機関トップ
資料グループ
テキスト一覧
年表一覧
キーワード一覧
札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ
トップページ
詳細検索
詳細検索
目録
テキスト
年表
キーワード
その他(トップページ等)
検索条件を追加
目録
テキスト
年表
キーワード一覧
その他(トップページ等)
AND
OR
NOT
年号変換
閉じる
検索結果
: 50件
辞書ファセット
○○○
△△△
10件
20件
50件
100件
(並べ替え)
テキストタイトル(昇順)
テキストタイトル(降順)
ページタイトル(昇順)
ページタイトル(降順)
掲載ページ(昇順)
掲載ページ(降順)
/ 1ページ
新札幌市史 第2巻 通史2
(学田)
学田
十五年三月、函館・札幌・根室県令連名で「公立学校へ地所下付ノ義ニ付」内務省あて伺い、許可を得たので,十八年における
学田
願の状況は表4のとおりである。,月寒
学田
はのちに厚別に設置された。豊平
学田
は明治23年5月許可。,2.藻岩学校は中島を
学田
にする計画があった。,円山学校は山口村にも
学田
にする計画があった(「札幌県学務課視察報告書」による)。 /
学田
新札幌市史 第4巻 通史4
(学田地の売却)
学田
地の売却 円山町は昭和十五年七月二十七日、新たに「自作農創設維持奨励規程」全一七条を制定したが、,その三日後の七月三十日、
学田
地の小作人への売買予約契約が締結され、十六年一月二十六日、本契約が締結された,の結果、一三五円九〇銭となり、同じく畑は四一円八六銭、山林原野は六円五〇銭の線でほぼ固まり、最終的に
学田
地,そして、この
学田
地の解放問題が落着した直後の十六年四月一日、円山町は札幌市に編入された。 /
学田
地の売却
新札幌市史 第4巻 通史4
(学田地の経営)
学田
地の経営 ところで、この西野
学田
地の小作経営はどのようにしてなされていたのであろうか。,土地条件などから、明治期から昭和十六年の
学田
地解放にいたる間永住した小作人は少なく、大正末期には一戸分,
学田
地の小作人は、ほぼ三〇人前後で推移し、三~四人の代表者が選ばれて、役場との小作料の交渉などにあたる,慣行が次第に成立していった(円山
学田
地小史)。 ,三六 、西野
学田
小作料調定(ママ)ニ関スル件 西野
学田
小作料ハ最初米納ノ契約ナリシガ、小作人側ノ願 /
学田
地の経営
新札幌市史 第4巻 通史4
(学田地の解放問題)
学田
地の解放問題 そしてこの前後から、
学田
地の小作人への解放と自作農創設の動きが出はじめてくるのである,(同前) 九番とは進藤勇議員のことであるが、「何等ノ意志表示ナシ」と村側が回答した直後の十二月、
学田
地,の小作人一同は「自作農維持(ママ)創設法ニ依リテ、何卒藻岩村
学田
地ヲ、低価ニ特売分割解放相成度斎藤銀蔵外二十九名連署,シテ嘆願ニ及候也」との「藻岩村
学田
地特売嘆願書」を佐藤村長に提出した。,請願書 我等円山町
学田
地小作人ハ昭和十一年十二月、
学田
地ヲ自作農創設維持法ニヨリテ特売、自作農トナシ /
学田
地の解放問題
新札幌市史 第4巻 通史4
(争議の発端)
(地元では
学田
農場と称していた)一四一町四畝一八歩(畑―一四〇町五反三畝二二歩、宅地―五反二六歩)の小作料,そもそもこの
学田
地は、明治時代前期に篠路小学校の附属
学田
として払い下げられたものであり、篠路村では、明治二十年代以降徳島県,そして、同規則を変則的に適用した上で、翌四十一年、
学田
地の小作賃貸期間は同年より昭和二年三月までの二〇,この年の三月三十一日は、二〇年間という
学田
地の小作契約期間が満了となる日であり、前述のように村会は、
学田
地,これを受けて篠路村では、
学田
地の小作料が周辺の土地に較べて安いとの判断から、①今後
学田
地の賃貸期間を五年間
新札幌市史 第4巻 通史4
(争議の経過)
町制施行円山町と改称、16・3札幌市に編入)の円山小学校が同郡手稲村大字上手稲村字西野(現・西区西野)に所有する
学田
地,そして、小作側は
学田
地の解放を求めた結果、円山町が札幌市に編入される直前の十六年一月、自作農創設維持法,により、総額七万三三一八円で同町から
学田
地小作人に売却処分されたのである。 ,この争議に関しては、旧小作人の立場からまとめられた、西野用水共有地組合編『円山
学田
地小史』がある。,なお、この
学田
地は通称「円山
学田
地」と称されているが、後掲史料では「西野
学田
地」または「手稲村
学田
地」
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和十~十一年の争議)
その経過は前述『円山
学田
地小史』が詳細に触れているが、小作人側の最大の要求は十月二十八日付の嘆願書で述,すなわちそれは「水田年貢ハ隣境地琴似
学田
地ハ畦畔ヲ控除シテ参斗五升、手稲
学田
地ハ参斗六升ナレバ、当藻岩村
学田
地,こうした状況下に開かれた三月三十日の第二回村会では、この
学田
地の小作料問題が「最も重要性を有するもの」,その際、
学田
地の所在する手稲村長が調停役として加わり、村側と小作側とで交渉の結果、次のような内容で合意
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和六、八年の争議)
嘆願書 去ル昭和四年小作契約ヲナセル藻岩村有
学田
地ノ小作料ハ、田ハ一反歩金拾円、畑其他ハ一反歩、金一円,レリ、依テ希クハ我等小作人ノ窮情ヲ御憐察成シ下サレ、今年度ヨリ、田、畑、其他ノ小作料ヲ、近隣ノ手稲村有
学田
地,、若シクハ琴似村有
学田
地並ニ御取立相成ル様、小作契約ヲ御変更相成度、此段嘆願ニ及候也 昭和八年十一月二十四日, 藻岩村
学田
地小作人代表 斎藤健次郎
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 教育)
一二五 学校費収入予算調(明治一五年七月) 一二六 収入金・支消金計算調(明治一五年) 一二七
学田
下渡上申案及,び
学田
着手方法書案(明治一五年一〇月九日) 一三七 小使雇入に付回答(明治一五年一一月一三日) 一三八,の義上申(明治一五年一一月二八日) 一四四 小使雇入に付届(明治一五年一二月一五日) 一四五
学田
貸渡申合書,の届(明治一五年一二月一五日) 一四六 兵員子弟の教員練兵の件(明治一五年六月四日) 一四七
学田
着手方法書,の当否 一五八 授業上の得失 一五九 学区々画校数の当否 一六〇 補助金遣払の当否 一六一
学田
新札幌市史 第4巻 通史4
(小樽新聞の記事)
小樽新聞の記事 三月二十一日付『小樽新聞』に、「篠路
学田
一小作者」が「篠路村議諸氏へ」と題して投書しているが,このように、
学田
地の小作料値上げ問題をめぐっては村当局と小作人との対立が先鋭化するのみならず、村理事者,すなわち、三月末をもって満期を迎えた
学田
地の小作料を三円に値上げするという村会の決議を、桜井秀夫村長が,ここにいたって、篠路村
学田
地の争議は、小作争議としての外観を呈しながらも、その本質はむしろこの問題を利用,このようにして、篠路村
学田
地の争議は次第に複雑な状況をみせはじめていった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(昭和五年の争議)
『円山
学田
地小史』には、ある小作人代表の日記の一部が紹介されている。,〔昭和五年〕 十月七日 始めて総会を開き、円山
学田
地水田小作年貢は一反歩十円の契約なるも、米価暴落と,同盟書 我等円山
学田
小作人一同ハ、藻岩村当局ニ対シ、米納復活ヲ嘆願セシモ拒絶セラレ、更ニ時価換算金納,山田三次郎 鈴木重正 鈴木寅之助 加須屋与三吉 黒田勉 赤坂権左エ門 金田仁右エ門(円山
学田
地小史
新札幌市史 第2巻 通史2
(上手稲村と西野の開拓)
二十一年十月に右股にいたる道路が福玉仙吉によりつくられ、二十六年頃から円山小学校の
学田
の開墾も進む。,写真-2 昭和3年の西野
学田
地の水田風景(『上田善七翁記』より) 西野は三十二年に戸数は四〇戸
新札幌市史 第3巻 通史3
(上手稲と分村運動)
三十一年に広島用水路が開削された後、左又の琴似
学田
、西野の円山
学田
でも用水路がつくられ、米どころとなっていった,西野には琴似村の
学田
もあり、この年(四十三年)の三月には、琴似手稲果樹組合も創設されており、上手稲と琴似村
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道型の争議)
拓北農場(岩崎農場)で大規模な争議が発生し(市史第三巻参照)、その余波として、昭和初期には同じ篠路村の
学田
地,や藻岩村の西野
学田
地で争議が繰り返されている。
新札幌市史 第2巻 通史2
(学校の経費)
経費 前編および本編で記述したように、この時期の小学校維持経費は、授業料、戸別割(協議費)、および
学田
,すなわち早期に成立した学校では
学田
等も収益を挙げ、また父兄も授業料を納入し得るだけの経済力をもつ場合がかなりに,. 735 0 . 000 4 . 800 27 . 000 157 . 03 . 5 2項
学田
収益
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
また上手稲村の西野に所在した円山村の
学田
は大正末期で約七〇町、小作は約三〇戸といわれ(西野用水地組合 ,円山
学田
地小史)、篠路村の
学田
は昭和初期で一四一町、三一戸とされている(北海タイムス 昭和四年十月十九日付,このような公的な農場や
学田
、小規模な農場や小作地が多数あり、二十年代以降の移住は農場などの小作移住が中心,岡田佐助所有(小作50戸) 14 信州開墾 白石村 19 河西シモ 54 14 もと河西由造所有 15 豊平
学田
新札幌市史 第3巻 通史3
(〝小作村〟)
また、明治二十二年に付与を受けた篠路村
学田
(昭和四年一四一町、三一戸)もあり、「十町歩以上三十町歩内外,となってかかっており、生活は苦しく、農場の転売をめぐる拓北農場の争議(大9)、小作料の値上げをめぐる
学田
争議
新札幌市史 第4巻 通史4
(篠路村)
ただ村政で大きな問題となったのは昭和三、四年に発生した
学田
の小作料問題であった。,三年二月二十七、二十八日に開かれた村議会では、一四一町歩の
学田
小作料を一反歩一円二〇銭から三円に引き上
新札幌市史 第7巻 史料編2
(口絵)
道立文書館蔵) 清国農夫野蚕従業伺 647頁参照 (道立文書館蔵)
学田
払下願地図
新札幌市史 第2巻 通史2
(財政収入)
その中でも小学校の維持のために設置された
学田
地の造成につとめていた。,表14にみられるように札幌・苗穂・雁来・豊平村では
学田
地の貸付料(地代)が、大きなウエイトを占めるようになってくる,表-14 諸村の財政(協議費)収入予算 村名 年度 (明治) 村 費 小学校 授業料ほか
学田
新札幌市史 第5巻 通史5下
(周辺部の中学校の新設―北区を事例として)
そのため、三十八年一月には、
学田
地区に北陽中学校が新設された。
新札幌市史 第4巻 通史4
(自作農創設事業)
この他に篠路村では、
学田
農場と耕北農場(茨戸前田農場の後身)の約二〇〇町歩も、昭和二十一年にそれぞれ解放,藻岩村においては、昭和十六年一月藻岩(円山)
学田
地で農地の解放が実現した。,によって、長期低利の資金を借り入れる方法があることを教えられたのをきっかけに、「藻岩村
学田
地特売嘆願書,藻岩村有地自作農創設請願書」(昭12・1)、「請願書」(昭14・4)といったように請願を繰り返した結果、
学田
地,が小作農民に売り渡されることになり、償還組合(円山
学田
地自作農創設維持資金償還組合)が組織されるとともに
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌市域の小作率)
その代表的事例は、先に述べた
学田
地の争議であるが、その前に、昭和十年頃の札幌市域における小作状況について
新札幌市史 第1巻 通史1
(前期)
しかし、野幌丘陵の東側、江別市の
学田
、広島町の北の里付近の台地に分布する小野幌層(下部)とされたものが
新札幌市史 第3巻 通史3
(二級町村制の施行)
字本村 第二部 字五ノ戸 第三部 字十軒 第四部 字レツレツプ 第五部 字中島・
学田
新札幌市史 第3巻 通史3
(「燕麦組合」の設立)
それを記すと、篠路村烈々布販売組合、篠路農場販売組合、前田農場組合、篠路
学田
販売組合、琴似購買販売組合,篠路村においても、大正二年には烈々布産業組合(組合員三五人)が、三年には
学田
産業組合(組合員一七人)が
新札幌市史 第4巻 通史4
(調停の成立)
①
学田
地の賃貸借契約期間及び賃料の改訂期間を各五年とし、昭和三年度更改の二七名及び同四年度更改の四名
新札幌市史 第4巻 通史4
(産業組合)
札幌農大第三農場員 信購販 札幌村大字札幌村 72 大 3. 9.17 新組合設立 昭11. 1.10 (無)篠路村
学田
,販 篠路村字
学田
19 大 4. 5.17 決議 昭 9. 3.16 (有)篠路農場 購販 篠路村(,北札幌農業協同組合史 昭54) 篠路村においては、(無)篠路村烈々布購買組合(烈々布)、(有)篠路村
学田
購販組合,(
学田
)、(有)篠路農場購販組合(横新道、興産社、大野地、釜谷臼、すなわち拓北農場一円)の三組合を合併
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
またこの頃は学校維持の為に、全道的に
学田
・学林等の附属地の払下げがなされているが、(二)にはその関係の,ここで
学田
地としてあげられている中島は、のち札幌区の公園予定地(現在の中島公園)となり、明治十七年許可取消
新札幌市史 第4巻 通史4
(区から部へ)
昭和二年二月二十八日に「篠路村区設置規程」がつくられて部から区へと改正となり、本村、五ノ戸、十軒、烈々布、
学田
,小別沢、十二軒、山手、二十四軒東、二十四軒西、川添東、川添西、八軒東、八軒西、試験場、牧場(まきば)、
学田
新札幌市史 第3巻 通史3
(岩崎家との交渉)
なお小作人側の代表となった四人であるが、昭和八年四月、篠路村内の烈々布、
学田
、篠路農場の三つの産業組合
新札幌市史 第4巻 通史4
(新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)
の争議 二 昭和前期の小作争議 札幌市域の小作率 (一)篠路村
学田
地,争議の諸段階 法外調停期 依法調停期 調停の成立 (二)藻岩村西野
学田
地,の争議 争議の経過
学田
地の経営 昭和五年の争議 昭和六、八年の争議 ,昭和十~十一年の争議
学田
地の解放問題
学田
地の売却 豊平町・吉田農場の争議
新札幌市史 第3巻 通史3
(その他の産業組合と農会)
325 300 2,107 篠路村 烈々布 販 大 2 106 730 16,040 篠路
学田
新札幌市史 第2巻 通史2
(その他の村落)
しかし後述するように、学校の維持も官の補助金に止まらず、村の協議費、
学田
の設置などによりその経済的基盤
新札幌市史 第3巻 通史3
(大正四年全道青年会連合大会)
烈々布青年会 篠路村中野青年会 篠路村字十軒青年会 篠路農村青年会 篠路村山口青年会 篠路村
学田
青年会
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
篠路 札幌太,キウス 本村,横新道,興産社の一部 茨戸 茨戸太 上・下茨戸 太平 レツレツプ 烈々布,
学田
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町・吉田農場の争議)
吉田農場の争議 以上、昭和前期における札幌市の小作争議のなかで、特筆すべきものとして篠路村と藻岩村の
学田
地
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
今日の中央区中島公園一帯は山鼻村の
学田
地であったが、ここに遊園地を設置すべく札幌区総代人会の計画を道庁
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の農場と小作制)
六四七町、平岸村)、宮内省御料局の御料農場(六五〇町、平岸村)などが存在していたが、これらの公的な農場や
学田
地
新札幌市史 第2巻 通史2
(丘珠村と白石村の「自治」)
集会の議題は主に道路修繕、学校関係(
学田
、学校世話人、敷地、修繕費など)、神社、協議費等級、公有財産のことなどである
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
藻岩郷土史 八垂別』(昭57)、『白石発展百年史』(昭45)、『昭和十五年度円山町会議決書』、『円山
学田
地小史
新札幌市史 第4巻 通史4
(市街地の拡大)
鉄道以北の北二〇条方面は、坪五、六十銭であったものが二、三円となり、最北の京都合資会社の地所(札幌区
学田
地
新札幌市史 第2巻 通史2
(代表的な総代人たち)
在任期間中、円山小学校の維持と西野に所在した
学田
の造成、備荒蓄積の推進、公有地の造成、村落自治の確立などに
新札幌市史 第2巻 通史2
(区費)
収入面では授業料が約一万円見込まれたが、あとの二万七〇〇〇余円は賦課金に頼らざるを得ず、
学田
造成などが
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
(明治一五年七月)…861 一二六 収入金・支消金計算調(明治一五年)…863 一二七
学田
下渡上申案及,865 一二九 札幌区長代理告達(明治一五年九月一一日)…865 一三〇 中隊・戸長役場に
学田
仮規則廻送,び
学田
着手方法書案(明治一五年一〇月九日)…868 一三七 小使雇入に付回答(明治一五年一一月一三日,〇月一六日)…870 一四二 新川堀割に付上申(明治一五年一一月六日)…870 一四三
学田
貸渡方,887 一五九 学区々画校数の当否…890 一六〇 補助金遣払の当否…891 一六一
学田
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
(昭6)、桑原真人「昭和三年篠路村の小作争議について」『札幌の歴史』6号、西野用水共有地組合編『円山
学田
地小史
新札幌市史 第2巻 通史2
(図版・写真・表組一覧)
390頁) 表-3 明治16年各校授業料『札幌県治類典』(道文8019)より作成 (391頁) 表-4
学田
一覧,第七師団歩兵第二十五連隊の建物『東宮殿下行啓記念写真帖』より (701頁) 写真-2 昭和3年の西野
学田
地
新札幌市史 第8巻1 統計編
(3札幌区の統計事情)
区長の浅羽靖は,区有財産の乏しきを憂い,区内および琴似の
学田
地,豊平の墓地等を払い下げ,区有財産に編入
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
学務委員と学区 就学の問題 二 学校経営の諸問題 補助金 協議費 授業料
学田
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
蝦夷の光 第2号 1837 本道ニ於ケル最近ノ極左運動概況 昭和11・12年 1838 円山
学田
地小史
/ 1ページ