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新札幌市史 第1巻 通史1
(場所請負漁業の終末)
場所請負
漁業の終末 イシカリ改革は漁業のあり方を直接変革しようとするものでなかったとはいえ、イシカリ,の生産基盤が鮭漁にある以上、
場所請負
制の廃止は漁業に新たな経営策を求めなければならなかった。,再直轄期をむかえた漁業は、弘化嘉永期の阿部屋伝治郎による
場所請負
体制をそのまま継続展開していった。,『秋味漁業手続アラ増』(石狩
場所請負
人村山家記録の内)『漁業手配方仕来書 上』(新札幌市史第6巻31頁 /
場所請負
漁業の終末
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所請負へ)
場所請負
へ 蝦夷檜山請負の権利をまったく失った飛驒屋は、当然のことながら、これまでの運上金の先納分、 /
場所請負
へ
新札幌市史 第1巻 通史1
(移住の自由)
移住の自由 イシカリ改革は長年の
場所請負
制を廃止し、それに代わる直捌を柱とした箱館奉行による土地住人,安政五年四月十三日、阿部屋伝治郎にイシカリ
場所請負
の差免を令し出稼人となることを命じ、この日から一漁場経営者,一方、アイヌの使役をはじめ和人の移住制限など、従来実質的に行使してきた
場所請負
人の権限を喪失する。,ユウバリ等を請負ったことがあり、当時は西蝦夷地のオタルナイ、フルビラ、東蝦夷地ではホロベツ、ムロランの
場所請負
人,恵比寿屋半兵衛 小休所取建 見世(店)開設(サンタラベツ辺) オタルナイ、フルビラ他
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリアイヌの流散)
しかし
場所請負
制下の収奪と抑圧により、人口は減少しコタンも消滅に近い状態であった。,第二次直轄になり、イシカリ場所が廃止され直捌となった要因には、
場所請負
人である阿部屋(村山家)の非道な,この結果、
場所請負
制下と異なり、アイヌの立場も多少改善に向かうようになったが(第六章)、充分な成果を得
新札幌市史 第1巻 通史1
(深き見込みの場所)
幕府直轄地としただけでなく、「受負人と申は領主同様」で「場所の義は領分と唱」(生田目氏日記)えさえした
場所請負
制,堀田政権下、目付グループ(堀奉行ら)と勘定方グループ(村垣奉行ら)の間に微妙な意見の差異が内在したといわれ、
場所請負
制,ともかく、
場所請負
制の否定は、その後の流れにてらし必然性をもっていたといえる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官の専断)
徴募、永住人や出稼人の保護、新川切開、銭箱新道や黒松内山道の普請、岩内石炭山経営、江差海官所の設置、
場所請負
人,これらの件々についても、専断の行為として特筆されるものは少ないのであるが、一つ、
場所請負
人廃止と直捌の,
場所請負
制は二年九月二十八日に廃止されたが、これに対し西地請負人をはじめとして各地で反対運動が起こり、,ところが十一月末に銭函に来た西地一三郡の請負人たちに島が指令した内容は、
場所請負
人の廃止と官による直捌
新札幌市史 第1巻 通史1
(箱館奉行への対捍)
このような反発は、
場所請負
による独占的な利益がそこなわれることによるもので、各場所でも多少は認められる,[イシカリ
場所請負
人伝二郎代]吉右衛門 其方共儀、請負場所土人之中達者向、運上屋元浜下ケいたし置ニ依,人馬継立山稼漁業之雇用捨致し、厚撫育手当可致、 右の申渡しは、イシカリのほかテシオ・モンベツの各
場所請負
人
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
解題 村山家は屋号を阿部屋と称し、代々石狩・札幌等の
場所請負
のほか、材木伐採、問屋小宿、廻船業を手広,ぎ、一〇~一二は石狩改革直前の場所運営にからむトラブルを伝えており、これらにより村山家の石狩・札幌の
場所請負
,なお「石狩
場所請負
人村山家記録」(北海道立図書館蔵)に後者の写本が付いており、これが石狩町史資料第三号,「石狩改革一件」は、長年つづいた
場所請負
制の廃止とそれにかわる新政策の遂行状況を、箱館奉行所や石狩役所,村山家の石狩・札幌の
場所請負
について「村山家代々書」(文化七年=一八一〇写)「要用書」(文政三年=一八二
新札幌市史 第2巻 通史2
(アイヌの「解放」と救恤)
アイヌへの対応も、北海道の開拓を円滑に進行するために行われ、その第一がアイヌに対する封建的束縛、すなわち
場所請負
制,
場所請負
制は市史第一巻においても触れたように、搾取的な経営をあえて行い、天然資源を乱費し、労力提供者である,そこで開拓使は、明治二年九月二十八日、
場所請負
人の廃止を布告し、実行に移した。 ,浜中人民並土人取扱ノ義ハ勿論、総テ本府ノ下知ヲ受ケ、漁業モ同様御引上ゲ御直支配」(開拓使布令録)にし、
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(稲荷丸と山田家出稼荷物)
那珂湊から大俵で二〇〇俵の塩を積んで箱館に入港すると、ユウフツ
場所請負
人でイシカリやオタルナイに出稼漁場,山田家は後述(第三節)のようにイシカリで手広く鮭漁をいとなみ、ここの
場所請負
人阿部屋に二八役又は三七役,御場所川下け名代免判」を山田家に与え、しかも、イシカリへの立船に役銭減免の優遇措置をとってきた(東西蝦夷地
場所請負
人問屋共
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリは「不宜場所」)
このような弊害は、イシカリ場所に限らず他場所にもかなりみられ、
場所請負
制の構造自体からくる弊害であることはもちろんである,しかし、特にイシカリ場所が尖鋭的にあらわれており、この解決は
場所請負
制の廃止―イシカリ改革に、またなければならなかった
新札幌市史 第1巻 通史1
(『北海随筆』)
『北海随筆』 蝦夷地内の商場が、
場所請負
人による
場所請負
制へと変化する頃、蝦夷地の金銀山開発を主唱した
新札幌市史 第1巻 通史1
(知行と勤番)
そして、蝦夷地各場所は
場所請負
人の入札によって、請負金額を定めてその収入を藩庫に納め、そのなかから知行,このような直領に踏み切った理由には、藩が場所を直接支配することによって、
場所請負
人に対する統制力を強め,、従来の
場所請負
制度の種々の弊害を除こうとしたからであった。 ,この足軽というのは、いわゆる足軽ではなく、
場所請負
人が派遣している番人に必要に応じて帯刀させ、足軽に登用
新札幌市史 第2巻 通史2
(石狩の米不足の状態と対策)
その第一に考えられたのが
場所請負
人たちである。,島判官はここからの調達を考えて、十一月末に
場所請負
人を廃止した。
新札幌市史 第1巻 通史1
(北方領土問題とアイヌ)
アイヌの「撫育」が必要とされたもう一つのおおきな理由は、
場所請負
制によるアイヌ民族の衰退、アイヌ社会の,周知のようにアイヌは、
場所請負
制下にあって場所支配人・番人などにより、交易・労働などの面で種々の搾取をうけ
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ改革の胎動)
イシカリ改革の胎動 イシカリ改革は、漁場を独占した
場所請負
人を廃止し、場所経営を箱館奉行が直接的におこなうという,このことを解決するには、やはり
場所請負
制の廃止以外、根本的な解決法がなかったのである。
新札幌市史 第2巻 通史2
(西地諸郡からの物資調達)
西地諸郡からの物資調達 島判官が
場所請負
人廃止を強行した背景に、前述のような現実の物資不足の状態がある,島判官には、
場所請負
人の集荷力に期待する意図と現在所持している物資を調達しようという意図があったと思われる,おそらく
場所請負
人廃止とともに、貸下げられた七〇〇両と同様な意図のものであろう。,これは十一月晦日の
場所請負
人廃止にともなって指令されたものであろう。,『積丹郡諸調』では、「シヤコタン御
場所請負
中取扱調書上」中に、「辰年」の備米として九二石とある(積丹町史
新札幌市史 第1巻 通史1
(アイヌ政策の変化)
第二次直轄となり幕府及び箱館奉行は、以上の理由にもとづきアイヌの「撫育」の政策を積極的にとりくみ、また
場所請負
人,以上の八点はいずれもアイヌの固有の民族文化を認めず、一様に和風化・和人化をはかると同時に、
場所請負
制において
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二回訴願)
そのような折、文化十年(一八一三)東蝦夷地内に、廃止されていた
場所請負
人が復活した。,しかも、ウライ復活の条件として、ユウフツ
場所請負
人阿部屋と、イシカリ場所のうち五
場所請負
人の米屋と双方
新札幌市史 第1巻 通史1
(アイヌ酷使と私曲)
写真-3 阿部屋の
場所請負
罷免の請書写 (滋賀県立短期大学蔵西川家文書の内) 蝦夷地を直轄し,そこでは
場所請負
制を否定することなく、漁業中心の経営に新たな殖産事業を加えていこうとした。
新札幌市史 第1巻 通史1
(改役所の設置)
改役所の設置 イシカリ改革による最も大きな変化は、
場所請負
の廃止、直捌の開始にともなうイシカリ改役所,鮭は、干鮭にして和人と交易されていたものが、生鮭のまま本州に輸送されるようになり、アイヌ漁場はやがて
場所請負
,以上のアイヌ漁場、労働雇用、軽物交易などにみられるように、イシカリ改革によりアイヌはこれまでの
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(産物会所とのつながり)
場所請負
人との妥協で成り立つ第二次直轄経営ではあるが、たとえ箱館奉行所が蝦夷地の場所を直捌としても、出産物,阿部―堀田政権のもとですすめられた蝦夷地産物の流通統制政策に深くかかわり、松前藩の経済基盤を崩しつつ、
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
日本庶民生活史料集成 第四巻)、同『燼心餘赤』(吉田武三編『松浦武四郎』下巻)、高倉新一郎『アイヌ政策史』、菊地勇夫「
場所請負
制下
新札幌市史 第6巻 史料編1
(解題)
解題 水戸大津浜(現茨城県北茨城市)の五十嵐勝右衛門は蝦夷地の
場所請負
を画策し、水戸藩を通じ幕府と交渉,そこに
場所請負
制廃止直後の石狩の複雑な様子がうかがえよう。,これらは
場所請負
廃止後、出稼が村民(百姓)になる経過を語る貴重な史料なので、十一冊全文を本巻に収載した
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔村山家資料〕)
〔村山家資料〕 石狩場所経営文書 一 しやつほろ夏商
場所請負
証文(明和二年) 二 しやつほろ,夏
場所請負
証文(明和四年) 三 石狩山材木売買証文(寛政六年) 四 石狩場所御預申渡書(文化十一年
新札幌市史 第1巻 通史1
(運上屋)
運上屋
場所請負
制下で場所経営のセンターとなるのが運上屋(所)で、漁場の諸務一般をはじめとして、宿泊,運上屋は、安政五年四月にイシカリ改革が実施され、
場所請負
制が廃止されるに及び本陣と改称され、ひき続き阿部屋
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革発表後の動向)
ヨイチ
場所請負
人の竹屋(林家)長左衛門は、ちょうどこの発表の翌日の十四日にイシカリに来ており、荒井金助,この頃、各
場所請負
人は鯡漁(にしんりょう)に建網の使用許可を請願しており、その陳情をかねるものであった
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ場所の新道)
この時に、イシカリ
場所請負
人の阿部屋に、(一)・(二)の着工を命じたことがわかる。 ,この道路の開削は三区間にわけられ、銭箱・ホシオキ間はオタルナイ
場所請負
人の恵比須屋(岡田)半兵衛、ホシオキ・シママップ
新札幌市史 第1巻 通史1
(大津浜グループ)
これが表向きの理由にしろ、そのために自分たちを蝦夷地の
場所請負
人にとり立てるよう水戸藩から幕閣に働きかけてもらいたいとする,安政四年、エトモ、ホロベツ両
場所請負
人井筒屋久右衛門が差免されたので(公務日記 安政四年三月二十七日条,箱館奉行所では組頭力石勝之助が勝右衛門に会い、エトモ、ホロベツ
場所請負
を希望するのなら、直接恵比寿屋に
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
』(北大図)、『飛驒屋旧記』(道図)、「惣元立指引目録」『武川家文書』(岐阜県下呂町教委蔵)、「石狩
場所請負
人村山家記録
新札幌市史 第2巻 通史2
(石狩府構想への評価と風評)
松前辺での風評が
場所請負
人たちの日記に残されているものくらいであろうか。,後に島判官から
場所請負
人廃止が達されて、移り住むように指令されることなど想像だにしえない時期の風説である
新札幌市史 第1巻 通史1
(改革の発表)
この「書付」によると、まずはじめにイシカリ
場所請負
人の村山(阿部屋)伝治郎は、「近来身上向不手廻」で、
新札幌市史 第1巻 通史1
(直轄と経営方針)
松前藩が
場所請負
人の自由自在に任せておいたアイヌへの対応を、この時点できっちりとする必要が生じたからである,そのためには、東蝦夷地の
場所請負
人から場所の経営権を取りあげて、直捌(じきさばき)とした。
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎とイシカリ改革)
御直捌被仰付候はゞ土地も早々相開け、土人も増殖仕候と奉存候、 ここで武四郎は、アイヌの人口減少の原因は
場所請負
制
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
、木村家文書「御用留」、村山家文書及び同「北地内状留」、「札幌郡調」(以上北大図)、河野常吉編「石狩
場所請負
人村山家記録
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋村山伝兵衛)
阿部屋村山伝兵衛 阿部屋の家伝である『石狩
場所請負
人村山家記録』(河野常吉資料 道図)によれば、初代村山伝兵衛
新札幌市史 第1巻 通史1
(熊野屋菊池忠右衛門)
(一七八二)、イワナイ場所を許可されるが(蝦夷地一件 新北海道史 第七巻)、まさに城普請の引当として
場所請負
新札幌市史 第1巻 通史1
(御手作場)
なお、上記の在住、御手作場の外に、箱館奉行所の奨励により、各地の場所で
場所請負
人による開墾も着手され始
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
(函図)、村山家資料『安政五年石狩改革一件』(新札幌市史 第六巻)、『札幌新聞』、河野常吉資料『石狩
場所請負
人村山家記録
新札幌市史 第1巻 通史1
(阿部屋の漁業経営)
まず
場所請負
人を罷免され一出稼人となった阿部屋の場合を見よう。
新札幌市史 第1巻 通史1
(勝右衛門のその後)
勝右衛門はイシカリの鮭漁経営の失敗から、鯡や昆布を含めた多角経営の必要を感じ、再び水戸藩を通して
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(第一回訴願)
その条件として、米屋からユウフツ
場所請負
の阿部屋へ運上金の上納を提案。,東蝦夷地内
場所請負
人復活。,シリコノエ・サエラフニ、松前藩イシカリ詰合に宛ててイザリ・ムイザリウライ2カ所返還の願書提出(イシカリ
場所請負
人,ムイザリのウライ2ヵ所返還する条件として、イシカリ川にユウフツアイヌのウライ3ヵ所設置を提案(ユウフツ
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(場所運営の手抜き)
そもそも新道開削を
場所請負
人の私力に依存する方針に問題があるとはいえ、同条件のもと隣接する各場所で施工,取定め、六月十三日迄五十六日の間に仕舞候」(松浦武四郎 丁巳東西蝦夷山川地理取調日誌)というように、
場所請負
人
新札幌市史 第1巻 通史1
(松浦武四郎の批判)
武四郎自身も以前から、アイヌを救済するには
場所請負
の廃止しかないと主張しており、イシカリ改革の積極的な
新札幌市史 第1巻 通史1
(調査の結論)
裯衾また麗なり」(協和私役)と驚くほどだったのは、各地の
場所請負
人や支配人の手まわしによったのである。
新札幌市史 第1巻 通史1
(串原正峯)
幕府による御救交易(おすくいこうえき)は、当時
場所請負
制下で不正な交易に苦しめられていたアイヌ救済を目的
新札幌市史 第1巻 通史1
(第二次直轄とイシカリ)
イシカリ改革は、
場所請負
制を廃止し、幕府・箱館奉行による直接経営(直捌(じきさばき))を行うことで、狭
新札幌市史 第1巻 通史1
(産業)
また、河野常吉資料中の『石狩
場所請負
人村山家記録』中に、在住畠山万吉(安政五年発令、ワッカオイ)から「
新札幌市史 第1巻 通史1
(商人の秋味船)
がかりになるので、家中の者は寄合船を出すようになり、また商人に運上金をとってその場所を渡すものもあって、商場から
場所請負
新札幌市史 第1巻 通史1
(サッポロの開発)
サッポロの開発
場所請負
制下の札幌市域は、シノロ・上サッポロ・下サッポロ・ナエボ・ハッサムなど、イシカリ
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