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新札幌市史 第3巻 通史3
(定山渓と定山渓温泉)
定山渓
と
定山渓
温泉
定山渓
は元湯(明13創設)、中の湯(明19)、鹿の湯(明29)の三軒の温泉場があり,大正三年十一月に郵便局設置を請願した資料によると、
定山渓
には一三五戸、人口が五四〇人あり、そのうち農業,地内は
定山渓
、一の沢、東一番通、東二番通、薄別、小樽内川よりなっていた。 ,
定山渓
が温泉町として飛躍的な発展をみせるようになるのは、大正中期であった。,そして七年には
定山渓
鉄道も開業し、一大温泉町へと発展していくようになるのである。 /
定山渓
と
定山渓
温泉
新札幌市史 第4巻 通史4
(定山渓鉄道)
定山渓
鉄道 大正七年開通した定鉄は、昭和三年増資をして電化計画をたてた。,四年五月には電化工事の認可を得て、電化工事を開始した(
定山渓
鉄道株式会社の各年度営業報告 交通博物館蔵,十月二十五日に
定山渓
鉄道の東札幌~
定山渓
間が高速度電車として運転を開始した。,また真駒内と滝の沢の両停留場を停車場に変更し、終点
定山渓
駅の手前に錦橋駅を新設した(北タイ 昭4・20,同年
定山渓
乗合自動車合資会社より札幌
定山渓
乗合自動車、一般貸切貨物並びに乗客自動車運転営業に関する一切 /
定山渓
鉄道
新札幌市史 第3巻 通史3
(定山渓鉄道)
定山渓
鉄道 大正七年十月十七日、秋晴れの空の下を定鉄第一号列車が小さな機関車にひかれてガタゴトと走った,列車は一日三往復、白石
定山渓
間八六銭、所要時間一時間三〇分。,
定山渓
鉄道建設の発案は、大正のはじめ、当時の札幌鉄道管理局長野村弥三郎から豊平町長吉原兵次郎に敷設計画,当時札幌の中心部より
定山渓
まで、鉄道を必要とする客観条件も二つほど熟しつつあった。 ,いま一つは
定山渓
温泉への観光客の誘致である。 /
定山渓
鉄道
新札幌市史 第5巻 通史5上
(定山渓事件)
定山渓
事件 行政と組合は、そのほか「管理職手当・管理規則問題」やのちの「宿日直廃止問題」など様々な点,で対立したが、その中で警官隊が導入され、衝突事件となったものに、いわゆる「
定山渓
事件」がある。,これは文部省と道教委との共催による北海道地区教育課程研究協議会が、昭和三十四年八月三十一日からの二日間で
定山渓
/
定山渓
事件
新札幌市史 第3巻 通史3
(定山渓鉄道の敷設)
定山渓
鉄道の敷設 札幌停車場を起点とし、白石村を経て
定山渓
に至る鉄道を敷設しようと企てられ、大正元年十二月,目的は木材の搬出、貨物運輸と
定山渓
温泉への客の招来である(北タイ 大1・12・7)。,その主唱者である松田学によると、三十一年に道庁を辞して以降、
定山渓
までの鉄道敷設の構想を持っていた。,そのことが
定山渓
鉄道計画のはじまりであるという(小樽新聞 大7・10・17)。 ,運賃は、白石
定山渓
間二等一円三二銭、三等七五銭であった(小樽新聞 大7・10・17)。 /
定山渓
鉄道の敷設
新札幌市史 第1巻 通史1
(定山渓層群)
定山渓
層群
定山渓
層群(白水川層)は薄別川流域とその支流の白水川流域に分布する地層で、豊平川流域の新第三紀層,
定山渓
層群はまさにグリーンタフ変動のはじまりを語ってくれるものなのである。 /
定山渓
層群
新札幌市史 第5巻 通史5上
(近郊の観光―定山渓温泉)
近郊の観光―
定山渓
温泉 二十九年十月六日道道小樽―
定山渓
線が開通し(弘報とよひら 昭29・10・13,三十二年六月には
定山渓
―東札幌間を運行していた
定山渓
鉄道(以下、定鉄と略)が札幌駅に乗入れている。,戦後間もなく
定山渓
温泉の経営者を中心に、支笏洞爺国立公園の指定促進運動が始まり、二十一年五月十七日
定山渓
観光協会,
定山渓
温泉の主な旅館は、札観協の設立と同時に加入していたが、札幌市と豊平町という行政区の違い、一般旅館,
定山渓
温泉を含まない。 / 近郊の観光―
定山渓
温泉
新札幌市史 第1巻 通史1
(定山渓温泉と石英斑岩)
定山渓
温泉と石英斑岩
定山渓
温泉の泉源は豊平川河床付近にあって、岩石の割れ目から湯が湧出している。 /
定山渓
温泉と石英斑岩
新札幌市史 第4巻 通史4
(定山渓の土工夫争議)
定山渓
の土工夫争議 昭和二年八月、
定山渓
の奥で土木工事に従事していた東京からの募集人夫が争議を起こした /
定山渓
の土工夫争議
新札幌市史 第5巻 通史5上
(定山渓鉄道の廃止と実現しなかった鉄道計画)
定山渓
鉄道の廃止と実現しなかった鉄道計画
定山渓
鉄道は、三十三年慈恵学園駅、緑が丘駅、十五島公園駅を,表-14
定山渓
鉄道の運輸成績 年 昭和 乗車人員 貨物輸送 総数 人 発送総量 /
定山渓
鉄道の廃止と実現しなかった鉄道計画
新札幌市史 第4巻 通史4
(豊平町)
豊平町で市街を形成していたのは
定山渓
である。,
定山渓
は
定山渓
ホテル(元湯ホテル)、鹿の湯クラブ、定山園などがある湯の町であり、浴客や行楽客での賑わいをみせていたが,さらに、昭和四年十月二十五日から
定山渓
鉄道が電化となり、豊平・
定山渓
間が従来の一時間二〇分が四四分に短縮,
定山渓
市街には温泉街の他に帝室林野管理局の
定山渓
分担区員駐在所、郵便局、巡査部長派出所・巡査駐在所、小学校,やがて豊羽鉱山が復活するにしたがい
定山渓
も賑わいを回復するようになり、十八年四月十日には豊平町
定山渓
出張所
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 藤田至則『日本列島の成立 グリーンタフ造山』、長谷川潔・小山内熙「国富~
定山渓
地域,として」『地下資源調査所研究報告』、杉本良也『五万分の一地質図幅説明書〈銭函〉』、土居繁雄『同説明書〈
定山渓
,小山内熙・杉本良也・北川芳男『同説明書〈札幌〉』、通産省資源エネルギー庁『昭和四十八年度広域調査報告書(
定山渓
地域
新札幌市史 第2巻 通史2
(市外との連絡路の整備)
俗称新琴似4番通,正式名称は西部から道道樽川篠路線,市道手稲新琴似線,市道新琴似4番線の三つに分かれる).
定山渓
新道,.札幌近傍原野道路開削. 23年度 札幌江別間道路開削.札幌市街道路砂利敷等改修.札幌近傍道路開削.
定山渓
虻田間道路開削,. 24年度 白石輪厚間道路開削.
定山渓
虻田間道路開削. 25年度
定山渓
虻田間里道開削. 26年度,
定山渓
虻田間の内
定山渓
喜紋別間道路. 27年度
定山渓
虻田間里道開削. 29年度 茨戸銭函間及び札幌茨戸間運河,.
定山渓
中山間道路橋梁修繕工事.札幌茨戸間道路修繕工事.対雁橋架換え工事.札幌郡下白石広島村間及び江別村厚別村間道路橋梁修繕工事
新札幌市史 第4巻 通史4
(口絵)
口絵 『札幌及
定山渓
名所案内』 (鳥瞰図、昭和三年一月十六日発行、発行人安田俊平、印刷・発行所交益社,表はここに掲載したように札幌市中を中心とし、上辺に
定山渓
温泉を配した鳥瞰図。,裏面は「札幌及
定山渓
名所案内」として、札幌市中の名所と
定山渓
温泉の紹介。,裏面左下隅に、
定山渓
温泉の元湯ホテル・鹿乃湯クラブ・定山園と札幌市中の旅館中むら屋が枠に囲まれている。
新札幌市史 第4巻 通史4
(北海道中央乗合自動車株式会社)
当時に、現在の札幌市域に関係した会社と路線は、前述の札幌自動車合資会社と札幌観江バス株式会社以外は、
定山渓
鉄道株式会社,が持っていた札幌駅前~豊平間、札幌駅前~
定山渓
間、それと小樽
定山渓
自動車株式会社が持っていた小樽汐見台,~朝里豊倉~
定山渓
間があった。
新札幌市史 第5巻 通史5下
(国有林の動向)
ただ、札幌市内の郷土史に札幌営林署や
定山渓
営林署が取り上げられるケースは決して少なくはない。,二十三年八月、北海道官有林のうち
定山渓
・厚田地区を御料林に編入して御料局札幌支庁、札幌出張所が設置されたが,林政統一によって御料林と内務庁所管国有林が北海道庁管下からともに農林省所管となり、名称も札幌営林署、
定山渓
営林署,その後、六十三年三月に
定山渓
営林署を札幌営林署に統合し、
定山渓
に営林事務所を設置して現在に至っている。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【交通】)
253表 北海道炭礦鉄道及び国有鉄道駅別運賃収入 第254表 国有鉄道駅別運賃収入 第255表
定山渓
鉄道株式会社,の資本金・停車場・車両数その他 第256表
定山渓
鉄道株式会社の営業収支 第257表
定山渓
鉄道の
新札幌市史 第5巻 通史5上
(その他の金属鉱山)
銅・鉛・亜鉛、豊平町、有限会社本龍鉱山)、⑦真駒内(鉄、豊平町常盤、三谷栄次郎)、⑧本龍(鉄、豊平町
定山渓
,二十九年十二月末現在では、豊富(鉛・亜鉛・硫化鉄、豊平町
定山渓
、三井金属鉱業株式会社)二人、無意根(三泉鉱業株式会社,三十七年十二月末現在では、
定山渓
(金・銀、
定山渓
、日鉄鉱業株式会社)一七人。
新札幌市史 第4巻 通史4
(本龍鉱山、豊富鉱山、豊宏鉱山)
位置は
定山渓
西南方面を虻田街道に沿い一三キロメートルのところという。,豊宏鉱山は、
定山渓
から小樽方面へ六キロメートルほどのところに位置する、金・銀・銅・鉛・亜鉛鉱山である。,大正初期に鉱床が発見され、昭和十年鉱業権が設定され
定山渓
鉱山と称して操業したが、ほとんど休止状態であった
新札幌市史 第5巻 通史5下
(水道網の拡張と水道の安定供給)
豊平峡ダムの完工(昭47)に加え六十年以降の水源確保のために小樽内ダム(
定山渓
ダム)の建設に着手推進を,五十五年から第六期拡張事業、五十九年から第七期拡張事業を二期実施することで、
定山渓
ダムの完成により長期安定給水,白川第二、第三浄水場などの建設、清田配水池や
定山渓
配水池などの建設、ポンプ場などの高区配水施設の建設、,六十三年(一九八八)からの第一次施設整備事業、平成四年からの第二次施設整備事業では、平成元年の
定山渓
ダム,浄水場として五カ所あり、昭和四十六年七月通水開始の白川浄水場は豊平峡ダム貯留水と
定山渓
ダム貯留水を水源
新札幌市史 第5巻 通史5下
(第二次ホテルラッシュ)
表-25 道内客・道外客別入り込み状況 (単位:千人) 年度 全市総計 札幌市内
定山渓
計 道外客,表-26 宿泊施設の状況 (単位:軒) 年度 市内
定山渓
年度 市内
定山渓
昭48 178 67, 54 159 64 61 145 58 年度 合計 ホテル 旅館 簡易宿泊所 全市 市内
定山渓
,全市 市内
定山渓
全市 市内
定山渓
全市 市内
定山渓
昭62 197 141 56 88 ―
新札幌市史 第1巻 通史1
(武四郎の調査行)
武四郎の調査行 虻田町から喜茂別町をへて、中山峠を横断して
定山渓
温泉から札幌市内に入る、現在の国道二三,そして翌五年に、
定山渓
越えをなすのであった。 ,札幌市域では、ユウナイ(
定山渓
)、トイビラ(豊平)、及びこの間にもう一カ所──ヲヤバルシ(簾舞付近か)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平町の寺院増加)
札幌市内と同様に寺号公称が相次ぎ、二十三年までに、明了寺(興正派、月寒東、昭21)、真行寺(大谷派、
定山渓
,、昭21)、定山寺(曹洞宗、
定山渓
、昭21)、瑞現寺(曹洞宗、石山、昭21)、日浄寺(法華宗、石山、昭,、平岸、昭25)、豊原寺(本願寺派、月寒、昭25)、大松寺(浄土宗、簾舞、昭26)、妙泰寺(法華宗、
定山渓
新札幌市史 第2巻 通史2
(御料林)
札幌周辺でも同年、豊平川上流右岸地帯の
定山渓
、簾舞、月寒村等にまたがって御料林が設定された。,うち
定山渓
御料林は、同年三〇〇町歩を山火事で焼失している。
新札幌市史 第1巻 通史1
(温泉の利用と新道)
温泉の利用と新道 武四郎は、
定山渓
ルートの探索をおえ、二月二十日にイシカリ入りする。,武四郎の温泉「発見」により、
定山渓
ルートがにわかに注目を集めるようになり、実際に道路の開削が試みられ、,また
定山渓
の地名のもとになった美泉定山による温泉開発もおこなわれるようになる。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(定鉄・市バス一元化問題)
定鉄・市バス一元化問題 市営地下鉄開業が半年後に迫った昭和四十六年九月、私鉄総連道私鉄労組
定山渓
鉄道支部,二十六日から入った市議会議長斡旋の結果、①真駒内・
定山渓
間市営バス乗り入れ回数を二六往復とし、②市への
新札幌市史 第5巻 通史5上
(地神碑)
他の二基は上砥山神社境内と
定山渓
農地神社境内に安置されているもので、いずれも五角柱のいわゆる五神銘塔である,明治34年建碑,新琴似神社) 地神碑が地域住民にとって鎮守社と同様の信仰対象であったことは、
定山渓
農地神社
新札幌市史 第1巻 通史1
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 土居繁雄『五万分の一地質図幅説明書〈
定山渓
〉』、土居繁雄・小山内熙『同説明書
新札幌市史 第1巻 通史1
(朝里岳と余市岳)
定山渓
にある札幌国際スキー場は北東に流れた安山岩溶岩の斜面にあたる。
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
については,市営交通,タクシー,国鉄~JR,自動車保有台数は『札幌市統計書』の「主要指標長期時系列」で,
定山渓
鉄道,地方鉄道 第255~258表は,
定山渓
鉄道と北海道鉄道の札幌に関する統計表である。 ,
定山渓
鉄道は,1918年(大7)鉄道院線白石駅~
定山渓
駅間に開通し,29年(昭4)東札幌~
定山渓
間が電化,
定山渓
バスは,
定山渓
鉄道株式会社が32年から札幌駅~
定山渓
間の営業をしたものである。
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
滝野、平岸、中ノ島、澄川、真駒内、石山、常盤(ときわ)、藤野、砥山(とやま)、簾舞、豊滝(とよたき)、
定山渓
,厚別上流 滝野 厚別川上,機械場,西山,厚別,滝ノ下,滝ノ上,厚別器械場 平岸 平岸,東裏,麻畑,簾舞,
定山渓
,野々川,簾舞野々沢,オカバルシ川上 砥山 砥石山 簾舞 簾舞 豊滝 鱒ノ沢,鱒沢,一ノ沢,簾舞,盤ノ沢
定山渓
,
定山渓
,簾舞 ①は篠路村『字名改称地番変更』(札幌市蔵),②・③は『北海道庁公報』(昭和18年告示第
新札幌市史 第1巻 通史1
(砥山層群)
おもに
定山渓
より下流の地域に分布し、下部(鱒ノ沢層)と上部(板割沢層)に分けられている。 ,このように、砥山層群は、下位の豊羽層群や
定山渓
層群にくらべ、非火山性の砕屑岩類が多い地層であり、グリーンタフ
新札幌市史 第1巻 通史1
(定山の温泉開発)
定山の温泉開発 その後定山は、小林広『定山と
定山渓
』(昭和十四年刊)、合田一道『定山坊の生涯』(同六十一年刊,
定山渓
の地名の由来は、明治四年に開拓長官東久世通禧(みちとみ)が、本願寺街道を検分した折に、定山の労に
新札幌市史 第3巻 通史3
(北海電気の成立)
この計画によると、電源は豊平川の
定山渓
上流であった。,北海電気会社の設計書によると、
定山渓
に発電所を建設し「発電地ヨリ札幌小樽ノ両区ニ電力伝送ノ行程各七里永久両市,翌年雪融け後に、
定山渓
元湯の上手約一〇丁(一丁は約一〇九メートル)の所から木樋を敷設し、
定山渓
高山温泉,
定山渓
の木樋は五月に完成し、引続き
定山渓
発電所工事に着手した。,
定山渓
発電所には、米国ウェスチング・ハウス社製四〇〇〇キロワット一万一〇〇〇ボルトの交流発電機が設置され
新札幌市史 第4巻 通史4
(一 鉄道網の発達)
また
定山渓
鉄道は電化をしたが、ほかに民営鉄道では実現はしなかったが、新たな路線が計画されて札幌を中心とした
新札幌市史 第1巻 通史1
(豊羽鉱山と手稲鉱山)
有用鉱物成分が濃集している部分は
定山渓
層群および豊羽層群の下半部である。,しかし、鉱床形成のもとになる熱水溶液(*12)が地下深部から母岩(
定山渓
層群および豊羽層群下半部)に入
新札幌市史 第1巻 通史1
(河岸段丘堆積物)
河岸段丘堆積物 豊平川の流域、とくに、石山から
定山渓
にかけては、二~三段の河岸段丘がみられ、それぞれの
新札幌市史 第5巻 通史5上
(上水道の拡張)
39~43 194,446 260 4,000 20,000 手稲東浄水場及び配水管布設新設工事
定山渓
水道第,1期拡張 43~44 200,443 1,177 6,000 5,300
定山渓
浄水場拡張工事 第3期拡張,そしてダム建設に対応して必要になる施設の整備も行うとして、藻岩水道の拡張、新浄水場の建設、
定山渓
水道の,札幌市建設五年計画では、豊平峡にダム建設が決まったためそれに対応する給水施設を整備すること、新浄水場の建設、
定山渓
水道
新札幌市史 第2巻 通史2
(鉱物の調査と試掘)
石油以外は主に
定山渓
の白井川、赤川、薄別川、小樽内川の流域が試掘地である。,だが間もなく閉鉱に追い込まれたらしく、
定山渓
で諸鉱山が本格的な採掘を行うようになるのは大正以降である。
新札幌市史 第4巻 通史4
(実現しなかった鉄道計画)
定山渓
温泉電気鉄道株式会社が大正十四年六月、小樽市~朝里村~
定山渓
間の電気鉄道敷設の免許申請をした。,昭和五年六月には北海道電気鉄道株式会社が、弁辺村(省線弁辺駅、現豊浦駅)~真狩村・喜茂別村~
定山渓
市街間
新札幌市史 第5巻 通史5上
(手稲町商工会、豊平町商工会との合併)
初代会長は
定山渓
鹿の湯クラブ社長の金川幸三が務めている。 ,三十三年三月豊平町商工会は社団法人となり(豊平町史)、月寒・美園・平岸・中の島・真駒内・石山・藤野・簾舞・
定山渓
新札幌市史 第1巻 通史1
(河岸段丘)
河岸段丘 典型的な河岸段丘は豊平川流域の
定山渓
から石山の間でよくみることができる。
新札幌市史 第1巻 通史1
(豊羽層群)
豊羽層群 豊平川支流の白井川流域には、
定山渓
層群を不整合(*5)におおって豊羽層群が発達している。,によるものと思われるが、残念なことに、この地域は豊羽層群より新期の火山噴出物におおわれているので、下位の
定山渓
層群,しかし、この基底礫岩の分布範囲は、
定山渓
層群の分布地域の周辺に限られていることからみて、
定山渓
層群の分布域
新札幌市史 第4巻 通史4
(一 札幌の鉱山業)
一 札幌の鉱山業 前巻で示したとおり、現在の札幌市域では、手稲や
定山渓
方面に多くの試掘権が設定されていたが
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平・手稲町の公民館)
また、八月一日に併せて地区公民館が平岸、清田(厚別会館)、
定山渓
(
定山渓
会館)と設置され、石山(昭33
新札幌市史 第2巻 通史2
(雑穀・その他)
定山渓
の温泉守美泉定山は、鹿の毛皮を売買する仕事もしていた。,写真-1 美泉定山より石川正蔵宛の鹿皮の不猟により借金が返済できないとの書簡 (南区
定山渓
定山寺蔵
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各地域の水道)
豊平町には、月寒水道、
定山渓
水道、羊ヶ丘水道、真駒内水道、平岸水道があった。,
定山渓
水道は、二十九年七月
定山渓
水道促進会が発足して水道布設運動を展開した結果、三十一年一月事業認可を
新札幌市史 第4巻 通史4
(部落会・町内会)
石山精鑛場 穴ノ沢本通 南穴ノ沢 藤ノ沢 上・下野々沢 東簾舞 御料 砥山 宮ノ下 宮ノ上 滝ノ沢 一ノ沢
定山渓
第一,~六
定山渓
農地 白井川 水松沢 豊羽鑛山 簾舞聯合
定山渓
聯合 各町内会、部落会では毎月定例日に常会
新札幌市史 第4巻 通史4
(タコ部屋存続)
とくに
定山渓
鉄道の工事場には、タコ部屋が軒を並べていた。,また同年八月には、
定山渓
工事場の請願巡査が土工夫に襲われ、負傷した(北タイ 大13・8・4)。,における入込土工夫数 場所年 札幌市 篠路村 札幌村 平岸村 手稲村 豊平町 白石村 藻岩村 琴似村
定山渓
新札幌市史 第5巻 通史5下
(世界一のインジウム鉱山)
―〇・二一一パーセントを含む鉱脈を確認した」(道新 平2・4・25) 次いで四年五月には「札幌・
定山渓
,「札幌市
定山渓
にある豊羽鉱山が、パソコンやワープロの液晶ディスプレイに欠かせない希少金属インジウムの世界第一,年間三十トン近い産出量は国内消費の半分を賄っており、『レアメタルとしては驚異的な自給率』(金属鉱業事業団
定山渓
支所
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