別
川下、小野幌。 /
区
から部へ
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T三六一遺跡(豊平区里塚三七五他))
◇T三六一遺跡(豊平
区
里塚三七五他) 確実に判明している続縄文時代の土壙墓が、総計九個検出されている,他にS二六七・二六八遺跡(白石
区
大谷地九五六他)、S三〇五遺跡(白石
区
厚別
東二条五丁目)、S四一〇遺跡,(白石
区
本通一八丁目南)、T四七二遺跡(豊平
区
里塚)、S四五八遺跡(白石
区
厚別
南二丁目)、S三二〇遺跡,(白石
区
旭町九九〇他)では、遺構は発見されていないが続縄文土器のみ検出されている。 / ◇T三六一遺跡(豊平
区
里塚三七五他)
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
表-15① 篠路村字名対照表 改称字名 旧字名 行政
区
画 篠路 札幌太,キウス 本村,横新道,興産社の,,
厚別
北通,
厚別
南通,
厚別
川上,
厚別
焼山 真栄
厚別
,
厚別
南通,三里塚,器械場,焼山,
厚別
西山 北野,
厚別
,北通,二里塚,
厚別
北通,二里塚奥,大谷地,北通
厚別
川 平岡
厚別
,三里塚,北通 里塚
厚別
,三里塚,,三里塚北通,米山,大曲川尻,大曲川沿,野津幌,大曲,土橋 有明
厚別
,
厚別
南通,
厚別
西山,
厚別
川上,,ニンベツ,三滝ノ沢,ニーベツ,西山,
厚別
上流 滝野
厚別
川上,機械場,西山,
厚別
,滝ノ下,滝ノ上,
厚別
器械場
新札幌市史 第7巻 史料編2
(四 札幌区各村移住農民状況取調復命書)
四 札幌
区
各村移住農民状況取調復命書 五九 庁下近村巡回復命書(明治一五年九月) 六〇 復命書(明治一六年一一月,) 六一 岡山県移民
厚別
移住景況取調(明治一六年一〇月) 六二 復命書(明治一七年七月) 六三 / 四 札幌
区
各村移住農民状況取調復命書
新札幌市史 第5巻 通史5下
(続く開発)
であり、千歳線の新駅、新札幌駅を中心とする
厚別
副都心新札幌の誕生であった。,札幌市では四十五年の札幌市長期総合計画にて、
厚別
地
区
に「副都心的商業業務地」の配置がうたわれており、これが,
厚別
副都心構想の端緒となる。,四十七年に
厚別
副都心構想をたて、千歳線の新駅(新札幌駅)の周辺部、約二〇万平方メートルの敷地に官公署、,副都心構想から発展した
厚別
区
は現在、約五万世帯、一三万人を数えている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T四六五遺跡(豊平区羊ヶ丘一))
◇T四六五遺跡(豊平
区
羊ヶ丘一) 縄文時代の遺物に混じって続縄文時代最末期に属する「北大式土器」が多数検出,他にT二九七遺跡(豊平
区
清田五条二丁目)、T二〇三遺跡(豊平
区
西岡四条二丁目)、S九〇遺跡(白石
区
平和通一五丁目北,T二〇三遺跡、S九〇遺跡は月寒川に関連する段丘上に立地し、T二九七遺跡は
厚別
川の支流に関連する段丘上にある / ◇T四六五遺跡(豊平
区
羊ヶ丘一)
新札幌市史 第5巻 通史5下
(寺史の編纂)
本格的な寺史で最初のものは、日正寺(日蓮正宗、北
区
北三六西四)の『日正寺五十年史』(昭44)である。,最初の百年史は、琴似屯田兵村と共に創設をみた日登寺(日蓮宗、西
区
山の手二―一)の『日登寺百年史』(昭50,昭和六十年代に入り開基一〇〇年を迎えるところが多くなり、安楽寺(本願寺派、
厚別
区
厚別
中央三―三)の『アンペラ,の扉』(昭60)、智徳寺(大谷派、
厚別
区
厚別
中央三―四)の『朝焼』(昭62)、龍雲寺(浄土宗、北
区
篠路五,他には、妙覚寺(日蓮宗、中央
区
円山西町二)が、『妙覚寺三十年史』(昭61)を出している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡の立地と地形)
にある紅葉山砂丘(もみじやまさきゅう)、それに市内東部の野幌丘陵、月寒丘陵(台地)などと呼ばれる月寒川、
厚別
川,一方、月寒台地に入ると望月寒川流域の白石
区
平和通・本通(標高二〇メートル付近)、平岸・月寒西(標高四〇,野幌丘陵では、
厚別
川の支流沿いの大谷地(標高二〇~三〇メートル)、平岡・清田・真栄(標高五〇~七〇メートル,)、
厚別
川と野津幌川にはさまれた
厚別
南・
厚別
町上野幌(標高三〇~五〇メートル)、野津幌川の支流沿いの
厚別
町上野幌,・
厚別
東(標高二〇~五〇メートル)などに遺跡が濃く分布する。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郵便局の増設)
厚別
西二条(白石
区
厚別
西2-3)。手稲星置(西
区
星置、簡易)。札幌平岸六条(豊平
区
平岸6-13)。,
厚別
ひばりが丘(
厚別
中央1-4へ移転、
厚別
旭町を改称) 62 札幌平岡(豊平
区
平岡6-2) 。,
厚別
原始林通(白石
区
厚別
東3-3)。札幌南二条(中央
区
南2西7)。札幌北一条中(中央
区
北1西7)。,札幌西(西
区
山の手5-1へ移転、琴似を改称、普通) 3 新札幌駅デュオ(
厚別
区
厚別
中央2-5)。,北海道郵政局内(中央
区
北2西4) 4 札幌森林公園駅前(
厚別
区
厚別
北2-5)。
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S四一一遺跡(白石区大谷地八八二番地他))
◇S四一一遺跡(白石
区
大谷地八八二番地他) 北海道縦貫自動車道札幌南インターチェンジ建設に伴い昭和五十二年,この他に、S二三九遺跡(白石
区
上野幌一〇〇四番地他)では、微隆起線文の付く縄文土器が極少量検出されており,、S三〇八遺跡(白石
区
厚別
東五条三丁目)では試掘調査にて貝殻文土器が若干検出されている。 / ◇S四一一遺跡(白石
区
大谷地八八二番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六七・二六八遺跡(白石区大谷地九五六番地他))
◇S二六七・二六八遺跡(白石
区
大谷地九五六番地他) 北海道縦貫自動車道の建設に伴い昭和五十、五十一年,に発掘調査された遺跡で、大谷地神社、北星学園大学の対岸、
厚別
川に注ぐ大きな小支谷の右岸段丘上に立地している / ◇S二六七・二六八遺跡(白石
区
大谷地九五六番地他)
新札幌市史 第5巻 通史5下
(社会体育施設の充実~一区一体育館と温水プール~)
社会体育施設の充実~一
区
一体育館と温水プール~ 市長が提唱した「健康都市さっぽろ」の中心は、屋外の自然環境,ここで、市初の
区
体育館(白石
区
(現
厚別
)、西
区
(現手稲))が建設されることになる(昭56・2開館)。,市民の多様なスポーツ要求にこたえるため、各
区
に総合的な体育施設として、
区
体育館の建設を進めるとともに、,同計画では、四つの新規
区
体育館建設が計画され、その後も分
区
にあわせ各
区
に体育館が整備されていった。,~平8)、夏期間の美香保、月寒体育館のみであったが、四十九年に発寒温水プール(~平11)、五十一年に
厚別
温水 / 社会体育施設の充実~一
区
一体育館と温水プール~
新札幌市史 第1巻 通史1
(軽石流の分布)
溶結凝灰岩の分布をみると、前記の石山付近をはじめ軽石流が厚く堆積している地域で、真駒内より南の石山地
区
や,精進川沿い、山部川沿い、真栄以南の
厚別
川流域などである。 ,逆にいうと、これらの高まりを除いた石山地
区
、滝野丘陵、西岡台地、清田台地、
厚別
台地などの地域である(第一章第二節参照,つまり、南
区
の澄川を含めて、豊平
区
、白石
区
の高台住宅地の大部分がこの軽石流堆積物の上に立地しているのである,また、白石
区
の北郷、川北、川下などの低地帯地下にも分布している。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市内の神社)
中央
区
伏見2 明17 郷社 9月 9日 昭61 昭61 昭62・10 札幌村神社 東
区
北16東14,61 昭61 信濃神社
厚別
区
厚別
中央4-3 明30 村社 9月15日 昭53 平11 平12 苗穂神社,東
区
元町2-3 明30 無格社 9月 5日 昭52 平16 平 8・11 丘珠神社 東
区
丘珠町 明15,日 昭46 昭46
厚別
神社 豊平
区
平岡2-1 明 7 無格社 9月12日 昭45 昭45 昭49,大谷地神社
厚別
区
大谷地西2 明30 無格社 9月 7日 昭49 白石神社 白石
区
本通14 明
新札幌市史 第5巻 通史5下
(寺院数の増加)
厚別
・清田
区
五寺は少ない方である。,同
厚別
区
厚別
南6 平 9・ 6・16 平取町より転入 観照寺 同 西
区
山の手3-5 平10・ 5・,同 東
区
東苗穂10-2 昭50・ 5・13 瑞法院、平4・6* 禅聖寺 同
厚別
区
厚別
西2-5 昭53,10 昭59・ 1・20 昭55・12・20創設 直唱寺 同
厚別
区
厚別
中央4-2 平 2・ 2・23,・ 5 広照院 同 東
区
本町1-3 平12・ 8・11 大照寺 真言宗智山派
厚別
区
大谷地東3 昭
新札幌市史 第5巻 通史5下
(立正佼成会・PL教団・生長の家)
立正佼成会・PL教団・生長の家 立正佼成会札幌教会(
厚別
区
厚別
中央二―六、本部東京都杉並
区
)は、教団,四十六年一月に北海道教会の代わりに設置された北海道教
区
も、やはり教会内に併設となっていた。,市内の教会としては札幌中央(豊平
区
平岸四―一四、昭22・6・19設立)、札幌白石(白石
区
本郷通三、昭44,・7)、札幌北(北
区
北四〇西六、昭48)、札幌中(南四西一五、昭57・5・9)の諸教会、
厚別
出張所(
厚別
区
青葉町二,生長の家(札幌教化部、西
区
発寒九―一二、本部東京都渋谷
区
)は、戦後、札幌では『白鳩』『光の泉』を購読する
新札幌市史 第5巻 通史5下
(単立の施設)
現徳院(西
区
宮の沢二―一)は金毘羅大権現を本尊とし、五十四年六月に中宮孝子が創始して活動を開始し、平成二年七月十日,に手稲
区
稲穂二条七丁目から西
区
西野二条三丁目、十年十一月二十一日に現在地へ移転しており、八年八月二十二日,普賢(ふげん)宗正龍院(
厚別
区
厚別
西二―二)は、川村行弘が普賢菩薩を本尊として昭和四十八年八月に普賢講,プリズム・ヨーガマスターズ教団(西
区
山の手六―三)、は、六十一年八月五日の設置(法人化)であった。,命会(中央
区
北一三西一五)は昭和四十四年十一月に発足し、五十年六月十一日に法人化していた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(豊平村、豊平町の概況)
この年の戸数は一五一八戸、人口は八四一三人であり、札幌
区
の周辺七カ村の中では面積とともに最大の村であった,そして大字豊平村の商業地域は四十三年四月一日に札幌
区
に編入され、〝難治村〟が解消されることになった。,大字豊平村に八部、大字平岸村に一二部、大字月寒村に一二部、合計三二の部が置かれていたが、豊平村の大部分が札幌
区
に,豊平、〔大字月寒村〕月寒東通、月寒西北通、月寒東北通、月寒西通、月寒上西山、月寒下西山、二里塚、牧場、
厚別
,、
厚別
北通、
厚別
南通、公有地、三里塚、三里塚北通、器械場、〔大字平岸村〕平岸下本村、平岸上本村、東裏、
新札幌市史 第5巻 通史5下
(工業団地の特徴)
、
厚別
地
区
軽工業団地が四十九年、東苗穂工業団地が五十三年である。,2工業団地 114,217 26 41 450 950
厚別
地
区
軽工業団地 101,809 18 27,
厚別
地
区
軽工業団地は、「食料品」、「建具」など札幌の代表的な軽工業業種をもっている。,2工業団地
厚別
地
区
軽工業団地 合計 建設用・建築用金属製品製造業 23 12 3 8 1 10,それぞれの工業団地についてみると、一〇〇〇万円未満層が過半をしめる発寒地
区
第二、東苗穂、
厚別
地
区
軽工業
新札幌市史 第5巻 通史5上
(土地区画整理事業の展開)
土地
区
画整理事業の展開 前述のように住宅地が郊外に拡大していったが、新住民の方から
区
画整理の要望が出,また鉄東地
区
のように伏籠川により発展が阻害されているような地
区
からも
区
画整理の要望が出されるようになった,しかし札幌市がはじめて直接手がけることになった伏見地
区
土地
区
画整理事業や戦争中に事業認可された西郊地
区
土地
区
画整理事業,86,360 吉田山 S39~42 13 38,760 東大東 S39~44 54 129,225
厚別
西
区
,347,000 光星 S44~52 69 3,240,000 菊水元町 S46~52 53 1,235,000
厚別
駅前 / 土地
区
画整理事業の展開
新札幌市史 第1巻 通史1
(東部地域の泥炭地)
前述したように、大谷地から
厚別
低地、あるいは篠路―拓北などの泥炭は沼を埋積したもので、層厚も五~六メートル,図-4 札幌市の泥炭地の分布 大谷地から
厚別
にかけての泥炭地(*1)は、低位泥炭(*2)および,北
区
篠路町拓北から東
区
中沼―江別市対雁に広がる泥炭地は、低位・中間(*3)・高位泥炭からなり、高位泥炭,図-5 (1)白石―
厚別
地の泥炭層の柱状図 図-5 (2)篠路地域の泥炭層の柱状図 ,また、東米里における泥炭層の花粉化石の研究から、大谷地―
厚別
泥炭地の形成は約三八〇〇年前からはじまったと
新札幌市史 第5巻 通史5下
(区制をめぐる議論)
その主な内容は、①一
区
あたりの人口を八万から二〇万程度とし、七
区
に分ける、②
区
の名称を中央
区
、幌北
区
、,北栄
区
、白石
区
、豊平
区
、藻南
区
、琴似
区
とする、③豊平
区
役所は当面現在の月寒庁舎を使用し、将来平岸に新築,する、④篠路、
厚別
、清田、定山渓、手稲の五カ所の出張所を設ける、といったものであった。 ,議案は市民から二三件の請願・陳情とともに総務委員会に付託され、同委員会は、
区
の名称変更(幌北
区
を北
区
に,、北栄
区
を東
区
に、藻南
区
を南
区
に、琴似
区
を西
区
に)、豊平
区
役所の位置の再検討、出張所の増設などを市長に /
区
制をめぐる議論
新札幌市史 第5巻 通史5下
(東部地域などの開発)
この地域は、
厚別
副都心の後背地であり、西は
厚別
西通、北は南郷通、東は大曲川(広島町境界)、南は旧国道三六号,その後、発寒地
区
、前田西地
区
など(昭59)、東苗穂地
区
、清田・真栄地
区
など(昭60)、屯田地
区
(昭61,)、里塚地
区
(昭62)、丘珠地
区
(昭63)、篠路地
区
(平1)、平岡・里塚地
区
(平2)、里塚地
区
南(平3,)、上野幌・平岡地
区
(平4)、
厚別
西地
区
(平5)、西藤野地
区
(平6)、
厚別
東地
区
(平7)、篠路中部地
区
,この地
区
の土地
区
画整理事業(三七八・二ヘクタール、昭54・1・11都市計画決定)は、篠路拓北地
区
土地
区
画整理事業
新札幌市史 第5巻 通史5下
(天理教の教会数)
市内への転入教会をみると、古くは大正六年に長沼分教会(豊平
区
中の島二―五)が長沼町より移転していたが、,道 年譜・部内扁 平9)、羽幌分教会(
厚別
区
厚別
西五―四)は羽幌町より四十七年八月、美流渡(みると)分教会,(清田
区
真栄四―一)は栗沢町より四十八年十月、空知分教会(
厚別
区
大谷地東六)は砂川市より六十三年五月に,、雅登(まさと)分教会(清田
区
平岡四―三)は四年に岩内町(北岩分教会を改称)、美国町分教会(手稲
区
曙三,―一)は十二年に積丹町、阿北分教会(白石
区
米里四―一)、近文分教会(東
区
北二三東九)は十三年にともに旭川市
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郵便局の増設)
現札幌市域内の集配局は、敗戦時点で札幌(現札幌中央)、琴似(現札幌西)、篠路、石狩白石(現白石中央通)、
厚別
,(
厚別
町旭町),澄川(澄川),札幌円山(円山を改称南2西24),札幌北二十六条(北26東1) 昭40,-7) 昭43 新琴似八条(新琴似8-8),東篠路(篠路町拓北),白石栄通(白石町栄通8),下野幌(
厚別
町下野幌,琴似新川西(琴似町新川),篠路駅前(篠路町篠路),白石北郷東(白石町北郷),東米里(簡易 白石町東米里),
厚別
,(普通に改定,
厚別
町東
区
),
厚別
東(
厚別
町東
区
),手稲本町(手稲本町),豊平三条(豊平3-12) 昭45
新札幌市史 第5巻 通史5上
(農業団体)
. 2 568 白石町中央
厚別
農業協同組合 23. 4. 1 525,
厚別
町東
区
北札幌農業協同組合 23. 7. 7 332 元町 篠路農業協同組合,手稲東 (b) 専門農協 札幌酪農業協同組合 昭23. 9. 3 256 苗穂町
厚別
酪農業協同組合, 28. 4 205
厚別
町東
区
軽川酪農業協同組合 27. 2.33,#160;1 176 白石町北郷 豊平開拓農業協同組合 23. 3.31 159 石山一
区
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T三六一遺跡(豊平区里塚三七五番地))
◇T三六一遺跡(豊平
区
里塚三七五番地)
厚別
川の支流三里川の左岸の標高六二~六六メートルの台地上に位置 / ◇T三六一遺跡(豊平
区
里塚三七五番地)
新札幌市史 第2巻 通史2
(檀家の区域)
檀家の
区
域 当時の寺院・説教所設立の頃は、人口も少なくまた経済力も弱く、一村でこれらを維持することはむずかしく,札幌・丘珠・月寒・山鼻屯田・山鼻・円山・琴似・手稲の各村からほぼ二人ずつであり、同寺が非常に広い檀家
区
域,苗穂村の大谷派説教場は、苗穂村住民のほか丘珠・札幌・雁来から檀家総代が出ており、四村を
区
域としていることを,では十七年に青森県から札幌に入植した山本徳太郎は、「禅宗であったが近くに寺もなく智徳寺(真宗大谷派、現
厚別
区
,また山形県出身者の多い伏見地
区
では、「禅宗最も多く真宗真言宗之に次ぐ。 / 檀家の
区
域
新札幌市史 第2巻 通史2
(岡山県移民と愛育社)
月寒村
厚別
(現清田)へ入地した岡山県の移住者も西日本からであった。 ,岡山県からの移住者は、岡山県児島郡、岡山
区
(現岡山市)などの出身者二六人からなり、岡山
区
の五人の士族を,この移民については、「岡山県移民
厚別
移住景況取調」(市史 第七巻三二一頁)にやや詳しく述べられている。,この結果
厚別
を適地と定め、十五年七月に二三戸(人員二五人)が岡久曹の経費負担により移住したのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(滝野丘陵)
つまり焼山―白旗山山塊の背後にある丘陵地で、駒岡地
区
・自衛隊月寒演習場・滝野自然公園などが位置するところである,この丘陵地は、
厚別
川・山部川・月寒川・真駒内川などにより複雑に浸食され、稜線部は定高性を示しているが、
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸器械場の営業状況)
0 1 7 9 鋳造所 0 0 0 1 1 0 0 4 6 1 0 2 5 0 0 0 18 19
厚別
水車器械所,ついで
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水車器械所の建設も目処のついた十二年六月、十二年度以降作業費出納条例を施行することにした。,工場を蒸気器械所、水車器械所、木工所、煉鉄所、第一鋳造所、製鉄器械所、
厚別
水車器械所の七部に
区
分、それぞれ,その経営は順調とはいえないが、『開拓使事業報告』によって
厚別
器械場が施設されて、七器械場の設備が一応整,製鉄器械所 4682.473 3465.670 1354.915 -2110.755 農具,機械
厚別
水車器械所
新札幌市史 第5巻 通史5下
(中小規模企業)
30 溝口工務店 5,000 639,287 5,729 34.5 市営住宅月寒団地建替、ニトリ家具
厚別
店,53 北菱建設工業 3,000 738,169 1,483 22.5
厚別
川排水
区
厚別
東川下地
区
枝線第,北海道魚国本社、北九条小学校昇降口増築 63 山王建設 2,000 1,109,810 2,728 100.0
厚別
川排水
区
川北地
区
下水道,2条幹線 68 丸松舘建設 2,000 18,751 -34,540 1.7 手稲山口下水道(下)、
厚別
東部地
区
宅造,真駒内緑小学校増築、幌平橋ハイホーム型枠、土工事 72 栗虫組 1,800 709,255 6,663 52.3
厚別
川排水
区
下水道
新札幌市史 第5巻 通史5下
(地下鉄の新路線の開業)
それによると、東西線として琴似の勤労者団地~
厚別
間約二〇キロメートルと南北線として茨戸~藤の沢間約二五,(東西線)として下野幌地
区
~発寒地
区
間約二〇キロメートル、第三号線(第二南北線)として元町地
区
~山鼻地
区
間約一一,そして新長期総合計画に基づいた
厚別
副都心の開発やその後背地の東部開発の進行による乗客増に対処するため、,東西線延長の白石~
厚別
(新札幌)間七・三キロメートルが、五十三年十一月六日着工し、五十七年三月二十一日開業,南北線(麻生~真駒内間約一四キロメートル)、東西線(手稲東~
厚別
間約二〇キロメートル)、東豊線(栄町~
新札幌市史 第2巻 通史2
(分校・分教場等)
分校・分教場等 さきに
区
内の記述でもふれたが、道庁の教育行政方針、また開拓地の実況などから、この時期既存,このほか月寒村
厚別
、上手稲村西野などにも同様の学校が設置された。
新札幌市史 第2巻 通史2
(集落等の成立と神社の創立)
まず六年頃に
厚別
(あしりべつ)の移民が開拓地の一隅に小祠を建てたのが
厚別
神社の起源とされている(清田地
区
百年史,このほか十八年に札幌
区
在住者が自家安置の稲荷を「杉山桜稲荷神社」として創立願を提出、却下された例もあった,われたため山神碑が多く創置されたが、十八年平岸村穴の沢に建てられた山神碑が石山神社の基礎となり、前記
厚別
神社
新札幌市史 第1巻 通史1
(河岸段丘)
これらの段丘は大きく二段に
区
分される。,この低い段丘群は二~三段に細
区
分できるが、平坦面の保存は高い段丘にくらべて良好である。 ,このほか、
厚別
川流域にも河床面との比高が五~一〇メートルを示す河岸段丘がみられる。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開拓地の諸相)
すなわち
厚別
・小野幌といった平野部泥炭地帯、野津幌の台地重粘土地帯、そして真駒内・常盤・石山・三里塚・,これらの地域への入植は戦後の緊急開拓期に集中的に行われているが、
厚別
地
区
では第二次世界大戦中の昭和十八年,
厚別
地
区
(東米里・米里・北郷・川下など)では、二十年に拓北農兵隊の大森
区
・板橋
区
出身者一〇戸など計三一戸,真駒内地
区
には、地
区
計画ができる以前の二十一年に緊急入植者一一戸が入り、二十二年には道内離職者四六戸・,札幌市の西南地
区
では、この他に小滝の沢・常盤・滝野・西岡・有明の各地
区
で開拓が進められた。
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正四年全道青年会連合大会)
表-5 北海道青年連合大会出席団体 団体名 団体名 札幌
区
札幌青年団 大谷派札幌青年会,札幌
区
北八条石狩通 諏訪神社氏子青年会 本派仏教青年会 札幌菓の子会 手稲村 上手稲青年会,北通青年農友会 平岸青年会 月寒青年会 朝日青年会 丸重吾青年会 焼山青年会 豊平町
厚別
青年会,藻岩村伏見青年会 藻岩村白川青年会 山鼻青年会 藻岩村上山鼻青年会 藻岩村八垂別青年会 白石村
厚別
南北青年農共会,白石青年会 白石青年親友会 白石村上白石青年会 小野幌青年会
厚別
青年会 1.大4.11.
新札幌市史 第4巻 通史4
(部落会・町内会)
そして整備要項によると、市町村の
区
域を分けて全戸加入の村落には部落会、市街地には町内会を組織することとされ,この結果、十六年二月にいたり
区
設置規程が廃止となっている(北タイ 昭16・2・15)。 ,豊平町でも十五年十二月に
区
が廃止され、町内会・部落会に移行している。,豊平村 月寒本通第一~三 北部軍官舎 下・上西北通 東北通 下・上西山 西通 二里塚 種羊場
厚別
北通,
厚別
本通 三里塚
厚別
南通 公有地 器械場 東裏 中島 下・上本村 精進川 真駒内 土場 石山第一~
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