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新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦災者・引揚者・復員者)
戦災者・
引揚者
・復員者 二十年、本州諸都市の空襲激化にともない道内に避難疎開する戦災者が、著しく増加,八月二十一日からは樺太島民の
引揚者
を対象に案内所が再開され、戦災者も受け入れられた。,二十一年以降、樺太島民を含め
引揚者
の数は増し、援護を要する者が増加傾向を示した。,
引揚者
住宅をこの年、白石町に七棟一四戸、北二五条西三丁目に五棟一〇戸建設した(同前)。 ,札幌市では、二十九年十二月十五日現在の中国・ソ連邦からの「
引揚者
調」を行った。 / 戦災者・
引揚者
・復員者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(生活物資の窮乏と進むインフレ)
進駐軍からの返還の旧軍需品なども、戦災者や
引揚者
の救護用に向けられたので、一般家庭には配給されなかった,表-8 衣料品配給状況(昭和23年) 種類 数
引揚者
・戦災者・困窮者用 蚊張,しかし、敗戦直後からの札幌市への戦災者や外地
引揚者
の受け入れ増加によって深刻な住宅不足を来した。,表-9 外地
引揚者
収容施設(昭和21・22年度分) 施設 所在地 坪数 収容人員 収容世帯数 備考 丘珠
引揚者
収容所,276 9寮 愛隣館
引揚者
収容所 札幌市 30.00 30 5 駅前
引揚者
仮泊所 札幌市 31.50
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開拓地の諸相)
次に豊平地区では、二十年の拓北農兵隊の入地に始まり、二十三年・二十四年からは海外の
引揚者
が入植した。,真駒内地区には、地区計画ができる以前の二十一年に緊急入植者一一戸が入り、二十二年には道内離職者四六戸・樺太
引揚者
二二戸,・満州
引揚者
二四戸・その他四戸の計九六戸が入植、二十三年・二十四年にも海外
引揚者
二六戸・二四戸がそれぞれ,立地していたが、平岡には二十一年に地元から一二戸が入植し、三里塚には翌二十二年に地元三戸・朝鮮からの
引揚者
一戸
新札幌市史 第5巻 通史5上
(闇市対策)
、随時狸小路や薄野、創成川畔の闇市の取り締まりを行ったが、闇市の露店商のなかには、復員者や樺太からの
引揚者
及,これにより「青空市場」では、札幌市に居住し、かつ警察から許可を受け、しかも戦災その他の罹災者、外地
引揚者
,出店者は主として戦災者,外地
引揚者
復員軍人,その他必要と認めた者。 ,しかし市設露店市場の閉鎖は、
引揚者
や戦災者などの生活の糧を奪うことにもなりかねないので、市は露店指定地,許可書は①
引揚者
、②戦災者、③生活困窮者、④老婦女子、⑤一般の順で優先的に発行され(道新 昭23・2・
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後開拓の開始)
の開始 昭和二十年八月の敗戦とともに、これらの都市戦災者に加えて旧満州や樺太などの海外植民地からの
引揚者
,緊急開拓事業は連続して行われていたが、拓北農兵隊のような都市戦災者・疎開者の集団帰農から、敗戦後は海外からの
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(復員)
「定着地の
引揚者
数」として、二十三年七月末の時点で四六八七人、二十五年八月末で五七五九人となっている(
新札幌市史 第5巻 通史5上
(北海道への集団帰農政策)
この要綱によれば、都市等の戦災者・疎開者・離島
引揚者
の中で「北海道ノ拓殖農業ニ積極的ニ挺身シ、戦力増強
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後の文学状況)
特に北海道には疎開者、
引揚者
の中に優れた人材もおり、全道的に活況を呈していた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(ララ救援物資)
ララ救援物資 敗戦直後の日本には、よるべなき戦災孤児・戦災者、「戦争未亡人」、復員者、
引揚者
が巷に満,玩具)などが札幌報恩学園、札幌育児園、札幌明啓院(救護施設)など八カ所に収容されている乳幼児、戦災者・
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(初の女性代議士に札幌から二人)
六月二十九日、自由党稲田直道提案の「外地同胞引揚促進、外地
引揚者
、復員者救済決議案」は満場一致で可決されたが,東京都の戦災者を拓北農民団として渡道させた北海道庁の施策を例に引いて、「帝国主義戦争の犠牲者になった
引揚者
救済予算
新札幌市史 第5巻 通史5上
(復興にむけて)
また外地からの
引揚者
が自力更正をめざして「卸小売の店ホクシン」を設立したり(道新 昭22・3・18)、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(不用品交換会と露店街)
その後、市内各地区(丸井百貨店横、南四条のカバ市(樺太
引揚者
の運営)、豊平橋南橋詰、新善光寺横など)に
新札幌市史 第5巻 通史5上
(豊平・手稲町の公民館)
この館は
引揚者
を対象としたもので、演劇場、小集会室、図書室などが設けられていたが場所、採光及び買収との
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍病院と札幌の歯科医師たち)
マラリア予防隊が駐屯し、二十一年には、復員者が持ち込むと予想された熱帯病・マラリアの市内調査を行い、
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5下
(創価学会)
靖国法案反対運動があり、青年部が反戦平和集会を催し、五十一年には北海道反戦出版委員会による千島・樺太
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(上原市長の就任)
に求められていた課題を順不同であげれば、物資・エネルギー確保、急性伝染病対策、疎開跡地整理、戦災者・
引揚者
受
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦災孤児・浮浪者の流入と失業救済)
当時の札幌市の失業対策は、札幌公共職業安定所、日雇勤労署、市内各生活相談所、各
引揚者
収容所等が連絡を図,ところが、二十四年の場合、
引揚者
・復員者の増加に加えて企業整理等人員整理が伴って求人はわずか一〇二人、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各層への浸透)
また北光教会では、医療伝道と称して栗沢村志文、月寒、啓明院、丘珠の外地
引揚者
収容所に赴いた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(基地建設とタコ部屋解体)
基地建設とタコ部屋解体 進駐軍基地や施設、
引揚者
住宅新築等に伴う工事によって、土建業者が息を吹き返した
新札幌市史 第5巻 通史5上
(更生市場と巡回露店市)
「更生市場」のなかには、終戦以来保全病院横で露店をつづけていた樺太
引揚者
四〇人が経営する高田屋デパート
新札幌市史 第5巻 通史5上
(進駐軍特殊慰安施設(RAA)の設置と廃止)
から見られた新しい社会現象で、元娼妓、戦争被災者、職のない女性、戦災孤児、「戦争未亡人」、外地からの
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各地域の水道)
その所有は大蔵省札幌財務局となっていたが、その後月寒兵舎などは外地
引揚者
収容施設となり、豊平町が実質的
新札幌市史 第5巻 通史5上
(河原居住者移転問題)
河原居住者移転問題 敗戦後の札幌には、戦災者、
引揚者
、復員者が流入してきた。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(復興と主要事業費)
具体的な事業は、新制中学校建設、公民館設営、伝染病院設営、戦災
引揚者
援護施設建設、道路橋梁・公園等の改修
新札幌市史 第5巻 通史5上
(児童福祉)
これらはすべて敗戦後外地
引揚者
が一時収容施設として使用していたため収容能力がありながら非母子世帯が残寮,このため非母子世帯の処置を関係者の協力を得て、北二四条所在の
引揚者
住宅に移転させ、要保護母子世帯の入所措置
新札幌市史 第5巻 通史5上
(買い出しとヤミ市)
売り手は、以前からテキヤ(香具師(やし))と呼ばれた大道商人や、戦勝国である朝鮮人や中国人、樺太
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(要保護者対策)
戦災者、
引揚者
、復員者等による大幅な人口増、それに伴う生活資金、教育資金、住宅資金、結核患者のピーク時
新札幌市史 第5巻 通史5上
(自主的活動の発足)
例会・委員会をつづける」と記録にあるが、二十一年十月、北大中央講堂で東京から星野すみれなど五人を招いて
引揚者
援護
新札幌市史 第5巻 通史5上
(急性伝染病とGHQ防疫対策)
二十一年の予防接種はコレラワクチンを
引揚者
・復員者のほか戦災者・浮浪者(計二五三三人)に実施したほか、
新札幌市史 第5巻 通史5上
(食糧危機)
然リト雖モ或ハ戦災者、
引揚者
ノ受入及援護ニ或ハ連合軍ノ進駐等即発即決ヲ要スル緊急事項続発シ、加フルニ伝染病
新札幌市史 第5巻 通史5上
(「札幌市主要事業一〇年計画」)
加えて住宅費として、市営住宅二五七戸及び
引揚者
用改良住宅四八戸の建設費三億円(うち一億六〇〇〇万円は国
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)
(八月十五日)を境に 戦没者の数と遺族たち 「戦争未亡人」・母子家庭問題 戦災者・
引揚者
新札幌市史 第5巻 通史5上
(図版・写真・表組一覧)
り実績(昭和22年) (520頁) 表-8 衣料品配給状況(昭和23年) (523頁) 表-9 外地
引揚者
収容施設
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