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新札幌市史 第1巻 通史1
(同心・足軽)
同心
・
足軽
同心
は文久元年五月の時点で、吉村五郎左衛門・平田弥十郎・岡田峰吉・吉村寛輔の四人がみられた,詰の
同心
であった岡田万治郎の子弟とみられる。,
足軽
には、文久元年五月の段階で、武川勇次郎・亀谷丑太郎・西村清八郎・福士清五郎・加藤十助の五人が知られている,このうち、喜惣太は文久元年十二月に、イシカリ詰の
足軽
とみえている(御賄留)。,明治元年八月十五日に、石狩詰
足軽
から函館裁判所属事席となった山本政之助と同一人物とみられる。 /
同心
・
足軽
新札幌市史 第1巻 通史1
(同心)
同心
つぎに、
同心
をみてみよう。,当時の
同心
には、広田八十五郎・中西清三・岡田万次郎・平田弥十郎などの顔ぶれがうかがわれる。 ,中西清三は、もと奉行組
足軽
出身で、安政四年六月十四日に
同心
となり、十月五日にルルモッヘ(留萌)詰となる,以上の
同心
のうち、一人は
足軽
と同様にアツタ詰となり、アツタの取締りに従事することになっていた。,イシカリ詰の
同心
は、もと一人であったが、安政四、五年より三人に増加している。 /
同心
新札幌市史 第1巻 通史1
(足軽)
足軽
足軽
もこの頃、四人ほどみられる。安政四年の段階では二人であったが、増員されたのである。,箱館では水主勤めの
足軽
であった。,丑太郎は、安政三年九月五日に山ノ上町百姓より
足軽
に抱(かかえ)入れとなり、御門番を勤めていた。,すなわち、調役は一人から二人、定役は一人から二人、
同心
は一人から三、四人、
足軽
は二人から四、五人へと増加 /
足軽
新札幌市史 第1巻 通史1
(番所の設置)
安政五年十一月に、番家一五棟(各一五坪)の新設が申請され(市史六七頁)、ここに
同心
・
足軽
・勤番人が詰めることになり,第二に、番所には
同心
・
足軽
、「御掛」には在住が担当となっており、番所はイシカリ役所の出先機関としての位置付,また番所への
同心
・
足軽
の派遣は、先の十一月の「書付」の構想が、すでに着手されていたことも判明する。,このように番所が増設され、その役割が重大なことが、
同心
・
足軽
の増員の要因ともなっていた。,
同心
・
足軽
は、それぞれ管轄・担当の番所があった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(詰合役人の刷新)
同心
では、広田八十五郎は内状では転任であったが、留任となった。,しかし、
足軽
の松田市太郎は、「箱館詰之上、試候積り」となり、箱館詰に転任した。,
足軽
では、先に閏五月二十三日に、肝付七之丞が免職となっていた。,なお、七之丞の後任には、水主
足軽
であった武川勇次郎が閏五月二十八日に任じられた。 ,以上のイシカリ詰関係のほか、オタルナイ詰
足軽
堺仁助、ヨイチ詰
同心
東浦繁次郎、イワナイ詰
同心
村山六之丞が
新札幌市史 第1巻 通史1
(箱館府の成立)
給事席 中村兼太郎(在住定役代) 趨事席 山本晋之助(
同心
)、永島玄造・井上斧太郎(在住) 属事席, 西村嘉右衛門・山本政之助・田中鋭次郎(
足軽
) また、荒井好太郎(在住)は給事席で、学校助教の兼務
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ役所の創設)
御用所の移転・普請費は一六五両、役宅は調役・調役下役・
同心
・
足軽
が各二軒、文武稽古所ならび教授方住居が,図-3
同心
の住宅 この図版・写真等は、著作権の保護期間中であるか、 著作権の確認が済んでいないため,図-4
足軽
の住宅
新札幌市史 第1巻 通史1
(産業)
石狩場所改革方取計之儀申上候書附」のうちに、 一 在住召遣農夫為助成鍵取漁差免候ニ付、サツホロ川エ番所壱ケ所
足軽
附限,、其余出稼人漁場ハツサフ、ツイシカリ、ヒトヰ、トウヤウシ四ケ所番所取立、
同心
足軽
之内壱人宛詰切、最寄漁場取締致
新札幌市史 第1巻 通史1
(旧幕吏の再任)
給事席 元石狩在住定役代中村兼太郎、元石狩在住荒井好太郎(兼学校助教) 趨事席 元石狩詰
同心
山本晋之助,、元石狩在住永嶋玄造、同井上斧太郎 属事席 元石狩詰
足軽
西村嘉右衛門、同山本政之助、同田中鋭次郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリの詰役)
調役並出役 水野一郎左(右)衛門 下役出役 立石元三郎
同心
広田八十五郎
足軽
,立石元三郎は御持頭多賀兵庫助組
同心
で、広田八十五郎は松前藩士であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の住宅)
さらに田中氏所蔵の史料で他に若干みられる役宅と比較すると、
足軽
役宅が二〇坪強、
同心
役宅が四七坪で、土間,を差し引いた面積では、在住役宅は
足軽
のそれとほぼ同規格ということになる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の利用と新道)
イシカリでは早速、温泉のことを調役並荒井金助へ報告し、金助は検分のために
同心
広田八十五郎を派遣する。,たりと申しぬ…… ハレテレキはハッサムのアイヌで(人別帳では、シノロのハンロクテ同居)、安政四年には
足軽
松田市太郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(調役の政務)
それによると調役は、帳場帳面の「調取」、定役は蔵鍵の管理、
同心
・
足軽
は蔵の出納の立会など、役務の分担が
新札幌市史 第1巻 通史1
(安政三年の調査)
このイシカリ勤番所には、箱館奉行所の調役並、下役、雇医師、
同心
、
足軽
の各一人の計五人の幕吏が勤番している
新札幌市史 第1巻 通史1
(蝦夷地見回りとイシカリ場所)
この報は、たちまちユウフツの千人
同心
の開墾場にも伝えられ、このため多くの女性や子供が千歳会所に避難していたことは,『津軽藩士石郷岡伝内諸事覚』(函図)によれば、同六年には、惣大将以下
足軽
まで総勢一八九人がイシカリ詰として
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
イシカリの詰役 詰合役人の役割 詰役の更迭 水野一郎右衛門の在住への降格
足軽
肝付七之丞,改革発表後の動向 三 イシカリ役所と機構 イシカリ役所の創設 役人の増員
同心
,
足軽
番所の設置 ハッサム番所 シノロ番所 調役の政務 学問教授所 イシカリの繁栄,611 一 金助の転任と役人の動向 荒井金助の事蹟 金助の死 幕末の役人たち
同心
,・
足軽
二 幕末のイシカリ支配 幕末の変転 箱館府の成立 小樽内騒動 兵部省
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
564頁) 図-2 調役下役の住宅 『田中家資料』(石狩町田中実蔵)より作成 (588頁) 図-3
同心
,の住宅 同上 (589頁) 図-4
足軽
の住宅 同上 (589頁) 図-5 役人任命の変遷 札幌市教育委員会作成
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