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新札幌市史 第5巻 通史5下
(大谷地流通業務団地の整備)
大谷地
流通業務団地の整備
大谷地
流通業務団地は、都心部の交通状況の悪化、札幌が道内における物資の集散基地,性格を強めたことなどから、円滑な流通の確保とその近代化を促進し、かつ都市機能の維持、増進を図るために
大谷地
地区 /
大谷地
流通業務団地の整備
新札幌市史 第2巻 通史2
(白石村と大谷地・厚別の発展)
白石村と
大谷地
・厚別の発展 白石村は篠路村とならび人口の急増がはげしい所で、特に
大谷地
・厚別方面の開拓,
大谷地
は十八年に阿住勘五郎、駒林鉄五郎が来住したことが嚆矢とされているが(白石村誌)、十九年に福井県から,移住した一一戸四七人は
大谷地
に入植し水田を試みたとされ(市史 第七巻二九五頁)、この頃から開拓が本格的,
大谷地
は月寒、白石の両村にまたがり、二十八年は白石村で六〇戸一八六人、月寒村で七八戸二三七人おり、八月,に両村連合の
大谷地
尋常小学校が設置された(豊平町史資料)。 / 白石村と
大谷地
・厚別の発展
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六七・二六八遺跡(白石区大谷地九五六番地他))
◇S二六七・二六八遺跡(白石区
大谷地
九五六番地他) 北海道縦貫自動車道の建設に伴い昭和五十、五十一年,に発掘調査された遺跡で、
大谷地
神社、北星学園大学の対岸、厚別川に注ぐ大きな小支谷の右岸段丘上に立地している / ◇S二六七・二六八遺跡(白石区
大谷地
九五六番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六七・二六八遺跡(白石区大谷地六七〇番地他))
◇S二六七・二六八遺跡(白石区
大谷地
六七〇番地他)
大谷地
神社の後方の南向きの丘陵上にあり、現在は高速道路 / ◇S二六七・二六八遺跡(白石区
大谷地
六七〇番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六五遺跡(白石区大谷地六七七番地他))
◇S二六五遺跡(白石区
大谷地
六七七番地他) S二六七・二六八遺跡の東側に隣接する遺跡で、昭和五十一年 / ◇S二六五遺跡(白石区
大谷地
六七七番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S四一一遺跡(白石区大谷地八八二番地他))
◇S四一一遺跡(白石区
大谷地
八八二番地他) 北海道縦貫自動車道札幌南インターチェンジ建設に伴い昭和五十二年 / ◇S四一一遺跡(白石区
大谷地
八八二番地他)
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇S二六五、S二六三・二六二、S二六九遺跡(白石区大谷地六七七、八七八番地他))
◇S二六五、S二六三・二六二、S二六九遺跡(白石区
大谷地
六七七、八七八番地他) これらの遺跡は、S二六七 / ◇S二六五、S二六三・二六二、S二六九遺跡(白石区
大谷地
六七七、八七八番地他)
新札幌市史 第5巻 通史5下
(老朽施設の再整備と国際見本市の開催)
一方、
大谷地
流通業務団地は昭和五十九年に一般分譲を終了し、翌六十年には一五年間一〇期にわたる工事でついに,またこれより先、五十七年十月には
大谷地
流通業務団地内に札幌流通総合会館、通称アクセス・サッポロの建設がはじまり,写真-2 '87札幌国際見本市 また
大谷地
流通業務団地も中央卸売市場同様、三〇年近くを,そこで九年十月には「
大谷地
流通業務団地再整備基本計画」が策定され、また旧東部市場予定地を流通関連の施設用地
新札幌市史 第1巻 通史1
(東部地域の泥炭地)
前述したように、
大谷地
から厚別低地、あるいは篠路―拓北などの泥炭は沼を埋積したもので、層厚も五~六メートル,図-4 札幌市の泥炭地の分布
大谷地
から厚別にかけての泥炭地(*1)は、低位泥炭(*2)および,図-5 (2)篠路地域の泥炭層の柱状図 また、東米里における泥炭層の花粉化石の研究から、
大谷地
新札幌市史 第2巻 通史2
(学校の経費)
これに対して比較的新しい集落に、新しく設置された信濃・
大谷地
両校の場合は逆に第四款に集中している。,豊平戸長役場内各小学校経費収支予算書【明治28年度─収入の部】 校名科目 豊平尋常高等小学校 白石尋常小学校 信濃尋常小学校
大谷地
尋常小学校,40.9 29.7 1.4 28.0 100.0 信濃尋小 3.0 1.2 3.0 92.8 100.0
大谷地
尋小
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部の就学率)
この管内の小学校は豊平、白石、信濃、
大谷地
、平岸、月寒の各校と思われるが、この中でもすでに尋常高等小学校,となっている豊平と、創立ほどない信濃、
大谷地
などとはかなりの差違があったと思われる。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(北海道博覧会と世界・食の祭典)
月寒(月寒グリーンドーム)、
大谷地
(アクセスサッポロ)を主会場とし、月寒会場にはアイマックスシアター、,未来宇宙館、アイヌ民族生活館、
大谷地
会場には恐竜館、アメリカ映画村、中国館などのパビリオンがあり、他に
新札幌市史 第1巻 通史1
(◇T三六一遺跡(豊平区里塚三七五他))
他にS二六七・二六八遺跡(白石区
大谷地
九五六他)、S三〇五遺跡(白石区厚別東二条五丁目)、S四一〇遺跡
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町・吉田農場の争議)
吉田農場は、善助の父善太郎が明治二十六~二十七年頃、
大谷地
に「荒蕪」地二三万余坪を入手したのが最初といわれ,吉田牧場ハ吉田善太郎ノ経営ニシテ大字月寒村字
大谷地
ニアリ、其地積放牧地十五万三千坪、牧草地二十四万五千坪,吉田農場は、水田七〇町歩、畑六〇町歩、小作人三〇数戸ともいわれ(豊平町史)、後で触れるように善助は相続した
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌の駅整備)
函館本線には、手稲、琴似、桑園、札幌、苗穂、白石、新札幌、厚別、千歳線には、東札幌、月寒(つきさっぷ)、
大谷地
,四十年からの千歳線の付け替えで、その開通とともに四十八年九月九日新札幌駅が開業し、新ルートからはずれた
大谷地
駅
新札幌市史 第1巻 通史1
(埋められた大地)
この図からもわかるように、当時の札幌東部地域は、現在の
大谷地
から厚別川ぞいにかなり大きな谷が発達し、その,ここで、注目してもらいたいのは、標高〇メートルの線が白石区の北郷あたりから
大谷地
にかけて大きく湾入して
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌神社の活動)
現市域内の神社について、この時期札幌神社の神職が社掌を兼務したのは丘珠神社、
大谷地
神社、諏訪神社、白石神社
新札幌市史 第2巻 通史2
(小学校組合会)
三十一年八月九日付)とし、区域(関係分)を第一小学校組合会(札幌区内小学校)、第二同(白石・平岸・月寒・
大谷地
新札幌市史 第4巻 通史4
(「村社」をめぐる競合)
.10 大 9 . 9 . 6 信濃 同 厚別 明30.10.21 昭 4 . 7 .23
大谷地
,同
大谷地
明30. 9 .30 月寒 豊平町大字月寒村 明33. 9 . 7 大 7 .11,特に白石村では白石、信濃、
大谷地
の三社が存在していたが、白石村では本通を中心とした本村と厚別方面が何かと
新札幌市史 第5巻 通史5下
(市内の神社)
昭46 昭46 厚別神社 豊平区平岡2-1 明 7 無格社 9月12日 昭45 昭45 昭49
大谷地
神社,厚別区
大谷地
西2 明30 無格社 9月 7日 昭49 白石神社 白石区本通14 明 5 村社
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の連絡道路)
札幌停車場 29 札幌夕張線*1 札幌市北3西5 夕張郡夕張町停車場 国道27号線(札幌郡白石村字
大谷地
,石狩郡石狩町,浜益郡浜益村,増毛郡増毛町 3 札幌広島線*4 札幌区 札幌郡広島村 札幌郡白石村字
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郵便局の増設)
大谷地
ニチイ内(白石区
大谷地
東3、平11
大谷地
サティ内と改称、平14
大谷地
東と改称)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(白石村の概況)
横町 65 408 中央 66 393 本通 72 460 南郷 35 233 北郷 86 449
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5下
(都市づくりの争点)
また篠路地区住宅団地、新川地区・米里北地区工業団地、札幌ハイテクヒル真栄、
大谷地
新卸売業務団地、札幌アートヴィレッジ
新札幌市史 第2巻 通史2
(公認神社の急増と住民)
すなわち三十年には琴似神社、苗穂神社、白石神社、手稲神社、
大谷地
神社、信濃神社、江南神社の七社、三十一年
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道鉄道札幌線(苗穂沼ノ端間))
現札幌市内には、省線苗穂駅を起点とし、東札幌停車場、月寒停車場(二五聯隊裏)、
大谷地
停車場、上野幌駅があった
新札幌市史 第5巻 通史5下
(続く開発)
東部地域とは四十五年に市街化区域となった
大谷地
、上野幌、下野幌、平岡、里塚にまたがる約一二六〇ヘクタール
新札幌市史 第1巻 通史1
(後背低地の堆積物)
しかし、白石区
大谷地
から厚別―江別市対雁にかけた地域は、かなり後まで沼地として取り残されていたと考えられる
新札幌市史 第5巻 通史5下
(「小さい学校」の教育)
札幌市域の複式学級をもつ五学級以下の小学校は、白川(1学級)・東米里(2)・小野幌(3)・上野幌(2)・
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5下
(厚別副都心の形成)
この地域は、上記の団地造成、国鉄線、高速鉄道(地下鉄)、国道一二号に近接するなど交通の要衝でもあり、
大谷地
流通業務団地
新札幌市史 第5巻 通史5上
(広がりの中で)
までの間、プロテスタント系では北星学園が二十六年に女子短期大学、三十七年には大学を開学して三十九年に
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5下
(ススキノと郊外の歓楽街)
しかし、「北のススキノ」といわれた北二四条をはじめ、琴似や麻生、南郷七丁目、
大谷地
、澄川など地下鉄駅を
新札幌市史 第5巻 通史5下
(極周辺部と市内中央部への拡大)
とくに
大谷地
、平岡、北野、福住、篠路、拓北、あいの里、前田、星置、東苗穂、中沼など、公共交通機関や主要道路
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
103 2 明治22年豊平村に付与 16 鈴木 白石村 17 鈴木豊三郎 63 7 17 吉田 白石村
大谷地
,20 吉田善太郎 60 18 18 前川 白石村
大谷地
29 前川太兵衛 65 10 明治22年諸橋亀吉
新札幌市史 第5巻 通史5下
(広域交通網の整備・拡充)
の交通ネットワーク体系図 札幌市『札幌市政概要』(平15)より 写真-4 道央自動車道
大谷地
新札幌市史 第1巻 通史1
(遺跡の立地と地形)
野幌丘陵では、厚別川の支流沿いの
大谷地
(標高二〇~三〇メートル)、平岡・清田・真栄(標高五〇~七〇メートル
新札幌市史 第5巻 通史5下
(天理教の教会数)
四十七年八月、美流渡(みると)分教会(清田区真栄四―一)は栗沢町より四十八年十月、空知分教会(厚別区
大谷地
東六
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郵便局の増設)
琴似町発寒),札幌双子山(双子山町),札幌北二十条東(北20東18) 昭41 琴似新川(琴似町新川),
大谷地
,(白石町
大谷地
),東苗穂(東苗穂町),北七条西(北7西24),月寒東(月寒中央通11,昭45月寒中央通
新札幌市史 第5巻 通史5下
(本州大手企業のビル建築)
52 富士火災海上札幌支店ビル、厚別副都心商業センター、北海道立近代美術館、雪印乳業史料館 市民生協
大谷地
店
新札幌市史 第5巻 通史5下
(道内大手企業)
高速電車2~3号連絡線、藤野川改修工事第1工区、清田中央土地区画整理事業、世界食の祭典'88
大谷地
会場基盤整備,札幌大学研究室 平 1 社会福祉総合センター長生園、新札幌第一生命ビル、厚別区役所、札幌パークシティビル(ニチイ
大谷地
店,、札幌矯正管区庁舎、拓銀もいわ体育館、北電計器検定所、北4条市街地住宅、サンピアザ 54 高速電車
大谷地
東地区
新札幌市史 第1巻 通史1
(道南西部の亀ヶ岡式系土器)
その例として苫小牧東部遺跡群の共和、柏原一六遺跡や植苗タプコプ、余市町
大谷地
遺跡などがある。
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
真栄 厚別,厚別南通,三里塚,器械場,焼山,厚別西山 北野 厚別,北通,二里塚,厚別北通,二里塚奥,
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5上
(拓北農兵隊)
⑤白石村―隊員は豊平川右岸の
大谷地
にある農地開発営団の建物二棟(七〇坪と八〇坪)に収容し、将来的に自立
新札幌市史 第5巻 通史5下
(そのほかの地域地区)
札幌市では、四十二年七月に
大谷地
地域に流通業務地区約二三〇ヘクタールを指定した。,この地域には、札幌市が約一五六ヘクタールの
大谷地
流通団地を造成し、分譲した(概要 昭49、都市計画 資料
新札幌市史 第5巻 通史5下
(中央卸売市場の動向)
取扱量の増大を見越し、四十七年には豊平川以東一円を供給区域とする東部市場の建設計画がたてられ、当初は
大谷地
流通業務団地内
新札幌市史 第5巻 通史5上
(工場の新設、移転)
中央 丸吉鉄工(34)佐野金属(35)日協設備工業(37) 〃 北郷 弘電社(37) 〃
大谷地
新札幌市史 第1巻 通史1
(泥炭地形成期(四〇〇〇年前~現在))
その南に続く
大谷地
―厚別泥炭地もやや時間のずれはあるが三八〇〇年前ころから形成されはじめている。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(従量制の実施から無料化へ)
てられる時代になり、「消費は美徳」の言葉どおりにラジオ・マットレス・解体材・ブロック塀などが山積となり、
大谷地
新札幌市史 第5巻 通史5上
(周辺部の小学校の新設―白石地区を事例として)
本郷小学校より四一一人、
大谷地
小学校より一二五人、あわせて五三六人、一五学級をもっての開校であった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(諸村の人口の増加)
白石村は
大谷地
、厚別地域の開拓が進み、篠路・琴似村には二十~二十二年にかけ篠路兵村、新琴似兵村ができたことが
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