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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第4巻 通史4 (女性労働者の増加)

女性労働者の増加 昭和期に入ると電話交換手が増加し、事務員、タイピストなども出現してきたが、女性労働者,看護婦・派出婦は増加したものの組織化が遅れており、労働条件は改善されなかった。  ,だが化学工場も労働条件が苛酷であった。新聞はゴム工場について、次のように報道している。   ,戦争が激しくなると、多くの職場に女性が狩り出された。出面をしていた女性も工場で働くようになった。,)、その大半は女性であった。 / 女性労働者の増加
新札幌市史 第4巻 通史4 (動員される女性労働)

動員される女性労働 女性の中等学校進学率がぐんぐん伸びていった昭和初期において、長引く不況は、卒業後何,昭和十三年九月段階には、男性労働力不足さえ囁かれ、それを補うために賃金の安い女性の採用が目立ってきた。,このような、男性労働力の代替として女性の労働市場への登場は以後増加傾向をたどった。,十二月八日の太平洋戦争勃発後は、出征兵士の代替として女性労働の重要工場への動員は一層強化されてゆく(昭,以後、戦局の拡大は一般女性をも巻き込み、軍需工場のみならず運輸、通信等あらゆる部門で女性労働の動員が行 / 動員される女性労働
新札幌市史 第5巻 通史5下 (女性労働者の増加と勤労者の多様化)

女性労働者の増加と勤労者の多様化 昭和二十五年(一九五〇)当時、二四・五パーセントに過ぎなかった札幌市,の雇用労働者に占める女性の割合も、高度成長期に入り官公営事業所・公務を除く第三次産業や一部製造業で漸増,その後も男性若年層の道外への流出、女性若年層を中心に道内他市町村からの流入、既婚者のパートタイマー労働者,の労働力代替などにより女性の職場進出が進み(市政概要 昭53)、五十五年には全体の三分の一を超えた(表,調査方法が国勢調査とは異なるが、雇用労働者総数に占める女性の割合は全体で三五・九パーセント、絶対数の多 / 女性労働者の増加と勤労者の多様化
新札幌市史 第4巻 通史4 (日雇労働者)

日雇労働者 表3の札幌の職業別人口の職業分類で、その他の有業者に分類される人びとは見逃しにできない数字,しかも俸給生活者、一般労働者の失業率がそれぞれ四・五八パーセント、二・一二パーセントに対し、日雇労働者,日雇労働者は表6でみたように、大正十三年の場合、一日の賃金は男性一円三〇銭、女性七〇銭(札幌市統計一班,)で、一カ月収入男性三二円、女性一七円くらいではなかろうか。,日雇労働者の職種も第二節で述べるように、逓信・電話地下線工事、下水工事、建築人夫、工場雑役、道路改良、 / 日雇労働者
新札幌市史 第5巻 通史5下 (変わる労働)

変わる労働 札幌市の女性労働は昭和期後半、表37、図8のように農業就業者の減少、製造業、卸売・小売業,分析は第六章第三節にゆずり、ここでは均等法までの変わり行く札幌中心の女性労働を、『北海道新聞』の記事などから,図-8 札幌の女性の代表的産業就業者数と比率  この背景としてまず高度成長期の労働力不足や技術変動,3・23)、即死事故から道労基局が女子の労働条件を集中調査するなど、過酷な状況がうかがわれた(46・3,急激な機械化に伴い電話交換手も減少するが、労働密度の高まりから頚肩腕症候群の多発した時期がある。 / 変わる労働
新札幌市史 第3巻 通史3 (職工の待遇問題と労働状況)

職工の待遇問題と労働状況 北海道製麻会社は、少ない時で八〇〇人、多い時には一二〇〇人の職工を擁しており,、常に数々の労働問題が発生していた。,工場の主要な労働者は女性であったが、数少ない女性の働き口であった女工は、当時は人気の高い〝花形職業〟でもあった,しかしながら労働条件は過酷であり、会社の利益追及の犠牲となる人々も少なくはなかったのである。,問題となっているのは募集条件との相違、労働賃金、過酷な労働状況、寄宿舎の食事、工場・寄宿舎の衛生と職工 / 職工の待遇問題と労働状況
新札幌市史 第4巻 通史4 (働く女性の地位)

職場に出た女性の職種、待遇はどうだったのだろうか。  ,このような新しい時代の職業とは無縁な工場労働者や、「出面取り」と呼ばれた日雇の女子労働者が多かったことを,このため、後述するように労働時間の短縮など待遇改善要求を出している。,、水道工事の鉄管埋めのあとの地ならし(タコ搗き)、豊平川の砂利採取、道路工事、農家の手伝いなどの肉体労働,で、その日の糧を得るため一日一〇時間労働で六〇銭といくらかの歩合といったのが相場であった(北タイ 昭10 / 働く女性の地位
新札幌市史 第4巻 通史4 (労働者の状態)

労働者の状態 『札幌市統計一班』の「工場」の項目によれば、表5のごとく、札幌市内には大正十一年に一六九,それに対し女性職工の場合、熟練を要する蚕糸繰りのみが一円五〇銭と最も高く、その他は製粉八〇銭、製綿六五銭,工場労働の一日の労働時間は、朝六時から夕方六時までの一二時間で、その間に一時間くらいの食事・休憩時間が,このため当時の労働者は日給制で、休業日には給料は支払われなかったから、工場労働者の平均月収は男性で約四九円,、女性で約二〇円ということになる。 / 労働者の状態
新札幌市史 第5巻 通史5下 (「世界女性会議」への参加)

札幌市の派遣団は高田悦子(市母子寡婦福祉連合会長)ら地域活動にあった女性達と、市の女性政策担当職員であった,また布施晶子(札幌学院大学教授)は、婦人労働問題研究会の一員として「日本における婦人労働者の実情」を複数,の会合で報告した(女性労働 20世紀から21世紀へ)。  ,札幌市は女性センター館長を含む一二人を派遣した。,北海道女性協会は北海道の支援をえて一三人の派遣団を送った(世界をつなぐ女性たち)。   / 「世界女性会議」への参加
新札幌市史 第4巻 通史4 (職人から労働者へ)

札幌の工場労働者に共通していたことは、なによりも休日がないこと、労働時間が長いことであった。,大正中期には、明治末年に比較して労働時間は長くなり、休日は逆に減少した。,労働時間の長い(公称一一時間。,製麻の女工定年は三五歳であったから、犠牲者の大半は若い女性であった。,近郊では、定山渓の奥に豊羽鉱山が開業し、鉱山労働者が出現した。 / 職人から労働者へ
新札幌市史 第4巻 通史4 (十五年戦争と労働者)

十五年戦争と労働者 十五年戦争がはじまると、軍需景気により復職したり、新しく就職する労働者が増加してきたが,〔電話局員〕(昭和十三年自七月至十二月 社会運動情勢 札幌控訴院管内概況)  労働者の不足、質的低下,は日に日に顕著になり、女性、若年者が職場に多くなり、朝鮮人の連行が開始され、勤労動員が強制された。,賃金は据置きであり、不況期に短縮された労働時間は長くなりはじめた。 / 十五年戦争と労働者
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市女性行政の始まり)

行政職として初の女性係長である。,「数字でみた札幌市の婦人」という五〇に及ぶ統計は、女性の人口・家庭・労働・教育・社会参加について他の七政令都市,・協議会中女性参加は二七あるが、そのうち一〇の委員会でたった一人だった。  ,具体的な提言としては、「保育所の増設・拡充 婦人労働相談所の開設 婦人職員の採用拡大 婦人の専門職増設, 審議会・委員会への女性登用」などがみられた。   / 札幌市女性行政の始まり
新札幌市史 第5巻 通史5下 (札幌市の「女性計画」)

札幌市の「女性計画」 札幌市は、昭和五十九年(一九八四)と平成六年(一九九四)の二回女性計画を策定し,第一次の『札幌市女性のための計画―女性の自立と地位向上のための指針―』は、前記二回の調査と五十六年に設置,く女性の社会的環境の整備  4.女性の福祉の向上  5.女性の社会参加の促進  6.国際交流の促進,」(昭59)が設置された(女性関係施策の概要)。  ,市の女性職員登用促進、パートタイム労働者の権利保障なども含む新たな提言を行った。 / 札幌市の「女性計画」
新札幌市史 第5巻 通史5上 (初の女性代議士に札幌から二人)

初の女性代議士に札幌から二人 昭和二十一年(一九四六)四月十日、初の女性参政権行使によって三九人の女性代議士,この時北海道一区から二人の女性が当選した。,戦後直ちに入党し、主に炭鉱地帯で労働者の組織作りに活動していた。  ,一四人の定員に対し、立候補者は女性二人を含む七一人だった。,新妻はこの後東京に戻って、労働省婦人少年局婦人課長に就任した。 / 初の女性代議士に札幌から二人
新札幌市史 第4巻 通史4 (社会運動の中へ)

北海道ニ於ケル左翼労働沿革史)、働く女性たちが労働者としての自覚的運動へと入っていった。,女性労働者たちの労働争議への参加も早くからみられる。,大正十四年五月施行の治安維持法は、女性活動家にも多くの犠牲者を出した。,、帝国製麻、古谷製菓等市内労働者を組織するなど活動していたが、八年四月二十五日、相沢ら女性九人を含む道内三四人,その後、左派の姿は消え、とくに七年のメーデーでは札幌駅跨線橋工事に従事していた女性労働者が参加して話題
新札幌市史 第5巻 通史5下 (【主要参考文献・史料】)

せんのき』(昭57~平4)、札幌市『「国連婦人の十年」ナイロビNGOフォーラム派遣報告書』(昭60)、女性労働問題研究会,『女性労働 20世紀から21世紀へ』(平14)、札幌市『「第4回世界女性会議NGOフォーラム」派遣団報告書,10周年記念誌『風になって』(平1)、同女性部20周年記念誌『風になって 2』(平10)、北海道商工労働観光部,『資料北海道労働運動史 昭58~62年』(平6)、札教組女性部『総会議案』(平5~12)、同『女性部白書,センター『明日へ生きる―開設40周年記念誌―』(平9)、『札幌市男女共同参画施策の概要 女性企画室・女性
新札幌市史 第3巻 通史3 (出現の背景)

に開墾に従事したし、また商家の場合妻が店の切り盛りをすることも別に珍しいことではなく、妻も娘も懸命に労働,明治に入るまでは女性がどんなに生産労働に従事していたとしても、これらは賃金の伴わない、単なる家業としてしかみられず,これらに続いて、日露戦争後の札幌は工業化の進展から産業が発達し、工場労働者の急激な伸張のみならず、銀行,それに加えて第一次世界大戦の余波から、工場労働が主であった男性の職域が企業、銀行といった方面へ移行していった,の普及、②労働需要の増加、③物価の急騰による経済的圧迫、④結婚難を指摘した。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (教育委員会など公職への進出)

労働省婦人少年局が編集した『婦人の歩み30年』には、任命・委嘱による委員等で女性進出の多い公職として人権擁護委員,労働省婦人少年局は二十二年に発足して女性解放の役割を担ったが、初代局長山川菊栄の方針で地方職員室(昭27,婦人少年局は「婦人労働・年少労働・婦人問題に関する調査、啓蒙、連絡調整」を柱に出発し、二十四年から精力的,に女世帯、工場女子労働者、農村婦人の生活などの調査に取り組んだ。,の普及や労働教育の振興を、まず課題として取り組んだ。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (均等法への対応)

内容は同法の規定と労働省の「昭和五十九年度女子労働者の雇用管理に関する調査」の紹介である。,したが、時間外労働、深夜勤務は「任意」であるとの表現で九月に終息した。,さらに平成五年十一月、女性記者の増加に対応するとして、社会部と写真部の宿泊勤務ローテーションに女性も加,女性社員の採用は平成三年から二桁となり、毎年複数の女性記者が誕生した(風になって 2)。  ,同行従業員組合(平成元年より北洋銀行労働組合)は、長年にわたる婦人部の闘争で女性の定年延長(三十二年四五歳
新札幌市史 第5巻 通史5上 (労組婦人部の誕生)

約二〇〇人で綱領と規約を決め、「男女待遇の差別撤廃、馘首絶対反対、衛生資材の確保、同一労働に同一加配」,を強調して「同一労働に対して同一賃金の要求 男女の差別待遇の改善」を決議した(道新 昭21・7・17),二十二年の北海道における女性教員の比率は、小学校四二パーセント、中学校一六・八パーセントだった(北の女性史,青婦協副部長を務めた樋口治子は、この読書会で民主主義や労働問題の本を読み討論・学習したことが、その後の,女性職員の任官・給与の改善は婦人部結成の目標だったが、勤務年数の男女差は大きく、女性は青年部で活動するのが
新札幌市史 第5巻 通史5下 (男女雇用機会均等法成立まで)

男女雇用機会均等法成立まで 日本の女性雇用労働者数が一〇〇〇万人を超えたのは昭和四十二年、そのうち既婚者,札幌婦人問題研究会は婦人労働者の総パート化をめざす労基法「改正」は許せないと、働く女性の座談会を開き「,性別役割分担意識の克服をめざす女子差別撤廃条約やILO一五六号条約に基づかない均等法は、勤労婦人福祉法と同質で、女性,北海道地方同盟婦人委員会委員長)の六人で、上野、鈴木、中橋は内閣提出法案に賛成、小川、八幡は反対、清野は主として職場で働く女性,結局均等法案は、国会でかつてない多数の女性傍聴者の見守る中、衆議院で可決、参議院で継続審議となり、翌六十年五月
新札幌市史 第5巻 通史5下 (リブからフェミニズムへ)

意味する)は、一〇・二一ベトナム反戦デモの中で名乗りをあげ(昭45)、優生保護法改悪阻止を訴え、性と労働,中島は雇用平等法制定に向けて活躍した弁護士で、のち均等法案審議の衆議院社会労働委員会に参考人として出席,殺到する電話相談の労働問題に多くセクシュアル・ハラスメント(性的な嫌がらせ、以下セクハラと略す)が関わるので,さっぽろウイメンズ・ユニオン(平成十三年には北海道ウイメンズ・ユニオン)を立ち上げ、フェミニズムの視点から労働運動,「おん」は北京の第四回世界女性会議に、「北海道における外国人女性への人権侵害実態調査」と題するワークショップ
新札幌市史 第5巻 通史5下 (政治への新しい参画)

を労働婦人の参加しやすい夜間にも設定することなど質し、市長は「貴重な提言と受け止めたい」と応じた。,には女性パート労働者の実態調査と対策に取り組むことを求めた。,同時に市議会も「育児休業法の早期制定を求める意見書」「パートタイマーの労働条件の改善を求める意見書」を,するなど、市の福祉政策が性別役割分業観を前提としていると批判し、家事・介護などのアンペイドワーク(不払い労働,この間市議会では、平成九年三月に「実効ある男女雇用平等の法整備を求める意見書」が可決されたが、「労働基準法
新札幌市史 第5巻 通史5上 (【主要参考文献・史料】)

『資料北海道労働運動史 終戦─講和』(昭28)、同『北海道労働組合名鑑』(昭23~27)、同『失業対策年報, 2 昭和編』(昭43)、竹前栄治『戦後労働改革―GHQ労働政策史』(昭57)、竹前栄治『証言日本占領史,『婦人有権者』(昭21~23)、竹村敏雄・竹村恵美『ひ孫の詩(うた)竹村マヤ追想』(昭55)、北海道女性議員協議会,53)、『札幌友の会五十年のあゆみ』(昭57)、日本基督教婦人矯風会『婦人新報』(昭20~23)、札幌女性史研究会,『北の女性史』(昭61)、『大学婦人協会史』(昭46)、(財)結核予防会北海道支部『北海道の結核』(平
新札幌市史 第5巻 通史5上 (婦人週間の行事)

から四月十日(最初の女性参政権行使日)以後の一週間を婦人週間として、男女平等の推進を図った。,労働省婦人少年局北海道職員室に対して、北海道・北海道教育委員会・北海道労働科学研究所を初め多くの官庁・,せつ「働く婦人の生活態度」,道労働教育課教育係長立林嘉雄「婦人と労働法」 60人 討「労働・国際・家庭,・社会」 400人    27   講演・労働省婦人課長谷野せつ「婦人と労働」,外務省情報文化局今井正,など「熱心な討議 かつてなき盛会」と詳細に記録し、また北円山土曜会の女性のレクリエーション出演を紹介した
新札幌市史 第5巻 通史5下 (育休法・均等法等の改正)

札教組では行使者、代替者の懇談会を開き、妊娠中の労働軽減、保育所・学童保育や身分保障などについて市教委,七年には給与の二五パーセントが、共済組合から支給されるようになった(札教組女性部総会議案)。  ,一方十年に労働基準法が改正され、深夜及び休日・時間外労働に対する女子保護規定が撤廃された。,さらに同年六月、労働者派遣法が改正され(派遣労働の原則的自由化)、翌月施行された。  ,では、女性が一一事業所、一九人、男性が九事業所、一一人であった。
新札幌市史 第3巻 通史3 (「社会問題欄」)

蛎崎は、荻伏でアイヌ民族の女性から、和人から暴行されそうになったので抵抗して追い返した話を聞き、「夷族,から四月にかけ「社会問題欄」に、「失業者保護問題」「酒瓶の製造及販売取締法制定の重要」「雇人奨励会の労働者運動会,」「日本の工業は発達せざるべし」「近時欧米労働運動上に於ける喜ぶべき二現象」「労働運動」「日本労働者懇親会,」を発表し、読者に労働者の状態が変化しつつあることを教えたが、北海道にいないため、北海道の労働者の状態,ただ、二六新報の開催した労働者懇親会に関する文は注目され、札幌の新聞社でも労働者懇親会を計画し始めた。
新札幌市史 第5巻 通史5下 (パート一一〇番)

は、通年雇用では人件費がかさむという企業と、物価上昇に対する家計補助を望む主婦の要望が合致した急激な労働形態,四十六年から五十七年に全道の女性パートタイム労働者は四万六〇〇〇人から一五万四〇〇〇人に、女子雇用労働者,に占める割合は九・五パーセントから二一・九パーセントに増加していた(資料北海道労働運動史)。,(小売業の九割)が女性パートを雇用し、就業規則、賃金、昇給制度などいずれも全国より著しく低水準であった,組織が要求を続けたパートタイム労働法(短時間労働者の雇用管理の改善等に関する法律)の成立は平成五年(一九九三
新札幌市史 第5巻 通史5下 (セクシュアル・ハラスメント対策)

セクシュアル・ハラスメント対策 女性が職場で性的嫌がらせを受ける「セクシュアル・ハラスメント」(セクハラ,これを受けて立ち上がったのが、性差別反対運動に取り組む道内の女性たちで、「セクシュアル・ハラスメント一万人,セクハラ問題はふだん生活するあたり前の社会で依然としてたちはだかり、女性たちが「ノー」を叫び続けない限,女性をとりまく職場環境を変えていく必然性に迫られていたからである。  ,八年九月、連合は、女性が働きやすい職場環境をつくるため、労使が労働条件などに関して結ぶ「労働協約」にセクハラ
新札幌市史 第4巻 通史4 (メーデーの歴史)

メーデーの歴史 労働者の祭典といわれるようになったメーデーは、治安維持法時代には闘うメーデーであった,主催団体は札幌合同労働組合で、多くの労働者が参加するのではないかと期待されたが、各工場が労働者の参加を,禁止したため、参加者は合同労働組合幹部一一人にすぎなかった。,とくに駅前跨線橋のヨイトマケに従事していた女性が参加したため(北タイ 昭7・5・2)、のちのちまで話題,雨のせいもあったが、労働組合に対する失望も影響していた。
新札幌市史 第4巻 通史4 (新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)

と労働者  タコ部屋存続        女性労働者の増加  札幌の朝鮮人     二 労働者組織の,全札幌労働者組合と労働者共和会  札幌労働者組合の衰退  メーデーの歴史     三 無産政党の展開,の問題と自覚的運動…682     一 札幌の女性の社会参加        婦人見学団  新しい女性,  働く女性の地位     二 女性の人権問題        娼妓の実態  待遇改善要求  娼妓の,教化社会的活動  健民的活動  婦人班活動     三 戦時生活の諸相        動員される女性労働
新札幌市史 第5巻 通史5下 (家庭内暴力の顕在化と「女のスペース・おん」の設立)

家庭内暴力の顕在化と「女のスペース・おん」の設立 家庭内での夫からの女性への暴力などをはじめ、さまざまな,人権侵害について女性自身が発言するようになったのは、昭和から平成へと元号が変わり、バブル経済の破綻が顕著,女のスペース・おん運営の「女性の人権ネットワーク事務所」が最初の年に電話で受付た件数は四四四件にのぼった,外国からも寄せられ、①セクシュアル・ハラスメント=性的嫌がらせ、嫌がらせ、不当解雇、賃金不払い、などの労働現場,女性の人権侵害としてまとめられる相談件数は、年々増加傾向を示した。
新札幌市史 第4巻 通史4 (全協の若者たち)

日本共産党は、その影響下に左翼労働組合である日本労働組合全国協議会(略称全協)を組織しており、北海道・,産業別に組織を作り、地区協議会を組織し、婦人部まで設けたが、五年十二月一日に弾圧された(本道ニ於ケル左翼労働組合運動沿革史,七年十一月二十四日に機関紙『北海労働者』を創刊し、青バスや石切場の争議を指導したが、八年四月二十五日に,軍関係施設で保母をしていた女性は軍法会議に付された。,、十年一月からまたも高橋典三らにより再建運動が進められ、全協本部と連絡がとれなかったため、札幌産業別労働組合
新札幌市史 第5巻 通史5下 (例言)

、独立行政法人森林総合研究所北海道支所、東京都公文書館、北海道労働局雇用均等室、北海道総務部北方領土対策本部,、北海道総合企画部経済企画室、北海道経済部労政福祉課労働資料センター、北海道立図書館、北海道立文書館、,北海道立女性プラザ、北海道立女性相談援助センター、北海道立教育研究所、北海道石狩支庁経済部商工労働観光振興課,北海道平和運動フォーラム、札幌平和運動フォーラム、札幌パートユニオン、連合北海道札幌地区連合会、NTT労働組合北海道総支部,、札幌市役所職員組合、札幌市教職員組合女性部、北海道高等学校教職員組合女性部、札幌証券取引所、札幌商工会議所
新札幌市史 第1巻 通史1 (人別帳にみる人口構成)

これは二〇代男性が、最も屈強な労働力として支配人などのもとで束縛され、遠隔地や長期にわたる労働に駆使され,さらにもう一方では、アイヌ女性が支配人・番人の妻妾とされたことにも原因がある。,武四郎が確認したところでは、妻妾となった女性は三二人もいる(菊地勇夫 場所請負制下の和人とアイヌ)。,このうち有夫の女性も多数おり、いずれも支配人などに無理じいに引きさかれたものである。,これは安政二年(一八五五)七月、支配人・番人がアイヌ女性を妻妾とすることを禁止し、妻子の同伴を奨励した
新札幌市史 第5巻 通史5上 (緊急失業対策事業の推移)

特別措置の名目で夏季手当支給が二十七年から始まり、二十八年から日雇労働者健康保険法が制定実施され、国の,この間の三十年十二月、市の所管は建設部(のち建設局)に移ったが、三十年代に入ると一般労働力需要が急速に,高まる一方で、失業対策事業が再就職までの労働力「保全」よりも「定職」の色彩が全国的に濃くなり(失業対策事業二十年史,)、長期登録者や女性、中高齢者の比率が著しく上昇した。,四十一年度から一般土木工事や屋外運搬作業と別に、高齢者や病弱者、女性などのための軽作業現場や屋内作業場
新札幌市史 第5巻 通史5下 (新札幌市史 第五巻 通史五(下)/総目次)

の変化         雇用労働者の札幌圏一極集中 女性労働者の増加と勤労者の多様化         ,の再編 労働組合組織率の推移と組織化対策   第四節 女性問題の高揚と活動…543      一 ,国際婦人年と女性政策         国連と政府の取り組み 札幌市女性行政の始まり         ,婦人文化センターから男女共同参画センターへ 札幌市の「女性計画」         「世界女性会議」への,に         「いのち」「くらし」を守る活動を続けて リブからフェミニズムへ   第五節 女性労働
新札幌市史 第4巻 通史4 (失業者あふれる)

井田菊蔵(労狂と号した)は、苗穂に革新会失業者救済所を開設し、土工夫の失業者を救済した(失業救済会 労働,無産政党や労働組合は、失業問題を最大の課題とした。,札幌一般労働組合の指導した昭和五年一月十四日の市役所デモは、その後何回も行われた失業者デモの最大のものであり,解雇がもっともさかんであった昭和五年における企業の解雇状況を見ると、次のようになっており、女性の解雇が,しかしそれは、ゴム工場・皮革工場など、近隣から嫌われる工場が多く、労働者は肩身の狭い思いをしなければならなかった
新札幌市史 第5巻 通史5上 (例言)

国立国会図書館、国立国会図書館憲政資料室、厚生省図書館、労働省図書館、厚生労働省北海道雇用均等室、札幌地方裁判所,北海道立図書館、北海道立文書館、北海道開拓記念館、北海道立教育研究所、北海道立中央児童相談所、北海道立女性相談援助,、横浜市総務局市史編集室、昭和館、女性と仕事の未来館、サッポロビール博物館、市川房枝記念会図書室、北海道社会福祉協議会図書資料,北海道民社協会、民主党北海道、札幌市連合遺族会、北海道ウタリ協会札幌支部、社団法人札幌観光協会、札幌市教職員組合女性部,、北海道傷痍軍人会札幌支部、札幌商工会議所、札幌商工会議所婦人会、札幌市女性団体連絡協議会、札幌市消費者協会
新札幌市史 第5巻 通史5下 (すすむ国際化、多様化)

4 札幌市赤十字奉仕団  24 4,551 *5 JA北海道女性協議会  28 32,377 6 札幌市女性団体連絡協議会,ユネスコ連絡協議会  49 約300 *25 北海道国際女性協会  50 約220 26 北海道青色申告会連合会女性部,を中核に女性の地位向上と奉仕活動をめざす国際的組織である。,「ワーカーズ・コレクティブ」は資本と労働を持ち寄る非営利事業体である(七章一節二項参照のこと)。,「さっぽろ女性会議」は北京で開催された第四回世界女性会議派遣団の有志が結成し、女性議員へのアンケート、
新札幌市史 第4巻 通史4 (【主要参考文献・史料】)

『プロレタリア科学』、『産業労働調査時報』、『総同盟五十年史』、『労働及産業』、大原社会問題研究所『政治研究会,』、『労働農民党』、『政治研究』、村上由『北海道労働運動ものがたり』、山岸一章『相沢良の青春』、牧瀬菊枝,』、『所謂監獄部屋の研究』、『北辺の出稼と労働関係』、筆宝康之『建設労働経済論』、『北海道開拓殉難者調査報告書,』(第六回 昭4)、『札幌市会小史』(第一期第二期)、婦選獲得同盟編『婦選』(昭和六年九月号)、札幌女性史研究会編,『北の女性史』、竹ヶ原幸朗「一九二〇年代アイヌ民族解放運動史論」『近代日本と北海道』(未刊)、久保内加菜
新札幌市史 第1巻 通史1 (人口の減少)

そのひとつに、単身赴任の支配人・番人によるアイヌ女性の妻妾化の問題があった。,このなかには妊娠した女性が堕胎させられたり、また梅毒に感染させられた例も少なくない。,アイヌ女性は、労働力のみならず、また性の収奪を受けたことも事実であった。  ,弘化元年(一八四四)、松前藩ではアイヌの人口の減少を心配し、①アイヌの労働力の他場所への貸借関係の均衡化,歯止めになるどころか、これ以後のアイヌ搾取は、ますます強化され、以上のような人口減少をまねき、アイヌの労働力
新札幌市史 第1巻 通史1 (アイヌ政策の変化)

① アイヌの労働及び賃米・撫育品は、詰合役人が許可・管理。  ,② 支配人・番人が、アイヌ女性を妾となすことを禁止。  ③ アイヌ男女の結婚の奨励。  ,高倉新一郎の概括によると、それらの諸政策は、(一)労働条件改善政策、(二)人口保全政策、(三)同化政策
新札幌市史 第5巻 通史5上 (就業人口の増大と組合組織率)

雇用労働者に占める女性の割合は、公務では一六・六パーセントから一三パーセントに後退したが、他業種での雇用,しかし、雇用労働者数に対する推定組織率は、二十五年の五一・九パーセントからほぼ一貫して低下し、金融保険業,表-12 昭和45年札幌市の産業別男女別雇用労働者数 種別産業 雇用労働者総数 男女別人員 男女別比率,表-13 札幌市の労働組合組織率の推移 種別年次 就業者総数 雇用者数 (A) 労働組合数 組合員数,労働組合数及び組合員数は,昭和25年~35年は『札幌市統計書』により,40年・45年は『北海道労働組合名鑑
新札幌市史 第5巻 通史5下 (北海道看護協会の誕生と活動)

本部から独立し、社団法人「北海道看護協会」に改組、より地域に密着した事業を推進する目的から、看護婦の労働力不足,市立高等看護学院の受験生は浪人生が三、四割を占めており、女性の職業として就職率が良く結婚退職後も復職できる,しかし、札幌市内でも待遇や労働条件が良く、募集が容易な国立・公的病院と民間病院との格差が目立ってきた。,十代から二十代の女性に人工妊娠中絶が多いため、「望まない妊娠」を回避するための避妊方法や家族計画の指導相談
新札幌市史 第5巻 通史5下 (職業相談員)

①高卒者女性は、一般事務希望者も、求人側の実務経験・資格有無により、結局販売員・工員などに就職。,女性は、清掃婦・炊事婦またはパートなどが大半。,③中高年男性の場合、季節労働の人が常用の仕事を希望したが、車の運転免許を取得していなかったため、再度季節労働
新札幌市史 第5巻 通史5上 (売春防止法の制定)

二十二年九月一日新設の労働省婦人少年局は、労働大臣の諮問「婦人の人権を尊重し、その福祉をはかるため、売春問題,同法案は、三十一年五月二日第二四通常国会に提出され、女性の地位の向上・人権意識の定着・人身売買の横行・,減少したものの、なおかつ売春のドロ沼から抜け出ることの出来なかった、いわばギリギリの状況下に置かれた女性,このうち、従業婦は九七人、転落の恐れのある女性は一八一人であった。,やはり、女性の人権の確立の観点からも一地方自治体レベルではなしに国家による強力な法的裏付けが必要とされていた
新札幌市史 第4巻 通史4 (札幌の朝鮮人)

十四年十月から、札幌にも朝鮮人労働者が強制連行されてきた。  ,十五年戦争末期に飛行場工事に就労した菅原組や藤原組の土工部屋では、発疹チフスが蔓延し、朝鮮人労働者を苦,正木清は昭和十四年十二月十二日、道会で朝鮮人土工夫についての質問を行い、土建業者と警察の癒着が朝鮮人労働者,朝鮮人料理屋の女性は炭坑への移動を強制された。
新札幌市史 第1巻 通史1 (松浦武四郎の総括)

②番人の妻妾女性の堕胎。    ③独身男性の増加と出産の減少。  ,⑤過酷な労働による衰弱。    ⑥病者の不治療。  ,さらに、改革後の漁場解放による和人の増加は、アイヌの労働の場や居住地をうばい圧迫することになり、窮乏と
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編 (出典一覧(明治以降) 1945年〜2000年)

女性施策の概要 平成10年度 3361  女性週間北海道女性会議の記録 3362  女性のデータブック, 第4版 3363  北海道の女性たち 女性プラザ10周年記念誌(北海道立女性プラザ編) 3364,  女性労働20世紀から21世紀へ 3365  女流書家集団創立30周年記念作品集 3366  白雪会,50周年記念誌 3461  全国電気通信労働組合札幌市外電話局分会女性のあゆみ 3462  全国保健所長会,ガイドブック(北海道経済部) 4260  労働組合基礎調査(労働省) 4261  労働省女性行政半世紀
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