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新札幌市史 第4巻 通史4
(手稲鉱山)
手稲鉱山
明治時代から鉱区が設定されていた
手稲鉱山
では、昭和三年広瀬省三郎が鉱業権を入手した。,さらに十三年には輪西鉱山株式会社から、
手稲鉱山
に隣接する鉱区である輪西
手稲鉱山
を二四万円で買収した。,しかし昭和十八年には政府の金山整理政策で、金山としての操業を停止し、銅山中心に転換した(手稲鉱業所
手稲鉱山
史,、浅田政弘
手稲鉱山
について 札幌の歴史29号)。 /
手稲鉱山
新札幌市史 第3巻 通史3
(手稲鉱山)
手稲鉱山
手稲鉱山
は本格的に操業するのは昭和にはいってからである。,続いて大正五年、北海道庁技師石川貞治が試掘権を得て
手稲鉱山
と称して開発に着手した(
手稲鉱山
史 昭和十四年十二月末日迄,投資額二万五〇〇〇円といわれている(
手稲鉱山
史)。 /
手稲鉱山
新札幌市史 第1巻 通史1
(豊羽鉱山と手稲鉱山)
豊羽鉱山と
手稲鉱山
豊平川の支流、白井川上流にある豊羽鉱山は、鉛、亜鉛、硫化鉄などを産出する道内最大,このほか、この時期に生成された鉱床には、かつて、金・銀・銅などを産出した
手稲鉱山
やその他小鉱山がある( / 豊羽鉱山と
手稲鉱山
新札幌市史 第4巻 通史4
(抵抗する手稲鉱山の朝鮮人)
抵抗する
手稲鉱山
の朝鮮人 札幌近郊における最初の連行者として
手稲鉱山
に到着した二九三人の朝鮮人労働者 / 抵抗する
手稲鉱山
の朝鮮人
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉱山の戦時体制)
これは昭和十四年七月に閣議決定され、八月には道庁、
手稲鉱山
、豊羽鉱山と鴻之舞鉱山から各一名が調査団として,そして十月には連行の第一陣が全国にさきがけて函館に到着し、約三〇〇人が
手稲鉱山
に送られた。,
手稲鉱山
には両者が動員された。,まず産金報国隊は、札幌職業紹介所が音頭をとって、
手稲鉱山
へ送り込むために十四年冬に実施された。,
手稲鉱山
や豊羽鉱山に動員されたのは、主に札幌・小樽の商工業者である。
新札幌市史 第4巻 通史4
(手稲村)
って凶作などにより生産額は落ち込み停滞を余儀なくされていたが、一方では軽川市街周辺の宅地開発、そして
手稲鉱山
,
手稲鉱山
は昭和七年に藤田鉱業に委託経営され、十年には三菱鉱業へ譲渡となり飛躍的に発展していった。,十五年の
手稲鉱山
の市街地は連担戸数一三二三戸、六九三二人に及んでおり、諸町村の市街地の中でも屈指の規模,人口をみても村人口の半数近くは、
手稲鉱山
に関係をもっていたといえそうである。,
手稲鉱山
の発展の結果、手稲村の人口も六年まで四〇〇〇人台であったものが七年以降は増加をみせるようになり
新札幌市史 第4巻 通史4
(鉱山街の形成)
鉱山街の形成 上記のような諸鉱山があったが、特に大きな鉱山であった
手稲鉱山
と豊羽鉱山には、そこで働く,
手稲鉱山
には、北海道庁警察部が調査した二〇〇戸以上連担(軒や庇を連ねている)戸口表では、昭和十五年末に,また最寄りの駅である軽川には、鉱山関係者が利用する飲食店や料理屋が集まった(手稲町史、浅田政弘
手稲鉱山
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後の経営の変遷)
戦後の経営の変遷 戦後の札幌における鉱業は、
手稲鉱山
と豊羽鉱山に代表されるといってよいだろう。,一九四七年版『北海道年鑑』にある昭和二十一年度鉱山別生産実績表から鉱種を金銀銅に限って抽出したものであるが、
手稲鉱山
,表によれば
手稲鉱山
では、この時点で八九七人の従業員がいたが、二十二年六月からは四〇〇人に減少することになり,写真-6
手稲鉱山
選鉱場内部 昭和二十四年一月、探鉱作業の結果、脈幅一・三メートル、品位は金一〇,「大縮小後始末」時代の二十五年の出鉱量はわずか一五五トンであり(中本明
手稲鉱山
調査史)、「休山同様の
新札幌市史 第5巻 通史5上
(閉山)
手稲鉱山
の採掘権は石狩国第二九八号、第三〇一号、第三三三号の三つであり、これらは四十七年二月、五月、五十一年七月,こうして
手稲鉱山
は、その発見から閉山までの間に、金九・六トン、銀一五〇トン、銅八三〇〇トンを産出し、発見以来,表-41 戦後
手稲鉱山
における従業員数推移 年 従業員 年 従業員 昭22 897 昭34 31 23,表-42 戦後の
手稲鉱山
粗鉱生産量と品位 年 粗鉱 鉱量(t) 金(g/t) 銀(g/t) 銅(%)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(生産管理闘争の波及)
労組連盟や総同盟道連の斡旋で全面的に組合側の要求に沿って解決し(道新 昭21・2・21)、十一日には
手稲鉱山
労組,資金難による零細工場の閉鎖や経営再編も続く中で、札幌でも争議件数の三割で生産管理が採用され(表22)、
手稲鉱山
争議,通勤手当実費支給,有給休暇実施,食糧・作業衣確保,工場経営参加,団体協約承認,8時間労働制実施など12項目
手稲鉱山
,しかし、争議中から組織が混乱して組合再編が行われた
手稲鉱山
労組と同様、ここでも争議解決後、共産党員主導
新札幌市史 第4巻 通史4
(一 札幌の鉱山業)
そのような状況の中で、現在の札幌市域に昭和に入って鉱山経営を行ったのは、
手稲鉱山
、豊羽鉱山、札幌鉱山などであった
新札幌市史 第5巻 通史5上
(道同盟札幌地区同盟の誕生)
その後、新国労(のち鉄労)札幌支部や全郵政札幌支部が加入し、四十三年以降、ゼンセン同盟加入組合や
手稲鉱山
労組
新札幌市史 第5巻 通史5下
(日本鉱業株式会社からの分離・独立)
日本鉱業株式会社からの分離・独立 昭和四十六年(一九七一)に
手稲鉱山
が閉山して以降、豊羽鉱山は札幌市
新札幌市史 第5巻 通史5上
(各地域の水道)
手稲水道は、十四年認可となっている三菱鉱山株式会社
手稲鉱山
の社宅用に計画されたものであった。,しかし二十八年
手稲鉱山
の事業縮小に伴い交渉の末、二十九年星置川の水利権ともども水道施設が手稲町に寄付され
新札幌市史 第4巻 通史4
(一級町村制の施行)
その理由は、同村は近年人口が増加し発展の様相にみえるが、これらは
手稲鉱山
に関係したものであった。,しかも同鉱の労働者は「担税力至ッテ低度」であり、村の発展に結びつくものではないとし、
手稲鉱山
も「探鉱中
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
北海道拓殖開墾及び耕地改良計画に就て 坂北海道庁長官説明要旨」『中原謹司文書』(国図)、手稲鉱業所『
手稲鉱山
史,』、浅田政弘「
手稲鉱山
について」『札幌の歴史』29号、『豊羽鉱山三十年史』(昭56)、『北海道の金属工業
新札幌市史 第5巻 通史5上
(民間組合再編と紛争議)
だが
手稲鉱山
労組(四二二人)は二十五年、鉱業所閉鎖阻止と引き替えに一五八人の大量解雇に調印したのち解散
新札幌市史 第5巻 通史5上
(中国人・朝鮮人労働者の送還)
札幌市の場合、移入中国人労働者の使役事業場はなかったが、朝鮮人労働者は、
手稲鉱山
(三菱鉱業)と豊羽鉱山,
手稲鉱山
(手稲村=現札幌市域)の場合、昭和十四~十五年にかけて朝鮮人労働者の移入実数は五八四人にのぼり,また
手稲鉱山
と同様に、定着率を高めるため家族を朝鮮から呼び寄せていた者は一〇〇世帯にも及んだ(豊羽鉱山三十年史
新札幌市史 第4巻 通史4
(札幌の朝鮮人)
最初は
手稲鉱山
、豊羽鉱山への連行であったが、丘珠の飛行場建設が開始されると、工事場に多数の朝鮮人が連行
新札幌市史 第3巻 通史3
(【主要参考文献・史料】)
、農商務省鉱山局『本邦鉱業ノ趨勢』(各年)、 『豊羽鉱山30年史』、『日本鉱業株式会社五十年史』、『
手稲鉱山
史
新札幌市史 第5巻 通史5上
(大幅賃上げ要求の広がり)
大幅賃上げ要求の広がり 明けて二十一年一月九日、
手稲鉱山
労組から鉱業所長宛に、「何卒終始の事情御参酌
新札幌市史 第4巻 通史4
(【主要参考文献・史料】)
、『伏見史稿』(大15)、『円山西町の沿革』(昭41)、『豊平町開町七十周年』(昭16)、浅田政広「
手稲鉱山
新札幌市史 第8巻1 統計編
(【産業】)
表 林産額(町村別) 第230表 林産額(町村別) 第231表 鉱産額(町村別) 第232表
手稲鉱山
及
新札幌市史 第4巻 通史4
(戦時下の警察)
平岸、石山、月寒、東月寒、白石村、上白石、厚別、定山渓、簾舞(一七) 〔請願巡査派出所〕 豊羽鉱山、
手稲鉱山
新札幌市史 第5巻 通史5上
(旧労働組合法下の組織状況)
炭鉱労組主体の労組連盟には、札幌地域からも道新従組や
手稲鉱山
労組、夕張製作所札幌工場従組のほか、結成準備段階
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
ところで
手稲鉱山
と豊羽鉱山は,いうまでもなく札幌を代表する金鉱山であったが,第232表はこの両鉱山の主要,
手稲鉱山
はいくどか経営者が交代し,戦時体制がエスカレートする中で企業整備による銅鉱山への転換を余儀なくされることもあったが,,ともかく1931年(昭6)から45年(昭20)まで生産は続けられた(
手稲鉱山
史)。
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の生産額)
琴似、藻岩村は工場の進出により工産が増大し、手稲村、豊平町は
手稲鉱山
、豊羽鉱山の発展による鉱産の増大に
新札幌市史 第4巻 通史4
(区から部へ)
その後、人口の増加により十一年六月に
手稲鉱山
区が置かれて一二区となった。
新札幌市史 第4巻 通史4
(諸町村の人口)
十五年には一万七〇〇〇人に達した円山町(昭13・4藻岩村が改称)が札幌市に合併するが、
手稲鉱山
の発展によって
新札幌市史 第5巻 通史5上
(郵便局の増設)
を改称,昭35札幌南十八条に改称,南18西15に移転) 昭25 清田(東月寒を改称,豊平町字清田),
手稲鉱山
新札幌市史 第4巻 通史4
(市街地の広がりと郵便局の新設)
昭19. 8 .16 札幌逓信講習所内郵便局 改称,南22西7 昭14. 9 . 6
手稲鉱山
郵便局
新札幌市史 第4巻 通史4
(新札幌市史 第四巻 通史四/総目次)
工業 第四節 札幌の鉱業・エネルギー産業…592 一 札幌の鉱山業
手稲鉱山
,北海道製綱争議 麦酒会社争議の失敗 定山渓の土工夫争議 三度の電車争議 抵抗する
手稲鉱山
新札幌市史 第5巻 通史5下
(郵便局の増設)
手稲金山(西区手稲金山へ移転、
手稲鉱山
を改称) 50 札幌北(北区新琴似4-2、普通)。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(図版・写真・表組一覧)
中央卸売市場(文資) (416頁) 写真-5 八条市場(北8西1)(文資) (419頁) 写真-6
手稲鉱山
,年度) (441頁) 表-40 道内金・銀・銅・鉛・亜鉛鉱山の在籍人員数 (441頁) 表-41 戦後
手稲鉱山
,における従業員数推移 (444頁) 表-42 戦後の
手稲鉱山
粗鉱生産量と品位 (444頁) 表-43
新札幌市史 第5巻 通史5上
(企業別・事業所別組合の誕生)
荒金雄 北5条西市(ママ) 21/03/26 0 0 1986 281 1986 281 2267
手稲鉱山
労組
新札幌市史 第8巻1 統計編
(総説)
また1945年4月の時点で手稲町に三菱
手稲鉱山
青年学校,豊平町に日本鉱業豊羽鉱山青年学校があった。
新札幌市史 第3巻 通史3
(新札幌市史 第三巻 通史三/総目次)
札幌木材株式会社 第二節 鉱業・エネルギー産業…238 一 鉱業 豊羽鉱山
手稲鉱山
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(出典一覧(明治以降) 1868年〜1944年)
北海道の裁判所史 3(山田幸一) 1097 工成舎ホームページ(2007年9月現在) 1098
手稲鉱山
史,産業組合(宮本平八郎編) 1876 札幌市方面事業助成会 昭和8年度会務報告 1877
手稲鉱山
,円山尋常高等小学校) 1937 郷土誌 手稲西(手稲西小学校) 1938 昭和10年度学校日誌(
手稲鉱山
特別教授場,)(文資蔵) 1939 昭和12年度学校日誌(
手稲鉱山
特別教授場)(文資蔵) 1940 思想月報
新札幌市史 第1巻 通史1
(新札幌市史 第一巻 通史一/総目次)
第二節 グリーンタフ変動とその産物…16 地層区分 定山渓層群 豊羽層群 豊羽鉱山と
手稲鉱山
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)
よみがえるススキノ歓楽街 郊外に生まれる繁華街 第六節 札幌の鉱業…441 一
手稲鉱山
新札幌市史 第8巻2 年表・索引編
(『新札幌市史』編集の経過)
札幌の保育所」ほか(平成7年2月) 76頁 第29号 「
手稲鉱山
新札幌市史 第8巻1 統計編
(新札幌市史 第8巻Ⅰ 統計編/総目次)
)(1928年)…451 第231表 鉱産額(町村別)(1920,21年)…452 第232表
手稲鉱山
及
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