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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

【主要参考文献・史料】 大蔵省財政史室編『昭和財政史終戦―講和』16地方財政(昭53)、大蔵省財政史室編
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使一〇年計画の満期)

これを目前にした十三年十月二十八日大蔵省は次のような上申書を太政官に提出している。,存候得共、最早来十四年度予算調理ノ期節モ間近ニ付、早々何分ノ義御達相成候様致度此段及上申候也」(公文録 大蔵省,そのため大蔵省は十四年度の予算編成に困惑していたのである。,この上申に対する返答はなく、大蔵省は十四年一月十一日さらに編成時期の切迫をもって、重ねて指令を促していた,三月三十日に至り、この大蔵省の要請に関して会計検査院は以下のような見解を述べている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (「札幌開府に付当使一般会計の目途」の札幌経営案)

太政官はそれを大蔵省にまわして検討させた。,ところがこの計画に対し大蔵省では多数の付箋を付してきている。例をあげると以下のようである。  ,おそらく大蔵省では、すでに札幌での経営が西村によって実行に移されていることを知ったのであろう。,四年二月に急遽開拓使に対して、詳しい説明のできる人物を大蔵省へ出頭させるように申し入れている。,この時点で大蔵省と直接交渉ができるところにいるのは東京詰の役員である。
新札幌市史 第4巻 通史4 (土木事業の資金と労働力)

 26  24   8 第2期下水道費 122,300.00 3.2 大蔵省預金部  27  未,前記工事継続   8 第2期側溝費 51,900.00 3.2 大蔵省預金部  27  未 前記工事継続,9 下水側溝事業等の各債償還整理のため   9 第2期下水道及側溝費 133,000.00 3.2 大蔵省預金部, 28  未 前記工事継続   9 上水道事業費 200,200.00 3.2 大蔵省預金部  27,33,100.00 4.0  12  12  11 都市計画事業 153,000.00 3.4 大蔵省預金部
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使・民部省の合併論)

「(樺太分離は)右之通落着致候、付ては開拓使民部省へ付属、府県同様にて開拓使は是迄通立置、金穀は惣て大蔵省見込,とするならば、開拓使という機関は存置するとしても、北海道はもはや府県同様として民部省に属さしめ、また財政も大蔵省,その合併反対の骨子は、合併すると民政上の民部省と会計上の大蔵省と、政令二途となって統一的・総括的開拓は
新札幌市史 第2巻 通史2 (松岡の盛岡・涌谷への派遣)

しかし三年六月函館金穀掛が、松岡使掌が調達した米六八六石余の代金を大蔵省を通じて登米県へ支払うように東京詰,実際この代金は、七月大蔵省出納司へ支払われているので、開拓使がこの米を収納したことは確認できる(開拓使公文録
新札幌市史 第4巻 通史4 (土功組合救済問題)

大正十五年度に三〇〇万円、昭和二年度に一五〇万円の大蔵省預金部資金が供給され、拓銀を通じて年利五分四厘,で借替を行った(大蔵省昭和財政史編集室 昭和財政史Ⅻ大蔵省預金部・政府出資 昭37)。,大蔵省預金部では、昭和六年六月に道内一一組合の実地調査を行い、その結果、経営困難の土功組合は第一次世界大戦後,高米価を予想してたてられたので、昭和恐慌下の米価下落のもとでは借入金償還は困難であるとの結論に達した(大蔵省預金部,者に対し、元金償還資金を五カ年以内据置、二〇カ年以内の期限をもって融資するものであった(昭和財政史Ⅻ大蔵省預金部
新札幌市史 第5巻 通史5上 (敗戦後の地方財政)

昭和二十四年度は、ドッジ・ラインによる超均衡予算が施行され、大蔵省の表現では、「曾ての井上財政に近いもの,を体現した地方財政委員会が作成した昭和二十五~二十七年度の地方予算もしくは地方財政計画は、ことごとく大蔵省,その背景には、中央=大蔵省と地方団体の「政治的コンフリクト」を回避しようとする大蔵省の判断があった(昭和財政史
新札幌市史 第3巻 通史3 (救済委員会の整理案)

救済委員会の整理案 まず貯銀みずからが整理案を作成し、美濃部俊吉拓銀頭取、浜田道第三部長とともに大蔵省,しかし大蔵省が回答をせず、交渉が長引く間に日銀による貯銀調査で回収不確実がかなりあることが判明する(北,ついに大蔵省は七月二十七日、貯銀救済案(具体的には五〇万円の貸出)を許可しない旨伝えてきた(北タイ 明,しかし預金者による運動が重要な意味をもつのは、大蔵省の救済不許可の頃からである。
新札幌市史 第3巻 通史3 (道庁の介入と拓銀による整理案)

道庁の介入と拓銀による整理案 道庁は、貯銀休業直後には拓銀美濃部頭取、貯銀磯谷頭取とともに大蔵省への,しかし、大蔵省の救済が却下された後は、特に表立った意思表示をした形跡がない。,ついに十二月三日大蔵省は、拓銀の支援による貯銀整理案を承認した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画法施行の申請)

だが地方都市への都市計画法の施行については、内務省内部の地方局との確執や、内務省と大蔵省の多少の確執のため,秋になって折り合いがつき、参事官会議を経て、内務省の大臣決裁を経て大蔵省へ回付することになった(北タイ
新札幌市史 第2巻 通史2 (その他の銀行)

大蔵省・農商務省・北海道事業管理局の現金取扱いとともに一般銀行業務を行ったが、事業管理局の廃止とともに
新札幌市史 第4巻 通史4 (電気局の事業経営)

3,655,000.00 4.4 公募  27  21 9 乗合自動車事業費 78,500.00 4.2 大蔵省,51,500.00 4.3 日生  13  16 10 第5回電気軌道事業費 158,000.00 3.8 大蔵省, 19  19 昭和10年度借入分を再度借替したもの 1.道銀-北海道銀行,拓銀-北海道拓殖銀行,大蔵省,-大蔵省預金部,日生-日本生命,一銀-第一銀行,簡保-簡易保険局。
新札幌市史 第4巻 通史4 (無尽会社の合同)

戦時期には、大蔵省は無尽会社の合同政策を推し進め、北海道無尽も十五年十二月に室蘭無尽と合併し、それが十七年十月,十八年十月以降には大蔵省の一県一社の方針により、道内の五無尽会社が小樽無尽に合併され、翌年二月、名称を
新札幌市史 第2巻 通史2 (屯田銀行)

することを禁じたことから、従来屯田司令官が保管運用してきた屯田兵の積立金を整理処分する必要が生じ、司令官が大蔵省
新札幌市史 第2巻 通史2 (盛岡藩からの開拓使定額米)

そのため開拓使へ渡す米も不足がちで、開拓使から再三の督促や大蔵省からの督促を受けた。
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

「北海道拓殖銀行ニ関スル主ナル問題ノ概要」『昭和財政史資料』(マイクロフィルムリールNo.二七一)、大蔵省預金部,」『昭和財政史資料』(マイクロフィルムリールNo.二三五)、藤森四平『北海道土功組合史』(昭13)、大蔵省昭和財政史編集室,『昭和財政史ⅩⅡ大蔵省預金部・政府出資』(昭37)、岡田和喜「静岡市銀行同盟会と『預金協定』」『金融経済
新札幌市史 第4巻 通史4 (旧庁舎)

市役所土木課技師遠藤慶蔵が中心となって、人口五〇万人、市会議員六〇人規模の市を想定して進め、その設計図に大蔵省営繕管財局工務課長池田謙次,昭和九年九月橋本市長は内務、大蔵省と交渉し、「庁舎建築の起債は元々内務大蔵では不許可の方針であるが、札幌市
新札幌市史 第2巻 通史2 (昇平丸の役割)

昇平丸の役割 開拓使は大蔵省から二年八月二十九日昇平丸と咸臨丸の支給を受けた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (拓殖資金施策)

また一円以上の三種は大蔵省が回収することになり、開拓使は九年三月で償却を完了した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (旧開拓使事務・事業の移管)

〈大蔵省〉  旧東京開拓使物産取扱所(大阪・敦賀の同派出所を含む)、北海道準備米(函館県五〇〇〇石・札幌県二万三,ただ残務のうち会計事務のみ未完であったので、新たに大蔵省租税局箱崎出張所構内に旧開拓使会計整理委員詰所,を置き、大蔵省に属して大蔵卿直轄に付された(同前)。
新札幌市史 第2巻 通史2 (お雇い外国人の給与と雇期)

年俸を日本円で示すと(当時一ドルは一円)、最高はケプロンの一万円で、これは全国のお雇い外国人の中でも、大蔵省造幣寮主長
新札幌市史 第2巻 通史2 (札幌本府建設の復活)

このように消極的な方針になったのは、大蔵省からの予算の目処がたたないことで、かせをはめられたためであろう
新札幌市史 第2巻 通史2 (大小区制の導入)

次いで十月大蔵省布達一四六号で、戸長だけでは戸籍区をも総括するには差し支えるとして、地方適宜に一区に区長一人
新札幌市史 第4巻 通史4 (昭和恐慌期の経営悪化)

昭和恐慌期の経営悪化 拓銀は、大蔵省から厳しい監督を受けていたが、昭和九年における監理官橋本昂蔵の報告書
新札幌市史 第5巻 通史5下 (土木分野)

狂乱物価に対応する総需要抑制策として、四十九年二月に大蔵省は新年度公共事業を第二四半期(七月~九月)以降
新札幌市史 第4巻 通史4 (北海道の銀行体系構想)

これは大蔵省および日本銀行の斡旋であったようだ(北海道拓殖銀行史)。,昭和恐慌期の拓銀頭取は、金融恐慌時の大蔵省銀行局長であった松本脩である(在任期間昭3・1~11・2)。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (大都市財政制度確立運動)

札幌市議会同上調査特別委員会は、四十九年五月十三・十四日、国庫補助対象事業早期決定と国庫補助単価引き上げを要望して、大蔵省
新札幌市史 第5巻 通史5上 (高度成長期の地方財政)

行政事務分担の再検討を柱とする地方交付税制度の見直し、ならびに地方財政に対する補助金制度の合理化が提言された(大蔵省財政史室編
新札幌市史 第2巻 通史2 (水原県からの定額米)

水原県からの定額米 この肩代わりに、大蔵省が不足分のうち五九〇〇石を割り当てたのが、維新直後に府が置
新札幌市史 第4巻 通史4 (アイヌ民族とバチェラー)

近文アイヌは土地の「無償給与」に向けて、さまざまな運動を展開したが、特に昭和六、七年には内務省や大蔵省
新札幌市史 第2巻 通史2 (郵便)

五年三月二日大蔵省は、監事主典から一名ずつ郵便御用掛を兼務させるように開拓使へ指令した(開拓使公文録 
新札幌市史 第5巻 通史5下 (三角山採石問題と市の買い上げ)

一九一三)年、国が札幌神社に付与した七〇〇ヘクタールの一部で、札幌神社が境内に使用していたが、敗戦と同時に大蔵省
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北洋無尽の発展と預金業務開始)

大蔵省銀行局調。
新札幌市史 第2巻 通史2 (お雇い外国人の内訳)

173 内務省 26 6 11 15 4 13 6 1 82 陸軍省 67 2 3 4 5 81 大蔵省
新札幌市史 第2巻 通史2 (東久世長官らの赴任)

さらに八月二十九日には赴任物資の輸送のためと考えられるが、咸臨丸・昇平丸の二船が大蔵省から開拓使へ移管
新札幌市史 第2巻 通史2 (開拓使貫属への編入)

貫属は本来、その地に本籍をもつ士族身分のことで、秩禄は府県などを通じて大蔵省から支給されることになっていた
新札幌市史 第2巻 通史2 (開成社と厚別の信濃開墾)

ところが会社設立については大蔵省の許可と法人手続が必要なために設立までは至らず、結社の形態で存続した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (実現しなかった鉄道計画)

これは大蔵省での金の出し具合では可能らしいという懐疑的な報道がなされている(北タイ 大11・10・14
新札幌市史 第5巻 通史5上 (北海道銀行の設立)

北海道銀行創設の着想者は、東北銀行の創立に関わった当時の大蔵省の一銀行課長であった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

松浦判官手沢明治二己巳年開拓使官員録』(道文)、『十文字家文書』(道文)、『明治二年書類』(道文一五一、一五三、一五四)、『諸布達并大蔵省
新札幌市史 第5巻 通史5上 (各地域の水道)

その所有は大蔵省札幌財務局となっていたが、その後月寒兵舎などは外地引揚者収容施設となり、豊平町が実質的
新札幌市史 第4巻 通史4 (低金利政策)

大蔵省・農林省の通牒により、金利平準化運動が提起され、道府県ごとに銀行・信用組合を網羅した金融懇談会が
新札幌市史 第2巻 通史2 (三県分置と開拓使事業処分の案)

、第七号「東京出張所」は海軍省と、また芝公園内の官有地は東京府へそれぞれ移管、第八号「物産取扱所」は大蔵省移管
新札幌市史 第2巻 通史2 (昇平丸の運航)

別な史料には「米千五百俵」とあり、内訳は一〇〇〇俵は函館、五〇〇俵は銭函とある(諸布達并大蔵省へ定額金之儀照合書類綴込
新札幌市史 第2巻 通史2 (富岡へ行った少女たち)

日芝増上寺で撮影か(滝川市高畑イク氏蔵)  開拓使では、官営富岡製糸場開業から七カ月たった六年五月、大蔵省
新札幌市史 第4巻 通史4 (議長・副議長)

19.2.15~昭22.4.29  初代議長になった松田学(一八五六―一九三八)は兵庫県の出身で、徳島県庁、大蔵省
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

銀行が大蔵省に提出した『営業報告書』には当初は本支店ごとのデータが掲載されても,支店数の増加に伴い,本支店合,おそらく大蔵省の定めた報告様式にそって営業報告書が作成され,これをもとに道庁,市が統計表を作成したのであろう,したがって,大蔵省規則の変更は統計書にも反映する。
新札幌市史 第3巻 通史3 (庁舎と位置)

三十九年、陸軍省は不要不動産を大蔵省に引継ぐ方針を明らかにしたので、この際区役所の借用地払下を国に働きかけることになり
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北海道拓殖銀行の破綻と原因)

残りの一件(「エスコルート」)は、原告(RCC)敗訴とはいえ、大蔵省や日銀など当時の金融行政の責任が問
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