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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第5巻 通史5上 (戦没者追悼と慰霊)

戦没者追悼と慰霊 真宗大谷派本願寺札幌別院では昭和二十二年八月二十四日に、北海道教区主催によって現如上人二十五回忌法要,、北海道開拓功労者追悼法要と共に戦没者の追悼法要がなされていたが、戦争で多くの檀信徒を失った寺院では、,遺族や各種団体と共催して戦没者の追悼が行われるようになる。  ,二十七年四月二十八日から講和条約の発効によって国、道は戦没者追悼式を催すようになった。,各自治体でもなされるようになり、札幌市では六月十一日に戦没者追悼式を無宗教形式で開催していた。 / 戦没者追悼と慰霊
新札幌市史 第5巻 通史5上 (戦没者の数と遺族たち)

戦時下では戦没者の数の公表は控えられ、昭和二十一年、札幌市でははじめて戦没者総数を二五九三人(遺族二五六三世帯,この戦没者の数は、遺家族の申請等により年々数を増し、二十七年の「戦傷病者戦没者遺族等援護法」(以下援護法,以後も、新たな戦没者公報接受や町村合併、その他の社会的起因によって戦没者の数が増加していったことは言うまでもない,多くの戦没者の陰には、無数の遺家族が残された。,札幌市の戦没者遺家族組織の結成は、全道の遺族会と同時で、二十一年三月である。 / 戦没者の数と遺族たち
新札幌市史 第5巻 通史5上 (平和塔の建立)

平和塔の建立 戦後、仏教界の役割には戦没者の追悼・慰霊と共に、東西の融和、原水爆反対、世界平和を祈念,塔内には道内関係戦没者の位牌と仏舎利を安置し、塔の外観はパゴダ風であり高さ三三メートル、塔頂には九輪の,塔の前では毎年、平和塔奉賛会によって戦没者慰霊祭が執行され、三十九年には第二回世界宗教者会議に列席した
新札幌市史 第4巻 通史4 (忠魂祭と公葬)

日露戦争後に戦没者をまつり慰霊する忠魂碑が各町村に建碑されるようになるが、最初に建碑したのは屯田兵の後備役,)によってなされていくが、忠魂祭には町村役場、青年団、愛国婦人会、赤十字社、小学校児童なども参与し、戦没者
新札幌市史 第5巻 通史5上 (札幌護国神社から札幌彰徳神社へ)

札幌護国神社から札幌彰徳神社へ 戦没者を英霊として祀る靖国神社や護国神社は、軍国主義・超国家主義を助長,十二月十二日、札幌護国神社は、札幌彰徳神社と改め、戦没者だけでなく北海道の開拓功労者、一般功労者も合祀,二十二年七月、札幌彰徳神社として初めての例祭では、「本道開拓神三十六柱を含め十七、八年度の戦没者一二九
新札幌市史 第5巻 通史5下 (諸社の動向)

諸社の動向 札幌護国神社は戦没者の慰霊をまつり、戦後は殉難の警察・消防官も含み、現在は二万五五一八柱,9・16)、アッツ島玉砕雄魂之碑(昭43・7・29)、北千島慰霊之碑(昭50・8・23)、メレヨン島戦没者慰霊碑
新札幌市史 第4巻 通史4 (太平洋戦争)

(七)本年中ノ当市出身大東亜戦争戦没者故陸軍少佐宮崎武助以下〇〇〇柱ノ英霊ヲ迎へ〇〇回ニ亙リ合同葬儀ヲ,(一〇)本年中、札幌駅ヲ通過帰還シタル戦没者ノ英霊〇〇〇〇柱ニ対シ、其ノ都度団体、僧侶ヲ出場セシメ読経
新札幌市史 第5巻 通史5上 (諸寺院の動向)

札幌別院では四十五年七月に本堂などが完成し、三日から五日にかけ落成法要と共に、戦没者・開拓功労者の追悼法要
新札幌市史 第4巻 通史4 (中正会と東方和合会)

日露戦争中は献金、入退隊兵の送迎、戦死者の公葬、出征家族・戦没者遺族の慰問などで地区を単位とした活動、
新札幌市史 第5巻 通史5上 (身体障害者福祉)

二十七年の場合、同年施行の戦傷病者戦没者遺族等援護法と身体障害者福祉法に基づいて交付した「身体障害者手帳
新札幌市史 第5巻 通史5下 (大谷・本願寺派と札幌別院)

また北海道教区の特別法要では、平成七年十二月八日に全戦没者五十年追悼法要、九年七月二十八日に蓮如上人五百回遠忌法要
新札幌市史 第3巻 通史3 (地域の諸相)

キ有志ト謀リ、忠魂碑ヲ建立シ伏テ仰キ慰藉セントスル と、欧米列強と対等になった日露戦勝利の自負と、戦没者
新札幌市史 第4巻 通史4 (日中戦争後の諸相)

この時期、政府の方針に添う運営・教育が特に留意して進められ、十四年には「支那事変」二周年記念として、戦没者慰霊
新札幌市史 第5巻 通史5上 (福祉事務所の設置と機構の変遷)

二十七年四月、戦傷病者戦没者遺族等援護法が成立したことから、八月一日、福祉事務所内に遺族相談所が設置された
新札幌市史 第8巻1 統計編 (総説)

また出身戦没者遺家族統計も困難はあるが可能だろう。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (「戦争未亡人」・母子家庭問題)

軍人・軍属合わせた戦没者三七二四人(三六三六世帯)に対し、「未亡人」数は五〇二人におよび、うち厚生資金
新札幌市史 第5巻 通史5上 (新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)

市民生活の混乱…501      一 戦争の傷跡         敗戦の日(八月十五日)を境に 戦没者,の寺院数 豊平町の寺院増加 寺院数の推移      二 仏教界と仏教団体の活動         戦没者追悼
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