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新札幌市史 第1巻 通史1
(山岡精次郎の退去と農民)
山岡精次郎
の退去と農民 すなわち、これに関してこれまではたとえば『札幌新聞』第六号(明治十三年六月),これに関して大友文書によれば「去々寅年(慶応二年)
山岡精次郎
出府の砌」(御用留 慶応四年)云々とあり、 /
山岡精次郎
の退去と農民
新札幌市史 第1巻 通史1
(イシカリ在住の入地)
同年から翌五年にかけて同地のリーダー格とされる
山岡精次郎
をはじめ、秋山繁太郎(吉郎)、同鉄三郎、大竹慎十郎,今のところ
山岡精次郎
、永田久蔵、秋山繁太郎などの例が知られているが(第七章参照)、他の在住の多くも招募
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム村の農民)
さらに明治元年のオタルナイ騒動の主要人物の一人として「先年
山岡精次郎
家来ニ相成江戸エ行立帰ル」と注記された,12 明治11年冨作か 安政6.7 鈴木熊吉 124 265 八重樫直助 1 116 16
山岡精次郎
引連農夫
新札幌市史 第1巻 通史1
(銭箱よりハッサムへ)
また、ホンハツシヤフ(中の川)を渡ると、
山岡精次郎
・秋庭熊蔵の在住地があった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(御手作場の地所選定)
そのころ近辺にはすでにハッサムに
山岡精次郎
、シノロに荒井金助らによる開墾地があった。
新札幌市史 第1巻 通史1
(ハッサム巡検)
堀利熙、玉虫左太夫、畠山万吉などは後者に属し、左太夫の『入北記』も、この年に開かれた新道、
山岡精次郎
等
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の任命)
また翌安政四年三月から五月にかけては
山岡精次郎
、中川金之助、中嶋彦左衛門、秋山繁太郎、同鉄三郎、葛山幸三郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(幕府の崩壊とイシカリ在住)
第二には、同文書中、慶応二年に退去したハッサム在住の
山岡精次郎
の差し出した「同人幷取開候場所幷御手作場
新札幌市史 第1巻 通史1
(農業・開拓)
ただ大友亀太郎文書のうち『御用控 慶応四年』の中で、大友の引き受けた中川金之助開墾地、および
山岡精次郎
,写真-4 「
山岡精次郎
等移住之地」木標 (琴似町史所収)
新札幌市史 第1巻 通史1
(生活)
神社については、安政四年に入地した
山岡精次郎
が稲荷社を建立した。
新札幌市史 第1巻 通史1
(戸石永之丞の調査)
、「蝦夷地開墾等の見込有之由にて江戸表より罷下り、イシカリ領ハシサブ、ホシホキ辺え在住仕候輩」として
山岡精次郎
以下一一人
新札幌市史 第1巻 通史1
(土地・農民管理)
このほか、前述のように慶応二年十月に退去した
山岡精次郎
は、その際同人の開いた場所と共に御手作場を差し出
新札幌市史 第1巻 通史1
(農民の招募)
また、後年の記述になるが、
山岡精次郎
について「安政四年の頃旧幕臣山岡某が此地を移して十余戸の民を移し」
新札幌市史 第1巻 通史1
(在住の移動)
.晦日 ハッサム オタルナイ川 に移動 明治1.8現 イシカリ在住 オタルナイ川移動年不明
山岡精次郎
,またハッサム入地者の中心となっていたとみられる
山岡精次郎
は、慶応二年十月のおそらく初旬に退去したが、これが
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
村の成立 二 ハッサム村の農民と農地 ハッサム村の農民 農民の入地と移動
山岡精次郎
新札幌市史 第1巻 通史1
(図版・写真・表組一覧)
西区春日公園内 (897頁) 写真-3 天野伝左衛門の墓 石狩町金龍寺境内 (901頁) 写真-4 「
山岡精次郎
等移住之地
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