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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (安東氏の渡島)

安東氏の渡島 安藤と安東は訓が同じだから混じったのか、鎌倉末期から南北朝争乱期、同族相争う中で蝦夷管領代官職,がその初め安藤氏で、後に安東氏に代わったのか、その間の事情はわからないが、文書記録類では鎌倉期のものは,勢力を伸ばして来た南部氏が応永十八年(一四一一)秋田に兵を向けて湊の安東鹿季を攻め、ついで十三湊の下国安東氏,枢機に参画したといわれる醍醐寺座主満済の『満済准后日記』の永享四年(一四三二)十月二十一日の条に、下国安東氏,これによって考えれば永享四年か、それより遠く遡らない時期に、下国安東氏が夷カ島へ渡ったものと考えられる / 安東氏の渡島
新札幌市史 第1巻 通史1 (道南館主の動向)

道南館主の動向 夷カ島へ渡った盛季の子康季、孫義季らは津軽領の回復を計ったが、事ならずに、下国安東氏,政季は河北千町に知行し、以後檜山安東氏を称し、のち湊安東家を併合して代々蝦夷島を領した。  ,当時道南には一二の館主がいたとされるが、松前、上之国、下之国の館主以外の九つの館主も安東氏の支配機構の,『新羅之記録』も「狄の島、古へ安東家の領地たり」と言っており、館主の多くが安東氏嫡流の「季」の諱(いみな,各館主間の経済活動に相違はあったとするも、こうした安東氏を中心に館主を核とした和人の活動は、アイヌの漁撈狩猟圏
新札幌市史 第1巻 通史1 (蠣崎政権成る)

翌十一年蠣崎信広の子、光広は子の良広と共に館を大館に移し、蝦夷島の領主である檜山安東氏に使を派し、上之国,の守護職から蝦夷島における安東氏の代官になり、蝦夷島唯一の現地支配者となって、これらの館を傘下に編成しつつ
新札幌市史 第4巻 通史4 (都市計画委員会北海道地方委員会委員の選出)

村田議長より単記無記名により選出の旨宣言されたが、安東氏から議長の推薦指名を提案されたが否決された。
新札幌市史 第1巻 通史1 (豊臣秀吉の朱印状)

されたもので、この朱印状は他の大名の石高、本領安堵状とは異なるが、本質的には変わるものでなく、これにより慶広は安東氏
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

  第二章 松前藩の成立と蝦夷地…359   第一節 松前藩の成立過程…359     一 安東氏,の動向と夷カ島        渡党 安東氏の渡島 道南館主の動向     二 蠣崎政権樹立        
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