• 機関トップ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧

札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

  1. トップページ
  2. 詳細検索

詳細検索


検索条件を追加
閉じる
検索結果 : 43件
辞書ファセット
/ 1ページ
新札幌市史 第3巻 通史3 (都市化する山鼻兵村)

都市化する山鼻兵村 山鼻村は主に屯田兵村として形成されたところで、明治三十二年(一八九九)に戸数は三六八戸,『町村誌資料』は都市化に向かう山鼻兵村の状況について、以下のように記している。 / 都市化する山鼻兵村
新札幌市史 第7巻 史料編2 (六 屯田兵村の開設)

密居制兵屋建設の回想(松本系譜より) 八三 琴似村兵屋半数引移の義伺(明治一二年一〇月二二日)   (二)山鼻兵村,明治八年六月七日) 八六 伊達邦成家来へ屯田兵招募不足補充の件伺(明治八年一一月一四日)   (三)山鼻兵村
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

琴似兵村』、『山鼻創基八十一周年記念誌』、『屯田兵』(さっぽろ文庫三三)、『琴似兵村給与地配当調』『山鼻兵村給与地配当調
新札幌市史 第2巻 通史2 (道路・用水路・風防林)

山鼻兵村と札幌市街を結ぶ幹線道の役割を果たすものとして五年開削の石切山道が区画内にあった。,このほか山鼻兵村の追給地となった月寒村字厚別に一四本、山鼻村字八垂別に三三本、平岸村字簾舞に一九本の道路,なお、山鼻兵村には用水路、風防林としての存置個所はない。
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵屋)

琴似、山鼻兵村における建築戸数等は表1のとおりで、両兵村に各二四〇戸、合計四八〇戸つくられ、その費用は,九万五七四九円二二銭、一戸当たりの建築費は七年琴似村が最も高く二一〇円七〇銭、山鼻兵村は一九二円五六銭二厘,1424 178 10 - 発寒村 32 8年10月 5965 186 10 179 (8ヵ所) 山鼻兵村,また板間上り縁に一尺幅の踏板を敷いたといい、山鼻兵村ではそれがなく裏口の引戸を半間外側に移し、便所を土間
新札幌市史 第2巻 通史2 (【主要参考文献・史料】)

【主要参考文献・史料】 『琴似兵村給与地配当調』『山鼻兵村給与地配当調』『新琴似兵村給与地配当調』『
新札幌市史 第2巻 通史2 (前期兵村の給与地)

山鼻兵村では入地当初宅地二〇〇坪(明治九年五月七日または五月三十日付)とそれに接続する農耕目的地一五〇〇,にほぼ五〇〇〇坪内外の給与地を得、その翌年から新たな追給が開始されるので、八年六月の三〇〇〇坪減反方針は山鼻兵村,図-3 山鼻兵村区画に接する追給地(608画)の年別給与件数  一万坪規則による新たな追給は、まず
新札幌市史 第2巻 通史2 (募兵)

琴似兵村の不充足兵四〇人と新設予定の山鼻兵村へ移す二四〇人、計二八〇人を募ることになる。,第二次募兵は九年五月二十九日までに家族とともに到着し、琴似兵村琴似村へ三人、発寒村へ三二人が配置され、あとは山鼻兵村,これにより琴似兵村(第一中隊)は二四〇人の編成を完了したが、山鼻兵村(第二中隊)では不充足だったため、,こうしたわずかな不充足分はあったにしても、山鼻兵村は九年五月末に発足し、両兵村をもって第一大隊を編成したのである
新札幌市史 第2巻 通史2 (殖民的評価)

琴似兵村  五七パーセント (開村後二五年)  山鼻兵村 五二パーセント(同  二四年) 新琴似兵村,山鼻兵村は資料がなく定着率の算出ができない。,東屯田は……成績宜しく、今日十中の九は残り居らん」(河野常吉編 札幌資料)というので、山鼻兵村のうち東屯田
新札幌市史 第2巻 通史2 (住区画)

これを山鼻兵村と通称する。,写真-4 山鼻兵村給与地図(道文)  また、住区画を東西に二分したことも特徴であろう。,琴似・山鼻兵村は相前後して区画されたとはいえ、両者にみられる差異は重要な意味をもっている。
新札幌市史 第2巻 通史2 (衛兵と警衛勤務)

札幌市中で火災水害など非常事態が発生した時は、開拓使から急報を山鼻兵村の週番所に達し、屯田兵は直ちに開拓使西門内,犯罪者検挙を任務とする警察の三者は、脱走囚の死因をめぐり検視と埋葬の権限で対立し、その処置を不満とする山鼻兵村
新札幌市史 第2巻 通史2 (雪中行軍の遭難)

帰途は道を東にとり、山鼻兵村の南端に出るよう指示されていた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (自治の芽ばえ)

たとえば山鼻兵村をみると、村内には「懶惰にして酒を飲み甚た不成績」「不良者放逐の為め態と此等の者の籍を,誤解をほぐし不和を解き親睦を深めるため、二十二年山鼻兵村では自発的な私設組織として一二の隣保組合をつくり
新札幌市史 第3巻 通史3 (藻岩村の成立)

官公吏・教員一〇七戸、商業一〇一戸、製造業一一二戸、雑業・馬車追業一六一戸となっており(藻岩村一班)、旧山鼻兵村部
新札幌市史 第2巻 通史2 (屯田兵魂と開拓精神)

琴似、山鼻兵村発足以来の試行錯誤の中から、こうした方向が収斂され、帝国憲法下にいたって家族教令がこれを
新札幌市史 第2巻 通史2 (病院と学校)

そこで琴似兵村に八年十一月札幌病院の出張所を開設し医師を派遣(琴似病院とか医院と呼ぶこともある)、山鼻兵村,山鼻兵村も同様で「毎年兵器と農具検査の際、兵屋内外の掃除を厳重に実施」(山鼻創基八十一周年記念誌)したといわれる
新札幌市史 第2巻 通史2 (戸長の任免と村民との対立)

彼は宮城県から山鼻兵村に入植した屯田兵で、十九年以降道庁官吏となり戸長を歴任し、最後は滝川・奈江村戸長,(一)山鼻・円山村戸長の高田直一郎、大堀忠八、遠藤正明の三人は山鼻兵村の屯田兵、ないしその子弟であった
新札幌市史 第2巻 通史2 (士族授産)

におもむいていた榎本武揚全権公使にコサック屯田の授産資料の収集を頼んだり、十二年永山武四郎に琴似兵村の山田貞介、山鼻兵村
新札幌市史 第2巻 通史2 (家族)

あわせて前期開設の兵村についてみると、一時人口の停滞傾向にあった琴似・山鼻兵村は、二十年代に入って増加
新札幌市史 第3巻 通史3 (大なる田舎町)

同博物館植物園、師範学校、札幌中学校、高等女学校、女子職業学校、北海中学校、札幌神社、農事試験場、旧山鼻兵村,十四日旭川へ向かう間、前皇太子とほぼ同様個所を視察したが、全道青年団陸上競技大会に出席したこと、今回も旧山鼻兵村
新札幌市史 第2巻 通史2 (前期兵村の変貌)

(北海道毎日新聞 明治二十五年二月九日付)      山鼻兵村の概況  屯田兵第一大隊第二中隊なる札幌郡山鼻村
新札幌市史 第2巻 通史2 (週番所)

山鼻兵村でも同年六月に新築を上申するが、完成まではやはり兵屋を仮週番所として開村事務にあたった。
新札幌市史 第2巻 通史2 (熊害)

29・5・3 藻岩山 山鼻兵村鎌田某、大熊二頭、小熊一頭に出遭い、大熊一頭、小熊一頭銃殺。
新札幌市史 第2巻 通史2 (公有地の処分)

山鼻兵村でも三十五~三十八年にかけてかなりの公有地を売却処分にした。
新札幌市史 第2巻 通史2 (後期二兵村)

この時点で第一大隊が再編され、琴似兵村(旧一、二中隊)を第一中隊、山鼻兵村(旧三、四中隊)を第二中隊とし
新札幌市史 第2巻 通史2 (製麻製網)

山鼻兵村も同年から大麻栽培を始め、同じく三二四円余で建築した。
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵員と家族)

表-4 両兵村の戸口数 琴似兵村 山鼻兵村 合 計 戸 口 男 女 戸 口 男 女 戸 口 男 女,すなわち「篠路屯田」と呼ばれ(後期に成立する篠路兵村とは異なる)、琴似・山鼻兵村の中で家族の多い家が分戸
新札幌市史 第3巻 通史3 (「円山村独立陳情書」)

はたして山鼻兵村の札幌区編入にともない、藻岩村の他村付属の動きがあったかどうかについては、いま審らかにすることはできないが
新札幌市史 第2巻 通史2 (装備・施設)

山鼻兵村は現米里行啓通に面する一帯を練兵場とし、その西端山麓に向けて射的場を置いた。
新札幌市史 第2巻 通史2 (住区画)

この点では山鼻兵村に類似した配置とみてよい。  
新札幌市史 第2巻 通史2 (兵役)

まで予備役、翌日から後備役となるはずだったが、予備役中に日清戦争出兵となったので、後備役編入は琴似・山鼻兵村同様二十八年六月二十六日
新札幌市史 第2巻 通史2 (開墾)

山鼻兵村でもはじめは家屋周辺開墾の共同作業を実施したが、原則として初年から各自給与地の開墾に取組んだ。
新札幌市史 第2巻 通史2 (共同の財産)

山鼻兵村へは月寒村に薪炭林、秣場の名目で広い公有地を給与し、平岸村簾舞、山鼻村八垂別にもかなりの面積をもった
新札幌市史 第2巻 通史2 (諸村の人口と移住の動向)

表1では第一中隊の琴似・発寒、第二中隊の山鼻兵村の戸数、戸口数が別に算出されている。
新札幌市史 第7巻 史料編2 (解題)

(二)は主に山鼻兵村における屯田兵や兵村に関係する布達類を収める。
新札幌市史 第7巻 史料編2 (解題)

また山鼻兵村の招募兵は琴似兵村へ招募の宮城、酒田、青森の三県に置賜、岩手、秋田の各県を加えているが、共
新札幌市史 第2巻 通史2 (開墾・営農の推進者たち)

たとえば二十六年には一反歩分、一〇〇坪分という数量を札幌区、山鼻兵村、白石村等へ施与しているし、このほか
新札幌市史 第4巻 通史4 (市域)

水源までさかのぼると中央区北一条西二〇丁目に至り、西二〇丁目道路を中央区南一三条まで南下し(エ)、旧山鼻兵村
新札幌市史 第3巻 通史3 (区域と住民)

このあたりは山鼻兵村開設時から境界が複雑で、西一三、一二、一一丁目は南一条道路を境にし、西一〇、九丁目
新札幌市史 第2巻 通史2 (図版・写真・表組一覧)

) (336頁)       写真-3 最初の移住地琴似(北大図) (340,341頁) 写真-4 山鼻兵村給与地図,地形図「札幌」(部分 国土地理院) (775頁) 図-2 出身地域の前後期比較 (779頁) 図-3 山鼻兵村区画
新札幌市史 第3巻 通史3 (新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)

発展   第二節 ムラの変貌と近代化 Ⅱ…165     一 藻岩村        都市化する山鼻兵村
新札幌市史 第2巻 通史2 (新札幌市史 第二巻 通史二/総目次)

制定の事情     二 用地の選定        札幌二〇〇戸 琴似と山鼻   第二節 琴似・山鼻兵村
新札幌市史 第7巻 史料編2 (件名目次)

367    八三 琴似村兵屋半数引移の義伺(明治一二年一〇月二二日)…368     (二)山鼻兵村,   八六 伊達邦成家来へ屯田兵招募不足補充の件伺(明治八年一一月一四日)…370     (三)山鼻兵村
/ 1ページ
  • 資料グループ
  • テキスト一覧
  • 年表一覧
  • キーワード一覧
  • 機関トップ
  • 利用規定
  • 利用ガイド
  • サイトマップ
  • ADEACトップ
X(旧Twitter) facebook line urlcopy
トップへ
ページURLがコピーされました