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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (弘化三年の調査)

運上屋も大変大きな建物で、附属して魚見台、蔵(二〇余戸)、塩切長屋(大小八、九戸)、弁天社、それに夷人小屋,ここにも「酋長幷平夷人小屋凡六、七軒」ある。この枝川の川上は沼であるといい、夷人小屋も多しと聞く。,夷人小屋もあるが皆出稼ぎの由。シノロ番屋の運上金三八両一分、上乗差荷物代金三両。  ,イシカリ十三場所中の特に大場所で、大きな番屋、蔵々、弁天社があり、また夷人小屋は五、六軒で「酋長一軒。
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政三年の調査)

この川筋に夷人小屋あり、乙名イソウクテ、小使コモンタが支配する。,この川筋も夷人小屋が多い由で、乙名モニヲマ、小使シリコフツネが支配する。,川口の手前に番屋一棟(梁五間、桁一三間半)、板蔵五棟、茅蔵二棟、雇夷人小屋一棟、ユウフツ出稼漁小屋一、,この後ろに夷人小屋七、八軒、当時乙名ルヒヤンケ、小使イカレトメト(イカレキナ)が支配する。,夷人小屋多くあり乙名イクシノカアイノ、小使イハンケが支配するという。
新札幌市史 第1巻 通史1 (安政五年の調査)

三、四丁下ると夷人小屋三、四軒あり。,永田休蔵、弓気多内匠の在住四軒並び、ついでポンハッサムにも山田常蔵、秋場熊蔵の在住二軒あり、少し上に夷人小屋五軒
新札幌市史 第1巻 通史1 (詰合役人の役割)

「夷人小屋」は一六五軒あり、人別は六七〇人(男三二五人、女三四五人)を数えていた。
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