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新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の発足)
二官とは神祇官・
太政官
であり、六省とは民部・大蔵・兵部・刑部・宮内・外務の各省で、これらは
太政官
のいわば,その外に
太政官
は特殊な職務を管掌する、いわば外局に当たる行政機関をも総理している。,それは集議院・大学校・弾正台・春宮坊・留守官などで、いずれもその機関の長は、「官位相当表」によると、
太政官
,違和感をいだかせるが、事実その外務から「開拓」の職務の除外を要請する上申書が、早く明治二年二月十二日
太政官
,そしてこの七月二十三日に
太政官
は、鍋島長官と清水谷次官に対し「長次両官交代石狩表出張」を、ならびに島判官
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の性格)
同年八月に開拓使庁は民部省内から
太政官
内に移転した。,そして三年閏十月九日に至り、その
太政官
内の開拓使庁を廃して開拓使東京出張所とし、東京小網町稲荷堀の北海道産物会所,ところで開拓使は、本来「諸地ノ開拓ヲ総判スル事ヲ掌ル」機関として、
太政官
のいわば外局として設置されたことはすでに
新札幌市史 第2巻 通史2
(「芸娼妓解放令」)
ところが、開業一カ月もたたない十月二日、
太政官
より人身売買禁止の布告が出され、遊女を年季奉公で拘束する,「官設」東京楼もその例にもれず、開拓使の厚い保護を受けたにもかかわらず前述の
太政官
布告をもろにかぶって,この十月二日の
太政官
布告は、五年七月、横浜でペルー船マリア・ルイズ号より中国人苦力(クーリー)が逃亡した,北海道出張中の黒田開拓次官の判断を仰ぐために、札幌本庁との協議の結果、同年十一月二十三日付の黒田開拓次官から
太政官
正院宛,結果的には、開拓使は形の上で「解放令」を
太政官
布告の翌月の十一月に開拓使管内へ布達したことになっているが
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省支配の変転)
此後之御都合も可有之に付申上置候(木戸文書 九) そして八月十五日の北海道国郡画定に基づき、同月二十日
太政官
,なお上記三郡の兵部省支配の外に、九月五日付をもって
太政官
は、石狩国の内の浜益郡・厚田郡(忍路コッ)・札幌郡,後志国の内の忍路郡・余市郡・美国郡・古平郡の兵部省支配を指令しているが、それに対して九月十三日兵部省は
太政官
弁官,ただしこの申入れに対する
太政官
の指令は付されていないが、上記各郡の兵部省支配はなかった。,どのような手違いで上記支配の指令を
太政官
は発したのか詳細不明であるが、後述する、島の浜益・厚田二郡と高島
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使初期の機構)
開拓使初期の機構 設置当初開拓使庁は、東京における民部省あるいは
太政官
に置かれていたことは先に触れた,さらに同年閏十月、上述したように
太政官
内にあった開拓使庁は、北海道産物会所内に移転して開拓使東京出張所
新札幌市史 第2巻 通史2
(総代人会の設置と役割)
全国的には区戸長等の独断による公共費用の執行決定が問題となり、九年十月
太政官
布告一三〇号で、学校設立をはじめ,その任務は九年十月
太政官
布告に基づき、金穀公借共有物取扱い土木起功等のことに預かることを主とし、時宜により
新札幌市史 第2巻 通史2
(島判官の本府建設伺)
写真-3 島義勇 ところが島は、北地出張の諸官が決定した直後の九月早々、
太政官
に次の伺書を提出,則取計可申、会津降伏人之中ヨリモ人材ニ従ヒ夫々撰挙可仕、此段奉伺候事(公文録 開拓使伺) この伺に対し
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(三県分置と開拓使事業処分の案)
三県分置と開拓使事業処分の案 十四年十二月二十八日黒田が長官の辞表を提出したその日、
太政官
は開拓使に,一所属船舶処分之事 一所属諸器械所処分之事 一屯田兵処分之事 一学校処分之事(公文録
太政官
,
太政官
より令達されて開拓使が取調べた置県に向けての開拓使事業処分案は、以上のような内容であった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(三県分置の布告)
する指令では、「上奏ノ議道国府県郡区ノ分合廃置及名称ノ変更ハ、其院ノ議定ニ付セラルヘキ事」(公文録
太政官
,参事院より上申、二十日元老院へ下付、二十三日元老院より議定奉還、二十四日参事院より審査奉還、二十五日
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌郡区役所の改編)
これを受けた内務省は全面的に了承してさらに
太政官
に伺い出て、十七年二月六日にそれが許可され(公文録 内務省,戸長役場の設置を内務省に要請したが、内務省はそれらを認めず、ただ両村に戸長役場のみの設立の意見をもって
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(土地関係諸規則の制定)
明治二年七月、
太政官
は「蝦夷地開拓之儀、先般御下問モ有之候通ニ付、今後諸藩士族幷庶民ニ至迄志願次第申出候,候得共、最早闔管内同軌ノ御所置相成候様仕度……」などと述べ、前者は全国へ後者は開拓使管内へ、その布告を
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使官有物払下の出願)
払下区分等の精査は期限まで不可能だとして、その提出期限を七月十日まで延期することを願い出て承認を得た(その
太政官
承認,これは開拓使官員よりの払下出願を受けた黒田が、その払下げの可否を
太政官
に伺い出るという形をとっているが
新札幌市史 第2巻 通史2
(「公然売女」)
「公然売女」 このように、遊廓地の決定と実施が進行する一方で開拓使は、翌五年一月二十二日、
太政官
へ遊廓地
新札幌市史 第2巻 通史2
(「札幌開府に付当使一般会計の目途」の札幌経営案)
開拓使はそれを検討し、各項目の費用を多少増減させたり、但書をつけ加えるなどして十二月七日に
太政官
へ提出,
太政官
はそれを大蔵省にまわして検討させた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使貫属への編入)
そして、「自費ヲ以テ移住開拓」は不可能であると、「政府ノ保護」を求めて孝郷と斎藤基から
太政官
へ嘆願書が,六〇〇人は両家分であったが、
太政官
では「亘理人数三百人相控、白石人数而已六百人移住為致候様」(奥羽盛衰見聞誌
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
史料編一三、『増上寺史』、『白石発展史』、『ふるさと登別』上巻、『奥羽盛衰見聞誌』下巻、『復古記』二・三、『
太政官
日誌,東久世通禧文書 国図)、多田好問編『岩倉公実記』、佐藤孝郷『北海道札幌郡白石村外二村移住開拓紀要』、
太政官
編
新札幌市史 第2巻 通史2
(黒田開拓長官の辞職)
そして黒田はこの安田らの具陳を添えて、
太政官
に公売の伺書を提出している。,なお内閣顧問とは明治六年に置かれた
太政官
内の非常置の職で、国事の評議に参与するものとされていたが、内実
新札幌市史 第2巻 通史2
(日の丸・天長節)
これは八年四月一日の
太政官
布告により、日曜全休、土曜半休となるまで続けられた。,このほか祝祭日も
太政官
布告により、元始祭、新年宴会、孝明天皇祭、紀元節、神武天皇祭、神嘗祭、天長節、新嘗祭
新札幌市史 第2巻 通史2
(維新政権の成立)
すなわち慶応四年二月三日に三職八局制、閏四月二十一日に政体書に基づき
太政官
の下の七官制(のちに民部官を
新札幌市史 第2巻 通史2
(村三役の普及)
五年四月九日に、荘屋・名主・年寄等を廃止し、かわって戸籍編成につき戸長・副戸長の設置を定めているので、この
太政官
布告
新札幌市史 第2巻 通史2
(旧開拓使事務・事業の移管)
は移行に当たり、十五年二月九日直ちに「北海道三県法律規則ノ従前施行セサルモノ当分据置之事」(公文録
太政官
,その外の旧開拓使事務・事業は、十五年三月八日と十六日の両度にわたり、
太政官
より移管されるべき各省庁・府県,農商務権大書記官)、原退蔵(内務権少書記官)、桑山敏(大蔵権少書記官)、八木下信之(工部権少書記官)、奥並継(
太政官
准奏任御用掛
新札幌市史 第2巻 通史2
(東久世長官の任命)
これを受けて岩倉は同日、三条の同意を得、直ちに
太政官
へ申し入れて同じく同意の返答を受け、さらにその日の
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使の設置と移住政策)
明治政府では七月二十二日に開拓のために、諸藩・士族・庶民の志願者に相応の地所割渡しの布告を出し(
太政官
日誌
新札幌市史 第2巻 通史2
(経王寺)
府県ニ於テハ新寺建立難相成場合ニ有之候得共、当使管下の儀ハ特別之事故人民願ニ依リ不得止分ハ其手続ヲ経テ
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本道の建設)
工事は五年三月から開始され、六年七月には
太政官
へ竣工の報告をした。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府建設の復活)
このことから三年十月三日付の伺や予算書(市史 第七巻六七頁以降)は、岩村判官が東京へ持参して
太政官
と交渉
新札幌市史 第2巻 通史2
(大小区制の導入)
五年四月
太政官
布告一一七号で、従来の町村役人を廃止し戸長・副戸長と改称することとして、従来の町村役人の
新札幌市史 第4巻 通史4
(救護法の成立)
これ以前の貧困者に対する救済は、明治七年に公布された
太政官
布達による「恤救規則」によった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道庁の設置)
であり、それから膨大精緻な復命書を編し、しかもその間政府部内では、明治初年以来の古代律令制にのっとった
太政官
制
新札幌市史 第2巻 通史2
(鍋島の大納言就任)
この時期の官制では大臣・大納言・参議の
太政官
構成員は、行政省庁の長を兼務することはできない建前であった
新札幌市史 第2巻 通史2
(開化のシンボル)
札幌の公園は、六年の公園設置に関する
太政官
布告に先立つこと二年、四年に岩村通俊主唱の市民遊覧の場としての
新札幌市史 第2巻 通史2
(電信網の建設)
そのため札幌本道工事の建設にあわせて、定額金からの支出で、開拓使独自に電信線を架設することにして
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(道庁の設置と移住政策の転換)
すでに十六年四月二十四日に、
太政官
から発布された北海道転籍移住者手続により家作料、農具、種物料の支給は
新札幌市史 第2巻 通史2
(沢長官、黒田次官案)
他方、同時に岩倉らは、それまで北地派遣の一人と目されていた東久世を、
太政官
の大弁に任用することをはかっており
新札幌市史 第2巻 通史2
(北地跋渉)
士族ヲ始メ農工商ニ至ル迄開拓志願之者相募リ、自費ヲ以テ漸次移住為致候様、精々尽力可致旨御沙汰候事」(
太政官
日誌
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道への進出)
一方、政府は明治六年(一八七三)二月二十四日付で
太政官
布告第六八号を発し、キリシタン禁制などの高札撤去
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌神社の創建)
そして同年五月十四日付
太政官
布告の、官社以下定額及神官職制等に関する件の別紙中、国幣小社の末尾に「札幌神社
新札幌市史 第2巻 通史2
(開拓使女学校から札幌女学校へ)
このような女子留学生派遣の一方で、黒田次官は、五年開拓使の女学校設立の伺を
太政官
に提出、同年九月十九日東京芝増上寺
新札幌市史 第2巻 通史2
(梅毒)
五年一月、開拓使が「公然売女」を
太政官
正院に届け出た翌月、早くも開拓使御用掛医師南部精一が「楳毒院御取建仕法書
新札幌市史 第2巻 通史2
(募兵)
そこで青森酒田宮城三県からの屯田兵員募集が急務となり安田定則幹事の強い意向から、
太政官
の裁可を得ぬまま,、一県六二人の募兵協力を三県令へ内達したのは、七年もおしせまった十二月二十八日、翌一月十二日
太政官
はこれを
新札幌市史 第2巻 通史2
(新政権による蝦夷地の審議)
写真-1 清水谷公考 これを受けて政府は、三月十日
太政官
代に三職を召し、天皇臨御の下に蝦夷地開拓
新札幌市史 第2巻 通史2
(兵部省北海道支配の廃止)
で、十二月(日時不詳)に島の掛合内容と多少の変更は見られるが、開拓使は「兵部省支配地管轄替ノ義伺」を
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(郵便)
そして後志胆振以北を除いた道南地域に、国内一般の郵便制度を適用するという六月十七日の
太政官
布告にあわせて
新札幌市史 第2巻 通史2
(東本願寺の開拓出願)
出発、途中廃仏毀釈の運動に悩まされつつ募金と移住勧誘を行って七月七日函館着、同二十四日に札幌につき、
太政官
新札幌市史 第1巻 通史1
(渡島蝦狄の来貢と貢物)
なお渡島狄の貢物について、延暦二十一年(八〇二)六月二十四日、
太政官
が私的に「狄土物」との交易を禁ずる
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌本府経営と兵部省支配)
またすでに
太政官
により容認されていた会津降伏人の人選に関しても、「偏論を発シ人撰不致ニ付誠ニ当惑之次第
新札幌市史 第2巻 通史2
(お雇い外国人の内訳)
1 32 外務省 6 2 12 2 6 2 30 農商務省 5 7 9 3 1 1 26
太政官
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌建築開始)
開拓使は三年十一月屯田兵設置案を
太政官
に提出した。その具体案が東京府貫属の移住計画であった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(兵部省の石狩支配)
ここに軍務官の要請により
太政官
は明治二年二月二十日次のように箱館府に対し指示した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(黒田指針の具体化)
四年七月十四日に、黒田も希求していた「内政斉理」の発現としての廃藩置県が断行され、さらに七月二十九日
太政官
三院制
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