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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (鮭漁の発展と変わる漁法)

一九カ所に分けた網引場は、いわゆる和人網引場と呼ばれている引場で、イシカリ元小家分(運上屋)が二三統、,この一方で、アイヌ専用の網引場が七カ所(ただしこのほかに和人網引場と共用のが一カ所あるので実際は八カ所,この場合の網は、和人網引場の糸大網と異なり、榀網を用いたもので、漁獲高においては糸大網の方が数倍すぐれていたらしい
新札幌市史 第1巻 通史1 (雇の実態と代償)

糸網引場というから和人網引場の雇あるいは「テツキ」(手付のことと思われるが、仕事は鮭の員数調べを担当),しかも、この秋味漁に従事した労働人口は、第二次幕府直轄直後の安政二年の場合、和人網引場一九カ所で三五七人,このうち、和人網引場は、請負人直営の糸網を使用した網引場で、アイヌのほかに和人出稼者もいた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (場所請負漁業の終末)

ツイシカリ上向 1 1 2 ホリカモイ 1 1 2 引網計 21 15   49   85 和人網,また、和人網三六統をみると、ウライを含めても阿部屋が六〇・五パーセント、山田家の出稼が三九・五パーセント
新札幌市史 第1巻 通史1 (山田家の出稼)

に増加し、再直轄時、シップの浜に大網一、イシカリ川筋に小網一四の合計一五カ所一五統を持ち、イシカリの和人網
新札幌市史 第1巻 通史1 (人口の減少)

秋味漁時は、まず和人網引場に雇われ、その後自分持網場で漁をし、秋末になってやっと各自の故郷に帰りつき、
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