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新札幌市史 第4巻 通史4
(新しい女性)
新しい
女性
大正期は、
女性
向け雑誌が最盛期を迎え、『婦人世界』(実業之日本社 明39)、『婦女界』(,後者は、大通小
学
校を会場に講演と音楽会といった趣向をこらし、約一〇〇〇人の聴衆に日本
女性
の社会的意識への, 昭5・5・21)しているように、中等教育を受ける
女性
が増加していた。,たちの活動は活発であった(北の
女性
史)。,
女性
たちもまたモダニズムの中にいたのである。 / 新しい
女性
新札幌市史 第5巻 通史5下
(女性(婦人)教育)
女性
(婦人)教育 婦人(のちに
女性
)
学
級は、
女性
の日常生活の課題を中心とする
女性
の継続的な
学
習を集団的,その対象は一五人以上の
女性
学
習グループとされ、
学
習時間は年八回以上、一六時間以上、開設期間は六月~翌年二月,さらに
女性
教育としては昭和四十五年度から実施されてきた婦人教育指導者養成講座(各年度五〇人前後、研修時間,その後、
女性
(婦人)教育への参加者は次第に少なくなってきた。,それは、一つには
女性
の
学
習機会の多様化と
女性
自身による積極的な参加によって、対象を
女性
に限った
学
習の機会 /
女性
(婦人)教育
新札幌市史 第4巻 通史4
(働く女性の地位)
働く
女性
の地位 第一次世界大戦中の大戦景気の中で、職業婦人が増加していったことは第三巻で述べた。,中等教育を受ける者が約三倍に増加し、卒業後結婚までの短い期間にせよ、家庭の外で何らかの職業に従事する
女性
,職場に出た
女性
の職種、待遇はどうだったのだろうか。 ,り(テケツ、昭4)タクシー運転手(昭10)など、時代の先端をいく職業に
女性
がどんどん入っていった。,不況は、
女性
たちにもさまざまな翳をおとしていた。 / 働く
女性
の地位
新札幌市史 第4巻 通史4
(動員される女性労働)
動員される
女性
労働
女性
の中等
学
校進
学
率がぐんぐん伸びていった昭和初期において、長引く不況は、卒業後何,らかの職業に就きたいと願った
女性
たちに失望感を与え続けた。,こうして、男性の代替としての
女性
の職域はますます広がりをみせ、同年六月には、札幌放送局では「
女性
の職場,以後、戦局の拡大は一般
女性
をも巻き込み、軍需工場のみならず運輸、通信等あらゆる部門で
女性
労働の動員が行,こうした動員は二十年の敗戦まで続けられ、都市
女性
の職業意識にも影響を与えた(北の
女性
史)。 / 動員される
女性
労働
新札幌市史 第5巻 通史5下
(女性たちが担い手に)
女性
たちが担い手に 平成元年、札幌在住の藤堂志津子が『熟れてゆく夏』で第一〇〇回直木賞を受賞した。,代、桃谷方子(ももたにほうこ)ら
女性
たちが同賞を受賞し、「圧倒的に
女性
の時代に入った」(道新 平12・,五十五年には、朝日新聞北海道支社が「
女性
の小説」(平成二年より「らいらっく文
学
賞」)公募を始めた。,その後、
女性
三人による『白雲木(はくうんぼく)』が六十二年に創刊され、短歌でも平成三年に
女性
のみの季刊歌誌,さらに翌六十三年には鶴田玲子が同賞を受賞し、札幌の
女性
が二年連続の受賞となった。 /
女性
たちが担い手に
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の女性団体)
その他の
女性
団体 以上の
女性
団体とは別に表19のようなそれぞれの目的、性格を持った
女性
団体も存在した,表-19 その他の
女性
団体の活動 札幌慈善婦人会 明治20年代に災害時の救援のために設立.36年青森県下飢饉救済,北海道婦人同志会 明治36年4月,在京本道出身女子
学
生の援護団体として松前子爵夫人を会長に発会.機関誌,『二十世紀の婦人』を37年1月創刊(編集発行今井歌子,川村春子ら).38年2月今井歌子・川村春子ら
女性
,札幌火災予防後援婦人会 大正4年12月発会式.火災予防思想の普及のために,官民協力で
女性
に嘱託.定例会 / その他の
女性
団体
新札幌市史 第4巻 通史4
(女性労働者の増加)
女性
労働者の増加 昭和期に入ると電話交換手が増加し、事務員、タイピストなども出現してきたが、
女性
労働者,しかし昭和十年代になると化
学
工場が増加し、女工が増加してきた。だが化
学
工場も労働条件が苛酷であった。,戦争が激しくなると、多くの職場に
女性
が狩り出された。出面をしていた
女性
も工場で働くようになった。,、札幌最大の工場は帝国繊維札幌工場で、労働者一四三五人を使用していたが(道会参事会資料)、その大半は
女性
/
女性
労働者の増加
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市の「女性計画」)
札幌市の「
女性
計画」 札幌市は、昭和五十九年(一九八四)と平成六年(一九九四)の二回
女性
計画を策定し,第一次の『札幌市
女性
のための計画―
女性
の自立と地位向上のための指針―』は、前記二回の調査と五十六年に設置,く
女性
の社会的環境の整備 4.
女性
の福祉の向上 5.
女性
の社会参加の促進 6.国際交流の促進,1の「
学
校における男女平等教育の推進」については、『男女平等教育指導資料』(昭61)の作成と幼・小・中,・高への配布、中
学
校用副読本『むすぶ心ひろがる未来』(昭62)の発行。 / 札幌市の「
女性
計画」
新札幌市史 第3巻 通史3
(地域女性団体)
地域
女性
団体 日露戦争下において、愛国婦人会や帝国婦人協会の活動に刺激される形で、地域共同体を基盤にした,
女性
団体が各地に設立された。,同会は、明治三十八年八月、札幌村の藤古小
学
校高野守校長と橘仁夫妻が発起人となり発足した。,このほか日露戦争を契機に設立された地域
女性
団体に、軽川婦人懇話会、豊平婦人会がある。 / 地域
女性
団体
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市女性行政の始まり)
札幌市
女性
行政の始まり 札幌市は昭和四十九年(一九七四)四月、厚生局青少年部に婦人主査を新設し、オリンピック,行政職として初の
女性
係長である。,翌年市民局青少年婦人部を設け青少年婦人主幹(課長)、五年後に婦人主幹を新設し、本格的な
女性
行政に乗りだした,の
女性
教員数、女子の大
学
進
学
者数は半分以下である。,・協議会中
女性
参加は二七あるが、そのうち一〇の委員会でたった一人だった。 / 札幌市
女性
行政の始まり
新札幌市史 第5巻 通史5下
(「世界女性会議」への参加)
札幌市の派遣団は高田悦子(市母子寡婦福祉連合会長)ら地域活動にあった
女性
達と、市の
女性
政策担当職員であった,の
女性
関係施設や、パリでフランスの社会福祉施設等を見
学
した。,の会合で報告した(
女性
労働 20世紀から21世紀へ)。 ,札幌市は
女性
センター館長を含む一二人を派遣した。,北海道
女性
協会は北海道の支援をえて一三人の派遣団を送った(世界をつなぐ
女性
たち)。 / 「世界
女性
会議」への参加
新札幌市史 第5巻 通史5上
(初の女性札幌市議たち)
初の
女性
札幌市議たち 二十二年初の統一地方選挙で四月三十日の札幌市議会選挙には、定員四四人に対し一五,
女性
は六人立候補して三人が当選した。,
女性
議員の初質問は、安倍が五月二十四日の臨時会で行った。,五十三年の札幌市開基一一〇年記念式典で札幌市発展貢献賞を受けた、唯一の
女性
である。 ,札幌市議会の
女性
議員を表26に示した。 / 初の
女性
札幌市議たち
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の女性団体)
その他の
女性
団体 日清戦争時に軍人家族保護会として設立された軍事援護団体は、戦争終結とともに一旦解散,三十八年四月には、札幌区の宮部保子(札幌農
学
校宮部金吾教授夫人)たちに呼びかけて婦人委員を募り、戦争終結,このように日露戦争下において、官制
女性
団体は官主導のもとに出征兵士の送迎・慰問、軍人遺家族救護、傷病兵慰問 / その他の
女性
団体
新札幌市史 第4巻 通史4
(動員の諸相=官製女性団体)
動員の諸相=官製
女性
団体 「事件」勃発以来、人びとを戦時の体制につなぎ止め、参加させることを目的とした,
女性
にかかわる組織においてそれはいっそう顕著にみられた。,銃後における
女性
団体の動員の開始であり、そして
女性
団体の統合の予兆がみられる。,銃後活動の強化を期す「皇国
女性
」の赤誠を披瀝)。,ここで、それぞれの
女性
団体個別の活動をみておこう。 / 動員の諸相=官製
女性
団体
新札幌市史 第3巻 通史3
(仏教系女性団体)
仏教系
女性
団体 仏教系の
女性
団体で、もっとも顕著な活動をしたのが浄土真宗本願寺派に属する札幌婦人教会,その主なる活動は、札幌女子尋常小
学
校で例会を開き、生花、編物、裁縫、押絵、家政全般にわたる手芸講習を行,日曜女
学
校は、
学
校教育を受けられない少女のために、また
学
校に通っている人たちのために補習をさせ、日曜日,その後四十年十一月、日曜女
学
校は一〇周年記念式と合わせて
学
校組織として新築開校した(北タイ 明40・11,翌六日には日曜女
学
校の生徒成績展覧会を見
学
、さらに同会第二回総会に臨んだ。 / 仏教系
女性
団体
新札幌市史 第4巻 通史4
(婦人・女性の組織)
婦人・
女性
の組織 各寺院や宗派・教団には、本願寺派では札幌仏教婦人会(明31創設)、大谷派では婦人法話会北海道支会,北海寺の十八日講は四〇歳以上の
女性
によって組織され、「本寺院ノ維持興隆、講員ノ信行増進及相互ノ親睦ヲ図,写真-6 本願寺の札幌仏教青年会と女子青年会(昭13) 中央寺には吉祥婦人会とともに、日曜
学
校形式,の吉祥少女会も明治四十四年頃につくられており、生け花、茶の湯、琴曲、編物、作法などを
学
び、昭和三年の会員 / 婦人・
女性
の組織
新札幌市史 第5巻 通史5上
(初の女性代議士に札幌から二人)
初の
女性
代議士に札幌から二人 昭和二十一年(一九四六)四月十日、初の
女性
参政権行使によって三九人の
女性
代議士,この時北海道一区から二人の
女性
が当選した。,四月に入ると一区は三名、二区は二名の連記制などを解説して、必ず
女性
も投票するよう呼びかけた。,一四人の定員に対し、立候補者は
女性
二人を含む七一人だった。,一方新妻は、会計法戦時特例廃止に関する法律案委員会に、一八人中唯一の
女性
として参加した。 / 初の
女性
代議士に札幌から二人
新札幌市史 第5巻 通史5下
(女性労働者の増加と勤労者の多様化)
女性
労働者の増加と勤労者の多様化 昭和二十五年(一九五〇)当時、二四・五パーセントに過ぎなかった札幌市,の雇用労働者に占める
女性
の割合も、高度成長期に入り官公営事業所・公務を除く第三次産業や一部製造業で漸増,その後も男性若年層の道外への流出、
女性
若年層を中心に道内他市町村からの流入、既婚者のパートタイマー労働者,の労働力代替などにより
女性
の職場進出が進み(市政概要 昭53)、五十五年には全体の三分の一を超えた(表,が占め、
女性
雇用者二二万五〇〇〇人の四一パーセントが非正規職員であった。 /
女性
労働者の増加と勤労者の多様化
新札幌市史 第5巻 通史5下
(私立大学・短期大学の拡大)
入
学
者数もそれに相応して、男性以上に
女性
の伸びが高い。,、
女性
七・八七倍となる。,三十五年度段階の
女性
の大
学
進
学
が非常に少なかったことを考えてみても、
女性
の大
学
進
学
が急上昇していることがわかる,五十年度になると、男性七〇二人・
女性
三八九〇人で総数四五九二人となり、全体で四倍、男性一・三二倍、
女性
六,ここでも
女性
の進出がめだつ。 / 私立大
学
・短期大
学
の拡大
新札幌市史 第4巻 通史4
(婦人見学団)
婦人見
学
団 「時代の覚醒と共に
女性
向上の叫び高き今日、北海タイムス社の婦人見
学
団を催された事は我等
女性
,求めつゝある時御社の此の催しは、確かに、
女性
向上への一つの大きな導火線であらねばならぬ。,それに参加した
女性
の感想文の一節である。,第一回見
学
団に参加した
女性
は、新知識の吸収に感謝と感激の感想文を寄せるものが多かった(北タイ 大14・,なかでも第三回の見
学
地は、真駒内種畜場で、丸髷に着物姿の幼い子供連れの若い
女性
が多いことが写真からもうかがわれる / 婦人見
学
団
新札幌市史 第5巻 通史5下
(各種学校・専修学校)
各種
学
校・専修
学
校 各種
学
校とは、
学
校教育法で「
学
校教育に類する教育を行うもの」とされている
学
校であり,各
学
校卒業段階での区分けであり、中
学
校卒業程度を高等課程、高等
学
校卒業程度を専門課程、特に入
学
資格を定,生徒総数は総計四六一八人で、そのうち
女性
が圧倒的であった。,四十年にはいったん男性の割合が
女性
を超えたが、その後ほぼ同数となっている。 ,男女比率は十四年までの間、各種
学
校では男性が
女性
の一・五倍から二倍程度、専修
学
校では
女性
が男性の一・二倍 / 各種
学
校・専修
学
校
新札幌市史 第5巻 通史5下
(『男女共同参画さっぽろプラン』)
女のスペース・おん、札幌地区連合
女性
委員会、日本婦人会議札幌支部など七
女性
団体の八項目の陳情や民主党などの,向けた推進体制の整備・強化 二次にわたる
女性
計画実施の間に、
女性
登用がどう進捗したかまとめたのが表,十五年三月、一〇一の審議会中
女性
一人の会合が一五、いまだ
女性
ゼロの会合が九つ(その中には救急医療、道・,4 札幌市立
学
校
女性
職員の管理職人数と比率(平成11年5月1日現在) 小
学
校 中
学
校 高等
学
校
女性
,
女性
学
の講義も北海道大
学
での開講(昭59 共
学
の国立大
学
では最初)を初め、道内大
学
・短大においてふえている
新札幌市史 第5巻 通史5下
(すすむ国際化、多様化)
4 札幌市赤十字奉仕団 24 4,551 *5 JA北海道
女性
協議会 28 32,377 6 札幌市
女性
団体連絡協議会,ユネスコ連絡協議会 49 約300 *25 北海道国際
女性
協会 50 約220 26 北海道青色申告会連合会
女性
部,(最初の構成団体として他は道商工会婦人部、道消費者協会、道生活
学
校連絡協議会、道主婦会連絡協議会、大
学
婦人協会札幌支部,を中核に
女性
の地位向上と奉仕活動をめざす国際的組織である。,「さっぽろ
女性
会議」は北京で開催された第四回世界
女性
会議派遣団の有志が結成し、
女性
議員へのアンケート、
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市の「家庭内暴力」への取り組みと対策関係機関会議)
の概要
女性
企画室・
女性
センター関係分 平成11年度)、翌十年二月九日には第二回対策関係機関会議を札幌市,・同児童福祉総合センター、札幌市精神保健福祉センター、同都市局住宅部住宅管理課、同教育委員会
学
校教育部
学
務課,市では「
女性
への暴力は、人権侵害であるということを市民に広く知ってもら」い、
女性
への暴力被害根絶に向けて,
女性
への暴力(家庭内暴力)』対策関係機関会議の概要」を示した。,図り、
女性
の人権擁護の観点から予防から救済までのサポート体制を総合的に検討すること」を目的とし、
女性
に
新札幌市史 第3巻 通史3
(出現の背景)
出現の背景
女性
はいつの時代にあっても働き者であった。,明治に入ってからは、まず
女性
の知的職業として、小
学
校の教員が、「
学
制頒布」から一〇年の間に二五〇〇人誕生,大正期に入っても、
女性
の三大天職に従事する傾向は変わらずますます増加の傾向を示した。,もちろん百貨店の店員は
女性
が中心であった。 ,このような
女性
の職域の広がりを、当時の新聞は「社会問題」として捉え、その理由として、①教育の普及と女
学
校各種職業教育
新札幌市史 第5巻 通史5下
(均等法への対応)
平成二年六月号には「広がる
女性
の職場」を特集した。 ,一方札幌市小・中
学
校の
女性
教員は、六十二年の新採用二四一人中一六四人と過半数を超え、絶対数でも比率でも,表-38 札幌市の
学
校別
女性
教員数と比率 年 幼稚園 小
学
校 中
学
校 高等
学
校 高等専門
学
校 短期大
学
,さらに平成五年十一月、
女性
記者の増加に対応するとして、社会部と写真部の宿泊勤務ローテーションに
女性
も加,
女性
社員の採用は平成三年から二桁となり、毎年複数の
女性
記者が誕生した(風になって 2)。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(教育委員会など公職への進出)
初の札幌
女性
文化史である。 ,札幌市では十四年七月、人事調停法が施行された時初めて調停委員に
女性
八人が任命された。,として初めて広井喜美子が加わる)、一般男性四八人、一般
女性
一二人であった。,調停は男女ペアで行うのが原則で、
女性
委員の負担は重く、法的知識も貧しいからと
学
習活動は
女性
が中心となって,婦人少年室)の長は必ず
女性
をあてることとした。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(婦人文化センターから男女共同参画センターへ)
婦人文化センターから男女共同参画センターへ 札幌市婦人会館は、市史5上に述べたように
女性
団体の努力によって,表-35 婦人文化センター(
女性
センター)利用状況 1 情報資料室利用状況 年度 貸出冊数 閲覧者数,内容は婦人通信講座、
女性
学
講座、料理講座、講演会、スポーツ講座、母と子のあそびの
学
校、婦人団体リーダー,センターを拠点に活動する団体の作品として、札幌
女性
史研究会の『北の
女性
史』(昭61)、生活史研究会茜会,平成四年四月から名称が
女性
センターと変わった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育)
女子の天職である」(菊池前文相演述九十九集)と述べたように、固定的な性別役割分担に基づく「期待される
女性
,このことは
女性
が家事や育児を通して国家へと動員されていく、
女性
に対する国民統合のありようを示すものであった,小林以外の教員は佐藤ゆき、安芸左代、池袋すが、龍沢みち、西川かめの五人で、いずれも
女性
であった。 ,この教育方針は、当時の女子中等教育の「基本原理」であったが、
女性
に「永遠に依頼的になれ卑屈なれ独立の気象,謀るを以て、其の任務となす」(巻二・第四篇第一章)という記述から明らかなように、性別役割分担に基づく
女性
/ 北海道庁立札幌高等女
学
校の設立と良妻賢母主義教育
新札幌市史 第5巻 通史5下
(政治への新しい参画)
政治への新しい参画 表39は札幌選出の
女性
議員の一覧である。,札幌市議会の三人は初めて「
女性
のみ」の会派を結成し、
女性
・環境・福祉政策等に力を注いだ(市民ネットワーク,こうした中で議会における
女性
政策に関わる動きも一段と活発になった。,五十六年に山根泰子(共)は、国際婦人年以後の市の
女性
政策、特に職員・審議会・教育委員への
女性
登用、婦人問題意見交換会,には
女性
パート労働者の実態調査と対策に取り組むことを求めた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(労組婦人部の誕生)
札鉄本局でも七月十六日、二〇〇人の女子職員が国鉄札幌支部婦人部結成大会を開き、戦時中
女性
の示した作業能力,二十二年八月婦人部長は笠巻キク(札幌市立豊水小
学
校)となり、副部長の井口ゑみ(小樽)・芦立小八重(函館,二十二年の北海道における
女性
教員の比率は、小
学
校四二パーセント、中
学
校一六・八パーセントだった(北の
女性
史,
女性
職員の任官・給与の改善は婦人部結成の目標だったが、勤務年数の男女差は大きく、
女性
は青年部で活動するのが,北労会議・国鉄・全逓・日通など市内各労組の
女性
約三〇人が集まって、「国際婦人デーに積極的に参加する」ことや
新札幌市史 第5巻 通史5上
(道議会議員と婦人議員協議会)
道議会議員と婦人議員協議会 二十二年の道議会議員選挙に、小樽と函館から
女性
が立候補したが当選はしなかった,最初の
女性
道議は二十六年、北教組小樽支部長から立候補した井口ゑみである。,同年札幌から立った
女性
候補は落選した。 ,表27のように、
女性
道議として竹村は一期、水島は三期務めた。,主体的な
女性
議員による会の発足は、二十七年十月三十日である(昭35北海道婦人議員協議会)。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(家庭内暴力の顕在化と「女のスペース・おん」の設立)
家庭内暴力の顕在化と「女のスペース・おん」の設立 家庭内での夫からの
女性
への暴力などをはじめ、さまざまな,人権侵害について
女性
自身が発言するようになったのは、昭和から平成へと元号が変わり、バブル経済の破綻が顕著,女のスペース・おん運営の「
女性
の人権ネットワーク事務所」が最初の年に電話で受付た件数は四四四件にのぼった,
女性
の人権侵害としてまとめられる相談件数は、年々増加傾向を示した。,開設から一〇年を経た十五年までに相談件数は一万件に達し、その相談の七割をこえるケースが「
女性
への暴力」
新札幌市史 第5巻 通史5上
(地域の学習活動・教育研究運動)
地域の
学
習活動・教育研究運動 昭和四十年七月、札幌生活協同組合(現コープさっぽろ)が地域購買生協として,その直接の目的は既設の職域生協と異なり、地域住民への生活物資の供給事業にあったが、同時に
女性
組合員を中心,にして、消費者協会、婦人団体連絡会などをはじめとして消費者運動が幅広く展開し、消費者教育や消費者問題の
学
習,この大会は全体集会と課題別集会からなり幅広い
学
習の場でもあった。 ,また、地域青年団、4Hクラブ、農協青年部、農協婦人部(現
女性
部)などが多彩な活動を展開し、その中で
学
習活動 / 地域の
学
習活動・教育研究運動
新札幌市史 第5巻 通史5上
(自主的活動の発足)
自主的活動の発足 戦前札幌で全国的なつながりをもつ市民的
女性
団体は、キリスト教婦人矯風会札幌支部(明,会の目的は
女性
の向上、新生活発展を掲げていたが、戦後は「おもに文
学
を通じて(中略)
女性
の文化水準の向上,友の会は『婦人之友』の読者会で、家事の合理化、
女性
の向上をめざした。,集まり、キリスト教連合婦人会の報告後、市内全
女性
が力を合わせることとし、委員長に安孫子八重(北星女
学
校同窓会長,、小樽や余市でも演説した(北の
女性
史)。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(変わる労働)
変わる労働 札幌市の
女性
労働は昭和期後半、表37、図8のように農業就業者の減少、製造業、卸売・小売業,いれず(58・4・6)
女性
消防官6人 道内初(60・4・1) 表-37 札幌の
女性
産業(大分類),資格取得は
女性
の職場を広げる希望が持たれたが、予想を超える問題も生じた。 ,
女性
消防官は全国六番目の発足で、大
学
・短大・高校生ら九〇人の応募者から選ばれた(60・4・1)。,写真-7
女性
消防士誕生(昭60.4) 一方合理化によっていわゆる「
女性
の職場」は変貌した。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(セクシュアル・ハラスメント対策)
セクシュアル・ハラスメント対策
女性
が職場で性的嫌がらせを受ける「セクシュアル・ハラスメント」(セクハラ,これを受けて立ち上がったのが、性差別反対運動に取り組む道内の
女性
たちで、「セクシュアル・ハラスメント一万人,セクハラ問題はふだん生活するあたり前の社会で依然としてたちはだかり、
女性
たちが「ノー」を叫び続けない限,おいらん道中」廃止にかかわる陳情(おいらんの図柄のあるタイル撤去も含む)提出をはじめ、同年九月十八日、
女性
,
女性
をとりまく職場環境を変えていく必然性に迫られていたからである。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(リブからフェミニズムへ)
リブからフェミニズムへ 東京で日本初のウーマンリブ大会が開かれた四十五年、札幌にも従来の
女性
運動にまで,会場に、所属を名乗らぬジーパン姿の
女性
十数人が「乱入」してマイクを奪い、講演は中止となった(タイムス ,81女たちの反安保連続講座報告集 こうした活動経験と理論の蓄積の上に、平成五年(一九九三)に
女性
,「おん」は北京の第四回世界
女性
会議に、「北海道における外国人
女性
への人権侵害実態調査」と題するワークショップ,「
女性
への暴力」に関わる活動は、六節二項に詳述される。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍特殊慰安施設(RAA)の設置と廃止)
札幌でも同様だったらしく、当時の札幌警察署では、外国人を相手にしていた
女性
二人に依頼、以前貸座敷で働いていた,みずから街頭に立ち客を誘う街娼は、占領直後から見られた新しい社会現象で、元娼妓、戦争被災者、職のない
女性
,、戦災孤児、「戦争未亡人」、外地からの引揚者など、前歴・
学
歴もさまざまな階層の
女性
がいた。, MPは、軍内の性病予防のため、日本の警察とともに街娼の「狩り込み」を行ってしばしば通行中の
女性
,りする
女性
が多かったのも事実である。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(民族の歴史と文化を学ぶ)
民族の歴史と文化を
学
ぶ アイヌ文化や歴史を正しく
学
ぼうとする機運も高まって来た。,道内各地からアイヌ文化に関心を持つ約六〇人が集まり、アイヌ文化に親しみ、
学
ぶ場を作ろうという目的で、機関誌,の発行、講演会、野外
学
習、博物館巡りなど各種事業を行うものであった(道新 昭57・10・3)。,六十年東京地裁上告の「アイヌ
女性
肖像権訴訟」はアイヌ民族の人権復権運動の象徴的運動ともなった(昭63・,アイヌ民族の歴史と文化を
学
ぶことから「アイヌ新法」制定運動への大きなうねりとなった。 / 民族の歴史と文化を
学
ぶ
新札幌市史 第5巻 通史5下
(創価学会)
創価
学
会 創価
学
会(本部東京都新宿区)は、昭和四十八年に北海道広布二〇年という節目を迎え、同年より「,第一回の北海道
学
生部大会も、同年十二月九日に開始されていた。,四十九年九月二十九日には各大
学
を単位とした大
学
会、高校会が結成されていた。 ,創価
学
会は各種の文化運動が活発であったが、主なものでは四十四年九月十七日に第一回北海道芸術祭、五十三年六月十八日,さらに、北海道池田講堂が六十二年十二月十八日、新たな北海道文化会館が六十三年七月十五日、北海道国際
女性
会館 / 創価
学
会
新札幌市史 第2巻 通史2
(「一夫一婦」の論)
それは、東京婦人矯風会(本部東京、会長矢嶋楫子、十九年創立)の在札会員である松浦たか等四人の
女性
たちの,、在札会員による「一夫一婦」の署名活動は、この頃活動していた各種結社団体の会合や政談演説会の演題等に
女性
,たとえば、同年十一月二十四日の北海道
学
友会の定例会では、
学
友会員遠藤国蔵が「一夫一婦の建白に就いて」を,北海道
学
友会は、その後も積極的に
女性
の問題をテーマに据えている。,ともかく、「一夫一婦」の建白運動以後、札幌の人びとの会話のなかに
女性
の問題が云々されるに至ったことだけは
新札幌市史 第5巻 通史5下
(札幌市緊急一時保護施設の開設)
暴力根絶を目指し
女性
の人権が守られた社会環境を確保するためのものであった。,特に
女性
のみならず子どももまた暴力の被害者であることがクローズアップされたことが注目される。,行い、調整が困難な状況になったケースについてワーキンググループで再協議され、再協議を呼びかける機関は
女性
企画室,、加害者対策問題にいたるまで自立支援にあたり、暴力被害
女性
(子ども)の自立・暴力のない生活環境を作る自立支援,このように、札幌市では
女性
への暴力根絶を目指した社会環境作りに努めている。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(大学「改革」の時代へ)
北海道大
学
医療技術短期大
学
部(昭55年10月)・札幌医科大
学
衛生短期大
学
部(昭59年、ただし平成4年12,大
学
・短期大
学
への絶対進
学
率(三年前に中
学
校を卒業した同年齢人口に対する現役・浪人合わせた進
学
率)は道内,平成元年には全国において
女性
が三六・八パーセントに対し、男性は三五・八パーセントとなり、
女性
の進
学
率が,八年十二月には札幌大
学
に経営
学
部産業情報
学
科が、十二年五月に北海道工業大
学
環境デザイン
学
科、情報デザイン,そのほか多くの大
学
においても、
学
部・
学
科を改組して新
学
科などを設置した。 / 大
学
「改革」の時代へ
新札幌市史 第5巻 通史5下
(【主要参考文献・史料】)
『
女性
労働 20世紀から21世紀へ』(平14)、札幌市『「第4回世界
女性
会議NGOフォーラム」派遣団報告書,『暴力のない世界をめざして―女のスペース・おん10年の歩み』(平15)、北海道実行委員会『第4回世界
女性
会議,・NGOフォーラム参加報告集』(平15)、北海道立
女性
プラザ『世界をつなぐ
女性
たち』(平8)、北海道婦人行動計画推進協議会,『総会議案』(平5~12)、同『
女性
部白書』(平5)、『北教組史 第7集』(平13)、『女のスペース・,センター『明日へ生きる―開設40周年記念誌―』(平9)、『札幌市男女共同参画施策の概要
女性
企画室・
女性
新札幌市史 第5巻 通史5下
(健全な「家庭づくり」を中心に)
健全な「家庭づくり」を中心に まず札幌市
女性
団体連絡協議会(略称・市女連協、平成四年「婦人」を改称),さらに毎年札幌市
女性
大会(昭31~)を、教育委員会・PTA協議会・各区連合町内会
女性
部・消費者協会等の,分科会のテーマは生涯
学
習・環境・高齢化など時代に即して展開されるが、一つはほぼ「子ども・青少年育成・豊,戦後の教育改革に対する不安・批判を抱いて結成された札幌教育父母会議の
女性
の中から、青少年の健全育成のため,「
女性
が家庭と社会参加との調和を図り、生きがいのある人生を築きつつ、人類の平和、発展、平等の推進に寄与
新札幌市史 第5巻 通史5下
(高齢者教育)
高齢者教育 生涯
学
習時代の到来といわれる中で、高齢者は
女性
とともにその積極的な
学
習意欲が注目されており,五十三年度から実施されているが、その活動の内容は、青少年の健全育成、園芸、絵画、木彫、書道、短歌、語
学
などの,指導者としての能力・経験を持つ六〇歳以上の高齢者が市教育委員会に登録して、高齢者教室、
女性
(婦人)
学
級,、地域の
学
習団体などの要請に応じて指導している。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(育休法・均等法等の改正)
97 15 114 平成9年までは札幌市教職員組合『婦人部総会議案』1981~1997年度、同『
女性
部白書,七年には給与の二五パーセントが、共済組合から支給されるようになった(札教組
女性
部総会議案)。 ,まず従業員の育児休業利用の実態は、
女性
が七九事業所、二七〇人、男性が二事業所(人数は不明)、介護休業利用,では、
女性
が一一事業所、一九人、男性が九事業所、一一人であった。,さらに改正均等法への対応として
女性
に対する企業の姿勢は、「積極的募集・採用をする」が三二パーセント、「
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌区立女子職業学校)
札幌区立女子職業
学
校 札幌区立女子職業
学
校は、明治四十年五月「徒弟
学
校規程」中改正(文部省令第八号 ,他の正教員には星野岩恵、小山内モト、村上ウメの三人の
女性
が発令された。,毎週教授時数を見ると、各
学
年とも裁縫科に充てる時数が最も多く、第一・二
学
年では三六時数中一四時数、第三
学
年,第二期生以降の同校入
学
者も、そのほとんどが高等女
学
校の入
学
資格を有していた(同校 沿革誌)。,同校は「職業
学
校」という名称を冠しているが、それは
女性
が職業を持ち経済的に自立することを目指しているわけではなかった / 札幌区立女子職業
学
校
新札幌市史 第5巻 通史5上
(婦人教育)
戦前・戦中期に国家総動員体制の一翼を担った愛国婦人会などの婦人団体に代わり、
女性
の社会的地位の向上と社会活動,この
学
級は募集人員一五~四〇人、一年間二〇時間以上をめどとして、日常生活の課題を基礎とする
女性
の自主的,ちなみに四十五年度以降についてみると、四十五年度は
学
級数五九、
学
級生数一七二三人、四十六年度は
学
級数四七,の概要(昭和47年度) 開設年度 (育成年数)
学
級数
学
級生数 (人)
学
級構成の特徴 年間
学
習目標,45 16 434 地域の婦人(10) 日本
女性
史 (3年目) (15~50) 小・中PTA(3)
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