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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第4巻 通史4 (新しい女性)

新しい女性 大正期は、女性向け雑誌が最盛期を迎え、『婦人世界』(実業之日本社 明39)、『婦女界』(,後者は、大通小学校を会場に講演と音楽会といった趣向をこらし、約一〇〇〇人の聴衆に日本女性の社会的意識への, 昭5・5・21)しているように、中等教育を受ける女性が増加していた。,たちの活動は活発であった(北の女性史)。,女性たちもまたモダニズムの中にいたのである。 / 新しい女性
新札幌市史 第5巻 通史5下 (女性(婦人)教育)

女性(婦人)教育 婦人(のちに女性)学級は、女性の日常生活の課題を中心とする女性の継続的な学習を集団的,その対象は一五人以上の女性学習グループとされ、学習時間は年八回以上、一六時間以上、開設期間は六月~翌年二月,さらに女性教育としては昭和四十五年度から実施されてきた婦人教育指導者養成講座(各年度五〇人前後、研修時間,その後、女性(婦人)教育への参加者は次第に少なくなってきた。,それは、一つには女性の学習機会の多様化と女性自身による積極的な参加によって、対象を女性に限った学習の機会 / 女性(婦人)教育
新札幌市史 第4巻 通史4 (働く女性の地位)

働く女性の地位 第一次世界大戦中の大戦景気の中で、職業婦人が増加していったことは第三巻で述べた。,中等教育を受ける者が約三倍に増加し、卒業後結婚までの短い期間にせよ、家庭の外で何らかの職業に従事する女性,職場に出た女性の職種、待遇はどうだったのだろうか。  ,り(テケツ、昭4)タクシー運転手(昭10)など、時代の先端をいく職業に女性がどんどん入っていった。,不況は、女性たちにもさまざまな翳をおとしていた。 / 働く女性の地位
新札幌市史 第4巻 通史4 (動員される女性労働)

動員される女性労働 女性の中等学校進学率がぐんぐん伸びていった昭和初期において、長引く不況は、卒業後何,らかの職業に就きたいと願った女性たちに失望感を与え続けた。,こうして、男性の代替としての女性の職域はますます広がりをみせ、同年六月には、札幌放送局では「女性の職場,以後、戦局の拡大は一般女性をも巻き込み、軍需工場のみならず運輸、通信等あらゆる部門で女性労働の動員が行,こうした動員は二十年の敗戦まで続けられ、都市女性の職業意識にも影響を与えた(北の女性史)。 / 動員される女性労働
新札幌市史 第5巻 通史5下 (女性たちが担い手に)

女性たちが担い手に 平成元年、札幌在住の藤堂志津子が『熟れてゆく夏』で第一〇〇回直木賞を受賞した。,代、桃谷方子(ももたにほうこ)ら女性たちが同賞を受賞し、「圧倒的に女性の時代に入った」(道新 平12・,五十五年には、朝日新聞北海道支社が「女性の小説」(平成二年より「らいらっく文学賞」)公募を始めた。,その後、女性三人による『白雲木(はくうんぼく)』が六十二年に創刊され、短歌でも平成三年に女性のみの季刊歌誌,さらに翌六十三年には鶴田玲子が同賞を受賞し、札幌の女性が二年連続の受賞となった。 / 女性たちが担い手に
新札幌市史 第3巻 通史3 (その他の女性団体)

その他の女性団体 以上の女性団体とは別に表19のようなそれぞれの目的、性格を持った女性団体も存在した,表-19 その他の女性団体の活動 札幌慈善婦人会 明治20年代に災害時の救援のために設立.36年青森県下飢饉救済,北海道婦人同志会 明治36年4月,在京本道出身女子学生の援護団体として松前子爵夫人を会長に発会.機関誌,『二十世紀の婦人』を37年1月創刊(編集発行今井歌子,川村春子ら).38年2月今井歌子・川村春子ら女性,札幌火災予防後援婦人会 大正4年12月発会式.火災予防思想の普及のために,官民協力で女性に嘱託.定例会 / その他の女性団体
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市の「女性計画」)

札幌市の「女性計画」 札幌市は、昭和五十九年(一九八四)と平成六年(一九九四)の二回女性計画を策定し,第一次の『札幌市女性のための計画―女性の自立と地位向上のための指針―』は、前記二回の調査と五十六年に設置,く女性の社会的環境の整備  4.女性の福祉の向上  5.女性の社会参加の促進  6.国際交流の促進,1の「学校における男女平等教育の推進」については、『男女平等教育指導資料』(昭61)の作成と幼・小・中,・高への配布、中学校用副読本『むすぶ心ひろがる未来』(昭62)の発行。 / 札幌市の「女性計画」
新札幌市史 第4巻 通史4 (女性労働者の増加)

女性労働者の増加 昭和期に入ると電話交換手が増加し、事務員、タイピストなども出現してきたが、女性労働者,しかし昭和十年代になると化学工場が増加し、女工が増加してきた。だが化学工場も労働条件が苛酷であった。,戦争が激しくなると、多くの職場に女性が狩り出された。出面をしていた女性も工場で働くようになった。,、札幌最大の工場は帝国繊維札幌工場で、労働者一四三五人を使用していたが(道会参事会資料)、その大半は女性 / 女性労働者の増加
新札幌市史 第3巻 通史3 (地域女性団体)

地域女性団体 日露戦争下において、愛国婦人会や帝国婦人協会の活動に刺激される形で、地域共同体を基盤にした,女性団体が各地に設立された。,同会は、明治三十八年八月、札幌村の藤古小学校高野守校長と橘仁夫妻が発起人となり発足した。,このほか日露戦争を契機に設立された地域女性団体に、軽川婦人懇話会、豊平婦人会がある。 / 地域女性団体
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市女性行政の始まり)

札幌市女性行政の始まり 札幌市は昭和四十九年(一九七四)四月、厚生局青少年部に婦人主査を新設し、オリンピック,行政職として初の女性係長である。,翌年市民局青少年婦人部を設け青少年婦人主幹(課長)、五年後に婦人主幹を新設し、本格的な女性行政に乗りだした,の女性教員数、女子の大学進学者数は半分以下である。,・協議会中女性参加は二七あるが、そのうち一〇の委員会でたった一人だった。   / 札幌市女性行政の始まり
新札幌市史 第5巻 通史5下 (「世界女性会議」への参加)

札幌市の派遣団は高田悦子(市母子寡婦福祉連合会長)ら地域活動にあった女性達と、市の女性政策担当職員であった,の女性関係施設や、パリでフランスの社会福祉施設等を見学した。,の会合で報告した(女性労働 20世紀から21世紀へ)。  ,札幌市は女性センター館長を含む一二人を派遣した。,北海道女性協会は北海道の支援をえて一三人の派遣団を送った(世界をつなぐ女性たち)。   / 「世界女性会議」への参加
新札幌市史 第5巻 通史5上 (初の女性札幌市議たち)

初の女性札幌市議たち 二十二年初の統一地方選挙で四月三十日の札幌市議会選挙には、定員四四人に対し一五,女性は六人立候補して三人が当選した。,女性議員の初質問は、安倍が五月二十四日の臨時会で行った。,五十三年の札幌市開基一一〇年記念式典で札幌市発展貢献賞を受けた、唯一の女性である。  ,札幌市議会の女性議員を表26に示した。 / 初の女性札幌市議たち
新札幌市史 第3巻 通史3 (その他の女性団体)

その他の女性団体 日清戦争時に軍人家族保護会として設立された軍事援護団体は、戦争終結とともに一旦解散,三十八年四月には、札幌区の宮部保子(札幌農学校宮部金吾教授夫人)たちに呼びかけて婦人委員を募り、戦争終結,このように日露戦争下において、官制女性団体は官主導のもとに出征兵士の送迎・慰問、軍人遺家族救護、傷病兵慰問 / その他の女性団体
新札幌市史 第4巻 通史4 (動員の諸相=官製女性団体)

動員の諸相=官製女性団体 「事件」勃発以来、人びとを戦時の体制につなぎ止め、参加させることを目的とした,女性にかかわる組織においてそれはいっそう顕著にみられた。,銃後における女性団体の動員の開始であり、そして女性団体の統合の予兆がみられる。,銃後活動の強化を期す「皇国女性」の赤誠を披瀝)。,ここで、それぞれの女性団体個別の活動をみておこう。 / 動員の諸相=官製女性団体
新札幌市史 第3巻 通史3 (仏教系女性団体)

仏教系女性団体 仏教系の女性団体で、もっとも顕著な活動をしたのが浄土真宗本願寺派に属する札幌婦人教会,その主なる活動は、札幌女子尋常小学校で例会を開き、生花、編物、裁縫、押絵、家政全般にわたる手芸講習を行,日曜女学校は、学校教育を受けられない少女のために、また学校に通っている人たちのために補習をさせ、日曜日,その後四十年十一月、日曜女学校は一〇周年記念式と合わせて学校組織として新築開校した(北タイ 明40・11,翌六日には日曜女学校の生徒成績展覧会を見学、さらに同会第二回総会に臨んだ。 / 仏教系女性団体
新札幌市史 第4巻 通史4 (婦人・女性の組織)

婦人・女性の組織 各寺院や宗派・教団には、本願寺派では札幌仏教婦人会(明31創設)、大谷派では婦人法話会北海道支会,北海寺の十八日講は四〇歳以上の女性によって組織され、「本寺院ノ維持興隆、講員ノ信行増進及相互ノ親睦ヲ図,写真-6 本願寺の札幌仏教青年会と女子青年会(昭13)  中央寺には吉祥婦人会とともに、日曜学校形式,の吉祥少女会も明治四十四年頃につくられており、生け花、茶の湯、琴曲、編物、作法などを学び、昭和三年の会員 / 婦人・女性の組織
新札幌市史 第5巻 通史5上 (初の女性代議士に札幌から二人)

初の女性代議士に札幌から二人 昭和二十一年(一九四六)四月十日、初の女性参政権行使によって三九人の女性代議士,この時北海道一区から二人の女性が当選した。,四月に入ると一区は三名、二区は二名の連記制などを解説して、必ず女性も投票するよう呼びかけた。,一四人の定員に対し、立候補者は女性二人を含む七一人だった。,一方新妻は、会計法戦時特例廃止に関する法律案委員会に、一八人中唯一の女性として参加した。 / 初の女性代議士に札幌から二人
新札幌市史 第5巻 通史5下 (女性労働者の増加と勤労者の多様化)

女性労働者の増加と勤労者の多様化 昭和二十五年(一九五〇)当時、二四・五パーセントに過ぎなかった札幌市,の雇用労働者に占める女性の割合も、高度成長期に入り官公営事業所・公務を除く第三次産業や一部製造業で漸増,その後も男性若年層の道外への流出、女性若年層を中心に道内他市町村からの流入、既婚者のパートタイマー労働者,の労働力代替などにより女性の職場進出が進み(市政概要 昭53)、五十五年には全体の三分の一を超えた(表,が占め、女性雇用者二二万五〇〇〇人の四一パーセントが非正規職員であった。 / 女性労働者の増加と勤労者の多様化
新札幌市史 第5巻 通史5下 (私立大学・短期大学の拡大)

入学者数もそれに相応して、男性以上に女性の伸びが高い。,、女性七・八七倍となる。,三十五年度段階の女性の大学進学が非常に少なかったことを考えてみても、女性の大学進学が急上昇していることがわかる,五十年度になると、男性七〇二人・女性三八九〇人で総数四五九二人となり、全体で四倍、男性一・三二倍、女性六,ここでも女性の進出がめだつ。 / 私立大学・短期大学の拡大
新札幌市史 第4巻 通史4 (婦人見学団)

婦人見学団 「時代の覚醒と共に女性向上の叫び高き今日、北海タイムス社の婦人見学団を催された事は我等女性,求めつゝある時御社の此の催しは、確かに、女性向上への一つの大きな導火線であらねばならぬ。,それに参加した女性の感想文の一節である。,第一回見学団に参加した女性は、新知識の吸収に感謝と感激の感想文を寄せるものが多かった(北タイ 大14・,なかでも第三回の見学地は、真駒内種畜場で、丸髷に着物姿の幼い子供連れの若い女性が多いことが写真からもうかがわれる / 婦人見学団
新札幌市史 第5巻 通史5下 (各種学校・専修学校)

各種学校・専修学校 各種学校とは、学校教育法で「学校教育に類する教育を行うもの」とされている学校であり,各学校卒業段階での区分けであり、中学校卒業程度を高等課程、高等学校卒業程度を専門課程、特に入学資格を定,生徒総数は総計四六一八人で、そのうち女性が圧倒的であった。,四十年にはいったん男性の割合が女性を超えたが、その後ほぼ同数となっている。  ,男女比率は十四年までの間、各種学校では男性が女性の一・五倍から二倍程度、専修学校では女性が男性の一・二倍 / 各種学校・専修学校
新札幌市史 第5巻 通史5下 (『男女共同参画さっぽろプラン』)

女のスペース・おん、札幌地区連合女性委員会、日本婦人会議札幌支部など七女性団体の八項目の陳情や民主党などの,向けた推進体制の整備・強化  二次にわたる女性計画実施の間に、女性登用がどう進捗したかまとめたのが表,十五年三月、一〇一の審議会中女性一人の会合が一五、いまだ女性ゼロの会合が九つ(その中には救急医療、道・,4 札幌市立学校女性職員の管理職人数と比率(平成11年5月1日現在)   小学校 中学校 高等学校 女性,女性学の講義も北海道大学での開講(昭59 共学の国立大学では最初)を初め、道内大学・短大においてふえている
新札幌市史 第5巻 通史5下 (すすむ国際化、多様化)

4 札幌市赤十字奉仕団  24 4,551 *5 JA北海道女性協議会  28 32,377 6 札幌市女性団体連絡協議会,ユネスコ連絡協議会  49 約300 *25 北海道国際女性協会  50 約220 26 北海道青色申告会連合会女性部,(最初の構成団体として他は道商工会婦人部、道消費者協会、道生活学校連絡協議会、道主婦会連絡協議会、大学婦人協会札幌支部,を中核に女性の地位向上と奉仕活動をめざす国際的組織である。,「さっぽろ女性会議」は北京で開催された第四回世界女性会議派遣団の有志が結成し、女性議員へのアンケート、
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市の「家庭内暴力」への取り組みと対策関係機関会議)

の概要 女性企画室・女性センター関係分 平成11年度)、翌十年二月九日には第二回対策関係機関会議を札幌市,・同児童福祉総合センター、札幌市精神保健福祉センター、同都市局住宅部住宅管理課、同教育委員会学校教育部学務課,市では「女性への暴力は、人権侵害であるということを市民に広く知ってもら」い、女性への暴力被害根絶に向けて,女性への暴力(家庭内暴力)』対策関係機関会議の概要」を示した。,図り、女性の人権擁護の観点から予防から救済までのサポート体制を総合的に検討すること」を目的とし、女性に
新札幌市史 第3巻 通史3 (出現の背景)

出現の背景 女性はいつの時代にあっても働き者であった。,明治に入ってからは、まず女性の知的職業として、小学校の教員が、「学制頒布」から一〇年の間に二五〇〇人誕生,大正期に入っても、女性の三大天職に従事する傾向は変わらずますます増加の傾向を示した。,もちろん百貨店の店員は女性が中心であった。  ,このような女性の職域の広がりを、当時の新聞は「社会問題」として捉え、その理由として、①教育の普及と女学校各種職業教育
新札幌市史 第5巻 通史5下 (均等法への対応)

平成二年六月号には「広がる女性の職場」を特集した。  ,一方札幌市小・中学校の女性教員は、六十二年の新採用二四一人中一六四人と過半数を超え、絶対数でも比率でも,表-38 札幌市の学校別女性教員数と比率 年 幼稚園 小学校 中学校 高等学校 高等専門学校 短期大学,さらに平成五年十一月、女性記者の増加に対応するとして、社会部と写真部の宿泊勤務ローテーションに女性も加,女性社員の採用は平成三年から二桁となり、毎年複数の女性記者が誕生した(風になって 2)。  
新札幌市史 第5巻 通史5上 (教育委員会など公職への進出)

初の札幌女性文化史である。  ,札幌市では十四年七月、人事調停法が施行された時初めて調停委員に女性八人が任命された。,として初めて広井喜美子が加わる)、一般男性四八人、一般女性一二人であった。,調停は男女ペアで行うのが原則で、女性委員の負担は重く、法的知識も貧しいからと学習活動は女性が中心となって,婦人少年室)の長は必ず女性をあてることとした。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (婦人文化センターから男女共同参画センターへ)

婦人文化センターから男女共同参画センターへ 札幌市婦人会館は、市史5上に述べたように女性団体の努力によって,表-35 婦人文化センター(女性センター)利用状況 1 情報資料室利用状況 年度 貸出冊数 閲覧者数,内容は婦人通信講座、女性学講座、料理講座、講演会、スポーツ講座、母と子のあそびの学校、婦人団体リーダー,センターを拠点に活動する団体の作品として、札幌女性史研究会の『北の女性史』(昭61)、生活史研究会茜会,平成四年四月から名称が女性センターと変わった。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (道議会議員と婦人議員協議会)

道議会議員と婦人議員協議会 二十二年の道議会議員選挙に、小樽と函館から女性が立候補したが当選はしなかった,最初の女性道議は二十六年、北教組小樽支部長から立候補した井口ゑみである。,同年札幌から立った女性候補は落選した。  ,表27のように、女性道議として竹村は一期、水島は三期務めた。,主体的な女性議員による会の発足は、二十七年十月三十日である(昭35北海道婦人議員協議会)。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (政治への新しい参画)

政治への新しい参画 表39は札幌選出の女性議員の一覧である。,札幌市議会の三人は初めて「女性のみ」の会派を結成し、女性・環境・福祉政策等に力を注いだ(市民ネットワーク,こうした中で議会における女性政策に関わる動きも一段と活発になった。,五十六年に山根泰子(共)は、国際婦人年以後の市の女性政策、特に職員・審議会・教育委員への女性登用、婦人問題意見交換会,には女性パート労働者の実態調査と対策に取り組むことを求めた。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (労組婦人部の誕生)

札鉄本局でも七月十六日、二〇〇人の女子職員が国鉄札幌支部婦人部結成大会を開き、戦時中女性の示した作業能力,二十二年八月婦人部長は笠巻キク(札幌市立豊水小学校)となり、副部長の井口ゑみ(小樽)・芦立小八重(函館,二十二年の北海道における女性教員の比率は、小学校四二パーセント、中学校一六・八パーセントだった(北の女性史,女性職員の任官・給与の改善は婦人部結成の目標だったが、勤務年数の男女差は大きく、女性は青年部で活動するのが,北労会議・国鉄・全逓・日通など市内各労組の女性約三〇人が集まって、「国際婦人デーに積極的に参加する」ことや
新札幌市史 第5巻 通史5下 (家庭内暴力の顕在化と「女のスペース・おん」の設立)

家庭内暴力の顕在化と「女のスペース・おん」の設立 家庭内での夫からの女性への暴力などをはじめ、さまざまな,人権侵害について女性自身が発言するようになったのは、昭和から平成へと元号が変わり、バブル経済の破綻が顕著,女のスペース・おん運営の「女性の人権ネットワーク事務所」が最初の年に電話で受付た件数は四四四件にのぼった,女性の人権侵害としてまとめられる相談件数は、年々増加傾向を示した。,開設から一〇年を経た十五年までに相談件数は一万件に達し、その相談の七割をこえるケースが「女性への暴力」
新札幌市史 第3巻 通史3 (北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育)

女子の天職である」(菊池前文相演述九十九集)と述べたように、固定的な性別役割分担に基づく「期待される女性,このことは女性が家事や育児を通して国家へと動員されていく、女性に対する国民統合のありようを示すものであった,小林以外の教員は佐藤ゆき、安芸左代、池袋すが、龍沢みち、西川かめの五人で、いずれも女性であった。  ,この教育方針は、当時の女子中等教育の「基本原理」であったが、女性に「永遠に依頼的になれ卑屈なれ独立の気象,謀るを以て、其の任務となす」(巻二・第四篇第一章)という記述から明らかなように、性別役割分担に基づく女性 / 北海道庁立札幌高等女学校の設立と良妻賢母主義教育
新札幌市史 第5巻 通史5上 (自主的活動の発足)

自主的活動の発足 戦前札幌で全国的なつながりをもつ市民的女性団体は、キリスト教婦人矯風会札幌支部(明,会の目的は女性の向上、新生活発展を掲げていたが、戦後は「おもに文学を通じて(中略)女性の文化水準の向上,友の会は『婦人之友』の読者会で、家事の合理化、女性の向上をめざした。,集まり、キリスト教連合婦人会の報告後、市内全女性が力を合わせることとし、委員長に安孫子八重(北星女学校同窓会長,、小樽や余市でも演説した(北の女性史)。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (変わる労働)

変わる労働 札幌市の女性労働は昭和期後半、表37、図8のように農業就業者の減少、製造業、卸売・小売業,いれず(58・4・6) 女性消防官6人 道内初(60・4・1) 表-37 札幌の女性産業(大分類),資格取得は女性の職場を広げる希望が持たれたが、予想を超える問題も生じた。  ,女性消防官は全国六番目の発足で、大学・短大・高校生ら九〇人の応募者から選ばれた(60・4・1)。,写真-7 女性消防士誕生(昭60.4)  一方合理化によっていわゆる「女性の職場」は変貌した。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (地域の学習活動・教育研究運動)

地域の学習活動・教育研究運動 昭和四十年七月、札幌生活協同組合(現コープさっぽろ)が地域購買生協として,その直接の目的は既設の職域生協と異なり、地域住民への生活物資の供給事業にあったが、同時に女性組合員を中心,にして、消費者協会、婦人団体連絡会などをはじめとして消費者運動が幅広く展開し、消費者教育や消費者問題の学習,この大会は全体集会と課題別集会からなり幅広い学習の場でもあった。  ,また、地域青年団、4Hクラブ、農協青年部、農協婦人部(現女性部)などが多彩な活動を展開し、その中で学習活動 / 地域の学習活動・教育研究運動
新札幌市史 第5巻 通史5下 (セクシュアル・ハラスメント対策)

セクシュアル・ハラスメント対策 女性が職場で性的嫌がらせを受ける「セクシュアル・ハラスメント」(セクハラ,これを受けて立ち上がったのが、性差別反対運動に取り組む道内の女性たちで、「セクシュアル・ハラスメント一万人,セクハラ問題はふだん生活するあたり前の社会で依然としてたちはだかり、女性たちが「ノー」を叫び続けない限,おいらん道中」廃止にかかわる陳情(おいらんの図柄のあるタイル撤去も含む)提出をはじめ、同年九月十八日、女性,女性をとりまく職場環境を変えていく必然性に迫られていたからである。  
新札幌市史 第5巻 通史5下 (リブからフェミニズムへ)

リブからフェミニズムへ 東京で日本初のウーマンリブ大会が開かれた四十五年、札幌にも従来の女性運動にまで,会場に、所属を名乗らぬジーパン姿の女性十数人が「乱入」してマイクを奪い、講演は中止となった(タイムス ,81女たちの反安保連続講座報告集  こうした活動経験と理論の蓄積の上に、平成五年(一九九三)に女性,「おん」は北京の第四回世界女性会議に、「北海道における外国人女性への人権侵害実態調査」と題するワークショップ,「女性への暴力」に関わる活動は、六節二項に詳述される。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (進駐軍特殊慰安施設(RAA)の設置と廃止)

札幌でも同様だったらしく、当時の札幌警察署では、外国人を相手にしていた女性二人に依頼、以前貸座敷で働いていた,みずから街頭に立ち客を誘う街娼は、占領直後から見られた新しい社会現象で、元娼妓、戦争被災者、職のない女性,、戦災孤児、「戦争未亡人」、外地からの引揚者など、前歴・学歴もさまざまな階層の女性がいた。, MPは、軍内の性病予防のため、日本の警察とともに街娼の「狩り込み」を行ってしばしば通行中の女性,りする女性が多かったのも事実である。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市緊急一時保護施設の開設)

暴力根絶を目指し女性の人権が守られた社会環境を確保するためのものであった。,特に女性のみならず子どももまた暴力の被害者であることがクローズアップされたことが注目される。,行い、調整が困難な状況になったケースについてワーキンググループで再協議され、再協議を呼びかける機関は女性企画室,、加害者対策問題にいたるまで自立支援にあたり、暴力被害女性(子ども)の自立・暴力のない生活環境を作る自立支援,このように、札幌市では女性への暴力根絶を目指した社会環境作りに努めている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (「一夫一婦」の論)

それは、東京婦人矯風会(本部東京、会長矢嶋楫子、十九年創立)の在札会員である松浦たか等四人の女性たちの,、在札会員による「一夫一婦」の署名活動は、この頃活動していた各種結社団体の会合や政談演説会の演題等に女性,たとえば、同年十一月二十四日の北海道学友会の定例会では、学友会員遠藤国蔵が「一夫一婦の建白に就いて」を,北海道学友会は、その後も積極的に女性の問題をテーマに据えている。,ともかく、「一夫一婦」の建白運動以後、札幌の人びとの会話のなかに女性の問題が云々されるに至ったことだけは
新札幌市史 第5巻 通史5下 (【主要参考文献・史料】)

『女性労働 20世紀から21世紀へ』(平14)、札幌市『「第4回世界女性会議NGOフォーラム」派遣団報告書,『暴力のない世界をめざして―女のスペース・おん10年の歩み』(平15)、北海道実行委員会『第4回世界女性会議,・NGOフォーラム参加報告集』(平15)、北海道立女性プラザ『世界をつなぐ女性たち』(平8)、北海道婦人行動計画推進協議会,『総会議案』(平5~12)、同『女性部白書』(平5)、『北教組史 第7集』(平13)、『女のスペース・,センター『明日へ生きる―開設40周年記念誌―』(平9)、『札幌市男女共同参画施策の概要 女性企画室・女性
新札幌市史 第5巻 通史5下 (健全な「家庭づくり」を中心に)

健全な「家庭づくり」を中心に まず札幌市女性団体連絡協議会(略称・市女連協、平成四年「婦人」を改称),さらに毎年札幌市女性大会(昭31~)を、教育委員会・PTA協議会・各区連合町内会女性部・消費者協会等の,分科会のテーマは生涯学習・環境・高齢化など時代に即して展開されるが、一つはほぼ「子ども・青少年育成・豊,戦後の教育改革に対する不安・批判を抱いて結成された札幌教育父母会議の女性の中から、青少年の健全育成のため,「女性が家庭と社会参加との調和を図り、生きがいのある人生を築きつつ、人類の平和、発展、平等の推進に寄与
新札幌市史 第5巻 通史5下 (高齢者教育)

高齢者教育 生涯学習時代の到来といわれる中で、高齢者は女性とともにその積極的な学習意欲が注目されており,五十三年度から実施されているが、その活動の内容は、青少年の健全育成、園芸、絵画、木彫、書道、短歌、語学などの,指導者としての能力・経験を持つ六〇歳以上の高齢者が市教育委員会に登録して、高齢者教室、女性(婦人)学級,、地域の学習団体などの要請に応じて指導している。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (民族の歴史と文化を学ぶ)

民族の歴史と文化を学ぶ アイヌ文化や歴史を正しく学ぼうとする機運も高まって来た。,道内各地からアイヌ文化に関心を持つ約六〇人が集まり、アイヌ文化に親しみ、学ぶ場を作ろうという目的で、機関誌,の発行、講演会、野外学習、博物館巡りなど各種事業を行うものであった(道新 昭57・10・3)。,六十年東京地裁上告の「アイヌ女性肖像権訴訟」はアイヌ民族の人権復権運動の象徴的運動ともなった(昭63・,アイヌ民族の歴史と文化を学ぶことから「アイヌ新法」制定運動への大きなうねりとなった。 / 民族の歴史と文化を学ぶ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (育休法・均等法等の改正)

97  15 114 平成9年までは札幌市教職員組合『婦人部総会議案』1981~1997年度、同『女性部白書,七年には給与の二五パーセントが、共済組合から支給されるようになった(札教組女性部総会議案)。  ,まず従業員の育児休業利用の実態は、女性が七九事業所、二七〇人、男性が二事業所(人数は不明)、介護休業利用,では、女性が一一事業所、一九人、男性が九事業所、一一人であった。,さらに改正均等法への対応として女性に対する企業の姿勢は、「積極的募集・採用をする」が三二パーセント、「
新札幌市史 第5巻 通史5下 (創価学会)

創価学会 創価学会(本部東京都新宿区)は、昭和四十八年に北海道広布二〇年という節目を迎え、同年より「,第一回の北海道学生部大会も、同年十二月九日に開始されていた。,四十九年九月二十九日には各大学を単位とした大学会、高校会が結成されていた。  ,創価学会は各種の文化運動が活発であったが、主なものでは四十四年九月十七日に第一回北海道芸術祭、五十三年六月十八日,さらに、北海道池田講堂が六十二年十二月十八日、新たな北海道文化会館が六十三年七月十五日、北海道国際女性会館 / 創価学会
新札幌市史 第5巻 通史5下 (大学「改革」の時代へ)

北海道大学医療技術短期大学部(昭55年10月)・札幌医科大学衛生短期大学部(昭59年、ただし平成4年12,大学・短期大学への絶対進学率(三年前に中学校を卒業した同年齢人口に対する現役・浪人合わせた進学率)は道内,平成元年には全国において女性が三六・八パーセントに対し、男性は三五・八パーセントとなり、女性の進学率が,八年十二月には札幌大学に経営学部産業情報学科が、十二年五月に北海道工業大学環境デザイン学科、情報デザイン,そのほか多くの大学においても、学部・学科を改組して新学科などを設置した。 / 大学「改革」の時代へ
新札幌市史 第5巻 通史5上 (婦人教育)

戦前・戦中期に国家総動員体制の一翼を担った愛国婦人会などの婦人団体に代わり、女性の社会的地位の向上と社会活動,この学級は募集人員一五~四〇人、一年間二〇時間以上をめどとして、日常生活の課題を基礎とする女性の自主的,ちなみに四十五年度以降についてみると、四十五年度は学級数五九、学級生数一七二三人、四十六年度は学級数四七,の概要(昭和47年度) 開設年度 (育成年数) 学級数 学級生数 (人) 学級構成の特徴 年間学習目標,45 16 434 地域の婦人(10) 日本女性史 (3年目) (15~50) 小・中PTA(3)
新札幌市史 第5巻 通史5下 (例言)

国立国会図書館、国民生活センター調査研究室、国立女性教育会館、日本郵政公社北海道支社、林野庁北海道森林管理局,北海道総合企画部経済企画室、北海道経済部労政福祉課労働資料センター、北海道立図書館、北海道立文書館、北海道立女性,プラザ、北海道立女性相談援助センター、北海道立教育研究所、北海道石狩支庁経済部商工労働観光振興課、札幌営林署,パートユニオン、連合北海道札幌地区連合会、NTT労働組合北海道総支部、札幌市役所職員組合、札幌市教職員組合女性部,、北海道高等学校教職員組合女性部、札幌証券取引所、札幌商工会議所、株式会社じょうてつ、豊羽鉱山株式会社
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