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新札幌市史 第3巻 通史3
(大字平岸村)
大字
平岸村
大字
平岸村
は豊平川上流域まで含む広域であったが、三十三年の戸数は三三八戸、人口は一七六五人,三十三年に
平岸村
に公有地を審議する評議員が設置された時に、
平岸村
では本村、中嶋、東裏、山ノ上、真駒内、 / 大字
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(平岸村の副戸長問題)
平岸村
の副戸長問題
平岸村
は副戸長が設置されず、副総代が三人という変則な形態をとっていた。,
平岸村
は当時すでに六五戸を数え、白石、札幌村に次ぐ「大村」であった(明治七年七月分各村戸口増減御届 道文九三二,なぜ
平岸村
には副戸長がおかれなかったのであろうか。 ,七年十一月十七日の
平岸村
副戸長設置の伺によると、「一村総括之者無之候テハ不取締之儀屢次申立有之候得共、,副戸長の任命にあたる九月にはすでに彼は帰国しており、「可然人物」とされた彼が不在のため、
平岸村
は当初から /
平岸村
の副戸長問題
新札幌市史 第2巻 通史2
(平岸村の開拓の進展)
平岸村
の開拓の進展
平岸村
は豊平川の上流域の定山渓までを村域とする広い範囲にわたっていたが、この時期 /
平岸村
の開拓の進展
新札幌市史 第2巻 通史2
(平岸村金山セイの場合)
平岸村
金山セイの場合 札幌の中心から南東へ約一キロメートルの豊平川右岸の河岸段丘上に、明治四年(一八七一,総戸数六三戸、三〇〇人にのぼる移民のなかに、金山富蔵・セイの一家五人がいた(札幌郡
平岸村
人別調 道文三一七,金山セイが晩年口述した『
平岸村
開拓史』から、当時の女性が体験した移住から開墾の状況を次に再現してみよう,当時まだ
平岸村
付近には鹿や兎等の動物もおり、鹿の肉を食したり、毛皮を草鞋の代わりにして用いた。,セイは
平岸村
入植当時のことをこのように語っているが、男に伍して開墾作業に従事する女性の働きいかんに成功 /
平岸村
金山セイの場合
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 移住民情況調査報告)
円山村 琴似村 発寒村 琴似発寒屯田兵村 上手稲村 下手稲村 豊平村
平岸村
, 雁来村 苗穂村 丘珠村 篠路村 豊平村 上白石村 白石村 月寒村
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(長専寺の場合)
長専寺の場合 龍雲寺よりかなり遅れて、二十九年十月に
平岸村
民から「浄土宗説教所ヲ一寺ニ引直シ寺号公称願,なお願出人中の檀家総代は
平岸村
民であるが、同書によれば創立時の檀家戸数一〇一戸のうち、本村一五戸、番外地,精進川など)四五戸、真駒内二戸、石山一四戸、簾舞一九戸、札幌区内六戸となっており、札幌区内以外はすべて
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落との連絡路)
表-9 開拓使時代道路開削 4年 創成通円山間(南1条通),豊平川
平岸村
間(平岸街道),札幌元村篠路村間,雨竜通篠路駅逓間道路修繕,石山新道開削(国道230号),山鼻村真駒内間,真駒内穴の沢間 12 豊平村
平岸村
間,13
平岸村
穴の沢間 14 市街篠路村茨戸間 『開拓使事業報告』土木部道路表及び『開拓使公文録』などから
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 地租創定事業)
白石村 上白石村 豊平村 苗穂村 円山村 上手稲村 札幌村
平岸村
,上白石村 豊平村 苗穂村 雁来新道 円山村 上手稲村 札幌村
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(熊害)
表-28 熊害と獲殺概要(明治二十年代の新聞による) 年月日 場所 概要 20・6・
平岸村
真駒内放牧場,22・1・22
平岸村
真駒内と石山への岐道より石山ヘー四、五丁 大熊一頭、小熊二頭を連れ耕地を荒らすと,9・6
平岸村
真駒内字中島 放牧場へ真駒内種畜場の放牧中の馬三頭、熊により重傷。,25・10・12
平岸村
真駒内種畜場字中島 放牧中の馬二回熊に襲われ、頭部、臀部を傷つけられる。
新札幌市史 第2巻 通史2
(神社等の増加)
. 6 三吉神社 札幌区 明治10 明治13 中の島神社
平岸村
明治10頃 手稲神社,#160;9 創建時札幌神社遙拝所 諏訪神社 札幌村 明治15 明治31. 2 花岡神社
平岸村
,. 9 明治33. 9 公認時西山神社 水天宮 札幌区 明治18 石山神社
平岸村
,
平岸村
明治28.11 鴨川神社 札幌区 明治28. 8頃 苗穂神社 苗穂村 明治,まず、村で神社設立の事情も若干知り得るものとして、
平岸村
の札幌神社遙拝所をあげたい。
新札幌市史 第4巻 通史4
(産業組合)
(68) 大 4.10.22 合併 昭 3. 5.16 (無)簾 舞 信購販 豊平町大字
平岸村
234,大 5. 4.19 合併 昭16. 4. 1 (無)砥 山 信 豊平町大字
平岸村
(21) 大 5.,5.11 事業不振 大15. 3. 1 (無)平 岸 信購 豊平町大字
平岸村
367 大 6. 2.,昭 7. 6.17 (有)丸重吾沢 信 豊平町大字
平岸村
(57) 大 6. 4.11 事業不振 昭,,大字月寒村字厚別,大字
平岸村
字藤沢,大字
平岸村
大字
平岸村
など5棟 北聯,全購聯,中金,監聯 白石信購販利
新札幌市史 第6巻 史料編1
(〔明治六年市在状況調〕)
開拓使管轄石狩国札幌郡各村戸籍表」〕 〔円山村〕 〔琴似村〕 〔発寒村〕 〔
平岸村
,丘珠村〕 〔篠路村〕 札幌村外十一ケ村検地野帳 明治六年 開墾掛 凡例 1
平岸村
,札縨村外十一ケ村収穫高調 明治六年収穫調 〔丘珠村〕 〔上手稲村〕 〔苗穂村〕 〔
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌への到着)
「各盟ニ背キ渡航ノ念ナシ、其屈セスシテ止マサル者僅ニ六、七名ニ過ギス」(市史 第七巻二五四頁)との「
平岸村
設立,合計六二戸で一村が形成され、当初は麻畑村と称されたが、間もなく五月に
平岸村
と改称になる。,写真-14 伊達邦寧の旧臣が入植した
平岸村
(明治4年,北大図)
新札幌市史 第2巻 通史2
(水沢伊達家の家臣団)
した仙台藩の諸士族や家臣団が、競って蝦夷地・北海道へ移住するようになることは次項で述べることにするが、
平岸村
,この頃、家臣の一人で後に
平岸村
に移住する高橋陸郎はすでに函館に来ていたことが、幌別郡に移住した片倉家臣
新札幌市史 第2巻 通史2
(市外との連絡路の整備)
県時代の継続事業).札幌原野の道路. 20年度 江別新道開削.札幌区内道路開削.札幌近傍原野道路開削.
平岸村
真駒内間道路,開削.豊平橋架換え(準備). 21年度
平岸村
真駒内間道路改築.豊平橋改造.江別月寒間(道道江別恵庭線,. 29年度 茨戸銭函間及び札幌茨戸間運河.琴似橋小樽郡界間道路(国道5号)修繕. 30年度 札幌郡
平岸村
仮定県道修繕道路,.札幌千歳間道路(国道36号)橋梁修繕工事.札幌星置間道路(国道5号)橋梁修繕工事.
平岸村
穴の沢定山渓間道路橋梁修繕工事
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部寺院の創立)
ここでは住民が設立を要望する事情を、篠路村の龍雲寺、
平岸村
の長専寺の創立願書によってみてみたい。,教願寺 28. 9 篠路村 真宗大谷派 長専寺 29. 9. 8
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(衣服の改良)
札幌でも鹿・兎の毛皮が売られ、
平岸村
でも実際に用いている(
平岸村
開拓史)。
新札幌市史 第2巻 通史2
(その他の村落)
初等教育機関が設置されたが、このほか幕末に成立した篠路村では、個人宅を教場として教育が始まり、ほぼ同じ頃に
平岸村
, 岡田 潤桂 白石村 月寒を兼 杉山 順 手稲村 円山琴似発寒を兼」 三木 勉
平岸村
,反面、初期には岡田潤桂の筆算所、
平岸村
筆算所のように、教師が他に転じたため閉鎖となった場合もあった。
新札幌市史 第2巻 通史2
(村落部初等教育施設の増加)
村落部初等教育施設の増加 明治初期までに設置された村では、中断した
平岸村
、および琴似村が近いこともあって,智徳寺)、札幌村烈々布(高屋敷平作)、白石村厚別(鎌田兵三郎)、二十八年篠路村山口(山田兵助)、三十一年
平岸村
簾舞
新札幌市史 第3巻 通史3
(豊平村、豊平町の概況)
村内には三十五年の二級町村の施行にともない、大字豊平村に八部、大字
平岸村
に一二部、大字月寒村に一二部、,月寒上西山、月寒下西山、二里塚、牧場、厚別、厚別北通、厚別南通、公有地、三里塚、三里塚北通、器械場、〔大字
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(祝賀と歓迎)
・ 5 (牛荘占領) 3・ 6 (営口占領) 3・16
平岸村
有志, 4・17 (日清講和条約調印) 4・21
平岸村
竹田忠治ほか四人発起による「平和談判終局祝賀会,」を
平岸村
共有地にて開催。
新札幌市史 第3巻 通史3
(独立村問題と豊平市街の札幌区編入)
豊平村の商業地区、月寒・
平岸村
の純農村的性格からくる「利害関係」「人情風俗」及び「民度発達上ノ遅速生計,四十一年十二月の豊平町議会では満場一致をもって編入を決議したが、その理由は商業地域の豊平村が農業地域の月寒・
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(副戸長の設置)
坪内猪之助 白石村 白石村貫属取締 佐藤廓爾 平岸・月寒村
平岸村
名主,平岸・月寒村は十一月頃に分かれ
平岸村
は行方丹治、月寒村は四戸安蔵(六年三月に岩瀬末治)が任ぜられた。
新札幌市史 第2巻 通史2
(米の確保)
これに該当した移民に四年白石村、上手稲村に入植した旧仙台藩士片倉家従者ら百数十戸、それに同年
平岸村
に入植,
平岸村
に入植した金山富蔵の妻セイの入植当時の懐古談によれば、扶助米は三年間男は玄米一日七合、女は同五合,開いた土地も借金の代わりに取られて他へ移る者も出る始末で、米以外に麦や雑穀が主食となっていたという(
平岸村
開拓史
新札幌市史 第2巻 通史2
(共同の財産)
山鼻兵村へは月寒村に薪炭林、秣場の名目で広い公有地を給与し、
平岸村
簾舞、山鼻村八垂別にもかなりの面積をもった,山鼻村アシシベツ、
平岸村
簾舞、花畔村等は他兵村と同条件の土地であるが、給与地に続く石狩川右岸当別村五筆四七万坪余,578,994 - - - 1,323,208 725,815 2,302,709
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(周辺村落の形成と移民)
手稲村へ(ただし手稲村入地は五年二月)、同じく水沢領の伊達家臣団が開拓使支配となり、同地の農民と共に
平岸村
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
札幌郡藻岩村大字円山村部落』(明44)、『藻岩村勢一班』(大12)、『円山百年史』、『豊平町勢一般』(明44)、「豊平村
平岸村
月寒村沿革大略
新札幌市史 第2巻 通史2
(報国社と福岡県人の移住)
離散した移民のうち、豊平村へ九戸五三人(第一回移民)・一二戸五六人(第二回)、
平岸村
(現澄川)へ九戸二五人,彼の誘導による移民も、十八年四月に一六戸六三人が豊平・
平岸村
に移住している。
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌近傍の林相)
二等官林 円山、藻岩、本庁ヨリ西北官園外琴似川迄 鴨々水門ヨリ上、本八垂別、下豊平橋辺迄
平岸村
,西方二股迄平林 同村ヨリ北方、発寒三樽別落合迄平林、月寒村ヨリ新道筋「アシヽベツ」迄 白石月寒両村間平林
平岸村
東方
新札幌市史 第2巻 通史2
(住宅資金と住宅事情)
また一方、四年岩手・秋田両県から
平岸村
へ移住した農家の場合、まだ住居が建っていなかったので、一旦は大きな,移り住み、その後やっと間口六間、奥行二間半(一五坪)の柾屋根葺の官給の住居が完成し、引き移っている(
平岸村
開拓史
新札幌市史 第2巻 通史2
(移民の募集)
戸を除いた三二五戸を札幌にあて、内訳は辛未村(後述)の五〇戸、松前商人の二〇戸、伊達将一郎の旧家臣(
平岸村
,伊達将一郎旧家臣ほか ①は月寒村、②は花畔村(ばんなぐろむら)、③は対雁村、④は生振村(おやふるむら)、⑤は
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(初期士族移住村)
設立以降、ほぼ両村を通して注目すべき事象を列記すると、まず六年中両村が、七年には
平岸村
が、それぞれ本府建設,」、「塵劫記」、「大統歌」、「内国史略」、「啓蒙手習文」、「女大学」、「国史略」、「十八史略」等で、
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(元仙台藩士片倉家従者の場合)
元仙台藩士片倉家従者の場合
平岸村
の金山セイと同時期に、同じ札幌郡に入植した一団がいた。,この移民たちの場合、
平岸村
同様農業移民であることには違いないが、家族のうちにいわゆる開墾以外の農業現術生
新札幌市史 第3巻 通史3
(市街馬車鉄道の敷設計画)
市街馬車鉄道の敷設計画 明治三十五年五月、札幌石材合資会社社長藪惣七は、石材を運搬しようという目的で、
平岸村
字穴
新札幌市史 第2巻 通史2
(札幌神社の活動)
七年に
平岸村
が出願し、さらに下手稲村(十一年)、札幌市中(同)などへも遙拝所が創建されていった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌石材馬鉄会社の設立と軌道計画)
路線は
平岸村
字穴の沢を起点とし、南一条西九丁目に至り、札幌病院前を通って新川端(現在の西五丁目通)に至
新札幌市史 第3巻 通史3
(衛生観念と都市景観)
上白石村にあった札幌区の業者の屠畜場と村民との衛生上の問題で、屠畜場が
平岸村
の人家から離れたところへ移転
新札幌市史 第3巻 通史3
(札幌の農場と小作制)
その他にも、札幌農学校の第三農場(三一七町、札幌村)、同第四農場(六四七町、
平岸村
)、宮内省御料局の御料農場,(六五〇町、
平岸村
)などが存在していたが、これらの公的な農場や学田地などもこの表に含まれていない(市史
新札幌市史 第2巻 通史2
(小学校の設立事情)
同校は二十三年二月に、
平岸村
総代人二人の連署をもって「小学校設置願」を戸長あて提出したが、その中で設置,されたが、三十二年春の状況として、道庁視学の調査の結果、小学校新設の必要な個所として山鼻戸長役場内八垂別、
平岸村
石山
新札幌市史 第2巻 通史2
(村三役の普及)
平岸村
は開拓使支配となった元伊達邦寧の家臣が移住したが、移住間もない四年四月に名主に坂本平九郎、組頭に
新札幌市史 第7巻 史料編2
(三 協議費)
報道記事(明治三〇年七月一七日) 二一〇 区費滞納の報道記事(明治三一年一一月二九日) 二一一 豊平
平岸村
費
新札幌市史 第2巻 通史2
(【主要参考文献・史料】)
【主要参考文献・史料】 『札幌郡調』(北大図)、『豊平村
平岸村
月寒村沿革大略』(札幌市中央図書館)、
新札幌市史 第2巻 通史2
(月寒村の軍都への歩み)
第七師団は当初
平岸村
に設置の予定であったが、土地買上げをねらった土地投機で地価が高騰したために、月寒村
新札幌市史 第7巻 史料編2
(二 教育)
月給三等区分の伺(明治七年七月七日) 一一二 手稲村教育所より書籍拝借願(明治七年七月一八日) 一一三
平岸村
教育所,布達案伺(明治七年八月二三日) 一一五 平岸・白石村教育所より書籍拝借願の件(明治七年) 一一六
平岸村
教育所営構
新札幌市史 第2巻 通史2
(四季と遊覧)
定山渓 札幌郡
平岸村
札幌区の西方七里一〇丁二五間。車馬あり。美泉定山の発見。,市中より少し足を伸ばせば軽川の光風館、
平岸村
の定山渓温泉があり、種々の病に効用あるところから近郷近在から
新札幌市史 第2巻 通史2
(前期兵村の給与地)
最後に発足別(今の藻岩村地内にて山鼻屯田より凡そ一里半)簾舞(
平岸村
の内にて山鼻より凡二三里)月寒(広島村,、まず住区画近辺に残っていた一〇〇区画ほどの処分から始まり、二十年から山鼻村字八垂別(一七七区画)と
平岸村
字簾舞
新札幌市史 第2巻 通史2
(農場の設置)
条 18 杉山順 外19名 白石村 97,337 23,337 白石村 19 高橋十三郎
平岸村
,この他にも札幌村レツレップの札幌農学校第三農場(面積三一七町)があり三十二年で小作戸数は五五戸を有し、
平岸村
簾舞,三十一年からは同じく
平岸村
簾舞では宮内省御料局の御料農場が開かれて一二戸が入場したのを始めとし、御料農場
新札幌市史 第3巻 通史3
(農場の宗派割合)
諸町村の二一農場、『東北帝国大学農科大学農場成績報告』(明42)には札幌村に所在した第三農場、豊平町大字
平岸村
簾舞
新札幌市史 第2巻 通史2
(学務委員と学区)
山鼻村)、三番(円山村)、四番(琴似・発寒村)、五番(上手稲・下手稲・山口村)、六番(豊平・上白石・
平岸村
新札幌市史 第2巻 通史2
(説教所の設立)
二十二年(真宗本願寺派、区内)、二十三年(浄土宗西山派、
平岸村
―のち順正寺)、二十四年(真宗本願寺派、
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