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新札幌市史 第5巻 通史5上
(【主要参考文献・史料】)
高田富與『市政私記』(昭29)、高田富與『続市政私記』(昭31)、高田富與『続々市政私記』(昭34)、
原田與作
,『人生記録』(昭51)、
原田與作
『自治体生活五十年』(昭46)、石原通孝『素顔のさっぽろ市政』(昭47,のあゆみ』(昭43)、同『都市提携一五年のあゆみ』(昭50)、同『都市提携二〇年のあゆみ』(昭55)、
原田與作
,『聖火が燃えるまで』(昭47)、
原田與作
『私の五十年 札幌と聖火』(昭51)、大野精七『北海道のスキー
新札幌市史 第5巻 通史5下
(仲よし子ども館の設置)
館の生みの親は
原田與作
市長で、孫娘が東京で「移動幼稚園」の園児として登録されたことを聞き、「幼稚園や保育所,を出して民間経営に依存し、その足らざる部分は『青空幼稚園』で幾分でも幼児教育に役立てよう」と考えた(
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5下
(無党派・市民派の時代)
4.30 高田冨與 共産 141,809 118,425 84% 65.15% 34. 4.30
原田與作
,社会 193,858 111,651 58% 74.55% 38. 4.30
原田與作
社会 264,217,154,169 58% 72.76% 42. 4.28
原田與作
(自・民) ①社会、②共産 333,687
新札幌市史 第5巻 通史5上
(原田市長の就任)
原田市長の就任 新しく市長に当選した
原田與作
は、明治三十三年(一九〇〇)栃木県に生まれた。,写真-7
原田與作
市長 原田市長は三十四年(一九五九)六月の定例市議会で所信表明演説を行い、①
新札幌市史 第5巻 通史5上
(上原市長の辞任)
これによって、助役の
原田與作
が市長代理となった。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(上原市長の就任)
上原市長に財政課長として札幌市に呼ばれ、まもなく助役となった
原田與作
は、この時期を後に回想して、戦災を,人心安定上第一の要件であったが、「着任後一年位は無我夢中で緊急要務に取り組まなければならなかった」と述べている(
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(原田市長の再選と市議選)
四月三十日に行われた市長選では、
原田與作
が社会党から立候補した塚本肇(党札幌支部執行委員長)を破り、再選
新札幌市史 第5巻 通史5上
(市議会の会派構成とその変動)
保守系議員の中には
原田與作
当選で積極的に動いた「原田派」とその他の議員たちの間に対立があり、結局前者は
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌開催の決定)
写真-12 招致団の歓迎パレード 右から
原田與作
市長,竹田恒徳実行委員長,地崎宇三郎副委員長
新札幌市史 第5巻 通史5下
(板垣市長の誕生)
敗戦後、札幌市の上原六郎市長と
原田與作
助役は、大卒の有能な幹部職員の採用に乗り出し、札幌第一中学校時代
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高田市長の就任)
今回の市長選では、保守系の市会議員や市政功労者、連合公区長などの大きな支持を得、上原六郎前市長と
原田與作
助役
新札幌市史 第5巻 通史5上
(特別会計・企業会計の動向)
三十四年四月の市長選挙で、高田市政のもとで助役を務めた
原田與作
が初当選した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(昭和三十四年の市長選)
市長選には、昭和二十年上原六郎市長に呼ばれて助役になり、その後高田富與市長の下で三期一二年間助役を務めた
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(住民対話と広報活動)
身近な問題が直ちには解決されないために不評を買うようになり、結局市政懇談会は中止されることとなった(
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(原田市長の三選と市議選)
四月二十八日に行われた市長選では、市議会の保守派から支持され、自民党・民社党の推薦を得た
原田與作
が、社会党
新札幌市史 第5巻 通史5下
(四十六年市長選)
板垣の他に、市収入役中島好雄(前札幌市教育委員会教育長)が
原田與作
市長の後継者として取り沙汰されていたが
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌招致委員会)
日本商工会議所会頭)、石井光次郎(日本体育協会会長)、石坂泰三(経済団体連合会会長)、町村金五(道知事)、
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(再度の立候補)
なり招致年次を限定しないものであり、目的達成まで誘致活動を継続するという不退転の決意が秘められていた(
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(招致まで)
三十五年二月に、ブランデージIOC会長が「日本でオリンピックを開催するなら札幌地区が適当」と談話したことから、
原田與作
市長
新札幌市史 第5巻 通史5上
(高田市政の足跡)
高田市政は厳しい財政事情の下、地方財政・都市経営に明るい
原田與作
を助役に据え、堅実な財政運営を続けた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札響の設立)
第一回定期演奏会では阿部謙夫と
原田與作
札幌市長が舞台あいさつし、満員の聴衆を前に荒谷の指揮によりモーツァルト
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
BOOK』(平14)、北海道立教育研究所『北海道教育史 昭和33年~58年』資料編一~五(平6~10)、
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(復興と主要事業費)
翌二十二年度の当初予算は、上原市長の代理を務めていた助役の
原田與作
が「骨格予算」として編成し、同年四月
新札幌市史 第5巻 通史5上
(「札幌市主要事業一〇年計画」)
「札幌市主要事業一〇年計画」 昭和三十四年四月の市長選で初当選した
原田與作
市長は、翌三十五年三月に「,八億円計画(東京市政要綱)」に倣い、臨時的あるいは投資的経費を数量的、金額的に積算したものであった(
原田與作
新札幌市史 第5巻 通史5上
(図版・写真・表組一覧)
29) (46頁) 写真-6 自治体警察の発足(昭24.8 北海道新聞社蔵) (60頁) 写真-7
原田與作
市長,中止となった札幌大会のポスター(文資) (119頁) 写真-11 札幌誘致推進道民大会のポスター(
原田與作
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