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新札幌市史 第5巻 通史5上
(拓北農兵隊)
拓北農兵隊
この計画を受けて北海道庁は、直ちに「北海道集団帰農者受入要領」を決定した。,これらの帰農者は東京都長官から「
拓北農兵隊
」と命名されたが、七月七日付けの『北海道新聞』は、「
拓北農兵隊
,結局、
拓北農兵隊
が現在の札幌市域に最も多く入植したのはこの第一陣のみであったが、前掲紙によると各町村の,このようにして七月六日、東京都からの
拓北農兵隊
の第一陣が北海道に出発し、日本の敗戦を挟んで八月末までに /
拓北農兵隊
新札幌市史 第5巻 通史5上
(白石隊の入植)
これらの
拓北農兵隊
は、敗戦後は拓北農民団または集団帰農者などと呼ばれるようになり、昭和二十年十一月までの,写真-6
拓北農兵隊
の到着を報じた新聞記事 『道新』(昭20.7.10)
新札幌市史 第5巻 通史5上
(開拓地の諸相)
厚別地区(東米里・米里・北郷・川下など)では、二十年に
拓北農兵隊
の大森区・板橋区出身者一〇戸など計三一戸,次に豊平地区では、二十年の
拓北農兵隊
の入地に始まり、二十三年・二十四年からは海外の引揚者が入植した。,石山地区の開拓も二十年の
拓北農兵隊
四〇戸の入地に始まる。,札幌市の北部地区では旧篠路村の沼の端地区があり、敗戦直後に愛知県からの
拓北農兵隊
一三戸が入植したが、その,前田地区では、最初に触れたように
拓北農兵隊
が敗戦直前に一七戸入植したが後に六戸が離農した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後開拓の意味)
だが、戦後の緊急開拓事業には、
拓北農兵隊
に代表される敗戦末期の都市戦災者疎開政策としての前史があり、
拓北農兵隊
新札幌市史 第5巻 通史5上
(手稲隊の入植)
手稲隊の入植 このような
拓北農兵隊
の一人に手稲村に入植した田中美之助がおり、後に『白雲を眺めて』(昭,このため七月に第百生命保険を退社し、
拓北農兵隊
に志願した。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(「決戦教育」下の学校)
拓北農兵隊
がその端的な例である。
新札幌市史 第5巻 通史5上
(戦後開拓の開始)
これまで述べてきたように、敗戦末期から北海道の緊急開拓事業は連続して行われていたが、
拓北農兵隊
のような
新札幌市史 第5巻 通史5上
(札幌の戦後開拓)
そして、
拓北農兵隊
の入地にもみられるように、これらの入植者は、戦後開拓の時期区分でいえば「緊急開拓期」
新札幌市史 第5巻 通史5上
(新札幌市史 第五巻 通史五(上)/総目次)
農地改革…314 一 緊急開拓 戦後開拓の意味 北海道への集団帰農政策
拓北農兵隊
新札幌市史 第5巻 通史5上
(図版・写真・表組一覧)
月刊さっぽろ蔵) (307頁) 写真-5 デパートの増築(昭33)(文資) (312頁) 写真-6
拓北農兵隊
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