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新札幌市史 第2巻 通史2
(山口村の成立)
山口村
の成立
山口村
は札幌周辺村のなかでも最も成立が遅く、十六年四月に設置された。,
山口村
は当時下手稲村に属し、十四年九月に山口県から宮崎源治右衛門を総代とする植産会社の人々が移住したことに,
山口村
の設置伺が札幌県令調所広丈から内務卿山田顕義に出されたのは十五年八月九日で、以下のように述べられている,ハ其区域広濶ニ候ニ付、此際分村致候方村民奨励ノ一端トモ相成、且施政上便宜ヲ得候ニ付(中略)一村ヲ設ケ
山口村
,
山口村
の設置は十五年十二月二十二日に、下手稲村を割き設置の告示がなされた(札幌県布令全書 明治十五年) /
山口村
の成立
新札幌市史 第2巻 通史2
(山口県士族の山口村移住)
山口県士族の
山口村
移住 手稲区山口に移住したのは、山口県の東部にある玖珂郡の旧岩国藩領の士族を中心とした,十四、五年で六一戸一三四人が移住し、十五年十二月二十二日にここに
山口村
が新設された。 ,『岩国藩御家人帳』(明治四年、岩国市徴古館蔵)と先の名簿をくらべると、
山口村
へ実際に移住した柏村桃作は,今津の町屋敷を描いた『今津の図』(慶応二年、同館蔵)にも、
山口村
関係者の姓・名を確認できる。 / 山口県士族の
山口村
移住
新札幌市史 第2巻 通史2
(山口・広島県からの移住)
山口・広島県からの移住
山口村
へ移住した旧岩国藩士族たちは、当初
山口村
を植産会社の第一地所とみたて、,ところが、以下のように
山口村
の山口県人が勧誘にきたのである。,
山口村
ヨリ国方之者迎ニ出色々申ニ付此処ニ止リ度者多分有之、
山口村
ハ農業一途ニ付不向ナルモ小樽へ五里、銭箱,ニ任セ
山口村
総代人等ニ示談之上手続仕置候也。 ,また
山口村
とならび上手稲村への移住のこともふれられている。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(五 福岡・山口諸県民の移住)
明治一五年一二月二七日) 七三 月寒村移民転住地より仮屋料等の支給願(明治一六年二月五日) (三)山口県移民の
山口村
開設,七四
山口村
名新設告示(明治一五年一二月二二日) 七五 品川大輔
山口村
巡視(明治一六年七月一九日,) 七六
山口村
移民景況(明治一六年七月二〇日)
新札幌市史 第3巻 通史3
(手稲村の概況)
手稲村の概況 手稲村は明治三十五年四月一日に上手稲村、下手稲村、
山口村
の三村を合わせて二級町村制が施行,四十二年の戸数・人口は上手稲村が二三八戸一三七六人、下手稲村が二八二戸一六七五人、
山口村
が九七戸六二一人,上手稲村と
山口村
が純農村であったのに対し、下手稲村には停車場、村役場がある軽川に市街が開けており、前田農場,行政区域は七部に分かれていたが、大字上手稲村は上手稲・西野、大字下手稲村は軽川・三樽別・下手稲星置、大字
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場と戸長)
また十六年四月に下手稲村を分け
山口村
が設置されたので、上手稲、下手稲、
山口村
の三村に一人の戸長配置となった,
山口村
は戸長役場の所在した上手稲村まで四里余りもあり、戸数も百余戸になったことを理由に、十八年三月に生田春正宅
新札幌市史 第2巻 通史2
(大師講・太子講)
大師講・太子講 大師講については、篠路・
山口村
でその存在が報告されている。 ,
山口村
(現手稲区内)は、十五年に山口県からの移住者が入って開けた。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
篠路村 山鼻村 円山村 月寒村 豊平平岸両村 上白石白石両村 上手稲村
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌周辺地域との連絡網の整備)
例えば、十五年には篠路村福岡開墾地から里道開削願い、篠路・銭函間道路開削計画、十六年手稲
山口村
里道開削願,さらに札幌県時代には、札幌・丘珠・篠路・
山口村
など、どちらかというと札幌北半部の入植地への連絡路の整備
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の変遷)
十五年三月三十日~十八年九月七日) ③二瓶庄太郎(十八年九月七日~十九年三月一日) 三 上手稲・下手稲・
山口村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(口絵)
頁参照 (市立函館図書館蔵) 筆算所一件 840頁参照 (道立図書館蔵)
山口村
移民米払下願
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の移転と分立)
すなわち、(一)山鼻・円山村(戸長役場は山鼻村に設置)、(二)琴似・発寒村(琴似)、(三)上手稲・下手稲・
山口村
,、三カ村の中央に位置する下手稲村の軽川に二十一年八月十七日に移され、これと同時に従前に設置されていた
山口村
派出所
新札幌市史 第2巻 通史2
(明治三、四年成立の村)
(奥羽盛衰見聞誌より) 次に年次を追い、六年以降に成立した下手稲・雁来・上白石・山鼻・豊平・
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(就学の問題)
27 7 34 57 57 114 23.0 32.1 11.0 上手稲・下手稲・
山口村
,上手稲村から
山口村
までの距離を考えると、通学の困難は相当なものであったろう。
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長の任免と村民との対立)
たとえば高田直一郎は①山鼻・円山村、④豊平ほか四カ村、③上手稲・下手稲・
山口村
の戸長を歴任している。,8.18 36. 8.27 吉原兵次郎 36. 8.27 39. 3.31 ③上手稲・下手稲・
山口村
,(三)上手稲・下手稲・
山口村
戸長の伊藤信正、斎藤在武も上手稲村の移住士族(旧片倉家臣)であったが、その
新札幌市史 第2巻 通史2
(北海道教育会札幌支会)
沿った活動を展開したが、発会後一年間の例会を例にとれば、開催地は区内が四回、豊平村、琴似村、篠路村、
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(盂蘭盆会と盆踊り)
また
山口村
では若連中の主催で盆踊り(広島踊り)を行ったという。
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 総代人制度)
総代人会の議事(明治一五年九月一九日) 一二六 総代人集会の方法(明治一六年四月九日) 一二七
山口村
,一四四 総代人改選の結果(明治二一年五月一九日) 一四五 丘珠村規約(明治二一年) 一四六
山口村
総代人
新札幌市史 第2巻 通史2
(下手稲村と軽川の発展)
下手稲村と軽川の発展 下手稲村は二十一年八月に、上手稲、下手稲、
山口村
の三カ村戸長役場が上手稲村より
新札幌市史 第2巻 通史2
(学務委員と学区)
は当初は一番(札幌区)、二番(山鼻村)、三番(円山村)、四番(琴似・発寒村)、五番(上手稲・下手稲・
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(学田)
円山学校は
山口村
にも学田にする計画があった(「札幌県学務課視察報告書」による)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(府県別の移住者数)
広島・山口・福岡の三県移民の入植地はすでに前述したが、いま改めて略記すると、広島県は
山口村
では現手稲区稲穂,山口県は
山口村
、上手稲、下手稲に集中し、篠路村にも一部入植している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部初等教育施設の増加)
中には必ずしも設立年の確定しがたいものもあるが、ほぼ成立順に列記すると、十九年
山口村
(生田某による)、
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部の就学率)
また『北海道毎日新聞』三十二年一月二十六日付の記事によれば、
山口村
では学齢児童九一人中就学者は五二人と
新札幌市史 第2巻 通史2
(作物の特産化)
琴似村は麦、豆、麻、蔬菜、発寒村は穀菜少し、上手稲村は蚕、桑、麦、豆、百合、下手稲村は粟、黍、麻、蕎麦、
山口村
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【人口】)
第34表 戸数・人口 (上手稲村) 第35表 戸数・人口 (下手稲村) 第36表 戸数・人口 (
山口村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(解題)
山口村
に入地した山口県移住民状況は「札幌県治類典」にも見られるが、ここではまとまった報告になっている明治十六年七月二十日付官報,なおこの前日の官報に品川弥二郎が
山口村
を巡視し、色々指導している記事があるので、その分も記載した。
新札幌市史 第2巻 通史2
(戸長役場の設置)
村戸長 千葉瀬兵衛(対雁村七八番地) 琴似外四カ村戸長役場には、十五年十二月二十二日に設置となった
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(葬儀の慣行)
このほか、二十年頃、
山口村
に星置講が発足し、はじめは主として葬儀用であった(手稲の今昔)。
新札幌市史 第3巻 通史3
(就学督励と「名誉旗」の授与)
手稲村の就学状況は『明治四十一年札幌郡手稲村勢一班』に基づくものであるが、手稲三村(上手稲村・下手稲村・
山口村
,して女子九一・四二パーセント、下手稲村では男子五二・〇〇パーセントに対して女子六八・七五パーセント、
山口村
新札幌市史 第4巻 通史4
(手稲村)
手稲村 手稲村は上手稲村、下手稲村、
山口村
の三大字から成り大正十年九月三日に開村五〇周年記念式が挙げられた
新札幌市史 第2巻 通史2
(熊害)
6・
山口村
山中 六月下旬頃より村民を驚かせ、馬数頭をさらって暴れる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(蝗害・熊害)
前年に入植したばかりの
山口村
の場合も、収穫物は多いものでも粟一石八、九斗、そのほかでも五、六斗、甚だしいのは
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 区・戸長役場)
区役所の建築費徴収(明治一五年六月五日) 四九 町村戸長配置の改正(明治一五年七月一日) 五〇
山口村
新設,村戸長役場の移転(明治一七年一二月八日) 五七 区役所の修繕(明治一八年三月二一日) 五八
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(集落等の成立と神社の創立)
また
山口村
では十八年、天照大神、豊受大神を奉祀して小祠を建立した。
新札幌市史 第3巻 通史3
(施行地)
旧来の札幌村、苗穂村、丘珠村、雁来村の区域) 人口四二五八人 手稲村(旧来の下手稲村、上手稲村、
山口村
新札幌市史 第4巻 通史4
(字名の設置)
手稲村は上手稲村、下手稲村、
山口村
の三大字であったが、十七年四月十日に大字を廃止し福井、平和、西野、東
新札幌市史 第2巻 通史2
(困難な移住と開墾)
山口県大島郡平群島からは、相当数の移住者を
山口村
、岩見沢村に送出しているが、この大島郡の当時の状況について
新札幌市史 第2巻 通史2
(市街と村の景観)
山口村
戸数五、六十戸三〇〇人内外。
新札幌市史 第2巻 通史2
(郡区と町村)
314 102 上手稲村 577 823 246 下手稲村 462 1323 861
山口村
新札幌市史 第4巻 通史4
(「村社」をめぐる競合)
. 2 篠路 篠路村字キウス 明34. 9 .25 昭 2 . 8 . 1 山口 手稲村大字
山口村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(一 社会・生活)
米払下代価延納願出の件(明治一五年) 八五 篠路村移住士族より準備米拝借願の件(明治一五年) 八六
山口村
移民米払下願
新札幌市史 第7巻 史料編2
(件名目次)
札幌雁来苗穂丘珠 四ケ村 篠路村 山鼻村 円山村 月寒村 豊平平岸両村 上白石白石両村 上手稲村
山口村
, 月寒村移民転住地より仮屋料等の支給願(明治一六年二月五日)…352 (三)山口県移民の
山口村
開設, 七四
山口村
名新設告示(明治一五年一二月二二日)…363 七五 品川大輔
山口村
巡視(,明治一六年七月一九日)…363 七六
山口村
移民景況(明治一六年七月二〇日)…363 ,明治一七年一二月八日)…973 五七 区役所の修繕(明治一八年三月二一日)…974 五八
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(神社等の増加)
明治18 石山神社 平岸村 明治18 厚別神社 月寒村 明治18 昭和5.5 山口神社
山口村
新札幌市史 第2巻 通史2
(農産の中心・札幌)
雁来村ハ明治六年ヨリ稗粟大小麦等ヲ播種シ、
山口村
ハ明治十四年山口県移民耕作ニ従事ス。
新札幌市史 第2巻 通史2
(新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)
雁来村の成立 上白石村の成立 山鼻村の成立と伏見の開拓 豊平村の成立
山口村
,新展開 福岡県士族と開墾社 開墾社の移住と窮乏 移住士族取扱規則の適用 山口県士族の
山口村
移住
新札幌市史 第8巻1 統計編
(新札幌市史 第8巻Ⅰ 統計編/総目次)
124 第35表 戸数・人口 (下手稲村)(1873~1901年)…125 第36表 戸数・人口 (
山口村
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