• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 16件
辞書ファセット
/ 1ページ
新札幌市史 第1巻 通史1 (山岡精次郎の退去と農民)

山岡精次郎の退去と農民 すなわち、これに関してこれまではたとえば『札幌新聞』第六号(明治十三年六月),これに関して大友文書によれば「去々寅年(慶応二年)山岡精次郎出府の砌」(御用留 慶応四年)云々とあり、 / 山岡精次郎の退去と農民
新札幌市史 第1巻 通史1 (イシカリ在住の入地)

同年から翌五年にかけて同地のリーダー格とされる山岡精次郎をはじめ、秋山繁太郎(吉郎)、同鉄三郎、大竹慎十郎,今のところ山岡精次郎、永田久蔵、秋山繁太郎などの例が知られているが(第七章参照)、他の在住の多くも招募
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム村の農民)

さらに明治元年のオタルナイ騒動の主要人物の一人として「先年山岡精次郎家来ニ相成江戸エ行立帰ル」と注記された,12 明治11年冨作か 安政6.7 鈴木熊吉 124 265 八重樫直助 1 116 16 山岡精次郎引連農夫
新札幌市史 第1巻 通史1 (銭箱よりハッサムへ)

また、ホンハツシヤフ(中の川)を渡ると、山岡精次郎・秋庭熊蔵の在住地があった。
新札幌市史 第1巻 通史1 (御手作場の地所選定)

そのころ近辺にはすでにハッサムに山岡精次郎、シノロに荒井金助らによる開墾地があった。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム巡検)

堀利熙、玉虫左太夫、畠山万吉などは後者に属し、左太夫の『入北記』も、この年に開かれた新道、山岡精次郎等
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の任命)

また翌安政四年三月から五月にかけては山岡精次郎、中川金之助、中嶋彦左衛門、秋山繁太郎、同鉄三郎、葛山幸三郎
新札幌市史 第1巻 通史1 (幕府の崩壊とイシカリ在住)

第二には、同文書中、慶応二年に退去したハッサム在住の山岡精次郎の差し出した「同人幷取開候場所幷御手作場
新札幌市史 第1巻 通史1 (農業・開拓)

ただ大友亀太郎文書のうち『御用控 慶応四年』の中で、大友の引き受けた中川金之助開墾地、および山岡精次郎,写真-4 「山岡精次郎等移住之地」木標 (琴似町史所収)
新札幌市史 第1巻 通史1 (生活)

神社については、安政四年に入地した山岡精次郎が稲荷社を建立した。
新札幌市史 第1巻 通史1 (戸石永之丞の調査)

、「蝦夷地開墾等の見込有之由にて江戸表より罷下り、イシカリ領ハシサブ、ホシホキ辺え在住仕候輩」として山岡精次郎以下一一人
新札幌市史 第1巻 通史1 (土地・農民管理)

このほか、前述のように慶応二年十月に退去した山岡精次郎は、その際同人の開いた場所と共に御手作場を差し出
新札幌市史 第1巻 通史1 (農民の招募)

また、後年の記述になるが、山岡精次郎について「安政四年の頃旧幕臣山岡某が此地を移して十余戸の民を移し」
新札幌市史 第1巻 通史1 (在住の移動)

.晦日 ハッサム オタルナイ川 に移動 明治1.8現 イシカリ在住 オタルナイ川移動年不明 山岡精次郎,またハッサム入地者の中心となっていたとみられる山岡精次郎は、慶応二年十月のおそらく初旬に退去したが、これが
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

村の成立     二 ハッサム村の農民と農地        ハッサム村の農民 農民の入地と移動 山岡精次郎
新札幌市史 第1巻 通史1 (図版・写真・表組一覧)

西区春日公園内 (897頁) 写真-3 天野伝左衛門の墓 石狩町金龍寺境内 (901頁) 写真-4 「山岡精次郎等移住之地
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました