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新札幌市史 第2巻 通史2
(市中移住民の草小屋の可能性)
しなどに関する史料である明治四年の『市中人別申出綴』(道文三一二)、『札幌区劃図』、『戸籍番号帳 全』、『
地価創定請書
,』などを突き合わせると、『
地価創定請書
』にある地所の位置と『札幌区劃図』に記載されている位置と合わない,例えば古山仁三郎は『
地価創定請書
』では、四年二月に薄野内に土地を割渡されたことになっている。,これらのことから『
地価創定請書
』の地所割渡しの日付は移住日をとっており、その後の地所の変更の際も、そのままその
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム村の農民)
札幌外十一ケ村検地野帳』(以下『検地野帳』と略記)を基とし、これに加籍・土地割渡年月の記載されている『
地価創定請書
,開拓使『札幌村十一ヶ村検地野帳』(明治6年)、および同『
地価創定請書
』(明治11年、道文02503)より,「加籍・土地割渡年月」は『
地価創定請書
』によったが、年月を( )で囲んだものは『検地野帳』には備考欄の,配列は原則として『検地野帳』の順によったが、坂本、山中は『
地価創定請書
』により関係分の下においた。,なお前記以外に『
地価創定請書
』には、明治九年六月の割渡しとして木杣卯七、発寒小紋太、能戸岩次郎、伴六、
新札幌市史 第7巻 史料編2
(口絵)
「移民履歴調」を底本としている開拓使事業報告原稿 256頁参照(道立文書館蔵)
地価創定請書
, 渡島通 442頁参照 (道立文書館蔵)
地価創定請書
発寒村 明治十一年 548頁参照 (
新札幌市史 第2巻 通史2
(市中商業地の景況)
当時の市内繁華街の動きを知りえる手がかりになる一つに、十年から十二年にかけて調査された『
地価創定請書
』,『
地価創定請書
』より作成。 ,しかし『
地価創定請書
』では、姿を消し、十二、三年頃に三井銀行が同地を買収し、十五年札幌支店を南三条からこの,5年中の所有者名は『
地価創定請書
』と大村耕太郎資料『戸籍番号帳 全』、職業は『市中商惣高』により推定した,『
地価創定請書
』では、西二~五丁目は一〇〇坪七〇円である。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌・発寒・琴似村)
十二年の『
地価創定請書
』(市史 第七巻)からは、慶応二年から明治二年にかけ二三戸が家屋を営構していることがわかり,発寒村の『
地価創定請書
』によると、二年までに土地割渡をうけた者が一四人いる。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
札幌本庁管内地租課収の義伺(明治九年一一月一四日) 三八 地租の儀に付再伺(明治九年一二月一四日) 三九
地価創定請書
新札幌市史 第1巻 通史1
(中田儀右衛門・福玉仙吉ほか)
しかし、『
地価創定請書
』(明治十一年)によれば、中田への現住土地の割渡しは宅地・耕地とも慶応三年となっている,このほか、『
地価創定請書
』上手稲村の項では、明治二年二月の土地割渡しとして佐々木せつ(『検地野帳』では
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
八二二一、八七五二、八九二五、八九二六、八九二七、九六〇四、九七三四、九七三七、九六二八、一〇二五七)、『
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(豊平村の成立)
事実、『
地価創定請書
』によると、阿辺要之助(阿部与之助か)ほか二七人は六年九月に土地の割渡しをうけている,『
地価創定請書
』には、豊平村の一四―一、三八―一、四〇、四一番地の四カ所に石川県農民地、総計で約二〇町五反歩
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『札幌外十一ケ村検地野帳』(道文)、『
地価創定請書
』(道文)、今井宣徳『蝦夷客中日記
新札幌市史 第2巻 通史2
(御用火事と町区画の変更)
東創成町(南一東一)にいる北島粂次郎は、『戸籍番号帳 全』(大村耕太郎史料 札幌市文化課)や十二年頃の『
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(授産事業)
実際札幌では、十一年作成の『
地価創定請書
』(道文二五〇三)によると、発寒村居住の木杣卯七、発寒小紋太、
新札幌市史 第2巻 通史2
(地価創定)
地券発行の検地及び
地価創定請書
の提出が完了するのはだいたい十二年三月から六月(琴似、山鼻村は十五年二月
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
それらの土地に関する史料群は、規則類をはじめ、検地野帳、耕宅地明細帳、地券録、
地価創定請書
、地価等級表,する収税に関する規則、手続、三九は明治十年に着手され、十一・十二年にほぼ完了する地租創定事業の所産「
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(町名の設定と町区画の拡大)
区画予定線『取裁録』(道文3112)より作成 図-3 開拓使時代の札幌市街の形成 『
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村の成立)
事実、『
地価創定請書
』には、この六年を含めた六年以前の移住者は二五戸にも及んでいる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
道文三八七九)、『米麦大豆菜種煙草共進会書類』(道文四五五三)、『地券発行関渉書類』(道文二四九九)、『
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(アイヌの聚落と戸口)
さらに十一年作成の『
地価創定請書
』(道文二五〇三)では、次の六戸が九年六月にそれぞれ耕地の割渡しを受けているのがみられる,十二年作成の『
地価創定請書
』(道文三一四八)では、次のように二戸のアイヌの人家があることになっている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(本願寺移民)
移民の人名が知られているうち、高橋九右衛門は胆振通二五番地に家屋を所有している(
地価創定請書
)、大工職小林栄吉
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌市街の区画改正)
十一年中に新区画に払下を受けた地主たちには、すでに十一年中に家屋を建築しているものもいた(
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の編成)
『札幌村外十一ケ村検地野帳』(明治六年、市史 第六巻)、『
地価創定請書
』(十二年、市史 第七巻)では上手稲村四番地
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
対雁移民書類』(道文二四五九)、『虎列拉一件書類』(道文三七一四)、『豊平川洪水之書類綴』(道文七三四四)、『
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(地券の発行と地租の創定)
しかし地租の徴収は除租期限が切れ次第行われたのであり、その基本台帳ともいうべき『
地価創定請書
』(道文三一四八
新札幌市史 第2巻 通史2
(家屋改良計画)
『
地価創定請書
』(市史 第7巻)によると、18番地福永官次郎所有地(270坪)、20番地島川大助所有地
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民調査と〝定着〟)
道文三一三~三一八)、白石村の戸数調(道文三二一)及び『奥羽盛衰見聞誌』所収の入植配置図などを、十二年の『
地価創定請書
新札幌市史 第2巻 通史2
(官宅の払下げ)
その場合など建物との関係が複雑になったはずであるが、どのようにしたのか不明である(
地価創定請書
)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
年の区画予定線『取裁録』(道文3112)より作成 (186頁) 図-3 開拓使時代の札幌市街の形成『
地価創定請書
,(252頁) 表-16 職夫給料表『布令類聚』より作成 (253頁) 表-17 各条丁目地価一覧『
地価創定請書
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
頁) 表-1 明治2年中までのハッサム村農民(明治6年居住者)『札幌村外十一ヶ村検地野帳』、『
地価創定請書
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
明治九年一一月一四日)…438 三八 地租の儀に付再伺(明治九年一二月一四日)…439 三九
地価創定請書
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
6巻史料編1所収) 324 十文字龍助日記(『新札幌市史』第6巻史料編1所収) 325
地価創定請書
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