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新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎の北地出張)
城六郎
の北地出張
城六郎
がクシュンナイのイシカリ出稼所を担当するようになり、これ以降毎年、クシュンナイ,
城六郎
は、万延元年の場合、弥五郎の着任と前後して北地(クシュンナイ)出張にでたとみられるが、この時の史料,
城六郎
の北地出張は、文久三年が最後となる。 /
城六郎
の北地出張
新札幌市史 第1巻 通史1
(城六郎開墾地)
城六郎
開墾地 ところで、荒井村がどのような状況下で、どのような目的で設置されたのかを示す当時の史料は,しかし参考になるものとして、荒井金助の部下で、北蝦夷地クシュンナイ勤番所の責任者でもあった
城六郎
のイシカリ /
城六郎
開墾地
新札幌市史 第1巻 通史1
(出稼所の設置)
安政五年九月に
城六郎
を北地詰のところをさらにイシカリ増詰とし、北地・イシカリ詰の兼務としたのは、イシカリ,この出稼所の漁場選定のために、
城六郎
はこの年(安政六)に、はじめてカラフトに渡る。,番家を取建てることが伺い済となっているが、実地に調査したところ、同地より南のナヨロの方が適地である、と
城六郎
,小山亘は武術教師係としてこの出張に参加していたが、その記述書によると
城六郎
の一行が出発したのは三月二十日,
城六郎
(御用調並出役) 野崎河内右衛門(御用係定役) 岡田万治郎(同心) 高橋靱負(在住) 大西文左衛門
新札幌市史 第1巻 通史1
(金助の死)
出函中
城六郎
方ニ同居也。 ,箱館滞在中は、
城六郎
方に同居していたというのも興味がひかれる。,死体の発見された二十三日に、
城六郎
は金助の後任として、ムロラン詰となり任地に出立している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(役人の増員)
これとは別に、金助を補佐する立場として
城六郎
が任命された。,
城六郎
は、この年(安政五)五月三日に、三枝左兵衛組御徒小普請方仮役より、箱館奉行の調役並出役となった。,小一郎は
城六郎
と同じく、この年(安政五)の五月三日に、箱館奉行に出仕した。,また、安政六年には、
城六郎
にしたがいクシュンナイへ出張しており、改役所の担当であったとみられる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(調役の政務)
続いて翌六年は、
城六郎
と共に二月九日に、ヨイチに着いている。 ,金助に続いて、
城六郎
の料金も同じく記されている。
新札幌市史 第1巻 通史1
(吉田茂八)
居住した家は、
城六郎
の建てたものを移設したという。
新札幌市史 第1巻 通史1
(通行屋の整備)
通行屋の整備 『北地内状留』(村山家資料 北大図)には、文久元年(一八六一)五月八日付の
城六郎
から荒井金助
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕末の役人たち)
幕末の役人たち
城六郎
は文久二年(一八六二)の末に、箱館詰に転任となり、後任には小島源兵衛がなった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ開拓と荒井村の性格)
と同時に、
城六郎
開墾地がその後消滅したのに対し、荒井・シノロ村が明治に至るまで存続し得たのは、金助その
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
学問教授所 イシカリの繁栄 四 クシュンナイのイシカリ出稼所 出稼所の設置
城六郎
,の設置 農民の招募 村役人 早山清太郎 産業・生活など 二 荒井村の性格
城六郎
開墾地
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の移動)
また前出史料によれば、高橋靱負は、安政五年三月
城六郎
に従ってカラフトのクシュンナイに渡ったとされている
新札幌市史 第6巻 史料編1
(件名目次)
一四 霊場参詣往来一札(同年三月) 一五 文久改元の触(同年二月二八日) 一六
城六郎
調役並
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