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札幌市中央図書館/新札幌市史デジタルアーカイブ

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新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地)

札幌扇状地 札幌の中心部は、豊平川によって形成された扇状地の上に発達している。,この扇状地は札幌扇状地(豊平川扇状地)とよばれている。,市内にはこの扇状地のほかにも、琴似川や発寒川が形成した扇状地や豊平川の河岸段丘、西部山地の山麓緩斜面や,図-4 扇状地と山麓緩斜面  札幌扇状地は、南区真駒内の南端、標高九〇メートル付近を扇の要として,このように、札幌扇状地が二つの地形面に分かれていることは、この扇状地が二時期にわたって形成されたことを / 札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

発寒川扇状地 西区西野の市街地をのせる発寒川扇状地は、福井・平和付近を扇頂として、次第に高度を下げ、,この扇状地の末端部に近い八軒におけるボーリングの地質柱状図(図11)をみると、地表から深度一五メートル,図-11 八軒ボーリング柱状図  このように、発寒川扇状地の場合も、その基底は五三メートルと札幌扇状地,したがって、発寒川扇状地堆積物も最終氷期の前半から末期までに堆積したものである。,しかし、扇状地地形の完成は、札幌扇状地より古い時期であると考えられる。 / 発寒川扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (扇状地の成因)

扇状地の成因 札幌扇状地に限らず、一般的に扇状地の形成過程については詳しくわかっていない。,第一の疑問は、扇状地を構成する膨大な量の砂礫がどのように生成されたかということである。,扇状地を構成する膨大な量の砂礫は、通常の気候条件下で生産されるものではなく、寒冷気候期の周氷河地域において,こうした条件が整ってはじめて扇状地が形成されるというのである。,このような考え方にしたがって、札幌扇状地や発寒川扇状地などの形成過程とその時期を考察してみよう。 / 扇状地の成因
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地)

発寒川扇状地 西区の平和の滝付近(標高一八〇メートル)および盤の沢出口付近(同一六〇メートル)を扇頂点,とする発寒川扇状地は、北東に向かって広がり西野・手稲東・発寒・山の手・琴似などを経てJR函館本線付近(,傾斜は札幌扇状地よりも急で、現在でも西野付近を歩くとかなりの登り坂を意識するほどである。,形成時期は円山扇状地とほぼ同時期と考えられる。 / 発寒川扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (扇状地堆積物)

扇状地堆積物 札幌扇状地を構成する堆積物を地表で観察するのは、ほとんど不可能である。,これらの資料から、扇状地堆積物はほとんど砂礫層で構成されていることがわかるが、扇央東寄りの豊平・菊水付近,扇状地末端部に位置する札幌ビールエ場や北大医学部で掘削した水井戸の地質柱状図を(図10)をみると、ビール,このように、扇状地の末端部では、泥炭層が扇状地堆積物の基底となっており、それより下位の粘土層は、前~中期更新世,図-10 札幌扇状地の堆積物柱状断面  また、上・下二層に区分された砂礫層の特徴をみると、下部は細粒 / 扇状地堆積物
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地)

札幌扇状地 前に述べたように、札幌扇状地砂礫層は、深度二〇~二五メートルを境に上・下に二分され、境界層準,そして、上部(新期)の扇状地砂礫層は、次の亜氷期(最盛期、約二万五〇〇〇年前~一万六五〇〇年前、最終氷期,こうしてみると、札幌扇状地は最終氷期に、前後二回にわたって形成されたものであることがわかるであろう。 / 札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇発寒川扇状地)

◇発寒川扇状地 手稲山の南東を流れる発寒川は、小規模ながら豊平川と同様の扇状地を作り出している。,その成立は、豊平川のそれより古く安定し豊平川扇状地(いわゆる札幌面)にはない縄文時代前期の遺跡が六カ所程確認 / ◇発寒川扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌扇状地の特性)

札幌扇状地の特性 札幌の母なる川、豊平川は、余市岳・朝里岳・喜茂別岳・空沼岳・漁岳・札幌岳などから水,そしてまた、この扇状地堆積物のなかにも最終氷期の歴史が秘められているのである。  ,とはいえ、札幌扇状地は、いまなお、札幌市の水がめとしての大きな役割を果たしている。,扇状地に水が豊富な理由は、扇状地を構成している砂礫層にある。,図-9 札幌扇状地の古河川図とメムの分布 / 札幌扇状地の特性
新札幌市史 第1巻 通史1 (琴似川扇状地)

琴似川扇状地 琴似川は荒井山スキ―場の上手に源を発して宮の森を貫流し、界川や円山川を合流して新川に注,この川で運搬された砂礫からなる円山動物園や円山競技場の緩斜面が琴似川扇状地である。 / 琴似川扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (豊平川扇状地の遺跡)

豊平川扇状地の遺跡 縄文時代前期の土器が発見される遺跡も平岸地区(豊平川扇状地のいわゆる平岸面を含む / 豊平川扇状地の遺跡
新札幌市史 第1巻 通史1 (発寒川扇状地の遺跡)

発寒川扇状地の遺跡 総計五カ所の遺跡が知られている。発掘調査で確認した遺跡は一カ所のみである。 / 発寒川扇状地の遺跡
新札幌市史 第1巻 通史1 (遺跡の地理学的考察)

宇田川洋・加藤晋平・河野本道により、これまでの研究の総括ともいうべき、「札幌市附近の遺跡―考察編Ⅰ―札幌扇状地,これは、札幌扇状地として括られる自然地理的単元において発見された六五遺跡を先史地理学的な観点から検討を,を先土器時代からアイヌ文化期まで八期に分類し、さらに各地区ごとの遺跡の立地条件、標高差などから、札幌扇状地,これらの諸検討により札幌扇状地が形成され、人が住めるようになるのは、きわめて新しい時期であることを指摘
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌の続縄文時代遺跡)

縄文時代にくらべると一段とひろがり、野幌丘陵や月寒台地、平岸台地、紅葉山砂丘、豊平川および発寒川の形成した扇状地,特に豊平川扇状地の扇端には、K一三五遺跡(札幌駅北口遺跡)をはじめ大規模な遺跡が多い。
新札幌市史 第1巻 通史1 (分布の範囲)

の分布範囲は急速にひろがり、縄文時代においても遺跡分布の主体を占めた野幌丘陵、月寒・平岸台地、発寒川扇状地,、紅葉山砂丘のみならず、縄文時代には遺跡が立地していなかった豊平川扇状地(札幌面)、さらに山岳地に近い,豊平川は、後背の山岳地から膨大な土砂を運び、現在の札幌市の中心部となった大規模な扇状地を作り出したことは
新札幌市史 第1巻 通史1 (山麓緩斜面・崖錐)

山麓緩斜面・崖錐 西部山地の山麓部には扇状地状の緩斜面や山崩れ・地滑りなどによる傾斜面(崖錐)が諸所,西区手稲本町~前田や富岡あたりの手稲山山麓緩斜面は扇状地と考えた方がよさそうな形態を示している。
新札幌市史 第1巻 通史1 (遺跡の立地と地形)

発寒川扇状地では、中の川流域の発寒(標高約一〇~二〇メートル)、追分川流域の手稲宮の沢(標高約一五~四,しかし、札幌扇状地では、札幌面・中の島面・平岸面いずれからも、今のところこの時期の確実な遺跡は検出されていない,両扇状地の出土遺物の時期でみると、発寒川扇状地の方はすでに縄文前期頃には安定していたと考えられるが、札幌扇状地,このことから、札幌扇状地は豊平川が頻繁に氾濫を繰り返し、長い間不安定な土地であったと推測される。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (完新世の冷涼期(五〇〇〇年~四〇〇〇年前))

札幌扇状地も次第に安定化にむかい、豊平川の流路が東へ移動したあと、扇状地の西の方は、豊平川からの分流が,縄文文化の最盛期(中期)を生きた人びとは、新しく形成された低地帯や札幌扇状地へもその足跡を残すようになった
新札幌市史 第1巻 通史1 (分布地域)

一、西区の発寒川扇状地地区 二、札幌扇状地とその北部の低地地区 三、豊平川流域の石山、藤野地区,次いで、豊平川流域の石山、藤野地区と札幌扇状地より北部の低地に遺跡が出現することである(付録分布図参照,発寒川扇状地の遺跡は、現在四カ所が確認されN一九九遺跡の発掘調査を実施したのみである。,札幌扇状地とその北部低地では、北栄遺跡(H三八遺跡)の小発掘が二度にわたって実施されている。,図-19 縄文晩期の土器(H38遺跡)  扇状地の平岸面の平岸地区では、過去の記録に晩期の土器の出土
新札幌市史 第1巻 通史1 (後期更新世)

札幌は、もみじ台の例をみるまでもなく、元来、扇状地と台地の上に広がった街である。,いいかえれば、台地と扇状地、そして後述する平野こそ、われわれの日常生活を支える大地なのである。,また、この台地や扇状地をつくる地層や自然遺物は、現在ともっとも関連深い後期更新世(約一三万~一万年前)
新札幌市史 第1巻 通史1 (後期の遺跡)

一、西区手稲前田の石狩町から続く紅葉山砂丘の南端地区 二、西区の発寒川扇状地地区 三、札幌扇状地地区,豊平川の石山、藤野地区と北部低地には、まったく遺跡を発見することができず、豊平川によって形成された札幌扇状地,札幌扇状地は、平岸面、中の島面、札幌面の三つに分けることができる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (中期)

この時期になると、まず札幌扇状地の土台づくりがはじまる。,この扇状地礫層の下底に泥炭層がみられるが、これは扇状地礫層の堆積前、つまり、前期の終末か中期の初頭には,当時の札幌扇状地(市内中央部)は海におおわれた形跡はないが、海の上昇に対応し河川勾配が緩やかになったので
新札幌市史 第1巻 通史1 (晩期の問題点)

紅葉山砂丘の札幌市域部分では、遺跡がほとんど姿を消し、発寒川扇状地、豊平川の石山・藤野地区、札幌扇状地,なかでも、札幌扇状地より北部で、縄文時代の各時期を通じ初めて遺跡が出現し注目される。  
新札幌市史 第1巻 通史1 (後背低地の堆積物)

とくに、豊平川は晩氷期から引き続き、大量の砂礫を運び、札幌扇状地を形成しつつ、浅い湖をも土砂で埋め立てたのである,たとえば、古豊平川の初期は、おそらく、札幌扇状地の西縁からJR札沼線の東側に沿う流路であったが、次第に,東へ移動し、最終的には札幌扇状地の東縁から苗穂―雁来―江別対雁方向の流路に落ち着いたのである。
新札幌市史 第1巻 通史1 (ハッサム村の成立)

この地帯は、ほぼ発寒川扇状地の末端にあたり、泥炭地層との境界付近と思われる。,また扇状地の末端ということは、川の流れがゆるやかとなり、水運が比較的容易に行われる地点でもある。
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌の擦文時代遺跡)

札幌の擦文時代遺跡 札幌市内における擦文時代の遺跡は、旧琴似川流域、札幌扇状地、豊平川上流部、月寒川流域
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇平岸坊主山遺跡(T三一〇遺跡、豊平区平岸五条九丁目))

◇平岸坊主山遺跡(T三一〇遺跡、豊平区平岸五条九丁目) 札幌扇状地の平岸面に面した月寒丘陵の裾野にある
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N一九九遺跡(西区西野二条八丁目))

◇N一九九遺跡(西区西野二条八丁目) 手稲山腹に源流を持ち扇状地の西側を流れる中の川右岸に位置する。
新札幌市史 第1巻 通史1 (遺跡の立地)

縄文時代前期の遺跡の分布は、月寒台地、発寒川扇状地(中の川流域を中心として)に広がりを見せる。
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇T七六遺跡(豊平区平岸四条一一丁目))

平岸坊主山の西側の豊平川扇状地(平岸面)と月寒台地の接する地域にあたり、標高は五〇~六〇メートルである
新札幌市史 第1巻 通史1 (石狩海岸平野)

石狩海岸平野 太平洋戦争が終わった昭和二十年ころの札幌の市街地は、札幌扇状地の上が主体で北はせいぜい
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌の後期遺跡)

後期遺跡 札幌市域における縄文時代後期の遺跡は、約三五カ所で、西区前田の紅葉山砂丘地区と発寒川の形成した扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (紅葉山砂礫州の形成期(七〇〇〇年~五〇〇〇年前))

さらに、前の時期には、生活基盤として不安定だった発寒川扇状地の末端(発寒地区)などに人類遺跡が残されている,この事実は発寒川扇状地の形成が六〇〇〇年前ころまでには終わりをつげ、以後は植生の侵入などによる固定化への
新札幌市史 第1巻 通史1 (旧琴似川の遺跡群)

また、旧琴似川の上流部にあたる札幌扇状地上(標高二五~三〇メートル)、真駒内から藤野にかけての豊平川の,メートル)、月寒川流域の白石付近(標高二〇~四〇メートル)、羊ケ丘付近(標高六〇~七五メートル)、発寒川扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N一八遺跡(西区発寒一〇条四丁目))

◇N一八遺跡(西区発寒一〇条四丁目) 発寒川扇状地末端部に近く、中の川右岸にあり、標高は一三~一五メートル
新札幌市史 第1巻 通史1 (末期)

札幌扇状地の最終的な造形が、行われたのが一万六〇〇〇年前ころから八〇〇〇~九〇〇〇年前までのことである
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N一九遺跡(西区発寒一一条三丁目))

◇N一九遺跡(西区発寒一一条三丁目) 発寒川扇状地の発寒神社の北東標高約一五メートルに存在する。
新札幌市史 第1巻 通史1 (新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)

       台地の区分 西岡台地 月寒台地 清田台地 厚別台地 滝野丘陵 野幌丘陵   第三節 扇状地,と河岸段丘…9        札幌扇状地 琴似川扇状地 発寒川扇状地 山麓緩斜面・崖錐 河岸段丘,地史…46        裏の沢期 下野幌期 地殼運動期 音江別川期 竹山期   第四章 台地と扇状地,…79        札幌扇状地の特性 扇状地堆積物 扇状地の成因 札幌扇状地 発寒川扇状地   ,166     一 遺跡の分布        遺跡の立地 野幌丘陵の遺跡 月寒台地の遺跡 豊平川扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (泥炭地の地盤沈下)

この図からもわかるように、台地や扇状地とは比較にならないが、沖積氾らん低地と比較しても、泥炭地はその二倍
新札幌市史 第1巻 通史1 (後背低地)

豊平川と分離された伏篭川は札幌扇状地の湧水を集めて流れるようになったのである。
新札幌市史 第5巻 通史5上 (療養所の詩誌活動)

その後も幌南病院で療養中の古川善盛が中心となり三十一年二月に『扇状地』が創刊された。
新札幌市史 第1巻 通史1 (◇N一二遺跡(西区発寒九条一〇丁目))

他に発寒川扇状地に立地する遺跡は四カ所あるが、発掘調査は実施されておらず分布調査によって確認されたものである
新札幌市史 第2巻 通史2 (水害)

水害 札幌の市街は豊平川の扇状地の上に形成されているため、札幌の人びとは毎年のごとくくりかえされる水害
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌市の地質学的位置)

まかにみると、①北西部から南西部を構成する山地地域、②東部に広がる丘陵地や台地地域、③豊平川や発寒川がつくった扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (【主要参考文献・史料】)

四一・四二、文化財保護委員会『全国遺跡地図―北海道』、岩崎隆人ほか「札幌市附近の遺跡―考察編Ⅰ―札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (札幌の墓壙と副葬品)

これに引きかえ、札幌は月寒台地のみが生活環境の良好な地であり、豊平川扇状地も形成中で、その前面が広大な
新札幌市史 第2巻 通史2 (下水の整備)

下水の整備 札幌市街は、もともと豊平川の扇状地の上に位置し、いたるところにメム(湧水)が湧き出て小河川
新札幌市史 第1巻 通史1 (最終間氷期の古地理)

いっぽう、陸上部はどうかといえば、この海の背後に、現在の月寒台地や滝野丘陵が低い台地となって広がり、札幌扇状地
新札幌市史 第1巻 通史1 (古石狩湾期(一万年~七〇〇〇年前))

豊平川や発寒川は季節によって濁流が大量の土砂を運び、それらを流域に堆積させ扇状地の形成を続けていた。
新札幌市史 第1巻 通史1 (重要遺跡の消滅)

重要遺跡の消滅 後期の遺跡は、西区手稲の紅葉山砂丘、同じく発寒川扇状地、月寒台地を中心にして、全道的
新札幌市史 第1巻 通史1 (五つの遺跡群)

発寒川扇状地では、中期の遺跡が、手稲側に偏在しているのに対し、中の川流域の標高一〇~五〇メートルの間に
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